数原 真樹夫
第114話 和尚の思惑
僕は、ずっと真理のことを考えていたわけではない。ここ数年は死んでいたことすら忘れていたぐらいだ。
僕は惰性でこの世に留まっている。この寺に辿り着いた多くの霊たちを見送り続けるのが、使命というと大袈裟だが、それが僕の役割なんだと割り切っていた。
このままダラダラとこの世に残り続けるのでもいいか、と思っていたが、和尚はそうではないらしい。
『お前も、そろそろかのぅ』
和尚は言った。僕に成仏しろと言っているのだ。和尚とも長い付き合いだ。べつに僕が邪魔になったわけではない。この2日間で劉弦さんたちがいなくなったことをきっかけに、僕の心情を察したのだ。
急にポツンと1人になった気がした。なにをしても物足りないと感じた。腹が減っているとも違う。鳩尾の辺りが、サワサワと撫でられている感じがする。何かを掴みたいのに、その掴むものがないもどかしさを感じる。「寂しい」とは言葉の意味はわかっていたが、こんな感情なのかと初めて知った。あの野球少年がいなくなった時も、こんな感情にはならなかった。
それだけ劉弦さんたちとの関係が濃密だったのだ、と解釈した。煩わしかったり、ムカツいたり、怒ったり、感情の揺さぶりがあってこそ、人との付き合いと言えるのか。僕は今までの霊たちには、そんな感情は湧かなかった。感情が揺さぶられるまでの付き合いをしていなかった。
劉弦さんたちは、自分たちの答えを見つけた。でも僕は、答えのない答えを探しているように思える。彼らが旅立ったきっかけは、天馬さんだ。その翌日、劉弦さんと蓮実さん、そして沙千絵さんまで旅立った。4人と僕との違いは、僕は《《死んでいることを受け入れたみ生きていた》》という点だ。他のみんなは、死んだことを思い出して、心残りに気づいて旅立つことができた。要は死んだことを思い出したことが心残りに気づけるタイミングだったのだ。僕は、とうの昔にそのタイミングを逃している。
でも天馬さんが死んだことを思い出したきっかけは、弟夫婦がここへ来たこと。そのきっかけを作ったのは僕じゃないか。そもそも弟夫婦を連れてくることになったのは、僕が和尚に「岡山の天馬さんの実家へ行け」と指示されたからだ。和尚が僕を岡山に行かせたのは、僕を成仏させる目論見があったのか。
和尚ももう歳だ。自分がいなくなってしまった後のことも考えたに違いない。心配してくれるのは有り難いが、雲仙さんたちがいるじゃないか......。
もしかしたら雲仙さんと優禅さんも......。そう言えば、2人とも歳をとっていない気がする。まさか、と考えていると笑いが込み上げてきた。
ここにいる《《生きている人間》》って、和尚と陽夏ちゃんだけじゃないのか。まあ雲仙さんたちにそのことを確認するのは無粋だ。グレーのままにしておこう。
さて、自分の話に戻す。さあ、これからどうするかだが、また初めに戻るしかない。心残りに記憶のない僕が、どうやって成仏するかだ。もうこれ以上和尚に心配かけたくない。成仏することが、今までお世話になった和尚への恩返しだ。これは、まさに禅問答。アクセルのない車では発車できない。
「お兄ちゃん、ただいま」
あっという間に夕暮れだ。遊びに出掛けていた陽夏ちゃんが帰ってきた。




