数原 真樹夫
第111話 18歳の理由
そう。僕も死んでいる。
親の育児放棄で逃げ出して、龍幸寺へ辿り着き、龍幸寺で育てられたことになっている。
でも、龍幸寺に辿り着いた時は、既に死んだ後だったのだ。原因は、親の暴力だったのか、餓死だったのか。もう忘れてしまった。和尚に話しかけられた時、とてつもなく腹が減っていたことだけは覚えていた。
和尚は理由も聞かずに寺の台所にあげてくれて、初めて優禅さんが作ってくれたご飯を食べた。おにぎりだった。1つ食べると身体中が温まり、2つ目に鼻の奥がツンとした。具が酸味があったわけではなく、涙が出ただけだ。泣きながら、おにぎりを何個も食べた。僕は涙が出た理由がわからなかった。
親を恨む気持ちは全くない。もしかしたら、初めの頃はあったのかもしれないが、もう忘れてしまった。既に顔も思い出せない。
檀家さんとの会話の中で、ここへ来た理由を聞かれることがある。和尚は、虐待にあっていた子を保護している、と答えていた。親から逃げているところを雲仙さんが助けたとか、両親が泥酔して暴力を振るっているところを助け出したと言う時もあった。寺の前で蹲っているところを保護した、と説明することが多かった。親の虐待と説明するのを子供の僕の耳に入れたくないという和尚の気遣いなのだろう。次第にそれが定着して、真実のように思えてきた。
ここへ来たばかりの頃はまだ自分が死んだことに気づいてなかった。だから、生きてる人と同じように歳を重ねていった。ここに住んでいると、和尚の元へ色んな人が迷い込んでくる。その人たちは檀家さんたちと様子が違うのに気づき始めたのは16歳を過ぎたあたりだ。和尚たちは、彼らが霊だということを教えてくれた。
下校の時間はとうに過ぎているのに、真っ直ぐ家に帰らない子供と一緒。なぜかみんな、ここに寄り道しにくるのだ。その頃から、僕も寄り道している連中と同じだということに気づき始めた。そして18歳を迎えて、もう歳をとることをやめた。死んでるから、歳をとる必要はないのだ。
16からの2年間は、意識して歳をとるようにしていた。死んだことに気づいてない時は、無意識に歳をとったが、意識するとなると、それは面倒な作業だった。テレビに出ている芸能人で同じ歳くらいの人を見つけ、大体見た目はこのくらいで、身長は2センチくらい高くしようとか、もう身長は止まった方がいいとか、考えるのが億劫になった。特に芸能人なんかを参考にしても、大人っぽい18歳もいればガキっぽい18歳もいる。死んでから学校なんて行ってないから、同世代がどんな感じなのかも想像できない。
顔を爺さんみたいにするのなら楽なのだが、ちょっとずつ歳をとらせるのは至難の業だ。結局、顔の雰囲気を変えるのが疎かになってしまい、仕上がりが童顔になってしまったのだ。それを劉弦さんや天馬さんに揶揄われた。
彼からがいる時はうざったかったが、今ではまだ2日しか経ってないのに懐かしさも感じる。
やけに静かに感じる中庭で、僕は1人の少年のことを思い出した。




