表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鎮めよ!  作者: オノダ竜太朗
第1章 諸法無我〜俺たちには実態がない
PR
22/120

浅川 沙千絵

第22話 美幸


「美幸ちゃんは、浅川先輩は大石さんのことが好きで、わたしが大石さんとそうなっちゃったことで、先輩に合わせる顔がない、って言ってたけど」


 言葉に詰まる。美幸が本当にそんなことを言ったのか。それに大石さんもワタシを前にして、美幸の勘違いとはいえ自分で何を言っているんだ。


「いやいや。俺もね、それ美幸ちゃんの考えすぎだよって言ったんだよ。だけど先輩の気持ち知ってて、こんなことになってしまったから、会社辞めた方がいいかとか言ってるから、大丈夫だよって言ったんだよ」


 ダメだ。この人は何を言ってるんだ。そして美幸は何を言ったんだ。どっちが本当で、どっちが嘘なんだ。それに、さっきから《《美幸ちゃん》》と呼ぶのが、無性に腹が立つ。


「まあ美幸ちゃんも、成長してきてるし。もう浅川さんがやってた仕事、覚えたでしょ。いいタイミングだと思うけどね」


 じゃあ、美幸がワタシのことが邪魔で、ワタシが異動になるっていうこと?体が熱い。指先が震える。


「静岡は、ちょっと人間関係がギスギスしてるからさ。浅川さんみたいに、誰とでも分け隔てなく付き合えるスキルが活躍すると思うんだ。店舗で必要なスキルって、接客力だけじゃないんだよ。みんなを纏める潤滑油みたいな存在が求められるんだ。店長とスタッフを繋げる副店長に向いてると思うよ。店長は浅川さんよりも歳下だけど、うまくサポートしてやってくれないかなぁ」


 もうワタシの意思など関係ない。大石さんは、このまま押し切るつもりだ。ワタシにそれを反発する術を探した。


「君ももう30なんだしさ。新しい自分を見つける最後のチャンスだと思うよ」


 そして視線を廊下に移した。そこには板橋さんの姿があった。


「会議終わったみたいだね」


 そう言うと席を立って、座っているワタシを見下ろした。


「もう大人なんだから、あんまり他人の色恋沙汰に口を挟まないようにした方がいいよ」


 大石さんの笑顔が、この時ほど冷徹に感じたことはない。いつもと同じ笑顔なのに、いつもと同じ口調なのに、今は悪魔のように見える。

 どうしてこんな展開になるのか。昨夜、大石さんと美幸が連絡を取ったのは間違いない。それで、どういう話になったんだ。大石さんが、美幸に話を合わせるように脅したのか。美幸が、ワタシが何かしようとしていると密告ちくったのか。悪魔の笑顔の大石さんの後ろで、ほくそ笑んでいる美幸の姿が映る。

 ワタシは立ち上がり、ドアの前にいる大石さんを跳ね除けて、美幸の元へ向かった。

 総務部に戻ると、美幸は自分のデスクで、膝に両手を置き俯いていた。


「美幸」


 声をかけると、美幸の肩がビクッと上がり、聞こえない声量で何かを口にした。肩が震えている。ごめんなさい、と聞こえた。


 美幸が入社1年くらいの時、ワタシに話してくれた。デザイナーを目指し、専門学校のデザイン課に入学したこと。デザインの難しさを知れば知るほど、自分に向いてないことで悩んだこと。パタンナーや企画の勉強に寄り道をしつつ、自分の進路に悩んだこと。自分の好きなブランドで、そのブランドが世に知れ渡るサポートをすることが自分の目指す道だと、内勤を選んだこと。


「ワタシがいなくなっても、頑張りなよ」


 顔を上げた美幸の目は真っ赤だった。

 彼女は、どんな手段を使っても、ここに残りたいのだ。大石さんと美幸、どっちが本当のことを言っているかなんて、もうどうでもいい。どちらにせよ、自分の保身のためにワタシを裏切ったことに変わりはない。だからと言って彼女を恨む気持ちは、不思議と湧かなかった。べつにワタシはどうしてもこの仕事がしたい、どうしてもこの会社にいたい、という気持ちはない。ブランドが好きで仕事をしている彼女の気持ちには叶わない。

 ワタシの口から出た言葉は、応援したい気持ちが半分、矛先のない怒りが半分、もしかしたらそのどちらでもないのかも知れない。本当の今の気持ちが自分でもわからない。

 自分の浅はかさを笑うしかない。悔しいけど、大石さんの言った通り、他人のことに口を挟まない方がよかったのだ。静岡に帰って、のんびり暮らすのもいいのかと本気で思えてきた。


「サチ先輩」


 絞った声でワタシの名前を呼ぶが、返事ができなかった。なんて冷たい先輩なんだろう。丁度いいタイミングで板橋部長が声をかけてきた。


「あー、浅川くん。大石くんに聞いたかね?」


「あ、それですけど、いつからでしょうか」


 板橋部長は嬉しそうな顔をした。


「話が早いな。浅川くんも現場に興味があったんだね。はやる気持ちはわかるが、本多くんにも引き続きやらなにやらあるだろうから、1ヶ月半しかないけど9月1日からは、どうだろう?」


「でも店舗スタッフの方は困ってるんですよね。契約社員の子が使えないとかで。早い方がいいんじゃないですか?引き続きなら、もう本多さんには全てを教えていますので心配ないと思います」


 少し棘のある言い方になってしまった。目を丸くしてワタシを見つめる美幸。


「それに今セール期間中ですよね。販売の仕事をゆっくり教えてもらうには9月でもいいですが、繁忙期を体験して早く体で覚えてしまう方が、ワタシにとっても好都合です。なんなら配属は9月からでも、販売応援として来週からでもいいですよ」


 板橋部長は驚いた顔で口を開けていた。思っていない言葉が次々と出て、自分自身でも驚く。自分が自分じゃないみたい。言葉はワタシの意思とは関係なく溢れてくる。


「ワタシももう歳が歳なので、新しいことに挑戦するには最後だと思います。ワタシ自身のためにも1日でも多く経験を積んで、遅れている分を取り返す気持ちでないといけないと思います」


 体がフワフワとしてきて、自分の声なのに遠くから聞こえる。本当のワタシが離れたところから見ている。ワタシの体に別人が憑依したみたいだ。


 早口で捲し立てるワタシを前に、おおぅ、と上半身を引いて板橋部長は唸った。


「浅川くんが、そんなに前向きに思ってくれるとは、想像してなかったよ。よし、わかった。来週から向こうへ行けるように手配しておくよ。急な人事だけど、君のやる気を尊重するよ」


 板橋部長の声も遠くに聞こえる。ワタシの体はここにあるのだけど、中身はどかへ彷徨っている。

 みんな自分のデスクで、各々の仕事に集中している。部下に指示を出す者、電話対応する者、田村はいつものようにイライラとしながら伝票を打ち込んでいる。

 美幸も指で目を擦り、椅子の位置を直してパソコンを開き、日々の業務を開始した。ワタシの体に憑依している別人が板橋部長と会話をしている。総務部は、いつも通り平穏だ。


 本当のワタシは、1秒でも早くここからいなくなりたいと思っている。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ