表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/54

第8話 属性測定の朝


 中央学園で迎える初めての朝は、知らない音から始まった。


 ごうん、と遠くで鐘が鳴る。


 一度。


 二度。


 三度。


 山の朝には、鐘なんてなかった。


 鳥の声。


 風に揺れる葉。


 薪が爆ぜる音。


 祖父が台所で器を置く、静かな気配。


 それがアリシアの知っている朝だった。


 けれど今朝は違う。


 窓の外からは、廊下を歩く誰かの足音が聞こえる。


 隣の部屋で扉が開く音。


 遠くで誰かが「おはよう」と声をかける音。


 水場へ向かう生徒たちの気配。


 そして、学園の一日を告げる鐘。


 アリシアは寝台の中で、しばらく目を開けたまま固まっていた。


 ここは山の家ではない。


 中央学園の第一寮、二〇八号室。


 昨日、自分が鍵を開けた部屋。


 昨日、自分が眠った部屋。


 そして今日から、自分が暮らしていく場所。


「……朝」


 小さく呟く。


 声は、少し掠れていた。


 眠れたのか、眠れなかったのか、自分でもよく分からない。


 夢を見た気がする。


 祖父の背中。


 山道。


 黒い光。


 食堂の笑い声。


 ガレスの大きな声。


 五つの紋章。


 そして、明日の属性測定という言葉。


 夢の中でも、胸の奥がずっとざわついていた。


 アリシアは布団を握る。


 属性測定。


 今日だ。


 昨日の説明会で告げられた、新入生の最初の確認。


 火、水、風、土、光。


 学園の教師たちが、それぞれの適性を測る。


 それによって基礎授業の組み分けや、魔法実技の指導方針が決まるらしい。


 普通の新入生にとっても緊張する行事だろう。


 けれど、アリシアにとっては、それ以上だった。


 自分の属性は何なのか。


 測定具はどう反応するのか。


 闇というものが、そこで露わになるのか。


 それとも、何も出ないのか。


 どちらも怖かった。


「朝からそんな顔しない」


 枕元から声がした。


 アリシアはゆっくり顔を向ける。


 ノアが寝台の端で丸くなっていた。


 金色の瞳だけを開け、こちらを見ている。


 昨夜は枕元で眠っていたはずなのに、いつの間にかアリシアの肩の近くに移動していた。


 黒い毛並みが、朝の薄い光を吸い込んでいる。


「ノア……おはよう」


「おはよう」


「……変な顔してた?」


「不安と寝不足と逃げたい気持ちを全部混ぜた顔」


「う……」


 的確だった。


 アリシアは布団を引き上げ、少しだけ顔を隠した。


「隠れない」


「ちょっとだけ……」


「布団に隠れて属性測定を回避できるなら、世の中の新入生は全員そうしてるわ」


「それは……そうだけど」


「起きなさい」


 ノアは容赦なく布団の上に乗った。


 小さな体重。


 重くはない。


 けれど、逃げ道を塞がれた気がした。


 アリシアは諦めて体を起こす。


 窓の外は、まだ朝の淡い光に包まれていた。


 校舎の屋根が見える。


 中庭の木々が朝風に揺れている。


 昨日の夜とは違う顔の学園。


 知らない場所なのに、一晩眠っただけで、少しだけ見覚えのある景色になっていた。


 アリシアは寝台から降りる。


 足元が少し冷たい。


 山の家の床板とは違う感触。


 整えられた寮の床は歩きやすいが、どこかよそよそしい。


 服を着替え、髪を結ぶ。


 今日はまだ制服ではない。


 午前中に制服採寸があり、配布は明日以降だと説明会で言われていた。


 だから、今日も旅装に近い服のままだ。


 腰には祖父からもらった木刀。


 胸元には守り袋。


 そして、ノアの首には登録札。


 ノアは首輪を不満そうに前足で触っていた。


「やっぱり邪魔ね」


「外ではつけてないとだめだよ」


「分かってるわよ。分かってるから我慢してるの」


「ありがとう」


「礼を言われる筋合いじゃないわ」


 ノアはぷいと顔を背けた。


 アリシアは少し笑った。


 昨日より、ノアの扱い方が少しだけ分かってきた気がする。


 素直ではない。


 口は悪い。


 でも、本当に嫌な時はちゃんと言う。


 そして、必要なことなら我慢してくれる。


 それが嬉しかった。


 扉の外から、小さなノックが聞こえた。


 アリシアの肩が跳ねる。


「は、はい」


 扉を開けると、メリルが立っていた。


 淡い茶色の髪を整え、少し緊張した顔をしている。


 手には昨日と同じ案内紙。


「おはよう、アリシアちゃん」


「お、おはよう、メリルさん」


「眠れた?」


「えっと……少し」


「私も。何度も起きちゃった」


 メリルは苦笑した。


 明るく見える彼女も、やはり緊張しているのだ。


 アリシアは少しだけ安心した。


「今日、まず食堂で朝食だよね。そのあと制服採寸、属性測定……」


 メリルが案内紙を確認しながら言う。


 属性測定。


 その言葉を聞くだけで、アリシアの胸が跳ねる。


 ノアが足元で尻尾を揺らした。


「まず朝食」


 小さな声。


 アリシアにだけ届く声。


 アリシアは頷く。


 そうだ。


 まず朝食。


 一度に全部考えない。


「うん。まず……朝ごはん」


 アリシアが言うと、メリルは少し笑った。


「そうだね。昨日ガレス君も言ってたもんね。寝て食べるのが大事って」


「うん……」


 ガレスの言葉を思い出す。


 できなかったら、できるようにすればいい。


 最初から全部できるやつなんて、つまらない。


 あの大きな声は、今朝のアリシアの胸にも少し残っていた。


 廊下へ出ると、すでに多くの新入生が動き始めていた。


 寝癖を直しながら歩く少年。


 案内紙を見ながら友人と確認する少女。


 昨日の食堂で見かけた顔もいる。


 アリシアは自然と廊下の端を歩いた。


 ノアは足元。


 メリルは隣。


 昨日と同じようで、少し違う。


 昨日はすべてが初めてだった。


 今日は、ほんの少しだけ覚えた道を歩いている。


 食堂への道。


 寮の階段。


 玄関ホール。


 中庭へ出る扉。


 ほんの一日で、学園の一部が少しだけ知っている場所になっていた。


 食堂に着くと、朝の食堂は夜とは違う賑わいだった。


 夜ほど騒がしくはない。


 けれど、慌ただしい。


 眠そうな生徒。


 朝から元気な生徒。


 パンをかじりながら案内紙を読む者。


 制服採寸の話で盛り上がる者。


 属性測定の不安を口にする者。


 アリシアは昨日と同じように、まず席を探した。


 壁際。


 空いている席。


 昨日と近い場所が空いていた。


「あそこ……」


「うん、行こう」


 メリルと一緒に席を確保する。


 ノアは椅子の上に座り、机には乗らない。


 昨日のルールを覚えている。


 アリシアは少し感心した。


「偉いね」


「子ども扱いしない」


「ご、ごめ……」


 アリシアは途中で止める。


 ノアが満足げに目を細めた。


「少しは学習してるわね」


「うん……たぶん」


 朝食は、パンと卵料理、温かいスープ、果物だった。


 昨日より軽い。


 けれど、香ばしいパンの匂いとスープの湯気で、少しだけ胃が動き出す。


 アリシアは慎重にトレーを持ち、席に戻った。


 メリルも向かいに座る。


「属性測定って、どうやるんだろうね」


 メリルが卵を切りながら言った。


 アリシアはスプーンを止める。


「水晶とか……?」


「昨日の従魔登録の時みたいな?」


「うん……」


「私、風属性って分かってるけど、どれくらいの強さなのかは知らないんだ」


「そうなんだ……」


「村の先生には、悪くないって言われたけど。中央学園に来る人たちの中だと、どうなんだろうって」


 メリルは少し不安そうに笑った。


「昨日、リーネさんの水の制御を見ちゃったから余計にね」


「うん……すごかった」


「アリシアちゃんは、属性……まだ分からないんだよね」


 その質問に、胸が少し詰まる。


 昨日、馬車の中でも似たような話をした。


 メリルに悪気はない。


 心配してくれているだけ。


 アリシアは小さく頷いた。


「うん……ちゃんとは」


「そっか。じゃあ今日、分かるかもしれないね」


「……うん」


 分かる。


 それが怖い。


 でも、分からないままでも怖い。


 アリシアはパンを小さくちぎった。


 食べようとして、なかなか口に運べない。


 ノアが椅子の上から低く言った。


「食べなさい」


「……うん」


 アリシアはパンを口に入れた。


 味はする。


 でも、昨日の夕食ほどはっきり感じられない。


 緊張で、体が食事を受け取りにくくなっている。


 それでも、ノアに見張られているので、少しずつ食べた。


 その時、食堂の入口がざわついた。


「おはよう! 今日も飯がうまそうだな!」


 聞き覚えのある大きな声。


 ガレスだった。


 朝から声が大きい。


 周囲の生徒が振り返る。


 昨日よりは驚く者が少ない。すでにガレスの声量を理解し始めたのかもしれない。


 その後ろから、ミランダも元気よく入ってきた。


「朝ごはん! 朝ごはん!」


「お前も朝から元気だな!」


「ガレスもね!」


 二人が並ぶと、食堂の空気が一気に明るくなる。


 メリルが小さく笑った。


「昨日と同じだね」


「うん……」


 ガレスはトレーを受け取ると、食堂内を見回した。


 嫌な予感がした。


 いや、嫌ではない。


 でも、心の準備が必要な予感。


 ガレスの視線がアリシアたちを見つけた。


「お、アリシア! メリル!」


 やっぱり。


 アリシアは少し肩を跳ねさせた。


 ガレスはトレーを持ってこちらへ来る。


 ミランダも一緒だ。


「ここ、いいか?」


 ガレスが聞く。


 昨日より、声は少しだけ抑えられていた。


 覚えてくれている。


 アリシアはそれに気づき、少しだけ胸が温かくなった。


「は、はい……どうぞ」


「おう!」


 ガレスとミランダが席に座る。


 朝からテーブルが賑やかになった。


 ミランダはノアを見て手を振る。


「ノア、おはよう!」


 ノアは普通の猫として、静かに瞬きをした。


「今日もかわいいね!」


 ノアの尻尾がぴくっと動く。


 アリシアは慌ててスープを飲んで誤魔化した。


 ガレスはパンを豪快に食べながら言う。


「今日は属性測定だな!」


「ガレス君、楽しみそうだね」


 メリルが言う。


「楽しみだ! どこまで出せるか試したい!」


「測定って、力比べなの?」


「違うのか?」


「たぶん、違うと思う……」


 メリルが苦笑する。


 ミランダも元気よく頷いた。


「私は土がどれくらい固くできるか見たい!」


「固く……?」


「うん! 大地の壁とか、岩の拳とか!」


 アリシアは想像した。


 黄髪の明るい少女が、巨大な斧を振り回し、さらに岩の拳を作る姿。


 とても似合う。


 似合いすぎる。


 ガレスとミランダは、属性の話をしても怖がっていない。


 むしろ楽しみにしている。


 その眩しさに、アリシアは少し目を伏せそうになった。


 ノアの尻尾が椅子の上から足首に触れる。


 下を向かない。


 アリシアは小さく息を吸った。


 ガレスがアリシアを見る。


「アリシアは緊張してるな」


「えっ……」


「顔に出てるぞ」


「そ、そんなに……?」


「出てる!」


 堂々と言われた。


 ミランダも頷く。


「うん、ちょっと青いかも」


「う……」


 アリシアは頬に手を当てた。


 そんなに分かりやすいのか。


 恥ずかしい。


 だが、ガレスは馬鹿にしなかった。


「でも、緊張するのは悪いことじゃないって兄貴が言ってたぞ」


「お兄さん?」


「俺には兄貴が三人いる! 全員よく殴ってくる!」


「殴って……」


「稽古でな!」


「び、びっくりした……」


 メリルが胸を撫で下ろす。


 ガレスは続けた。


「緊張するってことは、本気でやろうとしてる証拠だってさ」


 アリシアはガレスを見た。


 本気でやろうとしている証拠。


 そんな風に考えたことはなかった。


 緊張は、自分の弱さだと思っていた。


 怖がりで、情けなくて、逃げ腰だから緊張するのだと。


「……本気だから」


 小さく呟く。


 ガレスは頷いた。


「おう! だから飯を食え!」


「結局そこなんだね」


 メリルが笑う。


 ミランダも笑う。


 アリシアも、少しだけ笑った。


 そしてパンをもう一口食べた。


 味が、さっきより分かった。


 朝食後、新入生たちは制服採寸へ向かった。


 採寸は第一講堂の隣にある小ホールで行われた。


 男女で列が分かれ、職員と上級生が手際よく案内している。


 アリシアはメリルと一緒に女子の列に並んだ。


 ガレスとはそこで別れた。


「また属性測定でな!」


 そう言って、男子の列へ向かっていった。


 ミランダは女子列の少し前に並び、他の新入生ともすぐに話し始めている。


 人と距離を縮める速さが、アリシアとはまるで違う。


 羨ましい、というより、驚きだった。


 制服採寸は、思っていたよりも慌ただしかった。


 上級生の女子が、アリシアに声をかける。


「次の方、こちらへ」


「は、はい」


「名前は?」


「アリシア、です」


「アリシアさんね。肩幅、袖丈、身丈を測ります。猫ちゃんはそちらの椅子で待たせてね」


 アリシアはノアを見る。


 ノアは明らかに不満そうだったが、椅子の上に座った。


 登録札が揺れる。


「大人しい子ね」


 上級生が微笑む。


「は、はい……」


 採寸中、アリシアは緊張で体が固くなった。


「肩の力を抜いてね」


「は、はい」


「そんなに固くならなくて大丈夫よ」


「す、すみ……」


 謝りかけて止める。


 上級生は優しく笑った。


「新入生はみんな緊張するから」


「……はい」


 制服の布見本を見せてもらう。


 白いシャツ。


 紺色の上着。


 女子用のスカートと、希望者用のズボン。


 学園章の刺繍。


 五つの紋章が小さく組み合わさっている。


 アリシアはその刺繍を見つめた。


 ここにも五つ。


 当然のように。


 胸の奥が少し沈む。


 上級生が言う。


「制服は明日の午後には仮渡しできる予定よ。式典用の外套は入学式の朝に配られるからね」


「分かりました……」


 採寸が終わると、アリシアはノアを抱き上げた。


 ノアは小さく言う。


「緊張しすぎ」


「だって……測られるの、慣れてない」


「体が木みたいだったわ」


「うぅ……」


 メリルも採寸を終えて戻ってきた。


「終わった?」


「うん……」


「制服、ちょっと楽しみだね」


「うん」


 楽しみ。


 確かに、少しだけそう思った。


 自分が学園の制服を着る。


 想像がつかない。


 でも、もし着たら少しは学園生らしく見えるのだろうか。


 そう考えると、胸の中に小さな期待が生まれた。


 しかし、その期待はすぐに次の予定に押し流された。


 属性測定。


 採寸を終えた新入生たちは、学園の魔法演習棟へ向かうよう指示された。


 魔法演習棟は、中央校舎の奥にある円形の建物だった。


 外壁には魔法陣のような模様が刻まれ、入口の上には五属性を示す石がはめ込まれている。


 赤。


 青。


 緑。


 黄。


 白。


 五つの石が、朝の光を受けて淡く輝いていた。


 黒はない。


 アリシアは足を止めかけた。


 ノアが足元で見上げる。


「止まらない」


「……うん」


 中へ入ると、広い円形の演習場があった。


 床には巨大な魔法陣。


 中央には、背の高い水晶柱が立っている。


 水晶柱の周囲には、五つの小さな台座があり、それぞれ五属性の色をした石が置かれていた。


 新入生たちは壁際に並ばされる。


 教師たちが数名、測定の準備をしている。


 昨日説明会で見た教務主任の女性教師もいた。


 彼女は新入生たちを見渡し、凛とした声で説明を始めた。


「これより属性測定を行います」


 演習場が静まる。


「測定は一人ずつ行います。中央の水晶柱に手を置き、魔力を流してください。主属性に応じて、周囲の属性石が反応します」


 アリシアは水晶柱を見る。


 透明な柱。


 高く、冷たく、少し恐ろしい。


「反応の強さ、安定性、制御傾向を確認します。失敗しても構いません。これは優劣を決める試験ではなく、今後の指導のための測定です」


 失敗しても構わない。


 その言葉に少し救われる生徒もいたようで、あちこちから小さな息が漏れた。


 しかし、アリシアの緊張は消えなかった。


 失敗とは何か。


 自分の場合、失敗で済むのか。


 闇が出たら。


 黒い光が溢れたら。


 ここにいる全員が見る。


 ガレスも、ミランダも、メリルも。


 リーネも、シオンも、ルシアンも。


 教師たちも。


 隠せない。


 アリシアの指先が冷たくなった。


 ノアが足元で静かに座っている。


 ここでは喋らない。


 喋れない。


 でも、そばにいる。


 それだけが支えだった。


「名前を呼ばれた者から前へ」


 教務主任が名簿を開いた。


 最初の生徒が呼ばれる。


 緊張した面持ちの少年が中央へ進み、水晶柱に手を置く。


 少しして、赤い石が淡く光った。


「火属性。反応は中程度。魔力の立ち上がりが速いですね」


 教師が記録する。


 周囲から小さな拍手が起きた。


 少年はほっとしたように戻ってくる。


 次の生徒。


 水属性。


 次は風。


 次は土。


 光。


 順番に測定が進む。


 反応が強い者にはざわめきが起き、弱い者には教師が励ましの言葉をかけた。


「問題ありません。制御次第で伸びます」


「魔力量は少なめですが、安定性がありますね」


「緊張で流れが乱れています。深呼吸を」


 教師たちは慣れていた。


 新入生たちも少しずつ空気に慣れていく。


 だが、アリシアの胸はどんどん重くなっていった。


 自分の番が近づいている。


 その事実だけで、呼吸が浅くなる。


 メリルの番が呼ばれた。


「メリル・ファーレン」


「あ、はい!」


 メリルは杖を置き、中央へ進んだ。


 緊張しているのが分かる。


 でも、背筋は伸びていた。


 アリシアは胸元で手を握る。


 頑張って。


 声には出せなかった。


 メリルが水晶柱に手を置く。


 少し目を閉じる。


 淡い緑の石が光った。


 風属性。


 光は穏やかだったが、綺麗に揺れている。


 教務主任が頷いた。


「風属性。反応は中程度よりやや上。制御は丁寧ですね」


 メリルの顔がぱっと明るくなった。


 周囲から拍手が起きる。


 アリシアも小さく手を叩いた。


 メリルが戻ってくる。


「できた……」


「うん。すごかった」


「ありがとう。緊張したぁ……」


 メリルは胸を押さえた。


 その表情は安心している。


 アリシアは嬉しかった。


 同時に、自分の番がさらに怖くなった。


 次々と測定が進む。


 ミランダが呼ばれた。


 彼女は元気よく中央へ進み、水晶柱に手を置いた。


 黄色の石が強く光る。


 床の魔法陣が少し震えた。


「土属性。反応強。魔力の質は非常に安定。出力過多に注意」


「はい!」


 ミランダは嬉しそうに返事をする。


 周囲がざわめく。


「すごい……」


「さすが土の国の」


 次にガレス。


 彼が中央へ進むだけで、演習場の空気が変わった。


 水晶柱に手を置く。


 赤い石が、燃えるように強く光った。


 熱気が広がったように感じた。


「火属性。反応強。出力極めて高い。制御訓練を重点的に行う必要あり」


「分かりました!」


 ガレスは嬉しそうだった。


 教師の「制御訓練が必要」という言葉すら、鍛える理由として受け取っているようだった。


 周囲のざわめきはさらに大きい。


 リーネが呼ばれる。


 彼女は静かに中央へ進んだ。


 水晶柱に手を置いた瞬間、青い石が澄んだ光を放つ。


 強い。


 だが、暴れない。


 水面のように静かで、深い光。


「水属性。反応強。制御極めて良好。魔力変換効率も高いですね」


 教師たちが少し感心したように記録する。


 リーネは軽く頷き、表情を変えずに戻った。


 シオンの番。


 緑の石が鋭く光り、演習場に一瞬だけ風が走った。


「風属性。反応強。速度特化傾向。制御に癖があります」


 シオンは肩をすくめる。


「癖がない人生なんて退屈でしょう?」


 教師の一人が眉を上げる。


 周囲の生徒が小さく笑った。


 最後に、ルシアン。


 彼が中央へ歩くと、演習場が自然と静かになった。


 水晶柱に手を置く。


 白い石が柔らかく、しかし強く輝いた。


 眩しすぎない。


 温かい光。


 周囲の新入生たちが思わず息を飲む。


「光属性。反応強。治癒、結界双方に高い適性。魔力安定性も極めて高い」


 ルシアンは穏やかに微笑み、教師へ礼をした。


「ありがとうございます」


 完璧だった。


 その振る舞いも、反応も、周囲の受け止め方も。


 アリシアは胸が苦しくなった。


 五人は、やはりすごい。


 それぞれ違う形で、確かな力を持っている。


 そして、それを世界が認めている。


 自分は。


 アリシアは手を握った。


 冷たい。


 指先が冷たい。


 ノアが足元でそっと体を寄せた。


 その温もりだけが、アリシアを現実に繋ぎ止めていた。


 名簿が進む。


 一人。


 また一人。


 そして。


「アリシア」


 教務主任の声が、演習場に響いた。


 アリシアの心臓が止まったような気がした。


 メリルが隣で小さく言う。


「アリシアちゃん」


 ガレスも少し離れた場所からこちらを見る。


 ミランダも。


 リーネも、シオンも、ルシアンも。


 全員ではない。


 でも、何人かの視線が確かに向いた。


 家名のない特別推薦生。


 黒猫を連れた木刀の少女。


 アリシアは足を動かそうとした。


 動かない。


 膝が固まっている。


 ノアが足元で、小さく前足をアリシアの足に乗せた。


 軽い重み。


 いつもの毒舌はない。


 言葉もない。


 けれど、それだけで十分だった。


 アリシアは息を吸う。


 一歩。


 祖父の言葉。


 一歩進めば、次の一歩が見える。


 アリシアは前へ出た。


 演習場の中央へ向かう。


 足音が響く。


 周囲の視線が刺さるように感じる。


 水晶柱が近づく。


 五つの属性石。


 赤。


 青。


 緑。


 黄。


 白。


 黒はない。


 アリシアは水晶柱の前に立った。


 教務主任が静かに言う。


「手を置いてください」


「……はい」


 アリシアは震える手を伸ばした。


 透明な水晶に触れる。


 冷たい。


 その瞬間。


 胸の奥で、何かが目を覚ました。


 小さく。


 深く。


 黒い月が、水底から浮かび上がるように。


 アリシアの指先から、水晶柱へ魔力が流れる。


 赤は光らない。


 青も。


 緑も。


 黄も。


 白も。


 演習場に沈黙が落ちた。


 教師が眉をひそめる。


 新入生たちがざわめきかける。


 アリシアの呼吸が止まりそうになる。


 やっぱり。


 何も出ない。


 そう思った、その時。


 水晶柱の中心に、黒い点が生まれた。


 ほんの小さな、夜の欠片のような光。


 誰かが息を飲んだ。


 ノアの金色の瞳が、鋭く細められる。


 黒い点は、水晶の奥で静かに揺れた。


 そして、五つの属性石が一斉に震え始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ