表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鎮めよ!  作者: オノダ竜太朗
第1章 諸法無我〜俺たちには実態がない
PR
23/120

浅川 沙千絵

第23話 終礼


 それから就業時間まで、美幸と会話を交わすことはなかった。美幸ばかりが悪いわけではないが、かける言葉がない。それは彼女も同じだろう。もしも大石さんに脅されていたとしても、ワタシを裏切ってしまったことに変わりはない。ワタシはそれも咎めるつもりもなければ、資格もない。ワタシが大石さんを好きだと勘違いしているのか、嘘を言って自分を取り繕ったのか、真相なんでどうでもいい。

 先輩として、彼女を守りきれなかった。ただそれだけの話。間違いは、美幸とも他の人と同様に距離をとっておくべきだった。可愛がっていたのが、妙に虚しく思えてきた。

 大石さんは何事もなかったように話しかけてくるが、こちらは申し訳ないが無視をした。それくらいは感情を露わにしても許されるのではないか。


 家に帰って母に話した。今回の経緯いきさつではなく、ワタシが静岡に転勤になること。


「じゃあ、お母さんも一緒に静岡帰ろうかしらね。最初は、沙千絵が東京の大学じゃなかったら、お父さんに単身赴任してもらおうと思ってたんだから。ねえ、アタシも帰っていいよね」


 母が言うと、ああ、いいよ、と単調に返事をする父。父は家事をする方なので、1人になっても心配はない。せっかく脱サラまでして成功したパン屋を畳むわけにはいかない。自分で定年は70歳と決めていて、あとは雇っている山路やまじさんという社員に店を譲ろうと考えていたそうだ。むしろそのことで、最近は母と揉めているように見えた。ワタシも妹の奈央なおもパン屋を継ぐ気はない。1人になった方が母にガミガミ言われなくて楽なのかもしれない。

 静岡の実家は、父方の祖父母の家なのだが、ワタシの家は嫁姑問題がなく、お婆ちゃんと母は実の親子のように仲が良い。母も静岡に帰るのに、何の問題もないのだ。


「丁度よかったわよ。アタシは東京の空気がどうも合わなくてね。どこ行っても人がいっぱいいるし、スーパーの物は高いし。パン作るのも飽きてきたしね」


 母がそう言うと、父が反撃した。


「おう。うちには山路がいるから大丈夫だ。母ちゃんは最近、粉の分量間違えるしな。帰れ、帰れ」


 喧嘩になると思いきや、両親は笑い合っていた。

 ワタシの静岡転勤は、両親にとって好都合だったらしい。妹の奈央なおは東京に残りたいと言った。母はワタシと静岡に行き、父と妹は東京に残ることで決着した。


 1週間なんて、あっという間に過ぎた。正式な配属は8月1日に決まり、引っ越し休暇や、静岡の商業施設の販売研修などの兼ね合いで、7月を1週残し、ワタシは総務部を離れることになった。

 急な人事だったので、金曜日の退勤時刻に終礼が行われた。名残惜しいようなコメントを入れつつ、簡単な挨拶ですませた。送別会の予定が組めず困っていた社員に、またこっちに遊びに来るから気にしないで、と声はかけたがワタシ自身にその気はない。じゃあこっちに来る時言ってね、セッティングするから、と向こうも社交辞令。さっぱりとした終わり方にしたかった。

 小早川さんは気を遣って、花束を美幸に渡すように促した。


「最後に、浅川さんが1番可愛がっていた愛弟子の本多さんから、花束の贈呈です。みんな拍手ー!」


 おじさん特有のやたら大きい音の拍手で、小早川は盛り上げようとしてくれた。小早川さんに罪はない。ワタシも美幸もみんなの前だから笑顔を保っていたが、お互いに複雑な表情になってしまっていた。それに気づいているのは、多分大石さんだけだろう。


「じゃあ、愛弟子に一言!」


 罪の意識のない小早川さんが促した。心を無にして喋った。


「もうアナタに仕事を任せて大丈夫だと思います。でも何かわからないことあったら、いつでも連絡してね」


 まだ心の整理がつかず、彼女に対してではないが嫌悪感だけが残る。ぶつける相手を間違えているだろうが、「美幸」と以前のように呼べなかった。そんな言い方になってしまったことくらい許してほしい。ワタシは小さい人間だ。お釈迦様のように心が広くない。

 美幸はぎこちない動作で花束を渡してきた。美幸はワタシの心情を察したのだろう。多分美幸から連絡してくることもないだろうし、ワタシも彼女から電話が来ても出ないだろう。みんなが激励の拍手をしている中、ワタシは総務部を去った。





 家は2LDKの賃貸マンション。2度目の会社で東京に転勤になり、その会社が倒産した直後、勢いでパン屋を始めて成功してしまった。それならマンションでも買おうと母は言い出したが、父は東京に永住するつもりはないようだった。ワタシも奈央も、いずれ結婚でもしたら家を出るだろうから、どっちでもよかった。マンション購入を盛り上っていたのは母だけだった。

 2つある部屋を姉妹で分けて使っていた。両親は寝るまでは、ほとんどリビングで探しているので、日中は部屋は自由に使えていたから不便はない。父は1人で奈央の使っている部屋で寝ていて、ワタシは母と一緒に寝ていたが、奈央は3人で寝るのは狭いし、父と一緒は無理と言って、いつもリビングに布団を敷いて寝ていた。

 引っ越しの荷物を作っていると、奈央が部屋に入ってきた。


「やっと自分の部屋ができるよ」


 奈央は早速、自分の荷物をワタシの部屋に運び込んできた。


「ちょっと!まだ荷物纏めてないから、ワタシが出てってからにしてよ」


「いいじゃん。どうせ明日には爺ちゃんに行くんでしょ。わたしが母さんと寝るから、たまには姉ちゃんがリビングで寝てよ」


「お母さん静岡行っちゃうから、寂しくなっちゃったの?お子ちゃまですね」


 軽い嫌味を言ってやった。ワタシの言うことを聞かずに、パソコンや服を並べ始める奈央に軽く蹴りを入れてやった。奈央はすかさず肘打ちで仕返ししてくるが、お互いにそんな強い力ではない。姉妹で子供みたいにじゃれ合うのは久しぶりだった。


「お姉ちゃん、会社でなんかあった?」


 察しがいいのか、鈍感なのかわからない妹。少し間を置いて、べつに、と答えた。それから奈央は、転勤のことについて触れることはなかった。小さい頃の他愛無い喧嘩の話なんかしてたら深夜になって、どっちがリビングで寝るのか小競り合いになり、結局久しぶりに姉妹で一緒の部屋に寝ることになった。母は、「仲がいいのはいいんだけど気味が悪いね」と言って父の寝る部屋へ行った。




 次の日、荷物を引越し業者に依頼し、ワタシと母は昼過ぎの新幹線に乗り、静岡へ向かった。母はテンションが上がっていて、東京駅の構内で食事を済ませたばかりなのに駅弁を買っていた。いらないと言っているのに、母はワタシの分の弁当まで買った。ちょっとした旅行気分なのだろう。東京に来て、パン屋を始めてからは休むこともなかったし、ワタシたちも大人になっていたので、家族で旅行なんてすることはなかった。だだ実家に帰るだけなのに、母は嬉しそうだった。

 新幹線が発車し、車窓から見える景色から東京駅のホームが見えなくなると、なんでワタシがこんな目に遭わなければならなかったのか、と少し悔しい気持ちになった。だけど、こんなに嬉しそうな母を見ていると、これも親孝行なのかなと1人で納得することにした。


「んーん。この筑前煮美味しい。どうやって味付けしたのかねえ?」


 ワタシはお腹が空いてはなかったので、駅弁は開けずに膝の上に置いて、母の食べる姿を眺めていた。母は駅弁のおかずを一口放り込む毎に、うーん、とか、まあぁ、いちいち歓喜の声を漏らしていた。


「お母さん、さっき食べたばっかなのに、よく食べれるね」


「何言ってんの?駅弁は別腹じゃない」


 デザートが別腹なのは聞いたことがあるが、弁当は同じご飯なのに、と言うのをグッと堪えた。


「奈央、大丈夫かな?」


「なにが?」


「え、お父さんと一緒で。本当は奈央も静岡帰りたかったんじない?」


 そう言うと、むぅぅ、とまた母は唸った。今度は何を食べたんだ?


「アンタ、知らないの?あの子、彼氏いるでしょ。お金貯めて一緒に住むって言ってたから、そろそろあの家出ていく頃なんじゃない」


 ワタシは奈央がそういう話になってることも、彼氏がいることさえも知らなかった。妹に先を越されたのが、どうということではない。昨日の夜は姉妹で久しぶりに戯れ合って、今まで互いのプライベートな話なんてしてこなかった。失敗したくないワタシの性格が、慎重になり過ぎて置いて行かれただけだ。


 他人のことに下手に首を突っ込み、とばっちりを受けて会社を飛ばされて、ワタシの私生活は失敗だったのだろうか。


「そう言えば、アンタ。明日、誕生日じゃない」


 母が芝漬けを口に放り込むついでにそう言った。

 20代最後の日を、こんな形で迎えて、ワタシは負け組なのだろうか。静岡に帰ったら、なにかいい出会いが待ち受けてはいないだろうか。

 美味しそうに頬張る母の姿を見ていて、自然と弁当の紐を解いた。


「ね、別腹でしょ」


 母は嬉しそうに、弁当の最後の一口を入れて、ペットボトルのお茶を飲み干した。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ