数原 真樹夫
第113話 迷いの先
物事は自身で気づけよ、というのが和尚のスタンスだ。和尚は日蓮宗に師事して僧侶になったから、宗派を重んじているが、信じる心があれば宗派など関係ないと言う。
だから、僕は宗派など関係なく、書物などから仏教とはどんなものなのかを自分たちで調べることになる。そんなもの文献レベルから小さい子供が読む絵本レベルのものまで、たくさんありすぎる。だから、みんな好き勝手に選んで、自己流の解釈で仏教を学ぶ真似事をしていた。和尚は、それで充分だと見守るだけだった。
劉弦さんは根が真面目だから、初心者向けの「仏教とは」みたいな本からある程度の知識は身につけていた。
写経なんかやってたから、お経だけはスラスラ読めるので、学ぼうとしないというのが天馬さんだ。
そんな放任主義の和尚も1つだけ教えてくれたことがあった。お経というものは歌みたいなもんだということ。もちろんお経の1つ1つに意味はある。でもその意味を理解して聞いてる人は少ない。あれはお釈迦さんが弟子の1人1人にわかりやすく説いたもの。心に届く者もいれば、別の解釈をする者もいる。こちらの伝えたいものをお経にして読んでいる。それは時には子守唄だったり、応援歌だったり、旅立つ人への卒業の歌みたいだったりする。
要は、自由なのだ。僕たちは死人だから、正式な手続きは踏んで僧侶になることはできない。天馬さんには出家すると言ったものの、得度式のような儀式は済ませても、役所に得度届を提出するわけにはいかないから、正式な僧侶ではないというわけだ。だから自由にやれたし、宗派が違ってても口を挟まなかったのだろう。
「お釈迦様も、たくさん迷われた」
和尚の声に顔を上げると、今度は本堂にいた。どうやら僕は自分の世界に入り込んでしまっていたようだ。香の匂いが気を鎮めさせる。
香炉に立つ深緑の細い線香の先から、細い煙が勢いよく噴き出し、5センチほど上部で不自然な角度に曲がっていた。その先で渦を巻くように唸り、また垂直に上へと上がる。煙の動きは、不確かだ。風が吹いているわけでもないのに揺れている。
迷い。
煙も行き先を迷うのだろうか。勢い良く生まれたのに、道を外したり立ち止まったり、時には道に迷ったり。煙の動きさえも、なにかを訴えているように感じてしまう。
迷い、立ち止まり、思慮を繰り返すことで、本当に真理というものに辿り着くのか。僕は道なき道を歩いているのではないか。




