第15話 狐火の問い
社の広場に、これほど多くの狐火が灯ったのは初めてだと、ネルが小声で教えてくれた。
百を超える青白い炎が、石畳を埋め尽くすように大きな輪を描いている。その内側に、アルジェント一族のすべての者が集められていた。
長老たちも、分家の者たちも。カトリーネ様も。
そして、ベアトリクス様も。
「人間の娘が、一族を試すですって?」
「初代さまの花嫁が人間だったなど、聞いたこともない」
「そんな箱、本物かどうかも分からんではないか」
ざわめきの中、私は輪のいちばん奥、社の前に立った。
隣には、シオン様がいる。
ベアトリクス様は、輪の中ほどで扇を広げ、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
「第九の試練を、始めます」
トビアスさんの声が響くと、ざわめきが少しずつ静まっていった。
私は、深く息を吸った。
「アルジェント一族の皆さまに、ひとつだけ問います」
百の狐火が、いっせいに揺れる。
「十三年前、先代さまの花嫁マリアンヌ様が、第八の試練の直後にこの屋敷を去りました。その夜、何があったのか。ご存じの方は、真実をお答えください。ご存じない方は、『知らない』とお答えください」
広場が、水を打ったように静まり返った。
長老のひとりが、最初に口を開いた。
「わしは、知らん。あの方は自ら出奔されたと聞いておる」
狐火は、青白いまま揺れなかった。
次の者も、その次の者も、「知らない」と答えた。誰の前でも、狐火は静かに燃えたままだった。
一族の多くは、本当に何も知らなかったのだ。マリーさんは自分の意思で去ったのだと、十三年間、信じ込まされていた。
カトリーネ様の番が来た。
「わたくしは、十三年前のことは知らないわ。まだ子どもだったもの」
狐火は揺れない。
カトリーネ様は、ぎゅっと拳を握りしめて続けた。
「でも、今の試練でリディアさんに嫌がらせをしたのは、わたくしよ。ブローチも、道しるべの石も。……お祖母様に言われて、やったわ」
広場がどよめいた。
狐火は、やはり青白いままだった。
カトリーネ様は、まっすぐに祖母を見ていた。
そして、最後の一人。
「ベアトリクス様。お答えください」
ベアトリクス様は、扇の向こうでゆったりと微笑んだ。
「わたくしも、知らないわ。マリアンヌは、この家が重荷になって逃げ出した。それだけのことよ」
その瞬間だった。
ベアトリクス様の周りの狐火が、いっせいに燃え上がった。
青白い光が、見る間に真紅へと変わっていく。炎は背丈よりも高く伸び、ベアトリクス様の銀灰色の髪を、血のような赤に染め上げた。
「な……っ」
初めて、ベアトリクス様の顔から笑みが消えた。
広場のあちこちから、悲鳴に近い声が上がる。
「狐火が、赤く……!」
「ベアトリクス様が、嘘を……?」
シオン様が、一歩前へ出た。
その手には、カトリーネ様が見つけた手記の切れ端と、偽の手紙が握られていた。
「大叔母上。この手紙に見覚えは」
「……知らないわ」
狐火が、さらに高く燃え上がった。
「では、母上の手記を破り取ったのは」
「知らないと言っているでしょう!」
炎が、轟と音を立てる。赤い光が、社の柱まで届きそうなほどだった。
もはや、誰の目にも明らかだった。
ベアトリクス様は、しばらく燃え盛る狐火の中に立ち尽くしていた。やがて、扇を持つ手がだらりと下がる。
「……人間の花嫁など、要らなかったのよ」
低く、絞り出すような声だった。
狐火の色が、ゆっくりと青白く戻っていく。本当のことを言い始めたからだ。
「先代が人間の娘を娶ったとき、わたくしは反対したわ。人間の血が混じれば、アルジェントの力は薄れる。孫のカトリーネを当主の妻にして、正しい血を守るはずだったのに」
「だから、母上を追い出したのか」
「九つ目の試練の中身を知られたら、一族に問いを立てられる。わたくしのしたことが、明るみに出る。だから、その前に消えてもらったの。偽の手紙と、少しの脅しでね」
ベアトリクス様は、ふっと乾いた笑みを浮かべた。
「本当に死ぬとは、思わなかったけれど」
シオン様の拳が、震えていた。
私はそっと、その手に自分の手を重ねた。
狐火は、もう揺れなかった。青白い光の中で、ベアトリクス様は、ひどく小さな老婆に見えた。




