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白銀の狐公爵様に「誰でもよかった」と求婚されたので九つの試練に挑んだら、過保護すぎて試練になりません  作者: フトダマノミコト


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2/17

第2話 白銀の狐公爵

 迎えの馬車は、手紙が届いてから十日後にやってきた。


 橋のないセルト川を渡し舟で越え、そこから丸三日。窓の外の景色は、麦畑から深い森へ、森から銀色の屋根が連なる街並みへと変わっていった。


 アルジェント公爵邸は、その街のいちばん奥にあった。


 白い石造りの壁に、銀葺きの屋根。門から玄関までの長い道には、昼間だというのに青白い灯りがいくつも浮かんでいる。



(あれ、ランプじゃない……火が、宙に浮いてる)



「狐火でございますよ、リディアさま」



 馬車を降りた私に、穏やかな声がかかった。


 灰色の髪をきっちりと撫でつけた、年配の男性だ。頭の上には、毛並みの少し褪せた狐の耳がのっている。



「当家の家令を務めております、トビアスと申します。長旅、さぞお疲れでしょう」



「は、はじめまして。リディア・ウィンスローです」



 慌てて頭を下げると、トビアスさんの後ろから、ひょこりと小さな影が飛び出してきた。



「リディアさまですね! 今日からお世話をさせていただく、ネルです!」



 栗色の髪に、栗色の大きな耳。年は十三、四歳くらいだろうか。ふさふさの尻尾が、ちぎれそうなほど左右に揺れている。



「人間のお嫁さまなんて、初めてです! ネル、ずっと楽しみにしてたんですよ!」



「ネル。はしたない」



「はっ……失礼しました!」



 トビアスさんにたしなめられて、ネルの耳がぺたりと伏せた。それでも尻尾はまだ揺れていて、私は思わず笑ってしまった。


 この屋敷にも、歓迎してくれる人はいるのだ。


 それだけで、少し肩の力が抜けた。




 通されたのは、天井の高い応接室だった。


 大きな窓を背にして、一人の男性が立っている。


 腰まで届く、白銀の髪。光の加減で淡く青みを帯びて見える、不思議な色だった。頭の上には同じ色の狐の耳、背後には豊かな一本の尾。振り向いた顔は驚くほど整っていて、切れ長の瞳は、溶かした金のような色をしている。


 ――綺麗な人。


 そう思ったのは一瞬だった。


 その金色の瞳が、氷のように冷たかったから。



「シオン・アルジェントだ。長旅、ご苦労だった」



 低く、温度のない声。



「リディア・ウィンスローです。このたびは、お招きいただき……」



「挨拶はいい。座れ」



 短く遮られて、私は口をつぐんだ。勧められるまま長椅子に腰を下ろすと、公爵様は向かいに座りもせず、窓際に立ったまま話し始めた。



「手紙に書いたとおり、当家に嫁ぐ者は九つの試練を受ける。一族の古い掟だ。人間がすべてを越えた例は、過去に一度しかない」



「一度、だけ……」



「途中で辞退してかまわない。辞退しても、約束の金は払う。橋も直す」



 淡々とした口調だった。まるで、最初から私が辞退することを前提にしているような。



(……この人、私に試練を越えてほしくないんだ)



 なんとなく、そう分かった。


 だったら、なぜ。



「あの、公爵様。ひとつ伺ってもよろしいですか」



「なんだ」



「なぜ、私を選ばれたのでしょう。お会いしたこともありませんのに」



 公爵様は、ほんの一瞬だけ黙った。



「国境の娘なら、誰でもよかった」



 ……そうですか。


 胸の奥が、小さくちくりと痛んだ。期待なんて、していなかったはずなのに。


 でも。



「でしたら、受けます」



「……何?」



「九つの試練。全部、受けます」



 顔を上げて、まっすぐに金色の瞳を見返す。



「誰でもよかったのだとしても、ここへ来たのは私です。途中で投げ出して帰ったら、村のみんなに顔向けできませんから」



 公爵様は何も言わなかった。


 ただ、その背後で、白銀の尻尾がぴくりと一度だけ跳ねたのを、私は見た気がした。




「――まあ。ずいぶんと威勢のいいお嬢さんだこと」



 扉のほうから、笑いを含んだ声がした。


 入ってきたのは、銀灰色の髪を高く結い上げた、年配の婦人だった。背筋はまっすぐに伸び、身にまとう深紫のドレスには一分の隙もない。



「大叔母上。呼んだ覚えはありませんが」



「あら、試練の立会人が花嫁の顔を見に来て、何がいけないのかしら」



 婦人は扇で口元を隠し、値踏みするように私を眺めた。



「ベアトリクス・アルジェントよ。この家の試練は、すべてわたくしが見届けることになっているの」



「よ、よろしくお願いいたします」



「ええ、よろしくね。……人間の花嫁は、本当に久しぶり」



 扇の向こうで、細い目がさらに細くなる。



「前の人間の花嫁がどうなったか、あなた、ご存じかしら?」



「大叔母上」



 公爵様の声が、部屋の温度を一段下げた。


 ベアトリクス様は肩をすくめ、それ以上は何も言わずに扇を閉じた。



「第一の試練は明日の夜よ。せいぜい、よく眠っておきなさいな」



 婦人が出ていくと、公爵様もまた、何も言わずに私の横を通り過ぎた。


 そのとき、ふわりと甘い香りがした。



(……あれ?)



 どこかで嗅いだことのある香り。けれど、それが何だったのか思い出す前に、扉は静かに閉じられていた。

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