浅川 沙千絵
第15話 些細な事件
◆大石圭悟 37歳 既婚 長女11歳 次女8歳
『天格』【吉】「努力 成功」
『人格』【吉】「幸運 地位」
『地格』【大吉】「人望」
『外格』【大吉】「円満 名声」
『総格』【大吉】「柔軟性 家庭運」
「はい〜。みなさーん。お土産です」
月曜の朝、いつもののんびりした口調で、大石さんがブリーフケースから紺色の包装紙に包まれた箱を出してきた。お土産の箱は3箱あった。女子社員たちが、わぁっと群がる。総務部は12名、そのうち人事労務課は8名、経理課は4名。でもパーテーションを挟んでIT課が7名いる。去年までIT課は店舗運営部広報課に属していた。以前はIT課は、ネット通販とホームページやSNSでのマーケティング管理や広報業務、それとパソコン機器のメンテナンスや出勤管理など、ネットに関わることで範囲が広過ぎた。それで今年から、通販と広報に関わる部署をマーケティング課にし、メンテナンスや店舗スタッフの出勤管理などはIT課に分けた。人事労務に近いということでIT課は総務部の管轄となった。
それなので、今年から大石さんのお土産の数もどっと増えてしまったというわけだ。大石さんは自分以外の部の社員分、総勢18名分のお土産を買ってきてくれた。
「1人2つずつね」
12個入りの温泉饅頭を3箱。いつもご丁寧にちゃんと分けられる数になるよう配慮してくる。
「はいはい、みなさん、焦らないで。分けますので、席に着いてください」
美幸の一声で、大石さんの席に群がっていたみんなが従い、席に散っていった。美幸はベリベリと包装紙を破き、蓋を開け、大石さんに言われた通り2つずつ取り分けていく。
生意気な物言いに聞こえるが、美幸はちゃんと下っ端の仕事をわきまえている。IT課にも佐伯さんという美幸よりも歳下の子がいるが、こういう時少し動きが鈍いので、だいたい美幸が動く。
「本多さん、すみません。わたし配ります」
後から気づいた佐伯さんが言うと、いいよ、と言って美幸は佐伯さんにも2つ渡して、テキパキと配る。経理の小早川さんが、もう2つ受け取っているのに冗談で箱から饅頭をくすねようとした。小早川さんはオーバーサイズのビックTがパンパンになってしまうほどの体格。自社製品でも着るものがが限られているが、こんなにも太っているのに元モデルの美人の奥さんと結婚しているから、世の中わからない。そんな小早川さんの手の甲をパシッと叩き、だから太るんですよ、と美幸が言うとみんな笑った。普段ちゃんとしているから、こういう生意気な言動が許されるのだ。
「今回は、どこ行ってきたんですか?」
饅頭の箱を折り畳みながら、美幸は大石さんに訊いた。紺色の包装紙には【長野のお土産】と印刷されていたので訊かなくてもわかっているはず。お土産を渡すだけでなく、家族旅行のお土産話の1つや2つ大石さんも話したいだろう。そういう配慮ができる美幸は、社員の鏡だ。大石さんは意気揚々として、どこへ寄ったとか、何時に夕飯を食べたとか、その夕飯のメニューの詳細だとか、みんなはお菓子を貰ったら、さっさと席に戻ってしまっているのに、うんうんと頷きながら美幸は聞いている。これは、みんなに可愛がられるはずだ。
そして、そんな後輩と1番仲良くしているというのが、ワタシの自慢でもある。
これがいつもの月曜日の風景だ。
そんな日の午後に事件は起きた。1番歳下の佐伯さんが、経理課課長の田村に呼び出されて説教されている。これもいつもの風景で、事件と呼べるほどのことでもなかったりする。
この田村の説教というのが、ねちっこくて、ただ嫌味を言っているだけにしか聞こえない。なんで怒ってるかわかる?前にも言ったよね、こんなこと小学生でもわかるよ、みたいなことの羅列で、側から聞いていても何について説教されているのか、まるでわからない。終いには、自分で言ったことを覆すようなことを言う。何が悪いという指摘もなく、ただ重箱の隅を突くようなことしか言わない。答えを教えてくれないのだ。多分、そこに答えなんてない。要は自分の機嫌で怒ったりしているだけ。これで本人は《《教育している》》つもりなのだから、手に負えない。
「なんなの、これ!」
「領収書です」
「そんなの見ればわかるよ!なんの領収書だって聞いてんの!」
「営業部の増沢さんの出張費です」
「出張費はわかるよ!だから、なんの領収書なの!」
「ですから、増沢さんが出張の時の...」
「バカなの?ねえ!なんで、これ受け取ったの!」
多分、領収書に但し書きがないとか、交際費にしては高額過ぎるとか、そんな内容なのだろう。佐伯さんは返事に困り、黙っている。受け取れない理由を言ってあげればいいのに、ただ怒鳴るだけ。この押し問答が延々と続くのだ。はたしてこの男は、教育する気などあるのだろうか。
田村はパソコンに食らいつきながら、佐伯さんの方に目を向けず、ひたすらカタカタとキーボードを叩いている。佐伯さんは俯くばかり。
「なんで黙ってんの?この忙しい時に。なんで?なんで?早く、答えを言いなさいよ」
この男、月末になってやり終えない仕事が溜まっていて苛ついているだけだ。俯いていた佐伯さんの肩がヒクヒクと動き出した。泣いているのだ。
「面倒臭いなぁ。泣けば済まされるって親に教わったの?ねえ、答えてよ。この時間無駄でしょ。時間返してよ」
この状況を周りは止めると、また面倒を大きくするので、誰も止めることができない。田村の怒りが自分に向かってくる場合や、また別件を持ち出して相手を黙らせたり。最終的に月末の仕事が滞って、全員が残業になってしまう。自分の計画性のなさが呼び込んでいる月末の皺寄せなのだが、本人はきっちりやっているつもりなので、迷惑を被るのはいつも周りの人間なのだ。
「田村くん、もうその辺でいいんじゃないかな?」
見るに見かねて、恐る恐る大石さんが助け舟を出すと、
「毎週家族旅行に行ける暇な課と違いますから」
と大石さんをキリッと睨んだ。田村のデスクには整理されていないファイルが山積みになり、彼の整理されていない頭の中を表している。そのファイルの上から大石さんのお土産が転がって落ちた。大石さんは、その落ちたお土産を寂しそうな顔で見つめていた。
ワタシは田村の字画を見てみた。デスクの下でスマホを点け、いつも見ている姓名判断のアプリを開いた。
『田村慎司』『男』と入力する。
『天格』【凶】「意志薄弱 失敗 病弱」
『人格』【凶】「社交下手 薄幸」
『地格』【吉】「信頼性 忍耐 成功」
『外格』【凶】「多難」
『総格』【吉凶混合】「苦境 浮沈 悲運」
うわっ、最悪。『外格』以外は、思わず納得してしまう字画。詳細は、無計画で自分勝手にことを進めてしまう、自分が思ったようにいかないとヒステリックになってしまう、強引で周囲から反感を買う、不器用で対人関係が下手、などなど恐ろしいくらいに当てはまっている。
うちの課長の大石さんとは正反対だ。家族の仲が良い大石さんは、その家族愛が会話にも溢れている。一方田村は既婚者だが、奥さんの話など聞いたことがない。
ワタシは人事なので、扶養家族の手続きなどで彼の結婚を知ったが、結婚式も新婚旅行もしなければ、たしか子供もいない。色んな事情でできないのか、作らないのかはワタシが介入する問題ではないが、こんなつまらない男と結婚した奥さんの神経も疑ってしまう。奥さんの前だけデレデレとしているのだろうか。でも、そんなことはワタシが介入する問題ではない。
バンッとデスクを叩く音がして、みんなが顔を上げた。音の出所はわかっている。みんながチラチラと田村の席の方の様子を伺っていた。
「受け取る前にチェックするのが常識でしょ!どう責任とるの!」
出たぁー。こういう奴は、すぐ『常識』とか『責任』とかいう言葉を簡単に発する。決まってこういう奴は、非常識で他人に責任をなすりつける奴だ。
佐伯さんを見ると少し様子がおかしい。手が震えて、肩が異様に上下している。過呼吸かもしれない。ワタシは席を立って彼女の側に寄ろうとすると、
「あのー!」
と大きな声が課内に響いた。美幸だった。
「田村課長!さっきから聞いてれば、全部佐伯さんのせいにしてますけど、佐伯さんはIT課だから、そんな領収書のことなんてわからないですよ。営業部の増沢さんだって、田村課長が忙しそうにしてるから、側にいた佐伯さんに渡しただけじゃないですか。増沢さんが直接渡さないから悪いんだと思うんですけど、そもそも田村課長がいつも面倒臭いこと言うから、営業部の人だって直接渡すの嫌がってるんですよ。そんなこともわからないで、佐伯さんを責めるのは違うと思います!」
みんな、よく言ってくれた、というような顔になっている。佐伯さんも驚いて、震えは止まっていた。
「佐伯さん、もういいよ。席に戻りな」
美幸は歳下の佐伯さんに優しく言うと、彼女は小さな声でお礼を言って席に戻った。当の田村はキーボードの上に置いた手が止まり、しばらく画面を見つめていると、あー、と大きな声を出して席を立った。
「うるさい!こっちの忙しさなんてわからないだろ!」
田村は美幸の前に立って睨んだ。
「忙しいの田村課長だけじゃないですよ。月末はみんな必死に間に合わせようとしてるんです。田村課長がうるさいから、みんなの仕事が止まっちゃうじゃないですか」
美幸も負けじと睨み返し、先に目を逸らしたのは田村だった。
「うるさい、うるさい、うるさい!」
田村は電源コードを引き抜き、ノートパソコンをバタンと閉じて、その上に何冊ものファイルを載せていた。多分、必要なものを持って会議室か休憩室で仕事しようとしているのだろう。「ここじゃ集中できない!」と叫んで総務部から出て行った。
「サチ先輩。集中できないは、こっちのセリフですよね」
そう言う美幸は涼しい顔をしていた。
「アンタ、凄いよ。俺、見てて清々したよ」
小早川さんが立ち上がって拍手をすると、他のみんなも拍手をして、美幸はみんなから賛辞の言葉を浴びた。
「ありがとう。まあ、そういうことは本当は僕が言わなきゃならないんだけどね」
少し体裁が悪そうに大石さんが近づいてきた。
「そうですよ、大石さん。もっとビシッと言ってください」
美幸がピシャリと言うと、大石さんは苦笑いで、その場を誤魔化した。みんなが、どっと笑う。
「さあ、みなさん仕事ですよ」
と手を叩きながら、美幸が仕切った。みんなが我に返って席に戻った。うるさい田村がいなかなったことで、みんな仕事に集中できる空気になった。この若さでこの空気を作れる美幸は、素直に凄いと思った。それなのに当の本人は隣の席で頭を抱えていた。
「また余分なことに、口出しちゃいましたぁ」
ワタシと目が合うと、美幸は深い溜息を吐いた。
「何言ってるの。美幸が言ってくれたから、みんな仕事に集中できるんじゃん」
ワタシはそう言って美幸を慰めた。何もしていないクセに先輩風を吹かして何を言ってるんだろう、と自分のことを少し小さい人間に感じた。彼女みたいな人が、どんどん成長していって、どんどん出世していくんだろうな。ワタシには出世欲がない。ただ先に入社していただけのワタシなんかより、美幸みたいな人がどんどん上に上がっていくべきだと思う。『人徳』も『人気』もある彼女が、たとえ歳下でも上司になってくれれば、ワタシは全力でサポートしようと心底思っている。
「先輩にそう言ってもらえると、なんだか救われるぅ」
「何もしてないワタシなんかが言っても説得力ないかもしれないけど、美幸はこの会社になくてはならない存在だと思うよ」
これはワタシの正直な気持ち。
「本当は怖かったですけどね。よし!サチ先輩もそう言ってくれてるし。自分の仕事頑張ります!」
美幸はそう言って、頬を叩いて気持ちを入れ直し、仕事に取り掛かった。しっかり者で強いメンタルの持ち主が、ワタシにだけ本音を言ってくれる、そんな関係が誇らしかった。そして、それはずっと続くと思っていた。




