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鎮めよ!  作者: オノダ竜太朗
第1章 諸法無我〜俺たちには実態がない
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浅川 沙千絵

第14話 ワタシと後輩


 ◆ハラスメント【harassment】

 人を悩ますこと。優越した地位や立場を利用した嫌がらせ。※広辞苑より


 ワタシと本多美幸ほんだみゆきは給湯室でお茶の準備をしていた。美幸は総務部人事労務課の同僚で、ワタシより3歳歳下の27歳。聴いてる音楽や好きな映画など気が合うし、ワタシを慕ってくれる可愛い後輩だから妬む気持ちはないのだが、その若さが眩しく映る。

 今日も胸元の空いたざっくりしたニットに短いフェイスレザーのスカートなど、来月30歳を迎えるワタシにはチャレンジできない服装がてきることが羨ましく思う。

 ワタシたちの務める会社は、主に服飾や雑貨、コスメなどを扱う大手メーカー傘下のグループ企業で、ファッションを扱う事業なので、取り扱っているブランドを着ていれば服装は自由なのだ。美幸の着ているのは自社ブランドの中でもドル箱的ブランドのもので、10代の女の子たちに人気な露出度の高いデザインが多く、彼女はその中でも奇抜なデザインを好んで選んでいる。そんな10代の服を着こなしてしまう彼女の風貌は、実年齢差の3歳よりももっと離れて見えてしまう。

 ワタシはというと、自社製品の中でもミドルクラスをターゲットにしているシックなブランドの、その中でも地味目なものを選んでしまうので、到底彼女のような恰好はできない。着たことのない色や、可愛いものにも興味はあるのだが、ただ《《失敗》》をしたくないのだ。


 失敗、病弱、意識薄弱。


 ワタシがいつも気にしてしまう言葉。なんことって言われるだろうから理由を言えば、それはワタシの『天格』のこと。姓名判断の話。姓名で性格や運命を診断する、要は字画占いのこと。

『天格』というのは苗字の画数。『地格』というのは下の名前の画数。その苗字の下の字と名前の上の字を組み合わせた画数が『人格』。それとは逆で苗字の初めの字と名前の終わりの字の画数を出したのが『外格』。全部の画数で占うのが『総格』。


 だいたいの人はこの『総格』で姓名判断するんだろうけど、ワタシは全部の画数まで見てしまって、細かいところを気にしてしまう。

 ワタシの姓名判断では、『総格』は【吉】なのだが、バラしてみると、『人格』は【大吉】で「円満 名声 人気」とあり、なかなかの運勢。『地格』は【吉】で強運の持ち主だという。それで『外格』は【大吉】で、全てに恵まれた画数だということで柔軟性があり、順調にことが進み、家庭運もバッチリなのだ。最強の字画だと思いきや、足を引っ張っているのは苗字の『天格』。この『天格』が【凶】なのだ。その天格が「失敗、病弱、意識薄弱」という診断結果なのだ。これはこの浅川家に産まれた時点で、もう逃れられない運命なのだ。父は勤めていた会社が倒産してしまったことが2回もあるし、母もワタシと妹を産む時に妊娠中毒症で大変だったらしく妹は早産だったという。ワタシも小さい頃はすぐに扁桃腺が腫れて熱を出していた。

 とは言っても、ワタシ自身も姓名判断というものを盲信しているのではない。父は2つ目の会社の倒産で一念発起し脱サラしてパン屋を開いて、なかなか評判が良いので成功していると言える。母もそれを手伝い風邪ひとつひかないで元気にしている。ワタシと妹も普通に社会に出て元気にやっている。べつに有名な鑑定士にみてもらったわけではなく、スマホのアプリで簡単に鑑定できるものを見ているだけだ。それに同じ名前でも鑑定士によって違う判断をする場合もあるらしい。でもちょっと仕事で嫌な人にあった時、なんだか最近うまくいかないなぁと思った時に気休め程度に見ているだけ。だからアプリで充分だ。

 良いところだけ気に留めていればいいのにワタシの性格上、悪いことの方を気にしてしまう。朝出勤前に点けた情報番組で「ごめんなさい。蟹座、12位です」なんて言われると1日中それを引き摺ってしまう。それを「意識薄弱」と言われれば何も言い返せないけど。

 まあこんなアプリの姓名判断なんてそんなに的中しないだろうと思っても、そういう目で見てみると確かにと思わせられることが多い。


 自分の診断は疑ってみても、他人のものなら客観視できる。目の前の美幸は、天真爛漫で誰からも好かれ、容姿は女のワタシから見てもスタイルも良くて眩しい。テレビに出てくるアイドルなんかよりも数段可愛いと思う。その上に露出の多い服なんかきるから、うちの社員の男どもは鼻の下が伸びっぱなしだ。その彼女の姓名判断は『天格』が【吉】で「幸運 富 地位」、『人格』が【大吉】で「人徳 出世 順調」、『地格』が【吉】で「積極性 地位 財産」、『外格』が【大吉】で「円満 名声 人気」と診断結果まで眩しい。『総格』が【凶】なので、そこだけは少し悪い運勢で、頑固であったり誤解を招くようなことがあるらしいのだが、そんなことを吹き飛ばしてしまうほど彼女は人当たりが良く、万人に優しい。それが鼻の下を伸ばしている男どもに誤解を招くのであれば、この診断も信憑性があると思ってしまう。現に勘違いした男性社員が数人彼女にフラれている。

 まあ字画で人を判断してばかりいても仕方がないので、なるべく気にしないようにしていきたいのだが、どうしても気になってしまうのがワタシ。今日も《《失敗しないように》》全身黒で統一して出勤した。


 今日は日本支部のCEOが交替したこともあり挨拶も兼ねて視察にCEOが本部のお偉いさんたちと訪問している。前のCEOは日本人だったが、今度のCEOはメーカー本国から出向してきたイギリス人だ。それにお付きの人も数人はイギリス人で、あとは元々いる古参の日本人の重役たちだ。

 特に何をするでもないくせに、ゾロゾロと15人も連れてくるから、こうしてお茶の用意をしなければならない。美幸が「こっちは月末で来月の賞与のチェックや電話対応もしなきゃならないのに、なんでこんなことをしなきゃならないんですか」愚痴を漏らした。ワタシはそれを、肯定も否定もせず、人当たりの良い笑顔と軽い溜息で流した。


「お茶、間違えてないね」


 給湯室に板橋部長が入ってくるなり、そう言った。うるさいなぁ、さっき買いに行かされたんだから間違えるわけねえだろ、という気持ちを抑えて、「こちらのお茶でよかったんですよね」とお茶のパッケージを見せた。板橋部長は額に汗を浮かべ、「それなら良かった」と頷き、「今日は粗相のないように」と念を押して、給湯室から出て行った。給湯室から出て行く時、湯呑みを並べるために屈んだ美幸の胸元にチラッと視線を向けた。美幸は作業をしていて気づいていないようだったが、ワタシは見逃さなかった。


 総務部部長の板橋拓雄いたはしたくおは、100グラム2万円もする高級茶葉を出すように指示をした。彼は「板橋」という【大吉】の『天格』と『人格』を持ちながら、『地格』『外格』が【凶】という下の名前の字画が悪い結果『総格』が【凶】で「社交下手 薄幸 自滅 波乱』と可哀想な診断結果が出ている。見た目は40代半ばだが若く見えるし、色黒で自社ブランドのスーツを着こなしている。多分世の中では「いい男」の部類に入るんだと思う。むかしの二枚目俳優のようだ。ただこの人の価値を落としているのが、神経質なほど細かく、上に対して気が小さすぎるところ。二枚目が上司にゴマを擦っている光景は、滑稽でしかない。


 いつもの来客にも高級なお茶を用意しているが、板橋部長の指定した茶葉は、なんでも皇室に納めるような超高級な茶葉らしい。ワタシたちは午前中に急遽、わざわざ日本橋の本店まで買い出しに行かされた。事前に言ってくれればよかったのだが、神経質な板橋部長は最高級の茶葉を昨夜寝る前にネットで調べたらしく、ワタシたちは出勤してすぐに買い出しに行かされ、午前にやらなければならない業務を終わらせるため昼休みも取れていない。空腹のまま他人のお茶を注がされ、これは苦行くぎょうだと思って耐えるしかない。

 だいいち外国人に高級茶葉と超高級茶葉の味の区別なんかつくのだろうか。トレンド商品を扱う業種で高級茶葉に拘る板橋部長の考えが古いと感じる。普通にペットボトルのお茶や、スポーツドリンクの方が喜ばれるんじゃないか。「今度のCEOは舌の肥えた人らしいんだ」と理由で高級茶葉を買いに行かされたのだが、どうせ板橋部長はそのCEOのお付きで来る重役たちに気に入られて出世したいだけなのだ。出世のこと考えるのは決して悪いことではないのだが、それが仕事で活躍するのではなく、こういうことしか思いつかない部長のことをあわれに思う。


「サチ先輩」


 美幸はワタシのことを、そう呼ぶ。ワタシは顔を上げた。


「これって、セクハラですよね」


 あ、やっぱり部長の視線に気がついてたんだ。


「急にお茶を買って来いって。午前の仕事できなくて、こっちはお昼だって食べてないのに」


 あ、そっちか。


「美幸ちゃん、それは《《パワハラ》》じゃない?」


 上司の権限を使ってゴマ擦りに加担させるのは《パワーハラスメント》ではないか、美幸はそう言いたいのだろう。


「違いますよ。だって、お茶を汲むのは《《女の仕事》》ってところが、女性蔑視ですよ。海外では絶対あり得ないことだと思いますよ。女だからって、たいした仕事してないって思ってんですかねぇ。こっちだって男の人と同じように仕事してんのに。田村課長なんかいつも電話も取ってくれないし、こっちに雑用ばっかさせて、自分の仕事しかしてないし。あれで何が《《課長》》なんですか」


 あー、そういうことか。田村は(個人的にワタシも嫌いなので呼び捨てにする)経理課の課長で、美幸はこの男のことをものすごく嫌っている。総務部はワタシたちの所属する人事労務課と経理課に別れているのだが、部署は同じ事務室なので、総務部として一括りにされ、社員もこの職制を知らない者も多い。人事と経理は全く違う仕事内容なのに、内勤の社員も店舗スタッフも経理のことについてワタシたちのところに内線がかかってくる。「それは経理課の方なので内線回しますね」と田村に繋ごうとすると、大抵の社員は「あの人面倒臭いから回さないでください」とキレられる。結局、仕事外のことなのだがワタシたちが対応しなければならない。まあ、それも総務部の仕事なのだが。

 人事と経理が隣り合わせで同じ事務室なのには会社側にも意味がある。常に仕事があるわけではなく、決算時期や賞与の時期以外は、忙しい時期も人事と経理はズレていたりするので、互いの課でフォローし合うのが目的なのだが、これがうまく機能していない。総務部長の板橋部長が頼りないのも原因だが、経理課の田村とウチの課長大石さんが仲が悪いのがたんを発している。

『総格』が【大吉】の大石さんと、『総格』が【特殊格】の田村は、2人とも運勢がいいのに相性が悪い。大石さんは物静かで穏和なのんびりした性格と、我が道を貫く自分勝手な田村は、他部署の誰から見てもうまくいっていない。田村はウチの大石さんのことを下に見ている節があり、大石さんの部下であるワタシたちのこともバカにしている態度をとる。


「こっちだって買いたくて買ったわけじゃないのに、領収書持ってったら、『なんですか、この金額は』って睨んできたんですよ。板橋部長からの指示ですって説明したら、引っ手繰るように領収書取ったんですよ、こうやって。アイツ、すごく嫌い」


 美幸は、その領収書を引っ手繰られたシーンを再現して、鼻の頭に皺を寄せた。彼女はあの高級茶葉の件を言っているのだ。田村は会社の金が自分の金だと勘違いしているのか、やたらに細かい。経費削減するのが目的と思いきや、たまに必要性を全く感じない会社の備品を計画性もなく仕入れて、事務室のゴミが増える時がある。誰にも相談なく勝手に始めるので、周りは呆れていて、それについて板橋部長も何も言わない。それが問題でもあるのだが。

 でも、領収書を引っ手繰られたくらいじゃ、セクハラにはならないのにと思っていたが、美幸の次の言葉で理解した。


「それでその後言った言葉が、『そんな服着て、新しいCEOに気に入られたいの』って、すごいイヤラしい目で見てきたんですよ。アイツ、マジでキモい」


 それは完全なるセクハラだ。


「わたしは自社製品着てるだけなんですよ。そりゃあ、新商品着て張り切るじゃないですか。でもアイツの目は、わたしの胸を見て言ってましたよ。それこそ、あの人こういうブランド扱ってる自覚を持ってもらいたいです。だって、あの人着てる服、超ダサくないです?」


 たしかに。服装自由な我が社の中で、みんなそれなりにお洒落をしているのだが、田村は全くファッションに興味がないのか数年前の物を数種類ローテーションで着ているだけだ。パンツも少し時代遅れなラインで膝の生地が伸びていても平気な顔をしている。自社製品を着ているのに、その辺のファストブランドの物よりダサい。


「自分でコンサバとか言ってますけど、アイツ、意味わかってるんですかね。金勘定しか興味がないくせに」


 そう言って、アイツをバカにするような変顔を見せた。よかった。田村からハラスメントを受け、傷ついているのかと心配したが、彼女はケロッとした表情で「さぁ、行きましょうか」と湯呑みを乗せたトレイをワゴンに乗せて、CEOたちのいる応接室へ行く準備をした。

 ワタシがいつも悶々と溜めてしまうことも、彼女が代弁して文句を言ってくれるのでスッキリする。仕事ができる方ではないが、彼女の空気感やその天真爛漫な性格が、人を寄せ付けるのだと思う。何度この性格に助けられたかわからない。


「今度のCEO、かなりのイケメンらしいですよ」


 わざと鼻の穴を膨らませて変顔をし、小さい子みたいな笑顔を向けてくる。もし彼女がこの後困ったことに巻き込まれたら、ワタシは先輩としてこの笑顔を守らなければいけない。でも、ワタシが助けなくても、きっと彼女はこの性格で、1人で解決してしまうのだと思う。そういう強い子なんだと思う。


 だがこの数日後、彼女の笑顔がワタシに向けられることがなくなるなんて、この時は想像もしていなかった。


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