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鎮めよ!  作者: オノダ竜太朗
第1章 諸法無我〜俺たちには実態がない
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110/120

数原 真樹夫

第110話 蝉


 いつものように本堂の掃除から1日が始まる。

 優禅さんの作ってくれる朝食を陽夏ちゃんと並んで食べる。精進料理のおじやなのだが、優禅さんが作ってしまうと何でも美味くなってしまう。来年から保育園に入れようと和尚は言っていたが、これほど美味い物に慣れてしまってたら、保育園の飯なんか食えなくなってしまう。今から普通の料理に慣れさておくことも必要だ。


 洗濯機を回し、その間に朝の座禅と和尚の説教。それが終われば境内の掃き掃除をして、丁度洗濯が洗い終わってる。

 お堂の裏手の中庭で、洗濯物を干す。軽く叩いてシワを伸ばし、色順に綺麗に並べて干した。決まり事ではなくて、これはあくまでも自分のこだわり。色が乱雑なのは、見ていて気持ちが悪い。

 僕はこの中庭にいる時間が好きだ。本堂とはなれ、裏の墓地のブロック塀に囲まれた小さな中庭でぼおっとしているのが、1人になれる大切な時間。

 べつに周りの人間が嫌いというわけではない。むしろ興味がないに近い。和尚たちには感謝しているし、陽夏ちゃんは僕に懐いてくれて可愛いと思う。人として暮らしていくためには感謝や愛情の気持ちはあった方がいいと思う。でも、僕にはそれが本当はどんなものか理解していない。愛情を持って育てられていないからだ。

 そういう感情はここにいる和尚たちに少しずつ教わった。一緒に暮らしていて自然と学んだという方が正しい。そんなもの教わったり、学んだりするもんじゃないかもしれないが、僕にはそうやって知識として理解していく必要があった。ただ、たまに何も考えずに1人で自分と向き合う時間が必要だった。


 陽夏ちゃんの服を干していると成長を感じる。初めてここへ連れてきた時はまだ赤ちゃんだった。和尚も雲仙さんたちも、誰も子育てをしたことがないので赤ちゃんに何を着せたらいいのかわからなかった。

 檀家さんたちで「和尚が孫と一緒に暮らしている」と噂になって、孫が着なくなった物を寄付してくれたから助かった。ここ最近、「保育園に行くなら、新しい物でも買ってあげなきゃ」という話が出ている。今度、服を買いに行くついでに、外のご飯も食べさせた方がいい。


 初めは白い産衣だったのが、ズボンやスカートを履くようになり、オムツが取れて、もうちゃんとした女の子だ。まだ小さいからいいが、もっと成長したらちゃんと育てられるだろうか。ここには男しかいない。女の子の複雑な年頃になったら、誰も対応できないんじゃないか。まだ大丈夫だと言っても、子供の成長は早い。それに比べ、僕はいつまで経っても子供のままだ。大人になるタイミングを失ってしまった。


「いつも、ご苦労さん」


 和尚が中庭に来て、労いの言葉をかけてくれた。


「僕には、これくらいしかお手伝いできませんから」


「そんなことはない。掃除も洗濯もしっかりやってくれておる。陽夏の面倒まで任せてしまってるからのぅ。お前が来てくれて、随分と助かっとる」


「いえ。たいしたことはないです」


「また人数も減ってしまったしのぅ。これから境内の掃除なんかは雲仙さんたちも手伝ってくれるじゃろ」


「1人でも大丈夫ですよ。元々あの2人じゃあ、なんの役にも立ってなかったですからね」


 劉弦さんと天馬さんのことだ。


「怒涛の2日間でしたね」


「そうじゃなぁ」


 和尚が思い耽るように洗濯物を眺めた。下着にしている白いTシャツが風にたなびいている。綺麗に並んでいる洗濯物を見ていると、なぜか心が洗われて清々しい気持ちになる。

 ここで生活し、旅立った人たちは劉弦さんたちが初めてじゃない。他にも何人もの人を見送ってきた。今までいた人たちは、1人2人と静かに旅立っていくものだった。

 今回は一気に4人もいなくなってしまった。うざったい人たちでも、いなくなってみると随分寂しいものだ。とてつもなく静かに感じる。今回の人たちは、とても騒がしい人たちだった。本当に家族みたいだった。


「真樹夫」


 突然、和尚は僕を本名で呼んだ。忘れかけていたので、一瞬自分が呼ばれたことに気づかなかった。


「お前、ここへ来て何年になる?」


 和尚は洗濯物の方を見ながら言った。2人して会話してるのに、目を合わさず洗濯物に向かって話している。変な光景だ。


「そうですねぇ。もう30年以上は経ちますか」


 僕が龍幸寺ここに来たのは、小学生くらいの頃だった。もういつだったか忘れてしまっている。まだ僕が来た頃は和尚が40代だった気がするから、30年以上経っているだろう。


「お前も、そろそろかのぅ」


 そうしんみり言われても、僕は旅立つタイミングを逃してしまっている。そうですねぇ、と曖昧に答えておいた。


 下から掬い上げるような風が吹いた。風に揺れていたTシャツの裾がフワッと目から上がり、バサバサと音を立てた。いつの間にか洗濯物にとまっていた蝉が、ジジジッと鳴いて、フラフラと飛び立っていった。


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