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『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第75話 六つの席は、最初から並んでいた



 放課後を告げる鐘が鳴った瞬間。


 アリシアは、教本を閉じた。


 ぱたん、と。


 乾いた音が、机の上で小さく響く。


 教室の中では。


 一日の授業から解放された生徒たちが、待っていたように動き始めていた。


「今日、食堂の夕食なんだっけ」


「白身魚の香草焼き」


「また魚?」


「一昨日は鶏だったでしょう」


「俺の中では一週間魚なんだよ」


「どういう数え方だよ」


 机の横から鞄を引き上げる者。


 部活動の仲間を呼びながら、廊下へ駆け出す者。


 窓際で大きく伸びをし、疲れた声を漏らす者。


 授業中には整っていた机の列も。


 生徒たちが立ち上がるたび、少しずつ乱れていく。


 夕方の光が。


 西側の窓から、斜めに教室へ差し込んでいた。


 机の脚。


 椅子の背。


 床に落ちた鞄の紐。


 それらの影が、長く伸びている。


 アリシアの足元にある影も。


 昼間より、濃く。


 広く。


 床の上へ横たわっていた。


『時間よ』


 その影の中から。


 ノアの声がした。


「……分かってる」


『返事は早いのに、手は止まっているわね』


 言われて。


 アリシアは、自分の指が。


 閉じた教本の表紙に置かれたままであることに気づいた。


 放課後。


 第一戦術演習室。


 そこへ来るようにと言われた。


 理由も。


 聞いている。


 六人の神器継承者を集めた、特別班。


 来週から始まる合同演習。


 その説明。


 ただ話を聞くだけなのか。


 何か試されるのか。


 分からない。


 昼休みに呼び出しを受けてから。


 授業中も。


 そのことが、頭から離れなかった。


 基礎陣形論の教師が黒板に描いた円が。


 六人の席に見えた。


 複数人で魔力を循環させる際の注意点が。


 自分に向けられた警告のように聞こえた。


 隣接する術者同士の呼吸が合わなければ。


 陣形は崩れる。


 ひとつの力だけが強すぎても。


 均衡は保てない。


 教師は。


 一般的な集団戦術について説明していただけだ。


 それでも。


 アリシアには。


 これから始まる何かの話をされているように思えた。


 火。


 水。


 風。


 土。


 光。


 そして、闇。


 性質の違う六つの力。


 その中で。


 長い間、存在を忘れられていた闇だけが。


 同じ場所に馴染めなかったら。


 どうなるのだろう。


『アリシア』


 ノアが呼ぶ。


「……何?」


『怖いのは、もう聞いたわ』


 影の表面が。


 水面のように、わずかに揺れた。


『次は、何が怖いのかを考えなさい』


「何が……」


『ただ怖い、ただ不安。それだけでは、いつまでも輪郭がないでしょう』


 アリシアは。


 教本の上から手を離した。


 指先を。


 膝の上で組む。


 何が怖いのか。


 知らない人間がいるから。


 多くの視線が集まるから。


 役に立てないかもしれないから。


 失敗するかもしれないから。


 嫌われるかもしれないから。


 いくつも浮かぶ。


 けれど。


 その中で。


 最も胸の奥へ引っかかったものは。


「……いらないって、思われること」


 自分でも驚くほど。


 素直に出た。


 ノアは。


 すぐには何も言わなかった。


 教室には。


 まだ何人かの生徒が残っている。


 だから。


 アリシアも声を落としている。


 それでも。


 口にしてしまった言葉は。


 思っていたより重かった。


「みんなは、ずっと五人で……」


『五人で何をしていたの?』


「分からない」


『なら、決めつけない』


「でも」


『五つの神器が知られていた。それは事実ね』


「うん」


『五人の継承者が、先に顔を合わせていた。それも事実でしょう』


「たぶん」


『けれど、五人だけで完成していたかどうかは、あなたの想像よ』


「……そうだけど」


『あなたが入ることで、誰かが押し出されるの?』


「違う」


『誰かの席を奪う?』


「奪わない」


『なら、あなたは追加されたのではないわ』


 ノアの声が。


 影の中から。


 静かに続く。


『戻ったのよ』


 アリシアは。


 息を止めた。


『六つあったものが、五つになっていた。そこへ六つ目が戻った。それだけ』


「でも……みんなが、そう思ってくれるとは限らない」


『当然でしょう』


 あまりにも迷いのない返事に。


 アリシアは、少しだけ眉を寄せた。


「そこは、違うって言ってほしかった」


『どうして?』


「少しくらい……安心させて」


『安心させるために嘘を言う方がいい?』


「……よくない」


『なら、現実を見ることね。あなたを歓迎する者もいるでしょう。警戒する者もいる。興味だけで近づく者もいるし、最初から嫌う者もいるかもしれない』


「やっぱり……」


『けれど』


 ノアの声が。


 少し強くなる。


『誰かがあなたを要らないと思ったとして。それで、あなたが不要になるわけではない』


 アリシアは。


 何も答えられなかった。


『人の評価は、事実ではないわ』


 教室の外から。


 駆けていく足音が聞こえる。


 どこかの教室で。


 掃除当番を決める声が上がっていた。


「昨日も俺だった!」


「昨日は窓拭き。今日は床」


「掃除は掃除だろ!」


「役割が違う」


「その理屈、豆の話でも聞いたぞ!」


 笑い声。


 言い争う声。


 廊下を抜けてくる風。


 日常の音が。


 アリシアとノアの間を流れていく。


『要るか、要らないか』


 ノアは言った。


『それを決めるのは、あなたを知らない誰かではないわ』


「じゃあ、誰?」


『まず、あなた自身』


「……私?」


『次に、一緒に戦う者たち』


「それじゃ、やっぱり……」


『だから、これから確かめるのよ』


 ノアの言葉は。


 優しく包むものではなかった。


 進めと。


 背中を押す言葉でもない。


 足元にある道を示し。


 あとは自分で選びなさいと。


 そう告げている。


 アリシアは。


 鞄を持った。


 椅子を引く。


 立ち上がる。


 膝に。


 ほんの少し力が入りにくかった。


 それでも。


 立てた。


『行くのね』


「……うん」


『逃げてもいいのよ』


「え?」


『今日だけは』


「どうして?」


『一度逃げれば、明日は今日より怖くなるから』


「それなら、よくない」


『ええ。だから、あなたは行くでしょう?』


 アリシアは。


 鞄の紐を握り直した。


「ノアは、ずるい」


『何が?』


「選ばせるように見せて……選択肢がひとつしかない」


『逃げる選択肢もあるわ』


「選んだら、後悔する」


『それを知っているなら、立派な選択よ』


 ノアは。


 少し楽しそうだった。


 アリシアは。


 小さく息を吐いた。


 そして。


 教室の出口へ向かって歩き始めた。


 その途中。


「アリシア」


 名前を呼ばれた。


 足が止まる。


 声の方を見る。


 昼休みに。


 一緒に焼き菓子を食べた少女が。


 自分の机の横に立っていた。


 友人と帰る準備をしているらしい。


 鞄を肩に掛けている。


「これから、演習室?」


「……うん」


「そっか」


 少女は。


 何か言おうとして。


 一度、口を閉じた。


 頑張って。


 昼休みに。


 すでに一度、そう言っている。


 同じ言葉を繰り返すことを迷ったのかもしれない。


 少し考えたあと。


「焼き菓子、残ってる?」


 予想していなかったことを聞かれ。


 アリシアは、目を瞬いた。


「……ある」


「なら、終わったあとに食べるといいよ」


「どうして?」


「疲れたときは、甘いものが美味しいから」


「……うん」


「それと」


 少女は。


 鞄の紐を、両手で握った。


「戻ってきたら、どうだったか教えて」


「私が?」


「うん」


「話すの……上手じゃない」


「知ってる」


「……知ってるの?」


「少しだけ」


 少女は。


 悪戯が見つかったように笑った。


「でも、上手に話さなくてもいいよ。怖かったとか。疲れたとか。誰かがうるさかったとか。それだけでも」


「……そんなので、いいの?」


「私が聞きたいから」


 アリシアは。


 返事をするまでに。


 少し時間がかかった。


 自分の話を。


 聞きたいと言われた。


 特別な功績を上げたわけでもない。


 面白い話をできるわけでもない。


 それでも。


 今日の出来事を。


 知りたいと思ってくれる人がいる。


「分かった」


 アリシアは。


 今度は、少女の目を見た。


「……明日、話す」


「うん。待ってる」


 その言葉を。


 胸の中へ入れる。


 明日。


 話す相手がいる。


 なら。


 今日のことは。


 ただ耐えるだけの時間ではない。


 戻ってきて。


 言葉にするための時間になる。


 アリシアは。


 小さく頭を下げた。


「行ってきます」


 言ってから。


 自分で驚いた。


 ここは家ではない。


 相手も家族ではない。


 それなのに。


 自然と。


 行ってきます、と言っていた。


 少女も。


 一瞬だけ驚いた顔をした。


 けれど。


 すぐに笑って。


「行ってらっしゃい」


 と答えた。


 その声を背中に受けながら。


 アリシアは、教室を出た。


 廊下は。


 帰る生徒と。


 これから部活動へ向かう生徒で混み合っていた。


 剣術部らしい生徒たちが。


 木剣を入れた長い袋を背負って歩いている。


 魔術研究会の生徒たちは。


 何枚もの羊皮紙を抱え。


 廊下の端で議論を続けていた。


「だから、増幅陣を外側に置くと干渉するんだって」


「内側でも干渉するだろ」


「間隔を空ければいい」


「どれくらい?」


「それを今から測る」


「お前、何も分かってないじゃないか」


「分からないから研究するんだろ」


 教師の姿を見つけて。


 走っていた生徒が歩き出す。


 その教師が角を曲がると。


 また走り出す。


 階段では。


 上から降りてくる者と。


 下から上がる者が譲り合えず。


 互いに右へ左へ動いていた。


「そっち行って」


「そっちってどっち?」


「私から見て右」


「俺から見たら左だろ」


「じゃあ動かないで」


「先に動いたのお前だぞ」


 学園の中は。


 放課後になっても、静かではない。


 むしろ。


 決められた授業が終わった分。


 生徒たち一人ひとりの声が、はっきりしていた。


 アリシアは。


 人の流れを避けるように。


 廊下の端を歩いた。


 第一戦術演習室は。


 中央校舎の北側。


 通常の教室が並ぶ区域から離れた、実戦訓練棟にある。


 そこへ向かうには。


 渡り廊下を通らなければならない。


 渡り廊下へ出ると。


 外気が。


 アリシアの頬へ触れた。


 夕方の風は。


 昼間より少し冷たい。


 遠くの訓練場から。


 木剣がぶつかる音。


 教師の号令。


 生徒たちの掛け声が聞こえる。


「踏み込みが浅い!」


「はい!」


「腕で振るな! 腰を使え!」


「はい!」


 中庭の向こうでは。


 土の魔術を使った障壁訓練が行われているらしい。


 低い振動が。


 足元から伝わってくる。


 地面が盛り上がり。


 長い土壁が形成される。


 その壁を。


 風の刃が削っていた。


 アリシアは。


 少しだけ立ち止まった。


 学園には。


 自分より強い人間が大勢いる。


 同じ年齢でも。


 堂々と力を使える者がいる。


 人に見られることを恐れず。


 声を出し。


 失敗しても。


 もう一度、術式を組む。


 自分は。


 その中に入る。


 神器を持っているから。


 特別な力に選ばれたから。


 けれど。


 それだけで。


 自分が特別な人間になったわけではない。


『比べているの?』


 ノアが聞いた。


「……少し」


『勝った?』


「勝てない」


『誰と何を比べたかも分からないのに?』


「みんな、堂々としてる」


『遠くから見ればね』


「違うの?」


『あそこにいる土術師』


 ノアに言われ。


 アリシアは。


 土壁を作っている男子生徒へ目を向けた。


『右足が震えている』


「見えない」


『私には見えるわ。隣の風術師は、失敗するたび左手を握っている。剣術場の先頭にいる女子生徒は、教師が近づくと呼吸が浅くなる』


「……怖いの?」


『さあ。緊張かもしれない。痛みかもしれない。不安かもしれない』


 ノアは。


 静かに言った。


『堂々として見えることと、怖くないことは同じではないわ』


「でも、みんな動いてる」


『そうね』


「じゃあ、私も……」


『動けばいい』


 アリシアは。


 渡り廊下の先を見た。


 実戦訓練棟。


 石造りの壁。


 大きな扉。


 その向こうに。


 第一戦術演習室がある。


 止まっている足を。


 前へ出した。


 一歩。


 もう一歩。


 ノアは。


 何も言わなかった。


 足音だけが。


 渡り廊下に響いた。


 訓練棟へ入ると。


 空気が変わった。


 通常校舎より。


 石と鉄の匂いが強い。


 壁には。


 緊急時のための結界石が、一定の間隔で埋め込まれている。


 廊下の床にも。


 魔力の暴走を抑える術式が刻まれていた。


 訓練棟は。


 放課後でも、多くの生徒が使っている。


 しかし。


 第一戦術演習室へ近づくにつれ。


 人の数は減っていった。


 代わりに。


 廊下の角や扉の近くへ。


 不自然に立つ生徒が増えた。


「来た」


「闇の子だ」


「本当に全員集まるらしいぞ」


「声、大きい」


「聞こえた?」


「絶対聞こえてる」


 小声。


 視線。


 アリシアが歩くと。


 少し前にいた生徒が道を空ける。


 避けられた。


 そう感じ。


 胸が縮みかけた。


 だが。


 その生徒は。


 アリシアが通り過ぎたあと。


 すぐに第一戦術演習室の方へ顔を向けた。


 恐れて離れたのではない。


 通り道を空けただけ。


 それでも。


 身体は。


 過去の記憶に引かれ。


 すぐには違いを理解してくれない。


 耳の奥で。


 昔の声が蘇る。


 近づくな。


 影が移る。


 呪われる。


 見られるたびに。


 聞こえていない言葉まで。


 聞こえたような気がする。


『前を見なさい』


 ノアの声。


 アリシアは。


 下がりかけた視線を上げた。


 廊下の突き当たり。


 大きな両開きの扉。


 その上に。


 第一戦術演習室と刻まれた金属板がある。


 扉の前には。


 戦術科の教師が二人立っていた。


 見物に来たらしい生徒たちを。


 廊下の端へ下がらせている。


「立ち止まるな」


「でも、先生。中に誰がいるんですか?」


「お前たちには関係ない」


「神器継承者が全員揃うって」


「噂を聞く暇があるなら、課題を終わらせろ」


「終わってます」


「なら復習しろ」


「終わってます」


「予習しろ」


「……はい」


 生徒は。


 不満そうにしながらも、離れていく。


 しかし。


 角を曲がったところで。


 また顔だけを覗かせていた。


 教師は。


 気づいているはずだが。


 それ以上は何も言わなかった。


 アリシアが近づくと。


 一人の教師が。


 手元の名簿を確認した。


「アリシアだな」


「……はい」


「中へ」


 扉に手を掛ける。


 教師が。


 片側を開いた。


 重い音。


 蝶番が。


 低く軋む。


 演習室の中から。


 明るい光が廊下へ流れ出た。


 アリシアは。


 扉の前で。


 一瞬、動けなくなった。


 入れば。


 戻れないわけではない。


 危険な場所でもない。


 それでも。


 扉の向こうに。


 自分を待っている人間がいる。


 それだけで。


 胸が苦しい。


『アリシア』


「……うん」


『まだ何も言っていないわ』


「分かってる」


 アリシアは。


 小さく息を吸った。


 そして。


 中へ入った。


 第一戦術演習室は。


 通常の教室の三倍ほどの広さがあった。


 床は。


 濃い灰色の石材。


 壁沿いには。


 訓練用の武器。


 盾。


 結界発生装置。


 簡易治療具が並んでいる。


 天井は高く。


 明かり取りの窓から。


 夕方の光が差し込んでいた。


 室内の中央には。


 六つの椅子が。


 半円を描くように置かれている。


 その正面。


 少し離れた場所に。


 教師たちのためと思われる長机。


 その後ろには。


 大きな黒板と。


 王国周辺の地図。


 魔獣の生息域を示す印。


 古い戦場の記録図。


 そして。


 六つの紋章が描かれた布が掛けられていた。


 赤い鳥。


 青い蛇。


 緑の狼。


 黄色い亀。


 白い猫。


 黒い猫。


 六つ。


 全て。


 並んでいる。


 黒い猫だけが。


 端へ追いやられているわけではない。


 布の中央下。


 他の五つと同じ大きさで。


 同じ間隔で。


 描かれていた。


 アリシアは。


 そこから目を離せなかった。


『見なさい』


 ノアの声が。


 少しだけ低くなる。


『私よ』


「……うん」


『もっと気高く描けなかったのかしら』


「そこ?」


『耳が短いわ』


「似てる」


『似ていない』


「色は同じ」


『黒猫なら何でも私になると思わないで』


 いつものノアだ。


 そのことに。


 少しだけ救われる。


 視線を下ろす。


 六つの椅子のうち。


 すでに五つが埋まっていた。


 火の継承者。


 赤い髪の少年は。


 椅子へ深く座るどころか。


 前のめりになり。


 膝の上で拳を握っていた。


 今にも立ち上がりそうだ。


 アリシアが入ってきた瞬間。


 最も早く顔を向けたのも彼だった。


「来た!」


 大きな声が。


 演習室に響く。


 アリシアの肩が跳ねた。


 赤髪の少年は。


 悪びれた様子もなく立ち上がる。


「遅かったな!」


「まだ集合時間前よ」


 すぐ隣から。


 冷静な声が返ってきた。


 水の継承者。


 青い髪の少女が。


 膝の上に開いていた本から顔を上げる。


 細い金属縁の眼鏡。


 整えられた制服。


 背筋は。


 椅子の背へ触れないほど、まっすぐ伸びている。


「それに、私たちが早すぎただけです」


 そう言って。


 彼女は。


 アリシアへ静かに頭を下げた。


「お疲れさまです」


「……お疲れさま」


 アリシアも。


 慌てて頭を下げる。


「なんだよ。来たなら早く座れよ」


 赤髪の少年が。


 空いている椅子を指差す。


 その椅子は。


 半円の端ではなかった。


 中央に近い。


 火の継承者と。


 光の継承者の間。


 一つだけ。


 誰も座っていない。


 アリシアは。


 その席を見た。


 昼休み。


 自分が引いた椅子を思い出す。


 放課後。


 自分のために用意された席。


 本当に。


 あった。


「ねえ」


 別の声がした。


 風の継承者。


 緑色の髪の少年が。


 椅子の背へ斜めにもたれながら、アリシアを見ている。


 目つきは鋭い。


 けれど。


 敵意より。


 観察する色が強かった。


「入口で立たれると、教師が入れないと思うんだけど」


「……ごめんなさい」


「謝らなくていいよ。事実を言っただけ」


「言い方」


 土の継承者である少女が。


 呆れた声を出す。


 明るい黄色の髪を。


 高い位置でひとつに結んでいる。


 座っているのが苦手なのか。


 椅子の上で、何度も姿勢を変えていた。


「最初から嫌な言い方しないの。緊張してるでしょう?」


「僕が緊張してるって?」


「そっちじゃない!」


「ああ。闇の子の方」


 風の継承者は。


 アリシアを見たまま。


「緊張してる?」


 と聞いた。


 突然。


 真っすぐ尋ねられ。


 アリシアは、言葉に詰まった。


 隠すべきか。


 平気だと言うべきか。


 しかし。


 上手く嘘をつける自信がない。


「……してる」


 正直に答えた。


 風の少年は。


 少しだけ目を細めた。


「そう」


 それだけ。


 笑いもしない。


 慰めもしない。


 土の少女が。


 風の少年の肩を軽く叩く。


「それで終わり?」


「何が?」


「もっとあるでしょう。大丈夫とか」


「根拠がない」


「そこは雰囲気で言うの!」


「根拠のない大丈夫ほど無責任な言葉はないよ」


「今日のあんた、いつも以上に面倒くさい!」


「いつも僕を面倒だと思ってるんだ」


「思ってるよ!」


 二人の声が重なり。


 赤髪の少年が笑う。


 青髪の少女は。


 眼鏡の位置を指で直しながら、ため息をついた。


「まだ説明も始まっていないのに、騒がないでください」


「お前、さっきから本読んでただろ」


「静かに待つためです」


「待ってる間くらい話せばいいじゃん」


「あなたと話すと疲れます」


「なんでだよ!」


「声が大きいからです」


 五人。


 すでに。


 それぞれの間に空気がある。


 先に顔を合わせていた。


 それは確かだ。


 慣れている。


 言い合い方も。


 止め方も。


 誰がどこまで言えば怒るのかも。


 少し知っているように見える。


 アリシアは。


 空いている椅子の前で。


 また足を止めた。


 自分だけ。


 この空気の外にいる。


 五人の輪へ。


 後から入る。


 ノアが。


 教室で言った。


 追加されたのではない。


 戻ったのだと。


 けれど。


 目の前の五人は。


 すでに会話を持っている。


 自分の知らない時間を。


 共有している。


 その事実は。


 どうしても。


 胸を小さくさせた。


「座らないの?」


 柔らかな声がした。


 光の継承者。


 白い髪の少年が。


 隣の空席へ手を向けている。


 優しそうな笑顔。


 静かな目。


 彼は。


 他の四人が言い合う間も。


 ほとんど口を挟まず。


 アリシアを見ていた。


「ここ、君の席だよ」


「……私の?」


「うん」


「どうして、ここ?」


「どうしてって?」


「端じゃない」


 口にしてから。


 しまったと思った。


 自分でも。


 何を聞いているのか分からない。


 白髪の少年は。


 一度。


 空席を見た。


 それから。


 反対側に座る赤髪の少年を見る。


「席順、決められてた?」


「いや」


「じゃあ、たまたまかな」


 白髪の少年は。


 穏やかに笑った。


「でも、端がよかった?」


「……分からない」


「端は落ち着くよね」


 その言い方には。


 馬鹿にする気配がなかった。


「人が片側にしかいないから」


「……うん」


「代わろうか?」


 白髪の少年が。


 自分の椅子から立ち上がりかける。


 アリシアは。


 反射的に首を振った。


「いい」


「本当に?」


「ここで、いい」


 声が。


 思ったよりはっきり出た。


 自分の席だと言われた。


 なら。


 誰かに動いてもらうのではなく。


 そこへ座りたい。


 アリシアは。


 空いている椅子へ手を掛けた。


 少しだけ引く。


 床と椅子の脚が擦れる。


 昼休みと同じ音。


 ぎ、と。


 小さく鳴った。


 そして。


 座った。


 左には。


 火の継承者。


 右には。


 光の継承者。


 正面には。


 水。


 風。


 土。


 五人全員が。


 同じ半円の中にいる。


 椅子へ座っただけ。


 なのに。


 胸が強く脈打った。


「よし」


 赤髪の少年が。


 満足そうに頷いた。


「これで全員だな!」


「教師がまだです」


 青髪の少女が言う。


「継承者が全員って意味だよ」


「言葉が足りません」


「分かるだろ!」


「分かるかどうかではなく、正確に話してください」


「面倒くさいな!」


「あなたにだけは言われたくありません」


「俺のどこが面倒なんだよ!」


「全部です」


 短い言葉。


 即答だった。


 土の少女が。


 堪えきれずに笑い出す。


「全部って」


「笑うなよ!」


「だって、迷わなかったから」


「お前もそう思ってるのか?」


「少し」


「少しならいい!」


「いいんだ」


 風の少年が。


 鼻で笑う。


「単純だね」


「お前は後で覚えてろ」


「何を?」


「後で考える」


「考えてから言えばいいのに」


「今から考えるんだよ!」


 話が。


 次々に流れていく。


 誰かが言う。


 誰かが返す。


 別の誰かが笑う。


 アリシアは。


 間に入れない。


 何か言おうとしても。


 その前に。


 次の言葉が飛んでくる。


 けれど。


 嫌ではなかった。


 見ているだけでも。


 少しだけ面白い。


 赤髪の少年は。


 感情がそのまま声になる。


 青髪の少女は。


 冷たいようで。


 誰かが話から置いていかれると、さりげなく説明を足す。


 土の少女は。


 笑いながら人の間に入る。


 風の少年は。


 皮肉ばかり言うのに。


 本当に相手が嫌がるところまでは、踏み込まない。


 光の少年は。


 あまり話さない。


 けれど。


 全員を見ている。


「そういえば」


 赤髪の少年が。


 突然、アリシアへ顔を向けた。


「お前、昼に呼ばれたんだって?」


「……うん」


「怖くなかったか?」


 風の少年の眉が。


 僅かに動く。


「君がそれを聞くんだ」


「何だよ」


「さっき大声で驚かせた本人が」


「驚かせるつもりはなかった!」


「つもりの話はしてないよ」


「お前、いちいち言葉を細かく拾うな!」


「落ちているものを拾うのは親切だろう?」


「そういう意味じゃない!」


 赤髪の少年は。


 風の少年を睨んだあと。


 もう一度、アリシアを見た。


「で、どうなんだ?」


「……怖かった」


「そうか」


「でも、来た」


「うん」


 赤髪の少年は。


 大きく頷く。


「なら、すごいな」


 アリシアは。


 返事ができなかった。


「すごい?」


「怖いのに来たんだろ?」


「……うん」


「俺、怖かったら来たくない」


「あなたは、怖くても来るでしょう」


 青髪の少女が言う。


「まあ、来るけど」


「なら、同じです」


「同じじゃない。俺は怖くても平気だから」


「それは平気とは言いません」


「動けるなら平気だろ」


「恐怖を感じていないことと、恐怖を感じながら動けることは別です」


「難しいな」


「難しくありません」


「どっちでもいいじゃん」


 土の少女が。


 両手を膝の上へ置く。


「怖くても来た。だから、すごい。それでいいじゃん」


「……いいの?」


 アリシアが聞く。


 土の少女は。


 にっと笑った。


「いいよ」


「簡単に決めるね」


 風の少年が言う。


「簡単なことを難しくするよりいいでしょう」


「それは君の意見」


「そうだよ。今、私が言ったんだから」


「開き直った」


「開いた方が風通しがいいの」


「意味が分からない」


「私も今、何を言ってるか分からない」


 土の少女は。


 自分で言って笑った。


 その笑いにつられ。


 赤髪の少年も笑う。


 光の少年も。


 口元へ手を当てている。


 青髪の少女は。


 呆れた顔をしているが。


 目元は少し柔らかい。


 アリシアは。


 笑うべきか迷った。


 けれど。


 昼休みと同じように。


 口元から。


 小さな息が漏れた。


「……ふふ」


 音が出た。


 それほど大きくない。


 だが。


 半円の中にいる五人には。


 聞こえた。


 土の少女が。


 すぐにアリシアを見る。


「今、笑った?」


 アリシアの表情が。


 固まった。


「……ごめんなさい」


「なんで謝るの?」


「笑ったから」


「笑っていいよ!」


 土の少女が。


 椅子から立ち上がりそうな勢いで言う。


「むしろ、もっと笑って!」


「それは怖いよ」


 風の少年が言った。


「どうして!」


「笑えと強要される状況を想像してみれば?」


「強要してない!」


「もっと笑って、と言った」


「歓迎してるの!」


「歓迎の仕方が雑」


「じゃあ、あんたが丁寧に歓迎してみて」


「僕が?」


「そう」


 風の少年は。


 少し考えた。


 そして。


 アリシアへ顔を向ける。


「ようこそ」


「……うん」


「以上」


「短い!」


 土の少女が叫ぶ。


「丁寧だったでしょう」


「短いだけでしょう!」


「長ければ丁寧なの?」


「気持ちの問題!」


「僕の気持ちは一言で足りる」


「腹立つ!」


 演習室の外から。


 声を抑えた笑いが聞こえた。


 扉の向こう。


 見物の生徒たちが。


 中の会話を聞いているのかもしれない。


「聞こえた?」


「仲悪いのかな」


「いや、あれは仲いいだろ」


「神器継承者って、もっと厳かな感じだと思ってた」


「火の奴、声で分かるな」


「土の子も」


「闇の子、笑った?」


「たぶん」


「普通に話してるじゃん」


「当たり前だろ」


 囁きが。


 扉越しに伝わる。


 アリシアの身体が。


 一瞬、固くなった。


 見られている。


 聞かれている。


 けれど。


 先ほどとは違う。


 自分一人が見られているのではない。


 六人が。


 ひとつの場所にいることを。


 外の人間が気にしている。


「先生たち、遅いね」


 光の少年が。


 扉へ目を向けた。


 その直後。


 外から低い声が響いた。


「聞き耳を立てる暇があるなら、帰れ」


 廊下の生徒たちが。


 一斉に散る足音。


「走るな!」


「はい!」


「返事だけはいいな!」


 扉が開く。


 戦術科の教師たちが。


 数人、入ってきた。


 先頭にいるのは。


 昼休みにアリシアを呼びに来た教員だった。


 その後ろには。


 各神器の指導を担当する教師。


 記録係らしい文官。


 そして。


 見慣れない年配の男性がいる。


 灰色の髪。


 左頬に。


 古い傷痕。


 制服ではなく。


 濃紺の軍装に近い服を着ている。


 室内の空気が。


 一瞬で変わった。


 赤髪の少年も。


 土の少女も。


 言葉を止める。


 青髪の少女は。


 膝の上の本を閉じた。


 風の少年は。


 椅子へ斜めに座っていた身体を起こす。


 光の少年も。


 笑みを薄くした。


 教師たちは。


 長机の後ろへ並んだ。


 年配の男性だけが。


 机の前へ立つ。


「全員、揃ったな」


 低い声。


 演習室の高い天井へ。


 よく響く。


 六人は。


 それぞれ返事をした。


 アリシアも。


 少し遅れて。


「はい」


 と答えた。


 男性の目が。


 一人ずつを見ていく。


 火。


 水。


 風。


 土。


 光。


 最後に。


 アリシア。


 その視線は。


 冷たくも。


 温かくもない。


 ただ。


 測るようだった。


 黒い髪。


 黒い瞳。


 その足元の影。


 全てを。


 見落とさないように。


 じっと見ている。


 アリシアは。


 視線を外したくなった。


 だが。


 できる限り。


 顔を上げたままにした。


 男性は。


 何も言わず。


 視線を前へ戻した。


「今日、お前たちを集めた理由は聞いていると思う」


 誰も答えない。


「来週より、六神器継承者による合同演習を開始する」


 低い声が。


 静かに室内を満たす。


「これは、顔合わせのための遊びではない」


 赤髪の少年の表情から。


 先ほどまでの軽さが消えた。


「神器は、それぞれ単独でも強大な力を持つ。だが、千年前。魔族との大戦において、六神器が最も大きな力を発揮したのは、六つが共に戦ったときだ」


 男性は。


 背後の布へ目を向ける。


 六つの紋章。


「しかし現在。お前たちは、同じ場所へ立ったことすらない」


 その言葉に。


 誰も反論できない。


「互いの能力を知らない。癖を知らない。限界を知らない。何を恐れ、何に怒り、どこで判断を誤るかも知らない」


 アリシアは。


 膝の上で指を組んだ。


「その状態で、共に戦えると思うか?」


 問いかけ。


 沈黙が落ちる。


 赤髪の少年が。


 口を開きかける。


 しかし。


 隣の青髪の少女が。


 僅かに首を振った。


 軽々しく答える問いではない。


 そう伝えたのかもしれない。


 男性は。


 沈黙を待った。


 誰かに急いで答えさせることなく。


 六人の顔を見ている。


「思いません」


 最初に答えたのは。


 光の少年だった。


 柔らかな声。


 けれど。


 迷いはない。


「今の僕たちは、同じ場所に座っているだけです」


「そうだ」


 男性は。


 すぐに頷いた。


「なら、何が必要だ」


 光の少年は。


 答える前に。


 一度、他の五人を見た。


「知ることだと思います」


「力を?」


「力もです」


 光の少年は。


 続ける。


「でも、それだけではなくて。何を考えて動くのか。誰かが失敗したとき、どうするのか。自分が失敗したとき、何を言えるのか」


 男性の眉が。


 ほんの少し動いた。


「悪くない」


 光の少年は。


 静かに頭を下げた。


「他は?」


 男性の視線が。


 半円を巡る。


「実際に戦えば分かる!」


 赤髪の少年が。


 勢いよく答えた。


 青髪の少女が。


 すぐに眉を寄せる。


「言葉が足りません」


「戦ってみないと、分からないことがあるって意味だよ!」


「それなら、最初からそう言ってください」


「今、言っただろ!」


「後からです」


「分かればいいだろ!」


「お前たち」


 年配の男性が呼ぶ。


 二人が。


 同時に黙った。


「そのやり取りも、演習の一部になる」


「……はい」


 青髪の少女は答えた。


 赤髪の少年も。


 少し遅れて頷く。


「言葉が足りない者。言葉を正確に求めすぎる者。どちらも、戦場では味方を殺す」


 言葉が。


 重く落ちる。


 先ほどまで。


 少し笑いを含んでいた空気が。


 完全に消えた。


 アリシアは。


 喉の奥が乾くのを感じた。


「ただし」


 男性は続ける。


「言葉が足りないと気づけば、補える。正確さを求めすぎると知れば、急ぐ場面で削れる」


 青髪の少女が。


 静かに男性を見る。


「欠点があることが問題ではない」


 男性は。


 六人全員へ言った。


「自分の欠点を知らないこと。仲間の欠点を受け入れず、ただ責めること。それが問題だ」


 土の少女が。


 膝の上で。


 小さく拳を握った。


 風の少年は。


 表情を変えない。


 けれど。


 椅子の肘掛けに置いた指が。


 一度だけ動いた。


「来週からの合同演習では、魔術と武器の扱いだけを教えるつもりはない」


 男性は。


 背後の地図へ近づいた。


 王国の中央。


 学園の位置。


 その周囲。


 いくつもの森。


 山。


 街道。


 魔獣の生息域。


「お前たちには、判断をさせる」


 地図の上に。


 男性が。


 六つの小さな駒を置いた。


 赤。


 青。


 緑。


 黄。


 白。


 黒。


「誰を前へ出すか」


 赤い駒が。


 前へ動く。


「誰を下げるか」


 青い駒が。


 少し後ろへ。


「誰を守るか」


 黄色と白の駒が。


 並ぶ。


「誰を囮にするか」


 緑の駒が。


 離れた位置へ置かれる。


「そして」


 男性の指が。


 黒い駒へ触れた。


「誰を信じるか」


 黒い駒が。


 六つの中央へ置かれた。


 アリシアの胸が。


 強く鳴った。


 男性は。


 黒い駒を見たまま。


「六つ目の神器が戻ったことで、これまでの前提は全て変わる」


 そう言った。


 室内の視線が。


 アリシアへ集まる。


 教師たち。


 五人の継承者。


 全員。


 アリシアは。


 逃げたいと思った。


 同時に。


 聞かなければならないとも思った。


「闇の神器については、記録が少ない」


 男性は。


 事実を述べる。


「現代の戦術書には、ほぼ記述がない。千年前の文献も、欠損が多い。何ができるのか。何ができないのか。どの程度の範囲へ影響を与えるのか。正確に把握できていない」


 分からない。


 知られていない。


 その言葉は。


 アリシアにとって。


 昔から恐ろしいものだった。


 知らないから怖い。


 知らないから避ける。


 知らないから。


 悪いものだと決めつける。


 けれど。


 男性の声には。


 嫌悪がなかった。


 ただ。


 未知を未知として扱う慎重さがある。


「だから」


 男性は。


 黒い駒から手を離した。


「来週の演習に入る前に、今日。確認しておくことがある」


 アリシアの背中へ。


 冷たい汗が流れた。


 何を。


 確認するのか。


「アリシア」


 名前を呼ばれる。


「はい」


 声が。


 少し掠れた。


「お前は、自分の力をどう考えている」


 アリシアは。


 言葉を失った。


 どう考えている。


 簡単な問いではない。


 闇の力。


 嫌われた原因。


 隠れて生きる理由。


 祖父が守ってくれたもの。


 ノアと出会えた証。


 誰かを守れた力。


 自分自身を傷つけるかもしれないもの。


 怖い。


 大切。


 嫌いだった。


 今は。


 少し好きになりたいと思っている。


 いくつもの感情が。


 一度に浮かぶ。


「答えられないか」


 男性が聞く。


「……考えてます」


「待とう」


 急かさない。


 それが。


 余計に苦しかった。


 六人の前。


 教師たちの前。


 正しい答えを言わなければ。


 そう考える。


『正しい答えなんてないわ』


 ノアの声がした。


『あなたの答えを言いなさい』


 でも。


 上手く言えない。


『上手く言う必要がある?』


 みんなが聞いてる。


『だから何?』


 怖い。


『知っているわ』


 ノアの声は。


 いつも通りだった。


『怖いまま言いなさい』


 アリシアは。


 膝の上で組んでいた手を。


 ゆっくり開いた。


 影を見る。


 自分の足元。


 黒く。


 静かに広がる闇。


「……怖いです」


 言った。


 赤髪の少年が。


 僅かに身を動かす。


「自分の力が?」


 男性が尋ねる。


「はい」


「なぜ」


「強すぎるから」


 声が。


 震える。


 それでも。


 止めなかった。


「私が間違えたら……誰かを傷つけるから。自分でも、全部は分からないから」


「なら、使いたくないか」


 アリシアは。


 すぐには答えなかった。


 以前なら。


 使いたくないと。


 答えていた。


 なくなればいい。


 普通になれればいい。


 そう思っていた。


 けれど。


 今は。


「……使いたいです」


 男性の目が。


 少し細くなる。


「怖いのに?」


「怖いです」


「矛盾しているな」


「はい」


 否定しなかった。


「でも……」


 喉の奥が詰まる。


 ここから先を。


 言葉にするのが難しい。


 昼休み。


 落ちた教本を。


 影で受け止めた。


 石板を壊さず。


 一人の少女を助けた。


 あのとき。


 闇があったから。


 間に合った。


「怖くても……使わないと、守れないときがあるから」


 静かな演習室へ。


 アリシアの声が落ちる。


「私は、闇が嫌いでした」


 過去形に。


 自分で気づく。


「今は?」


 男性が聞く。


 アリシアは。


 影を見た。


 ノアがいる。


 姿は見えない。


 けれど。


 いつも。


 そこにいる。


「まだ……分かりません」


 正直に答える。


「でも、嫌いなままには、したくないです」


 沈黙。


 誰も。


 すぐには言葉を出さなかった。


 年配の男性が。


 アリシアを見ている。


 長い。


 長い沈黙だった。


 失敗した。


 変なことを言った。


 そう思い始めた頃。


「十分だ」


 男性が言った。


 アリシアは。


 顔を上げた。


「今の答えで?」


「今はな」


 男性は。


 黒い駒を。


 指先で少し動かした。


「自分の力を怖がる者は、慎重になれる」


 黒い駒が。


 赤い駒の隣へ置かれる。


「だが、恐怖に支配されれば、必要な瞬間に動けない」


 今度は。


 白い駒が。


 黒の隣へ。


「力を好む者は、迷わず使える」


 赤い駒が。


 前へ動く。


「だが、酔えば周囲が見えなくなる」


 赤髪の少年が。


 少しだけ表情を固くした。


「どちらが正しいわけでもない」


 男性は。


 六つの駒を。


 ひとつの円へ並べた。


「互いに足りないものを補え。それが、六人で戦う意味だ」


 アリシアは。


 五人を見た。


 赤髪の少年は。


 真っすぐ前を見ている。


 青髪の少女は。


 男性の言葉を記憶するように。


 静かに聞いている。


 風の少年は。


 六つの駒を見ている。


 土の少女は。


 アリシアと目が合うと。


 小さく頷いた。


 光の少年は。


 いつもの柔らかな笑みではなく。


 真剣な顔で。


 アリシアを見ていた。


「今日の説明は以上だ」


 男性が。


 長机の上に手を置く。


「ただし」


 赤髪の少年が。


 分かりやすく身を乗り出した。


「このまま帰らせるつもりはない」


「やっぱり何かやるのか!」


 嬉しそうな声。


 青髪の少女が。


 額へ手を当てる。


「なぜ嬉しそうなのですか」


「演習室に来て、話だけで終わる方がおかしいだろ!」


「今日は説明だと聞いていました」


「説明の後に動けばいい!」


「あなたは身体を動かしたいだけでしょう」


「そうだけど!」


「認めるのですね」


 年配の男性は。


 二人のやり取りを止めなかった。


 むしろ。


 僅かに口元を緩めたように見えた。


「今から、お前たちに最初の課題を与える」


 教師の一人が。


 壁沿いに置かれていた台車を押してくる。


 台車の上には。


 六本の細い紐。


 六枚の目隠し。


 そして。


 小さな銀色の鈴が置かれていた。


「戦うのですか?」


 青髪の少女が尋ねる。


「戦わない」


 男性が答える。


 赤髪の少年が。


 分かりやすく肩を落とす。


「ええ……」


「不満か?」


「少し」


「正直でいい」


 男性は。


 銀色の鈴を手に取った。


 持ち手もない。


 子どもの掌に収まるほど小さい。


 振れば。


 澄んだ音が鳴る。


「これを、演習室のどこかへ置く」


 男性が言う。


「お前たち六人は、全員目隠しをする」


「全員?」


 土の少女が聞く。


「ああ」


「どうやって探すの?」


「それを考えろ」


 男性は。


 六本の紐を示す。


「さらに、六人の片腕を、この紐でつなぐ」


「動きにくくない?」


「動きにくくするためだ」


 風の少年が。


 少しだけ笑った。


「性格が悪い」


「褒め言葉として受け取ろう」


 男性は。


 全く動じない。


「制限時間は十五分。鈴を見つけ、六人全員が触れれば終了」


「一人が見つけるだけでは駄目なのですか」


 青髪の少女が尋ねる。


「駄目だ」


「魔術は?」


「使用を許可する」


 その瞬間。


 室内の空気が変わった。


 火。


 水。


 風。


 土。


 光。


 闇。


 目隠しをしたまま。


 互いの腕をつなぎ。


 魔術を使う。


 危険ではないのか。


 アリシアの不安を。


 男性は見抜いたらしい。


「当然、攻撃魔術は禁止する。結界も張る。危険があれば、教師が止める」


 それでも。


 簡単ではない。


「目的は?」


 光の少年が尋ねた。


「鈴を見つけることだ」


「その先です」


 男性は。


 光の少年を見る。


「教えると思うか?」


「思いません」


「なら聞くな」


「確認しただけです」


 柔らかな笑み。


 けれど。


 光の少年の目は。


 笑っていなかった。


 アリシアは。


 初めて。


 彼の笑顔が。


 優しいだけのものではないと感じた。


「どうする?」


 男性が。


 六人へ聞く。


「やるか?」


「やります!」


 赤髪の少年が。


 真っ先に答える。


「お前一人に聞いているんじゃない」


「でも、やるだろ?」


 赤髪の少年が。


 他の五人を見る。


 青髪の少女は。


 一度、目隠しと紐を確認した。


「拒否する理由はありません」


 風の少年は。


 椅子から立ち上がる。


「十五分で終わるなら」


 土の少女も。


 勢いよく立った。


「やる!」


 光の少年は。


 最後にアリシアを見る。


「君は?」


 また。


 選ぶ。


 怖い。


 目を隠す。


 人と腕をつなぐ。


 力を使う。


 知らない相手。


 狭くなる自由。


 もし。


 自分の影が。


 誰かの足へ絡んだら。


 誰かを転ばせたら。


 六人の動きを止めたら。


 逃げたい気持ちが。


 身体の中へ広がる。


 けれど。


 アリシアは。


 六つの椅子を見た。


 全員。


 立ち上がっている。


 自分だけが。


 座ったまま。


 待っている。


 急かす者はいない。


 赤髪の少年でさえ。


 今は何も言わない。


 アリシアが。


 自分で答えるのを待っている。


『嫌なら断りなさい』


 ノアが言った。


 昼休みと。


 同じ言葉。


『怖いだけなら、怖いまま決めなさい』


 アリシアは。


 椅子の縁へ手を置いた。


 立つ。


「……やります」


 声は。


 震えていた。


 それでも。


 言えた。


 赤髪の少年が笑う。


「よし!」


「声が大きいです」


「今くらいいいだろ!」


「耳元では叫ばないでください」


「分かった!」


「それが大きいのです」


 教師たちが。


 演習室の中央を空ける。


 椅子が。


 壁際へ移動されていく。


 六つの席。


 今は。


 誰も座っていない。


 だが。


 消えたわけではない。


 演習が終われば。


 また戻ってくる。


 六人分。


 最初から。


 そこにあったように。


 床の中央へ。


 六人が並ぶ。


 順番は。


 火。


 アリシア。


 光。


 水。


 土。


 風。


 教師が。


 一人ずつの左手首と。


 隣の者の右手首を。


 細い紐でつないでいく。


 きつすぎない。


 しかし。


 離れようとすれば。


 すぐに引かれる長さ。


 アリシアの左手は。


 火の継承者と。


 右手は。


 光の継承者とつながった。


「痛くないか?」


 赤髪の少年が聞く。


「……大丈夫」


「引っ張ったら言えよ」


「うん」


「僕も気をつけるね」


 光の少年が。


 反対側から言う。


 両側に。


 人がいる。


 近い。


 紐を通して。


 僅かな動きまで伝わる。


 赤髪の少年は。


 じっとしているつもりでも。


 身体が少しずつ動く。


 光の少年は。


 ほとんど動かない。


 対照的だった。


 教師が。


 目隠しを配る。


 黒い布。


 受け取った瞬間。


 アリシアの指が冷たくなった。


 目が見えなくなる。


 暗くなる。


 闇は。


 自分の力だ。


 それでも。


 望んで暗闇へ入ることは。


 怖い。


『私がいるわ』


 ノアが言った。


「見えるの?」


『あなたが目を閉じても、私の目まで閉じるわけではないもの』


「教えてくれる?」


『課題の意味がなくなるわね』


「……そうだよね」


『ただし』


 ノアの気配が。


 足元で。


 少し近くなる。


『危険があれば、私が止める』


「うん」


『それまでは、あなたたちでやりなさい』


 アリシアは。


 黒い布を目へ当てた。


 後頭部で結ぶ。


 光が消える。


 完全な暗闇。


 心臓の音が。


 急に大きくなる。


 隣で。


 赤髪の少年が布を結ぶ音。


 光の少年が呼吸を整える音。


 教師が歩く靴音。


 誰かが。


 台車を下げる音。


 全てが。


 目隠しをする前より。


 近く感じられた。


「全員、見えていないな」


 年配の男性が確認する。


「見えません!」


 赤髪の少年が答える。


「お前だけに聞いていない」


「でも、見えないのは同じだろ!」


「静かにしてください」


 青髪の少女の声。


「音が重要になる可能性があります」


「あ。そうか」


 赤髪の少年が。


 すぐに声を落とす。


 その変化に。


 アリシアは。


 少しだけ驚いた。


 聞かない人ではない。


 理解すれば。


 すぐに変えられる。


「これより」


 男性の声が。


 演習室のどこかから聞こえる。


 場所が分からない。


 壁へ反響し。


 広がっている。


「最初の課題を開始する」


 小さな鈴が鳴った。


 りん。


 澄んだ音。


 右。


 いや。


 左かもしれない。


 天井近く。


 遠い。


 音が。


 演習室全体へ反響する。


 次の瞬間。


 鈴の音は止まった。


「制限時間、十五分」


 男性が告げる。


「始め」


 誰も。


 すぐには動かなかった。


 六人の間に。


 目に見えない沈黙が落ちる。


 誰が。


 最初に声を出すのか。


 誰が。


 どちらへ進むのか。


 赤髪の少年の腕が。


 ほんの少し前へ動く。


 反対側では。


 風の少年が。


 何か言いかけている気配がした。


 アリシアは。


 暗闇の中。


 足元の影を感じた。


 六人分の足。


 紐。


 呼吸。


 鼓動。


 全員。


 ここにいる。


 たった一つの鈴へ。


 向かおうとしている。


 けれど。


 まだ。


 誰も一歩を踏み出していない。


「……まず」


 声が出た。


 自分の声だった。


 アリシア自身が。


 一番驚いた。


 五人の気配が。


 自分へ向く。


 目は見えない。


 それでも。


 分かった。


 喉が。


 急に乾く。


 続けなければ。


 何を言うつもりだったのか。


 考える。


 上手く言わなくていい。


 言葉が足りなければ。


 後から補えばいい。


「……まず、動かない方がいいと思う」


「どうして?」


 青髪の少女が。


 すぐに尋ねる。


 責める声ではない。


 理由を求める声。


「音を、聞きたいから」


「さっきの鈴?」


 土の少女が聞く。


「うん」


「もう鳴ってないよ」


「でも……」


 アリシアは。


 耳を澄ませた。


 鈴は鳴っていない。


 教師たちも。


 動いていない。


 演習室の外の音。


 遠くの訓練場。


 風。


 結界石の微かな振動。


 そして。


 自分たちの呼吸。


「さっき、反響した」


 アリシアは言う。


「場所が、分かりにくいように」


「最初の音を頼りに動くと、間違える可能性が高いですね」


 青髪の少女が続けた。


「なら、どうする?」


 赤髪の少年。


「魔術を使うんでしょう」


 光の少年が言う。


「攻撃以外なら」


「私、水を床に流せます」


 青髪の少女が。


 すぐに提案する。


「物に触れた位置を、揺れで探せるかもしれません」


「広さは?」


 風の少年が聞く。


「演習室全体は難しいです。薄く広げても、壁際まで届かないでしょう」


「風なら、もっと広く届く」


「鈴は鳴らせる?」


 土の少女が聞く。


「強く当てれば鳴るかもしれない。でも、教師や道具にも当たる。音が増えすぎる」


「土で床を揺らせば?」


「私たちも転ぶよ」


「そっか」


 意見が。


 続く。


 アリシアは。


 暗闇の中で。


 聞いていた。


 誰かが言う。


 誰かが足りないところを補う。


 否定して終わらない。


 では、どうするか。


 次へ進む。


「闇は?」


 風の少年が尋ねた。


 アリシアの身体が。


 僅かに強張った。


「影を伸ばして、探せない?」


「……できると思う」


「範囲は?」


「分からない」


「分からない?」


「広い場所で、目を隠して使ったことがない」


 正直に言った。


 沈黙。


 責められる。


 そう思った。


 だが。


「じゃあ、試してみようよ」


 土の少女が言う。


「無理なら、次を考えればいい」


「そうだな」


 赤髪の少年も。


 すぐに頷く。


「俺たちは動かない。お前だけ影を伸ばせるか?」


「……うん」


「何か触ったら教えて」


 光の少年の声。


「僕たちが動かない方が、影の感覚を邪魔しない?」


「たぶん」


「では、全員。呼吸もできるだけ静かに」


 青髪の少女が言った。


 風の少年が。


 小さく息を吐く。


「そこまで必要?」


「可能性があるなら、試します」


「分かった」


 五人が。


 静かになる。


 アリシアのために。


 声を止めた。


 動きを止めた。


 待っている。


 失敗するかもしれないのに。


 それでも。


 試せと言ってくれた。


『アリシア』


 ノアが。


 低く呼ぶ。


『広げなさい』


「……うん」


 アリシアは。


 足元へ意識を向けた。


 暗闇の中。


 自分の影が。


 ゆっくりと広がる。


 目で見えなくても。


 分かる。


 冷たい水のように。


 床の上を這う。


 最初に。


 六人の靴へ触れる。


 火。


 光。


 水。


 土。


 風。


 一人ずつ。


 形がある。


 動かず。


 待っている。


 影は。


 その足元を避けるように。


 さらに外へ伸びる。


 床。


 石の継ぎ目。


 壁際の台車。


 椅子。


 長机の脚。


 教師の靴。


 いくつものものへ触れる。


 情報が。


 一度に流れ込んでくる。


「……多い」


 アリシアの口から。


 小さな声が漏れた。


「何が?」


 赤髪の少年が。


 すぐに聞く。


「触るものが……多い」


「減らせる?」


 青髪の少女。


「分からない」


「なら、全部探さなくていい」


 風の少年が言う。


「鈴だけを探せばいい」


「形が、分からない」


「さっき見たでしょう」


「小さかった」


「丸い。金属。床に置けば、少し浮く形だった」


 青髪の少女が。


 正確に説明する。


「底面は完全な平面ではありません。縁だけが床へ触れるはずです」


「鈴の中には、小さな玉もある」


 光の少年が続ける。


「影で少し動かせば、鳴るかもしれない」


「なるほど!」


 土の少女が。


 思わず声を上げる。


 その振動が。


 紐を通して伝わる。


「ごめん、静かにする」


「大丈夫」


 アリシアは。


 答えた。


 影を。


 薄く。


 広く。


 触れたもの全てを知ろうとしない。


 小さい。


 丸い。


 縁だけが床へ触れる。


 中に。


 別の小さなものがある。


 探す。


 机の下。


 違う。


 壁際。


 武器立て。


 違う。


 教師の足元。


 違う。


 演習室の奥。


 結界装置の陰。


 影が。


 何かへ触れた。


 小さい。


 丸い。


 金属の冷たさは。


 影では。


 はっきり分からない。


 けれど。


 底の中央が。


 僅かに浮いている。


「……あったかも」


 アリシアが言う。


 五人の身体が。


 一斉に僅かに動く。


「どこ?」


「右……」


 答えかけて。


 迷う。


 目を隠している。


 自分の向き。


 演習室の向き。


 混乱する。


「私の右」


「先頭は誰?」


 風の少年が聞く。


「円につながってるから、先頭はない」


 土の少女。


「なら、向きを決めよう」


 青髪の少女が言う。


「アリシアが向いている方向を前とします。右側には光の継承者。左側には火の継承者。右へ進むなら、光が先導してください」


「分かった」


 光の少年が答える。


「アリシア。鈴まで、どれくらい?」


「……遠い」


「何歩?」


「分からない」


「ゆっくり進もう」


 光の少年の声は。


 穏やかだった。


「影はつないだままにできる?」


「できる」


「なら、鈴の位置を感じながら教えて」


「うん」


「全員。右へ一歩」


 青髪の少女が指示する。


「せーので動いた方がいいんじゃない?」


 土の少女が言う。


「では、数えます」


「もっと柔らかく言えない?」


 風の少年が呟く。


「必要ですか?」


「今はいい」


「一、二、三」


 六人が。


 同時に一歩動く。


 紐が。


 一斉に張る。


 赤髪の少年が。


 少し早い。


 風の少年が。


 半歩遅い。


 アリシアの両腕が。


 左右へ引かれる。


「痛っ」


 小さく声が漏れた。


「ごめん!」


 赤髪の少年が。


 すぐに謝る。


「次は合わせる」


「僕も遅れた」


 風の少年も言う。


「もう一度」


 青髪の少女。


「一、二、三」


 今度は。


 先ほどより揃う。


 一歩。


 止まる。


 影で。


 鈴の位置を確かめる。


「もう少し、右」


「斜め?」


 光の少年。


「……前も、少し」


「右斜め前ですね」


 青髪の少女が。


 言葉を整える。


「そこへ一歩」


 また。


 六人で動く。


 簡単ではない。


 誰かの歩幅が大きい。


 誰かが慎重になりすぎる。


 紐が張る。


 緩む。


 互いの腕へ。


 重さが伝わる。


「火、速い」


 風の少年が言う。


「名前で呼べよ!」


「今は役割の方が分かりやすい」


「そういう問題か?」


「赤髪でもいいけど」


「火でいい!」


「静かにしてください」


 青髪の少女。


「お前も水でいいのか?」


「構いません」


「じゃあ、水。次どうする?」


「アリシアが位置を確認します」


 アリシアは。


 少しだけ驚いた。


 自分の名前。


 その後に。


 全員が待つ。


 今。


 六人の中心にあるのは。


 闇の力だった。


 未知で。


 記録が少なく。


 怖がられてきた力。


 それを。


 五人が。


 当然のように頼っている。


 失敗するかもしれない。


 それでも。


 任せると言っている。


「……前」


 アリシアは。


 影の感覚を確かめた。


「今度は、まっすぐ」


「何歩くらい?」


「三……たぶん」


「一歩ずつ行こう」


 光の少年。


「全員、一歩」


 青髪の少女。


 六人が動く。


 一歩。


 鈴は。


 近い。


 もう一歩。


 影の先が。


 小さな金属へ触れている。


 あと一歩。


「待って」


 アリシアが言った。


 全員が。


 止まる。


「どうした?」


 赤髪の少年。


「前に、何かある」


「鈴以外?」


「大きい」


「障害物ですね」


 青髪の少女。


「形は?」


「細い……脚が四つ」


「机?」


 土の少女。


「たぶん」


「鈴は机の向こう?」


「下」


「机の下にあるの?」


「……うん」


 沈黙。


 ただ前へ進むだけでは。


 届かない。


 全員が。


 紐でつながっている。


 机の下へ。


 六人全員が入ることはできない。


「机を動かすか」


 赤髪の少年。


「攻撃魔術は禁止ですが、物を動かすことは禁止されていません」


 青髪の少女。


「土で床を盛り上げて、持ち上げる?」


 土の少女が言う。


「机ごと倒れるかもしれない」


 風の少年。


「じゃあ、風で押す?」


「向こう側に何があるか分からない」


「光で位置を照らすのは?」


「目隠しをしているので、僕たちには見えないよ」


「先生には見える」


「先生に見せてどうするの?」


「……確かに」


 意見が。


 ぶつかる。


 時間が過ぎる。


 どれくらい残っているのか。


 分からない。


 焦りが。


 紐を通して伝わる。


 赤髪の少年が。


 何度も足を動かしかける。


 青髪の少女の呼吸が。


 少し早くなる。


 土の少女は。


 指先で紐を触っている。


 風の少年は。


 黙っている。


 光の少年も。


 何か考えている。


 アリシアは。


 影で。


 机と鈴へ触れていた。


 机の脚。


 四本。


 鈴は。


 中央より少し奥。


 全員で触る必要がある。


 机を動かす。


 その必要があるのだろうか。


『アリシア』


 ノアが呼ぶ。


『課題は何?』


 鈴を見つける。


『その後は?』


 六人全員が触る。


『なら、鈴を出せばいいでしょう』


「……あ」


 声が出た。


「何か思いついた?」


 光の少年が聞く。


「鈴を……動かす」


「影で?」


「うん」


「できる?」


「分からない」


「また、それ?」


 風の少年の声。


 責めるようではなく。


 少し笑っている。


「なら、試せばいい」


 昼間。


 土の少女が言った言葉を。


 今度は風の少年が言った。


「無理なら、次を考える」


「……うん」


 アリシアは。


 影を。


 鈴の周囲へ集めた。


 壊さないように。


 包む。


 昼休み。


 石板を受け止めたときのように。


 力を入れすぎない。


 形を感じる。


 縁。


 空洞。


 中の玉。


 影の指で。


 持ち上げる。


 鈴が。


 机の脚へ触れた。


 りん。


 音が鳴る。


「聞こえた!」


 赤髪の少年。


「近い!」


 土の少女。


「静かに」


 青髪の少女が言うが。


 その声にも。


 僅かな喜びがあった。


 アリシアは。


 鈴を。


 机の下から引き出す。


 影の上を。


 滑らせるように。


 少しずつ。


 こちらへ。


 りん。


 りん。


 何度も。


 小さな音が鳴る。


 近づいてくる。


 六人の中央へ。


「来る」


 アリシアが言う。


「どこ?」


「足元」


「踏むなよ!」


「あなたが一番踏みそうです」


「水、ひどくないか?」


「事実です」


 鈴が。


 六人の輪の中央で止まった。


「触れる?」


 光の少年が聞く。


「うん」


「誰が一番近い?」


「アリシア」


「じゃあ、拾って」


「でも、全員が触らないと」


「一人ずつ渡せばいい」


 土の少女が言う。


「紐があるから、落とさないようにね」


「分かった」


 アリシアは。


 ゆっくり膝を曲げた。


 両腕がつながっている。


 左右の二人も。


 合わせて少し身体を下げる。


 影の位置を頼りに。


 手を伸ばす。


 指先へ。


 冷たい金属が触れた。


 鈴。


 見つけた。


 掴む。


 小さな音。


 りん。


「取った」


 アリシアが言った。


「よし!」


 赤髪の少年。


「まだです」


 青髪の少女。


「全員が触れないと」


「じゃあ、俺から!」


 赤髪の少年の手が。


 暗闇の中で動く。


「どこだ?」


「待って」


 アリシアは。


 鈴を。


 左手へ持ち替えようとした。


 けれど。


 左手首は。


 赤髪の少年の右手首とつながっている。


 動かしにくい。


「俺が近づける」


 赤髪の少年が。


 腕を緩める。


 二人の手が。


 暗闇の中で探り合う。


 指が。


 一度、触れる。


 アリシアの身体が。


 反射的に強張った。


「ごめん」


 赤髪の少年が。


 すぐに手を止めた。


「嫌だったか?」


「……びっくりしただけ」


「続けていい?」


 聞いてくれた。


 アリシアは。


 少しだけ息を整えた。


「うん」


 赤髪の少年の指が。


 ゆっくり近づく。


 今度は。


 急がない。


 鈴へ触れる。


「触った!」


「次は?」


 土の少女が聞く。


「順番に回すより、中央へ手を集めた方が早い」


 風の少年。


「全員でしゃがめる?」


「紐が絡まる可能性があります」


 青髪の少女。


「でも時間がないかも」


 光の少年。


「やろう!」


 土の少女が決める。


「全員、ゆっくりしゃがむよ!」


「指示を統一してください」


 青髪の少女。


「じゃあ、水が数えて!」


「分かりました。一、二、三」


 六人が。


 同時に膝を曲げる。


 肩がぶつかる。


 紐が。


 腕へ絡む。


「近い!」


「仕方ないでしょう!」


「誰の髪?」


「僕じゃない?」


「風だろ!」


「触らないで」


「見えないんだから分からないだろ!」


「静かに!」


「水も声が大きい!」


 混乱。


 それでも。


 誰も立ち上がらない。


 アリシアは。


 鈴を持った手を。


 中央へ出した。


「ここ」


 短く言う。


 最初に。


 光の少年の指が触れる。


「触った」


 次に。


 青髪の少女。


「確認しました」


 土の少女。


「あった!」


 風の少年。


「触れた」


 最後に。


 全員の指が。


 小さな鈴の周囲へ集まる。


 六つの手。


 重なり。


 触れる。


 アリシアの手も。


 その中にある。


 人の指。


 温度。


 緊張。


 汗。


 ほんの少しの震え。


 自分だけではない。


 誰かの手も。


 震えていた。


「全員!」


 赤髪の少年が叫ぶ。


 鈴が。


 六人の手の中で鳴った。


 りん。


 演習室へ。


 澄んだ音が広がる。


 その直後。


「終了」


 年配の男性の声がした。


 目隠しを外していい。


 そう言われ。


 六人は。


 同時に布へ手を伸ばした。


 だが。


 紐と。


 互いの腕が邪魔になり。


 また少し混乱する。


「待って、髪に絡んだ!」


「動くな!」


「誰の手ですか!」


「俺じゃない!」


「僕でもないよ」


「じゃあ誰!」


「六人しかいないけど」


 教師たちの中から。


 笑い声が漏れた。


 ようやく。


 目隠しを外す。


 光が。


 一気に戻る。


 眩しい。


 アリシアは。


 何度か目を瞬いた。


 目の前。


 六人全員が。


 床へしゃがみ込み。


 身体を寄せ合っている。


 腕は。


 紐でつながったまま。


 中央には。


 銀色の鈴。


 六人の手が。


 まだ触れていた。


 赤髪の少年が。


 アリシアのすぐ近くで笑っている。


 青髪の少女は。


 乱れた眼鏡を直していた。


 土の少女の髪は。


 少し崩れている。


 風の少年は。


 誰かに踏まれたらしい制服の裾を見ている。


 光の少年は。


 目隠しが首元へずれたまま。


 静かに息を吐いていた。


 全員。


 綺麗ではない。


 神器継承者らしい。


 厳かな姿でもない。


 ただ。


 床に集まり。


 一つの鈴へ触れている。


 年配の男性が。


 手元の時計を見た。


「十一分四十八秒」


「やった!」


 土の少女が声を上げる。


「十五分以内!」


「当然だ!」


 赤髪の少年が言う。


「途中で、あなたが何度も引っ張ったでしょう」


 青髪の少女。


「でも間に合った!」


「結果だけで全てを正当化しないでください」


「成功したんだからいいだろ!」


「改善点はあります」


「後で考えればいい!」


「今、考えるのです」


「お前、本当に真面目だな!」


「あなたが考えなさすぎるのです!」


 また。


 言い合いが始まる。


 アリシアは。


 その中で。


 手の中の鈴を見た。


 自分が見つけた。


 けれど。


 一人では終わらなかった。


 影で。


 鈴を運べた。


 だが。


 六人全員が触れなければ。


 課題は終わらない。


 誰か一人が。


 遠くに立ったままでも。


 終わらなかった。


「アリシア」


 光の少年が呼ぶ。


 アリシアは。


 顔を上げた。


「ありがとう」


「……私に?」


「君が見つけてくれたから」


「でも、みんなが……」


「うん」


 光の少年は。


 頷いた。


「みんなで見つけた。でも、君がいなければ、もっと時間が掛かった」


 赤髪の少年が。


 言い合いを止めて。


 こちらを見る。


「影、すごかったな!」


「……怖くなかった?」


 思わず。


 尋ねていた。


 赤髪の少年は。


 少し考える。


「暗くて見えなかった」


「そうじゃなくて」


「影を使ってたこと?」


「うん」


「便利だった」


 あまりにも簡単に言われ。


 アリシアは。


 言葉を失った。


「便利?」


「だって、見えないのに探せただろ」


「でも、闇は……」


「闇だから何だよ」


 赤髪の少年は。


 本当に分からない顔をした。


「使えた。見つけた。成功した。それでいいだろ」


「もう少し繊細な言い方はできないの?」


 風の少年が。


 立ち上がりながら言う。


「でも、間違ってはいない」


 彼は。


 アリシアへ目を向ける。


「僕も便利だと思った」


「あなたまで」


 青髪の少女が。


 小さくため息をつく。


「価値を便利の一言で終わらせないでください」


「じゃあ、水ならどう言うの?」


「暗闇と障害物のある状況で、闇の探索能力は非常に有効でした」


「長い」


「正確です」


「意味は便利と同じだよね」


「同じではありません」


「私はすごいと思ったよ!」


 土の少女が。


 アリシアの腕を取ろうとして。


 紐でつながっていることに気づく。


「もうつながってた」


「見れば分かるでしょう」


 青髪の少女。


「忘れてた」


「つい先ほどのことです」


「成功して嬉しかったから」


 土の少女は。


 全く悪びれずに笑う。


「影が、するって鈴を持ってきたとき、格好よかった!」


「……見えてなかったでしょう?」


「音で分かった!」


「音だけで格好よさが分かるの?」


 風の少年。


「分かるよ!」


「すごい能力だね」


「今、馬鹿にした?」


「少し」


「正直!」


 また笑いが起きる。


 アリシアは。


 五人を見た。


 誰も。


 影を怖いとは言わなかった。


 警戒していないわけではないだろう。


 知らない力。


 これから。


 危険な面を見ることもあるかもしれない。


 それでも。


 最初に。


 見つけたものは。


 便利。


 有効。


 すごい。


 格好いい。


 自分が。


 闇へ向けたことのない言葉ばかりだった。


「終わった気になるな」


 年配の男性の声が。


 六人の会話を止めた。


「課題には成功した」


 男性は。


 床にしゃがんだままの六人を見下ろす。


「だが、問題は多い」


 赤髪の少年が。


 少しだけ顔を引き締める。


「開始から最初の一分。誰も指揮を執らなかった」


 青髪の少女の表情が。


 僅かに曇る。


「途中から、水の継承者が指示を出した。判断は悪くない。だが、全体の合意を確認せず進めた場面がある」


「はい」


「火の継承者。歩幅を合わせろ」


「はい」


「土。感情が動きに出すぎる」


「はい……」


「風。考えていることを、もう少し早く言葉にしろ」


 風の少年は。


 一瞬、黙った。


「はい」


「光。周囲を優先しすぎるな。自分の意見を後へ回している」


 光の少年の笑顔が。


 ほんの少し薄くなった。


「はい」


「闇」


 アリシアの身体が。


 緊張する。


「最初の提案はよかった」


「……はい」


「探索も、鈴の移動も有効だった」


 褒められ。


 どう返せばいいのか分からない。


「だが」


 男性の声が。


 少し強くなる。


「分からない、と言いすぎる」


 胸へ。


 突き刺さる。


「分からないものを、分かったふりをする必要はない。だが、自分の感覚まで疑うな」


「……感覚」


「鈴を見つけたとき。お前は、あった、と言わず、あったかも、と言った」


「間違ってたら……」


「間違っていれば、修正すればいい」


 アリシアは。


 男性を見た。


「お前が自分の感覚を信じなければ、仲間は何を信じればいい」


 言葉が。


 胸の奥へ落ちる。


 自分の感覚。


 信じる。


 アリシアには。


 ずっと難しかったことだ。


 自分が見たもの。


 感じたもの。


 怖いと思ったこと。


 嫌だと思ったこと。


 助けたいと思ったこと。


 いつも。


 間違っているかもしれないと。


 先に疑った。


「すぐには無理です」


 アリシアは。


 正直に言った。


 男性は。


 僅かに眉を上げた。


「そうだろうな」


 否定されなかった。


「だが、覚えておけ」


「……はい」


「お前の影にしか見つけられないものがある」


 演習室が。


 静かになる。


「そのとき。お前が言わなければ、誰も知ることができない」


 アリシアは。


 自分の影を見た。


 床に。


 六人分の影が重なっている。


 夕方の光。


 高い窓。


 しゃがんだ身体。


 つながれた腕。


 それぞれの影は。


 境目が分からないほど混ざっていた。


「……はい」


 アリシアは。


 今度は。


 はっきり答えた。


 教師たちが。


 六人の紐を解いていく。


 手首が。


 自由になる。


 軽くなった。


 けれど。


 少しだけ。


 寂しいような感覚があった。


 つながれている間。


 誰かの動きが。


 常に伝わってきた。


 今は。


 隣にいても。


 触れない限り分からない。


「今日は、これで終了だ」


 年配の男性が告げる。


「来週からは、今回のような単純な課題では済まない」


「もっと難しくなるんですか?」


 土の少女が聞く。


「当然だ」


「楽しそう!」


「楽しむ余裕があればな」


「あります!」


「その自信が、いつまで続くか見ものだ」


 男性は。


 背後の教師たちへ目を向けた。


「次回までに、互いの能力について話し合っておけ」


「資料は?」


 青髪の少女が聞く。


「ない」


「記録を共有するための書式だけでも」


「ない」


「では、各自で作成してよいですか」


「好きにしろ」


 青髪の少女の目が。


 僅かに輝く。


 赤髪の少年が。


 嫌そうな顔をした。


「まさか、紙に書くのか?」


「当然です」


「話せばいいだろ」


「あなたの話は要点が抜けます」


「抜けたら聞けばいい!」


「最初から書けば、何度も聞く必要がありません」


「字を書くの苦手なんだよ!」


「知っています」


「なんで知ってるんだ!」


「以前、提出物を見ました」


「見るなよ!」


「掲示板に貼られていました」


「先生!」


 赤髪の少年が。


 教師へ訴える。


「なんで貼ったんですか!」


「字が読みにくい例としてだ」


「ひどくないですか!?」


「名前は隠した」


「俺の字って分かってるじゃないですか!」


 教師たちの何人かが。


 笑いを堪えている。


 重かった演習室の空気が。


 少しだけ緩む。


「解散」


 年配の男性が。


 短く告げた。


 六人は。


 壁際へ移動された椅子のところへ向かう。


 鞄を持つ。


 目隠し。


 紐。


 銀色の鈴。


 それらが。


 教師によって片づけられていく。


 アリシアは。


 自分が座っていた椅子を見た。


 最初は。


 五人の間にあることが怖かった。


 端がよかった。


 逃げられる場所がほしかった。


 けれど。


 今見ると。


 その椅子は。


 他の五つと。


 何も違わない。


 同じ木。


 同じ高さ。


 同じ形。


 特別に新しいわけでもない。


 急いで追加されたようにも見えない。


「帰るの?」


 土の少女が。


 隣へ来た。


「……うん」


「寮?」


「違う。おじいちゃんと住んでる」


「そうなんだ」


 土の少女は。


 少し考えたあと。


「じゃあ、次に会ったら、おじいちゃんの話を聞かせて」


「どうして?」


「さっき、少し嬉しそうな顔したから」


「……してない」


「してたよ」


「してない」


「してた」


「してない」


 同じ言葉を。


 繰り返す。


 土の少女は。


 楽しそうに笑った。


「言い返すんだね」


「……少し」


「いいじゃん」


 その横を。


 風の少年が通る。


「同じ言葉を繰り返す会話は、中身がないけどね」


「うるさい!」


「ほら。またそれ」


「じゃあ、何て言えばいいの!」


「考えれば?」


「あんたのそういうところが、すごく、すごく……」


「語彙が足りない?」


「腹立つ!」


「結局そこへ戻るんだ」


 二人が。


 先に扉へ向かう。


 赤髪の少年も。


 鞄を肩へ掛ける。


「来週、楽しみだな!」


「あなたは、反省点を忘れないでください」


 青髪の少女が。


 その後ろを追う。


「覚えてる!」


「何ですか」


「歩幅!」


「他にもあります」


「何だっけ」


「もう忘れているではありませんか!」


 声が。


 廊下へ消えていく。


 光の少年が。


 アリシアの近くへ残っていた。


「帰らないの?」


 アリシアが聞く。


「君が動かなかったから」


「私を、待ってた?」


「一人で帰りたいなら、先に行くけど」


 アリシアは。


 答えに迷った。


 一緒に帰る。


 途中まで。


 多分。


 帰る方向は違う。


 それでも。


 訓練棟を出るところまでは。


 同じ道だ。


「……途中まで」


「うん」


 光の少年は。


 柔らかく笑った。


 演習室を出る。


 廊下には。


 まだ何人かの生徒が残っていた。


 六人が出てくるのを待っていたらしい。


 赤髪の少年たちが。


 先に通ったため。


 すでに小さな騒ぎになっている。


「どうだった?」


「何したんだ?」


「神器、使ったのか?」


「目隠ししてたって本当?」


「誰が一番だった?」


 質問が。


 次々に飛ぶ。


 教師が。


 生徒たちを下がらせる。


 それでも。


 視線は。


 アリシアたちへ向いている。


「闇の子も出てきた」


「さっき鈴の音がしてたよな」


「影で探したらしい」


「見えないのに?」


「闇だから、暗い方が強いのかな」


「すごいな」


 すごい。


 その言葉が。


 聞こえた。


 アリシアは。


 歩きながら。


 ほんの少しだけ、顔を上げた。


 誰が言ったのかは。


 分からない。


 けれど。


 確かに。


 聞こえた。


 怖い。


 危険。


 呪われている。


 それ以外の言葉が。


 闇へ向けられている。


 廊下を抜ける。


 渡り廊下へ出る。


 夕方の空は。


 昼間より赤くなっていた。


 学園の屋根。


 訓練場。


 遠くの森。


 全てが。


 柔らかな橙色に染まっている。


「さっき」


 光の少年が言った。


「何?」


「嫌いなままにしたくないって言ってたね」


 アリシアは。


 少し身構えた。


「変だった?」


「ううん」


 光の少年は。


 前を向いたまま歩いている。


「いいと思った」


「……どうして?」


「好きだと言い切るより、本当だと思ったから」


「本当?」


「うん」


 白い髪が。


 夕方の光を受け。


 淡く金色に見える。


「自分の力を好きだと言わなければならないわけじゃない」


 光の少年は言った。


「嫌いだと思う日があってもいい。怖い日があってもいい」


「光の神器も?」


 アリシアが尋ねると。


 光の少年は。


 一瞬だけ。


 足を止めた。


 その横顔から。


 笑みが消える。


「もちろん」


 返ってきた声は。


 先ほどより低かった。


「光だから、誰にでも好かれると思う?」


「……思ってた」


「そうだよね」


 光の少年は。


 また歩き出した。


「僕も、ずっとそう思われてきた」


「違うの?」


「眩しいものは、目を焼くよ」


 アリシアは。


 何も言えなかった。


 優しい。


 穏やか。


 腹黒いところがあると。


 風の少年が以前、冗談めかして言っていた。


 けれど。


 今。


 隣にいる彼の声には。


 冗談ではない何かがあった。


「また今度、話すよ」


 光の少年は。


 いつもの柔らかな笑みを戻した。


「今日は、君の話をたくさん聞いたから」


「私の話……たくさん?」


「君にとっては、あれでも少なかった?」


「……多かった」


「なら、疲れたね」


「少し」


「甘いものを食べるといいよ」


 昼休みの少女と。


 同じことを言われた。


 アリシアは。


 机の中から鞄へ移した紙袋を思い出す。


「焼き菓子がある」


「いいね」


「ノアも食べたがってる」


『食べたがっていないわ』


 影の中から。


 すぐに抗議が飛ぶ。


 アリシアは。


 小さく言った。


「食べたいのに、食べたくないって言う」


『言っていない』


 光の少年が。


 声を抑えて笑う。


「仲がいいんだね」


「……そう見える?」


「うん」


『当然でしょう。私はこの子を誰より理解しているもの』


「ノアが、当然だって」


「そっか」


 光の少年は。


 影へ向かって。


 小さく頭を下げた。


「これから、よろしくお願いします」


『礼儀は悪くないわね』


「悪くないって」


「褒めてもらえたのかな」


「たぶん」


『たぶんではないわ。褒めているのよ』


「褒めてるって」


「ありがとう」


 光の少年が。


 もう一度、影へ微笑む。


 渡り廊下の終わり。


 通常校舎と。


 正門へ向かう道の分かれ目。


 光の少年は。


 寮へ戻るらしい。


 アリシアとは。


 ここで道が分かれる。


「じゃあ、また明日」


「……うん」


「来週の前に、能力の話をしないとね」


「私、説明が上手じゃない」


「今日、ちゃんと説明できてたよ」


「何を?」


「鈴の場所」


「少しだけ」


「最初は、それでいいんじゃないかな」


 光の少年は。


 手を上げた。


 大きく振らない。


 軽く。


 別れを示す。


 アリシアも。


 少し迷ったあと。


 手を上げた。


「また、明日」


 自分から言った。


 光の少年の目が。


 僅かに細くなる。


「うん。また明日」


 彼は。


 寮へ向かう道を歩いていく。


 アリシアは。


 正門へ向かった。


 夕方の学園。


 授業を終えた生徒たち。


 部活動の声。


 食堂から漂う香り。


 鐘楼の影。


 どれも。


 朝と同じ場所にある。


 けれど。


 少し違って見えた。


『どうだった?』


 ノアが聞く。


 教室の少女も。


 明日、同じことを聞くだろう。


 アリシアは。


 歩きながら考えた。


 怖かった。


 疲れた。


 赤髪の少年は。


 声が大きかった。


 青髪の少女は。


 言葉が正確だった。


 風の少年は。


 少し意地悪で。


 土の少女は。


 笑いすぎる。


 光の少年は。


 優しいだけではなかった。


 六人で。


 目隠しをした。


 腕をつないだ。


 鈴を探した。


 自分の影が。


 役に立った。


 みんなが。


 触れた。


 成功した。


「……うまく言えない」


『明日まで時間があるわ』


「忘れるかも」


『なら、覚えていることから話しなさい』


「何から?」


『一番、残ったこと』


 アリシアは。


 足を止めず。


 考えた。


 一番。


 残ったこと。


 演習室の中央。


 六人。


 暗闇。


 つながった腕。


 手の中の鈴。


 誰かの震え。


 自分の影。


 怖くないと言われたわけではない。


 それでも。


 使ってほしいと。


 頼られた。


「……私の影にしか、見つけられないものがあるって」


『ええ』


「先生が、言った」


『覚えているのね』


「うん」


 その言葉は。


 まだ。


 自分の中へ完全には馴染んでいない。


 けれど。


 消えずに残っている。


 影にしか。


 見つけられないもの。


 闇にしか。


 届かない場所。


 自分にしか。


 言えないこと。


 それが。


 本当にあるのかもしれない。


 正門を出る。


 学園の外。


 里へ続く道。


 夕暮れ。


 長く伸びた自分の影が。


 道の上を歩いている。


 その中に。


 ノアがいる。


 今日は。


 その影が。


 昨日までより。


 ほんの少しだけ。


 頼もしく見えた。


『アリシア』


「何?」


『あなた、今日。何回、自分から話したと思う?』


 アリシアは。


 数えようとした。


 最初に。


 動かない方がいいと言った。


 影を使うと答えた。


 鈴を見つけたと言った。


 怖いと。


 力を使いたいと。


 嫌いなままにしたくないと。


「……分からない」


『また、それ?』


「今度は、本当に分からない」


『なら、数えなくていいわ』


「ノアが聞いたのに」


『数を知りたかったわけではないもの』


「じゃあ、何?」


『自分から話せたことに、気づいてほしかっただけ』


 アリシアは。


 歩みを少し緩めた。


「……話せた?」


『ええ』


「上手じゃなかった」


『誰も上手さを聞いていないわ』


「止まった」


『待ってもらえたでしょう』


「間違えたかもしれない」


『修正すればいい』


 年配の男性と。


 同じ言葉。


 アリシアは。


 少しだけ笑った。


「ノア、聞いてたの?」


『私を誰だと思っているの』


「黒猫」


『神獣よ』


「毒舌の」


『余計な言葉を足さない』


「食いしん坊の」


『アリシア』


「焼き菓子、あげない」


『待ちなさい』


 すぐに返事が来る。


 アリシアは。


 今度は。


 声に出して笑った。


 道を歩く人が。


 一度、こちらを見る。


 以前なら。


 すぐに口を閉じただろう。


 けれど。


 今日は。


 少しだけ。


 そのまま笑えた。


 六つの席は。


 最初から並んでいた。


 自分が。


 そこに気づいていなかっただけ。


 座るのが怖くて。


 遠くから見ていただけ。


 けれど。


 今日。


 そこへ座った。


 目を閉じ。


 腕をつなぎ。


 六人で。


 一つの音を探した。


 まだ。


 仲間と呼べるかは分からない。


 友達とも。


 きっと違う。


 知らないことの方が多い。


 怖いところも。


 合わないところも。


 これから。


 たくさん見えるだろう。


 それでも。


 鈴へ伸ばした六人の手は。


 同じ場所にあった。


 暗闇の中でも。


 誰も。


 途中で紐を切らなかった。


 その事実だけで。


 今は。


 十分だと思えた。


 アリシアは。


 夕暮れの道を歩く。


 自分の影と。


 その影の中にいる黒猫と。


 紙袋の中の焼き菓子と。


 明日、話を聞いてくれる少女との約束。


 そして。


 来週。


 もう一度座ることになる。


 六つ目の席を胸に抱えて。


 ゆっくりと。


 家へ向かって歩いていった。

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