恋人役不在の舟で、されど満足なヒロイン
準備を整えたヒビキと騎士達は、手を振って見送るアリスを背にして再び湖の奥へと消えていった。
残された三人が自分たちも借りた小舟に乗り込むと、ベンネヴィスはすすんでオールを手に取った。
「お嬢ちゃん、放蕩息子、準備はいいか?」
「はい!」
「ええ。お願いします」
なんだかんだで怖い顔にも慣れてきたアリスはいつものように元気よく笑顔で返事をする。
その手には貸し釣り具店で借りた竿があり、いざ実際に釣りをしてみるとなると初めての経験に胸が躍っているのだ。
「私、実は釣りというものは初めてなのです!」
実はも何も見てわかるほどに楽しそうな顔であればそれも一目瞭然だが、同乗した二人の男はそんな野暮は口にしない。
ティアジオは微笑みながらうなずく。
「左様でしたか。私も得意というわけではありませんが、旅先などで糧を得るために冒険者としては必須といっても良い技術です。私でよければご教授いたしましょう」
「よろしくお願いします!」
冒険者として必須の技術と言われればなんとしても身につけねばという思いと、ああ、自分は今新米ながらも冒険者として活動しているという実感があわさりあって、ますます興奮してくる。
読了した物語にも釣りのシーンは都度出てくるし、ヒロインが恋人と肩を寄せ合いアタリを待つシーンなどはなかなかに良い雰囲気がある。
そう、ヒロインと主人公は良いムードの中、釣りを楽しんだりするらしいのだ。
「ヒロインと……」
アリスは左手の人差し指で自分を指し。
「恋人……」
右手の人差し指を船の上でゆらゆらさせて、同乗している二人を交互に見る。
「おや、アリス嬢。どうかされましたか?」
ディアジオは色々と面倒を見てくれるし、自分の事をたくさん褒めてくれるので嫌いではない。
それによくよく見れば、顔も悪くはない。そう悪くはない。悪くはないけど。好みではない。
「どうしたい、お嬢ちゃん? 揺られて気分でも悪くなっちまったか?」
野太い声のもう一人は、今日出会ったばかりの大柄な男性。
頭ツルツル筋骨隆々なアリスが苦手とするビジュアルの範囲に在中する方である。
騎士たちの言葉からどうにも偉い人みたいだし、顔に似合わずとても面倒見がよくアリスにも色々と良くしてくれるので嫌いではない。
そう、とても良い人達だ――から、今後も『とても良いお友達』のまま仲良くしてもらえると嬉しいな、とアリスは思う。
よって、今回はそういったラブがときめく感じの釣りシーンは期待できないが、純粋に釣りというものを楽しめる機会である事に変わりはない。
そう考えれば、何もかも一から教えてくれて、釣り上げるときは手伝ってくれるというディアジオと、船や竿を借りるお金を出してくれて、オールも持ってくれるベンネヴィスがいるという事は初心者にとってとても良い環境だろう。
ここにヒビキがいない事だけは残念だが、それはそれで戻ってきたヒビキを驚かせる事ができるという数少ない機会でもある。
「絶対にたくさん釣って、ヒビキにごちそうしてあげなくては!」
思いを言葉にし、抱きしめた竿にふんすと鼻息荒く力を籠める。
「おお、お嬢ちゃん、いいぞ、その意気だ! 街に持ち帰って調理してもらうのもいいがな、ピーラニッアは塩焼きもうめぇぞ! 釣ったばかりの新鮮な魚を塩焼きってのは冒険者ならでは贅沢だ!」
「……そ、それは棒に刺して火のそばに立てる調理方法ですか?」
本には挿絵つきで載っていた事があるが、皿の上にのっていない魚など口にした事がない為、串焼きは本で得た知識しかない。
「調理って言うほどかわからんがな? 棒じゃなくて串にこう刺して、こうして火の側に立てる。それで塩をこうやって上から振ってな?」
説明しながら手振りで、こう、こうして、こうやってな? と、魚を串に刺す真似や塩を振る真似をしてアリスに説明するベンネヴィスは、口下手ながらになかなか愛嬌がある。
「こうですか?」
「そうそう、そんな具合だ、いいぞ嬢ちゃん、筋がいいな!」
「本当ですか!」
魚を串に刺す真似をするアリスにベンネヴィスがうまいうまいと笑って褒めている。
それを見てディアジオが、こういう所がこの人のいい所だなと改めて思う。
彼はどこまでも善人でお人好しで、だからこその苦労人だが、彼の事を深く知ると皆が彼を好きになる。
ベンネヴィスはいつだって友人たちの笑顔と信頼に囲まれている。見知らぬ人からは遠巻きにされるか逃げ出されるかなのだが。
「さて。アリス嬢。釣り竿を少々お借りしても? 糸をかけ、エサを仕掛けなければ釣りはできませんからね」
「え、あ、はい! お願いします!」
ベンネヴィスは釣りの仕掛けを作るべく、アリスの持つ竿の先端にそれなりの長さの釣り糸をかけていく。
その後も針やらエサやらが入った袋を取り出しつつ、アリスにあらためて確認しておく。
「アリス嬢。ピーラニッアの釣り方も釣り上げ方も少し変わっています。アタリが来たら、まず私にお声がけ下さいね」
「もちろんです!」
最初から自力で釣り上げる事など考えていないアリスは、力いっぱい返事をする。
それにうなずき、ディアジオはベンネヴィスと自分の竿にも同様に糸をかけていく。
「おう、悪いな」
「いえ、こちらこそ力仕事をお願いしてしまって」
本来であれば年下でもあり、仕事とはいえ何度も世話になっているディアジオが漕いでしかるべき立場であるが、ベンネヴィスは大きく笑って。
「舟は俺が世話しても逃げていかねぇからな! 舟か、若いお嬢ちゃん。どっちの世話がラクかって話だ!」
とは言え、初対面時はともかく、すでにアリスはずいぶんとベンネヴィスに慣れている。
ベンネヴィスも自分から話しかけるぐらいの距離感を確認しているようだった。
ゆえにこれは単にベンネヴィスの親切心だろう。
「さて。あんまり奥に行くと怖い怖いお魚さんがいるらしいからな、この辺りでどうだ?」
舟を停めて辺りを見回すベンネヴィス。ディアジオも視線を周囲に向ける。
岸もハッキリと見える距離で、酒盛りしている連中たちの顔まではハッキリ見えないが、人数は数えられるほどの距離。
万が一、何かが湖の奥からやってこようとも、すぐに退避できると言って良い場所だろう。
ベンネヴィスは念のため、すぐ安全な場所に移動できるようにとの考えだろうし、ディアジオもそれに異論はない。
安全な場所でピーラニッアが釣れるならばそれが最上であろう。
「ええ。ではこの辺りで一度、糸を垂らしてみましょうか」
糸を垂らしてみましょうか。
なんとも、常から糧を求める手段として釣りをしている人の言葉使いではないか、とアリスは心の中でさりげない冒険者セリフに感動する。
そして今や自分はその中の一人なのだ。
「アリス嬢。すでにエサをつけてあります。左手でしっかりと竿を持ち、右手でこのエサのついた針ごと遠くへ投げてください」
「え……これ、エサなのですか?」
釣り竿の先についているエサを初めて見て、魚釣りをした事のない自分でもちょっとコレは違うのでは? と、アリスは首をかしげた。




