浅川 沙千絵
第108話 ワタシのお墓
母が立っているのは、真新しい墓の前だった。さっき劉弦さんたちのお墓に向かう時、石畳の途中にあった真新しい墓だ。それは、ワタシの墓だった。
「昨日、帰ってこないから、心配になっちゃって」
母の手には、柄杓と桶。桶の淵には雑巾がぶら下がっていた。
「アンタが毎日帰ってくるから、お母さん、お墓の掃除、ちょっとサボっちゃってたよ」
首にかけたタオルで額と鼻の下に溜まった汗を拭き、清々しいくらいの笑顔を向けてくる。お母さん、どこまでわかってるの?
「お父さんもね、早いけど店、山路くんに継がせて、来週からこっち帰ってくるって。静岡で小さなパン屋やるのも悪くないかなって。山路くんが作ってくれたのを送ってもらって、こっちは販売だけのお店にすればそんなに設備投資にお金かからないでしょ。配送にするなら日保ちするメニューじゃないと、って新メニューの目処がたったから、あとはこっちで店の場所を決めるだけだって。お父さん、張り切ってたわよ。奈央はしばらく一人暮らししてみるって。あの子、家事とかできるのかねぇ。きっと大変になって、あの子も帰ってきちゃうかもねぇ」
普段通りの母が、普段通りに接してくれている。ワタシの墓を掃除しながら、だ。言動と行動が伴ってない。
「お母さん、ワタシ......」
「そうそう。今日の夕飯は沙千絵の好きな生シラスにしようと思ってるの。三保の販売所で、いいの手に入ったから。アンタ、あんまり大きい生シラス好きじゃないもんね。小さいのだと、アンタ1人でバクバク食べちゃうから2パック買ってきたわよ」
そう言うと、雑巾を握り締めて墓石を磨き始めた。鼻を啜っている音が聞こえた。
「アンタはねえ。小さい頃からお利口でお行儀がよくて、みんなの面倒見がよくて、近所の人から『しっかりしたお嬢さんですね』って言われて。『お姉ちゃんたがら、妹の面倒見てお利口ですね』って言われて。だけど家じゃあ、家のお手伝いも全然しないし。お姉ちゃんが長女だからって威張る、って奈央を泣かせるし。ホント、外面だけはいいんだから」
お母さん、そう呼んでも母はワタシの言葉を遮って話し続ける。
「特に食べ物の時は、ホント、欲張りね。アンタと奈央の分のお菓子、ちゃんと同じ数買ってきてるのに、奈央の分まで食べちゃうんだから。そういうとこ、お父さんに似たのかしらね」
母はタオルで目頭を押さえた。振り返るともう1枚の雑巾を取って、ワタシに雑巾を渡してきた。
「ほら、アンタも手伝いなさい」
ワタシは雑巾を受け取ると、母が磨いている反対側の壁面を磨いた。自分で自分の墓を磨くというのは、シチュエーションとして滑稽ではないか。
「自分の部屋の掃除はしないし、学校行ってる間に掃除したら『勝手に入んないでよ』なんて怒るし。我儘なのよね。自分の墓くらい自分で磨きなさい」
世の中に、そんな怒られ方をした人がいるだろうか。渋々この状況を受け入れ、言われた通りにするしかない。
「お父さんもね。アンタの側にいたいのよ。だから、アンタがそういうことになって......」
母は、そこで言葉を詰まらせた。お母さん、ごめんなさい。ワタシは、どれだけ親不孝者なんだろう。ワタシの墓に靠れかかって蹲る母の背中をそっと撫でた。ワタシのせいで泣いてる人に、なんの慰めにもならない。
「こっちでね。お葬式が終わって、張り詰めていた気持ちにふっと一息ついた時、アンタが普通に家に帰ってきたから、気が動転しちゃってね。お爺ちゃんもお婆ちゃんも戸惑ってたけど、アンタは普通にご飯食べて、普通にお風呂に入って、普通にテレビなんか見てるもんだから、私たち嬉しくなっちゃってね。アンタが寝た後、お爺ちゃんたちと話し合ったのよ。もしかしたら、あの子は死んだことに気づいてないんじゃないか、って。アンタが普通に生活してるところ見ると、死んじゃったことの方が嘘なんじゃないかって思えてきて。お父さんや奈央にそれを言うと、私たちがどうかしちゃったんじゃないかって心配するだろうから、ってお父さんと奈央に言うのは今はやめようってお爺ちゃんが言うから。だからお父さんと奈央には言ってないの。お爺ちゃんなんか、もう沙千絵が死んだことすら忘れてるよ。私もね、忘れたいんだけど、やっぱりここへ来てアンタのお墓見るとねぇ」
そう明るく話す口調とは裏腹に、泣きながら墓を磨いている母。墓を擦ってるんだか、目を擦ってるんだかわからなくなって、首にかけたタオルで墓を拭いて、雑巾で顔を擦ったりしている。ワタシも混乱してるけど、母はもっと混乱してるんだろう。現に、泣いてるのか、笑ってるのか、怒っているのかわからない顔をしている。
「沙千絵。アンタ、今日が最期なんでしょ」
ワタシもそれは感じていた。なんの根拠もない。ただ、そう感じただけ。ワタシが何も言わなくても、母も同じことを感じている。最期に、ちゃんとお母さんに謝らなければならない。
2人で磨きあげたワタシの墓が、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。




