浅川 沙千絵
第104話 女の子と夏の日差し
気づくと、ワタシは和尚の部屋の前にいた。襖が開いていて、中には和尚と、劉弦さんと蓮実さん、そしてさっきの女の子が部屋の中を走り回っていた。
利休くんは、ワタシの隣に立っているだけで、何も言わない。利休くんのことだから、ワタシが死んだことを思い出しているのは感じ取っているはずだ。
色々と腑に落ちないところはある。
ワタシの記憶が正しければ、本社勤務の最終日に自殺してしまったことになる。それじゃあ、引越しの準備や母と一緒に乗った新幹線、友達との再会、新しい職場での記憶はなんなのだろう。だけど、そんなことがわかっても死んじゃってることに変わりはない。
緊張感がないのか、ふっとトムとジェリーのことを思い出した。むかしのアニメだ。小さい頃、夕方の再放送の時間枠で放送していた。ネズミのジェリーの悪戯で、ネコのトムが大きい犬に追いかけられて、崖の端まで追い詰められているシーン。トムは足場が無くなっていることに気づかず、宙を走っているのだ。
「ワタシは、トムなんだね」
「トム?」
利休くんは、不思議な顔をして聞き返してきた。利休くんの方が聞き返すなんて、珍しいことかも。
「トムとジェリーの、トム」
「なるほど」
利休くんはそれだけ言って、和尚の部屋へと入っていった。ワタシもついていこうとしたけど、足が動かなかった。ただ呆然と和尚たちの会話を眺めていた。
和尚の長い長い昔話の中、なんとなくワタシの置かれた状況が理解できた。和尚が知らず知らずのうちに霊が見えるようになった。和尚が元ヤクザだったことは少し驚いたけど、和尚が実直さが伝わってきた。そんな和尚のところには、ワタシたちみたいな死んだ自覚のない霊が集まってきてしまうのだろう。無意識下で和尚に助けを求めている。
劉弦さんは和尚の話を聞いて、冷静さを取り繕っているようだが戸惑いを隠しきれていない。ワタシも同じような状況だ。ワタシが気になっていたことを、代わりにバンバン聞いてくれている。利休くんの言葉を借りるなら、ワタシと劉弦さんがリンクしているのだ。
ワタシ自身が死んだことに気づかないで普通に暮らしてるから、きっと母も、その周りの人も気づかないのだろう。ところで、ワタシのお葬式というのはやったのだろうか。お葬式をやったのに母は気づかないで、ワタシとの生活を受け入れているのだろうか。人の記憶というものは、そんなに簡単に書き換えられるものだろうか。きっと劉弦さんも同じようなことを思っているはずだ。質問は劉弦さんに委ねた。
蓮実さんは走り回る女の子を目で追い、微笑んでいる。初めは、劉弦さんと蓮実さんに気づいていない様子だった。劉弦さんが座っているのにお構いなしに、行ったり来たりしている。ぶつかりそうだと思ったら、劉弦さんの体をすり抜けた。
女の子はようやく蓮実さんの存在に気づいたらしく、蓮実さんの方を見て、走るスピードが遅くなった。そしてゆっくり歩きながら、蓮実さんの方に目が釘付けになっている。不思議そうな顔のまま、女の子は和尚の膝の上に座った。蓮実さんは女の子をあやすように両手を小さく振っていた。その様子を劉弦さんはチラッと見たが、膝の上の女の子に気づいてないのか、和尚に質問を繰り返している。
たぶん、あの子が劉弦さんたちの娘さんだ。娘さんのお墓だと思っていたお墓は、劉弦さんたちの名前だった。必然と娘さんのお墓は無いということになる。娘さんの方が生きていたのだ。名前は、たしか陽夏ちゃんと言っていた。蓮実さんの方は、もうそれに気づいているのだ。
あやす蓮実さんのことを、首を傾げたり、少し照れたように笑ってもいた。
「ねえ、和尚。この子なんでしょ」
蓮実さんは嬉しそうに聞く。意味のわからない劉弦さんは訝しげな目を向けた。蓮実さんは、その女の子に近づいていく。女の子は照れて体の置き場がみつからないのか、和尚の膝の上で体をくねらせた。ママ?声は聞こえないが、口の形がそうなっていた。
「劉くん。やっと、会えたよね」
その言葉と同時に、辺りがパッと明るくなった。ワタシたちは、外の縁側に腰掛けている。
「それで、アンタたちはどうしたいんじゃね」
夏の日差しは強く、とても眩しかった。




