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白銀の狐公爵様に「誰でもよかった」と求婚されたので九つの試練に挑んだら、過保護すぎて試練になりません  作者: フトダマノミコト


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第7話 第四の試練「沈黙」

「第四の試練『沈黙』は、三日のあいだ、どなたとも言葉を交わさずにお過ごしいただくものです」



 トビアスさんの説明に、私は小さく首をかしげた。



「話さなければいいだけ、ですか?」



「はい。ただし、声を発することも、文字を書いて伝えることも禁じられております。身振りは構いません」



 話さないだけなら、きっと大丈夫。


 ――そう思っていた私は、甘かった。




 一日目は、静かに過ぎた。


 ネルは私に話しかけないよう、身振り手振りで朝の支度を手伝ってくれた。耳と尻尾がやたらと忙しく動くので、言葉がなくても何を言いたいのかはだいたい分かる。


 困ったのは、二日目からだった。



「リディア様、ご機嫌いかが? あら、お返事もできないのね」



 廊下ですれ違うたび、カトリーネ様が話しかけてくる。



「村の橋って、本当に直す価値があるのかしら。どうせ小さな村なんでしょう?」



 にこにこと笑いながら、返事をしたくなるような言葉ばかりを選んでくる。


 私は唇を引き結んで、ただ会釈を返した。


 悔しかったけれど、それよりも困ったのは、夜だった。


 話す相手がいないというのは、思っていたよりずっと寂しい。広い部屋にひとりでいると、遠い村のことばかり考えてしまう。


 二日目の夜、眠れずに書庫へ向かった私は、扉を開けて足を止めた。


 暖炉の前の長椅子に、公爵様が座っていた。


 膝の上には分厚い本。私に気づいて顔を上げたけれど、何も言わない。言えば、私が試練に落ちるからだ。


 公爵様は黙って、長椅子の反対側の端を顎で示した。


 ――座れ、ということだろうか。


 おそるおそる腰を下ろすと、公爵様はまた本に視線を戻した。私も、棚から適当な本を一冊取って開く。


 薪のはぜる音と、頁をめくる音だけが響く。


 会話は何もない。


 けれど、ひとりの部屋にいたときより、ずっと寂しくなかった。


 気づくと、公爵様の尻尾が、長椅子の真ん中あたりまで伸びていた。ふさふさの白銀の毛が、私の手のすぐ近くで、ゆっくりと揺れている。



(……触ったら、怒られるかな)



 そんなことを考えているうちに、私はいつの間にか眠ってしまったらしい。


 目が覚めたとき、私は自分の部屋の寝台にいて、肩には見覚えのない毛布がかけられていた。


 ほのかに、月影草の香りがした。




 三日目の昼。それは起きた。



「泥棒よ! わたくしのブローチが盗まれたわ!」



 カトリーネ様の甲高い声が、廊下に響き渡った。


 駆けつけると、カトリーネ様の侍女が、ネルの腕をつかんでいた。床には紅玉のブローチが転がっている。



「この子の前掛けのポケットから出てきたのよ! 人間の花嫁付きの侍女が、手癖の悪いこと」



「ち、違います! ネル、そんなの知りません!」



 ネルは泣きそうな顔で首を振っている。


 騒ぎを聞きつけたベアトリクス様が、ゆったりと姿を現した。



「まあ、盗みとは。使用人の盗みは、鞭打ちのうえ屋敷から追放と決まっているわ」



 ネルの顔から、血の気が引いた。


 ――違う。ネルはそんなことをする子じゃない。


 叫びたかった。今すぐ「違います」と言いたかった。


 でも、声を出せば、私は試練に落ちる。


 ベアトリクス様の扇の向こうで、細い目が笑っている。カトリーネ様も、ちらりと私を見た。


(……これは、私に声を出させるための罠なんだ)


 分かった瞬間、頭が冷えた。


 声を出さずに、ネルを助ける方法。


 私は床に膝をつき、転がっているブローチを拾い上げた。


 紅玉の台座の、留め金の部分。そこに、細い毛が数本絡みついている。


 燃えるような、赤い毛だった。


 栗色の毛を持つネルのものではない。この屋敷で、こんなに鮮やかな赤い毛を持っているのは――。


 私は黙ってブローチを掲げ、留め金の赤い毛を、集まった人々に見えるように示した。


 それから、ゆっくりとカトリーネ様の尻尾へ視線を向けた。


 廊下が、しんと静まり返った。



「な……何よ、それ。わたくしのブローチなんだから、わたくしの毛がついていて当然でしょう」



 カトリーネ様が上ずった声で言う。


 その通りだ。でも、それなら、ネルが盗んだという証拠にもならない。


 私はブローチをもう一度示してから、ネルの前掛けのポケットを指さした。それからネルの栗色の耳を指さし、首を横に振る。


 ――ネルの毛は、一本もついていません。


 言葉にしなくても、伝わったはずだ。



「……その件は、俺が調べる」



 低い声が、廊下に落ちた。


 いつの間にか、公爵様が人垣の後ろに立っていた。



「それまで、誰もこの侍女に手を出すな。大叔母上も、です」



 ベアトリクス様は扇を閉じ、何も言わずに去っていった。カトリーネ様は唇を噛み、ちらりと私を見てから、その後を追った。


 その目が、一瞬だけ迷っているように見えたのは、気のせいだろうか。


 ネルが、私の腰にしがみついて声を殺して泣いた。


 私はその背中を、ただ黙って撫で続けた。




 三日目の日没の鐘が鳴ったとき、トビアスさんが穏やかに告げた。



「第四の試練、通過でございます」



「……ネル!」



 三日ぶりに出した声は、かすれていた。


 ネルが、わあっと泣き声を上げて飛びついてくる。


 その向こうで、公爵様が小さく息を吐くのが見えた。


 目が合うと、公爵様はふいと顔をそらした。けれど白銀の尻尾は、ほんの少しだけ、ゆっくりと揺れていた。

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