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『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第51話 調べていい境界



 翌朝。


 アリシアは、水音ではなく、鳥の声で目を覚ました。


 窓の外から、小さな鳴き声が聞こえる。


 高く、細く、少し頼りない声。


 昨日のような、深い井戸の底から響く水音ではなかった。


 それだけで、胸が少し軽くなる。


 アリシアは寝台の上でゆっくり体を起こし、胸元に手を当てた。


 痛みはない。


 冷えもない。


 胸の奥の深さも、昨日より少し浅い。


 完全に消えたわけではない。


 でも、沈み込み続けている感じはなかった。


「今日は少しましね」


 窓辺のノアが言った。


「うん。水音はしなかった」


「それをまず記録」


「うん」


 アリシアは机に向かい、練習帳を開いた。


『朝、水音なし。胸の奥の深さは昨日より弱い。痛み、冷えなし。鳥の声で起きた』


 書いてから、少し迷い、もう一行足す。


『第六支点という言葉はまだ気になる。でも、今日は急いで調べない』


 ノアが机に飛び乗り、練習帳を覗き込む。


「いいわ」


「本当?」


「ええ。気になるものを気になると書き、その上で急がない。かなり上出来」


「点数は?」


「朝だけなら九十六点」


「減点は?」


「第六支点って書いたところで、少し目が据わった」


「……そんな顔してた?」


「してたわね」


 アリシアは少しだけ頬を押さえる。


 自分では分からない。


 でも、ノアが言うならそうなのだろう。


 第六支点。


 その言葉は、昨日から胸の中に沈んでいる。


 水底に眠る名。


 闇だけではない。


 でも、闇と無関係でもない。


 ノアはそう言った。


 その意味を知りたい。


 すぐにでも。


 けれど、急いではいけない。


 水底に沈んでいる名を、急いで掬い上げない。


 昨日、自分で書いた。


「今日は、調べていい範囲を確認する」


 アリシアが言うと、ノアは頷いた。


「そうね。調べるな、ではない。勝手に深く潜るな、よ」


「うん」


「第六支点という言葉が出た以上、何も調べないのも不自然。でも、封印資料や上級資料室に勝手に近づくのは駄目」


「グラン先生か司書さんに確認する」


「よろしい」


 アリシアは制服に着替えた。


 鏡の前に立つ。


 黒髪。


 黒い瞳。


 少しだけ緊張している顔。


 でも、昨日のように沈んだ顔ではない。


「背筋」


 ノアが言う。


 アリシアは背筋を伸ばす。


「今日は、境界を見る」


「境界……」


「調べていいこと。まだ駄目なこと。聞いていいこと。待つこと。そこを間違えない」


「うん」


 ◇


 廊下へ出ると、メリルが待っていた。


「おはよう、アリシアちゃん」


「おはよう、メリルさん」


 メリルはすぐにアリシアの顔を見る。


「今日は少し大丈夫そう?」


「うん。水音はしなかった。胸の奥も昨日より少し浅い」


「よかった」


 メリルは心からほっとしたように笑った。


 その笑顔を見ると、アリシアの胸も少し温かくなる。


「今日は、第六支点について……調べていい範囲を確認したいと思ってる」


「うん。いいと思う。勝手に調べるんじゃなくて、先生や司書さんに聞くんだよね?」


「うん」


「なら大丈夫」


 二人と一匹で廊下を歩く。


 朝の寮はいつも通りだった。


 昨日までより少しだけ、アリシアの周囲を見る視線も落ち着いている。


 六人合同訓練の噂も、少しずつ日常に溶け始めているのかもしれない。


 だが、アリシアの中では、新しい言葉が静かに重さを持っている。


 第六支点。


 その言葉を、今は胸の奥の棚に置いておく。


 落とさない。


 抱きしめすぎない。


 持ち運ぶ。


 食堂へ入ると、いつもの席はもう賑やかだった。


 レオンがパンを手に、真剣な顔で何かを語っている。


「つまり、声量も筋肉と同じで鍛えれば調整できるはずだ!」


 シオンが眠そうに返す。


「たぶん違う」


 リーネが眼鏡を押し上げる。


「声量調整は筋肉だけではありません。呼吸、意識、場の把握が必要です」


「なるほど!」


 レオンは本気で頷く。


 ミランダが笑っている。


 ガレスもなぜか一緒に頷いている。


「声量も鍛錬か……」


「ガレス君まで……」


 メリルが苦笑する。


 アリシアは席に座りながら、小さく笑った。


 その笑いに、シオンが気づく。


「今日は少し顔が軽いね」


「水音、なかったので」


 アリシアがそう言うと、食卓の空気が少し落ち着いた。


 リーネがすぐに手帳を開きかける。


 しかし、アリシアは先に言った。


「朝の記録はしました。胸の奥も昨日より浅いです。痛み、冷えなし」


 リーネは手を止め、満足そうに頷いた。


「自己報告が簡潔です。良いです」


「リーネさんに褒められた」


 シオンが言う。


「珍しい?」


「いえ。適切な行動は評価します」


 レオンが力強く頷く。


「よかったな、アリシア!」


「はい」


 ルシアンも席にやって来た。


「おはようございます」


 全員が挨拶を返す。


 ルシアンはアリシアを見て、少しだけ表情を柔らかくした。


「昨日より顔色が良いですね」


「はい。水音はありませんでした」


「それはよかった」


 彼はそれ以上、踏み込まなかった。


 アリシアはその距離に少し安心する。


 朝食を取りながら、アリシアは全員に今日の方針を伝えた。


「第六支点について、調べていい範囲を確認しようと思います。勝手に資料を探したりはしません」


 リーネはすぐに頷く。


「妥当です。調査許可範囲の確認は必要です」


 シオンが言う。


「境界線を先に引くってことだね」


「うん」


 ミランダが少し不安そうに聞く。


「でも、調べちゃだめって言われたら?」


 アリシアは少し考える。


「その時は……今は待つ。調べていい別のことがあるか聞く」


 ルシアンが静かに言った。


「直接見られないものでも、周辺情報を確認することはできます。五大国共同承認の制度や、古い結界修復の一般的な仕組みなど」


 リーネの目が光った。


「周辺情報。確かに可能です」


 シオンがパンをかじりながら言う。


「封印された扉は叩かない。扉の周りを見る、だね」


 アリシアは頷いた。


「うん。扉の周りを見る」


 ノアが椅子の上で言う。


「パン」


「あ……」


 アリシアは慌ててパンをちぎる。


 少し崩れた。


「八十一点」


「第六支点の話をしながらだから……」


「言い訳しない」


「はい……」


 そのやり取りに、ミランダが笑い、レオンが真剣にパンのちぎり方を見ていた。


 ◇


 生活基礎の授業では、セリア先生が黒板にこう書いた。


『境界線を決める』


 アリシアは、思わずペンを握り直した。


 また、今日必要な言葉だった。


 セリア先生は穏やかに話し始める。


「何かを知りたい時、どこまで踏み込んでよいのか分からなくなることがあります。学びたい。確かめたい。役に立ちたい。そう思うほど、境界線が曖昧になることがあります」


 アリシアはノートに書く。


『知りたいほど、境界線が曖昧になる』


 まさに今の自分だ。


 第六支点を知りたい。


 水音の意味を知りたい。


 隠れ里の泉との関係を知りたい。


 でも、知りたい気持ちがあるからこそ、線を引かなければならない。


「境界線には、いくつか種類があります。自分の心を守る線。相手の事情を尊重する線。安全のための線。許可が必要な線」


 セリア先生は、黒板に四つの項目を書いた。


『心』

『相手』

『安全』

『許可』


「調べ物でも、人間関係でも、訓練でも同じです。自分が知りたいからといって、すべてを聞いていいわけではありません。自分ができそうだからといって、すべてを試していいわけでもありません」


 アリシアは、封印行を思い出した。


 見たい。


 知りたい。


 触れたい。


 でも、触れなかった。


 今度は、第六支点。


 調べたい。


 知りたい。


 行きたい。


 でも、境界が必要。


「境界線を決める時は、自分一人で決めず、信頼できる人に確認することも大切です」


 アリシアは強く頷いた。


 グラン先生。


 マリナ先生。


 司書。


 ノア。


 仲間たち。


 一人で線を引かなくていい。


 班練習では、「知りたいことがあるが、許可が必要な場合」をテーマに話し合った。


 メリルが言う。


「まず、誰に聞けばいいか確認する」


 トマが続ける。


「勝手に探さない」


 ミーナが言う。


「聞き方も大事ね。『教えてください』じゃなくて、『確認できる範囲はありますか』とか」


 アリシアはそれをノートに書いた。


「確認できる範囲……」


「アリシアちゃん、今日使いそう?」


 メリルが小声で聞く。


「うん。司書さんに聞く時、そう言う」


「いいと思う」


 アリシアは小さく頷いた。


 ◇


 戦闘基礎では、エレナ教官が「線を越えない訓練」を行った。


 床に白い線が引かれる。


 その線より前に出てよい時と、出てはいけない時がある。


 合図を見て、線の手前で止まる。


 あるいは、線を越えて動く。


 単純だが、焦ると間違える。


 エレナ教官は言った。


「戦いで境界を誤る者は、自分だけでなく味方を危険にする。入っていい場所と、まだ待つ場所を見極めろ」


 アリシアは木刀を握る。


 今日の授業も、生活基礎とつながっている。


 境界線。


 許可。


 踏み込み。


 待つこと。


 訓練が始まる。


 赤札なら線を越える。


 青札なら線の手前で止まる。


 白札なら声だけ。


 カイルがわざと隙を作る。


 赤札ではない。


 アリシアは線の手前で止まる。


 ミーナの槍が戻り遅れる。


 入りたい。


 でも青札。


 止まる。


 メリルが後ろで風の準備をしている。


 白札。


「メリルさん、右が空きます」


「うん」


 声だけ。


 エレナ教官が頷く。


「いい。境界を見ている」


 アリシアは息を吐いた。


 何度か成功した後、一度だけ失敗した。


 赤札を見た瞬間、前へ出たが、足が線を大きく越えすぎた。


 エレナ教官の声が飛ぶ。


「深い」


「はい」


「越えることと、踏み込みすぎることは違う」


「はい」


「線を越えても、戻れる位置を残せ」


 その言葉に、アリシアは深く頷いた。


 調査も同じだ。


 許可された範囲で踏み込んでも、戻れる位置を残す。


 戻れないほど深く入らない。


 授業後、エレナ教官はアリシアを呼んだ。


「第六支点の件、聞いた」


「はい」


「今日、何をするつもりだ」


「司書さんかグラン先生に、調べていい範囲を確認します。勝手に資料は探しません。中央塔地下や上級資料室にも行きません」


 エレナ教官は短く頷いた。


「よし」


「それだけですか?」


「それだけで十分だ」


 少し沈黙。


 エレナ教官は低く言った。


「知りたい時ほど、足が前に出る。今日は線を見ろ」


「はい」


 アリシアは木刀を握り直した。


 ◇


 昼食後。


 アリシアは図書館へ向かった。


 今日は、メリルだけでなく、リーネ、シオン、ミランダ、レオン、ルシアンも一緒だった。


 全員が自然について来た。


 アリシアは少し戸惑う。


「あの……みんな、授業とか大丈夫?」


 レオンが答える。


「今日は午後の属性基礎まで空いてる!」


 ミランダも頷く。


「私も!」


 リーネが言う。


「私は調査班です」


 シオンが肩をすくめる。


「流れで」


 ルシアンは静かに微笑む。


「第六支点という言葉は、五属性候補にも関係があるかもしれません。確認できる範囲で同席します」


 アリシアは少しだけ胸が温かくなった。


 怖いことへ向かう時、自分一人ではない。


 それが当たり前になりつつあることに、まだ慣れない。


 でも、ありがたかった。


 図書館に入ると、司書はすでにカウンターで待っていた。


 まるで、来ることを分かっていたように。


「皆さん、お待ちしていました」


 リーネが軽く頭を下げる。


「第六支点に関する調査許可範囲を確認したく参りました」


 シオンが小声で言う。


「リーネが代表みたい」


「実務上、適任です」


 司書は静かに頷いた。


「来ると思っていました。ちょうど、マリナ先生とグラン先生から共有できる範囲が届いています」


 アリシアの胸が跳ねる。


 共有できる範囲。


 つまり、話せることがある。


 司書は閲覧席ではなく、小さな相談席へ案内した。


 そこは図書館の端にある、声が広がりにくい場所だった。


 七人と一匹が座るには少し狭い。


 レオンは椅子を引く時に音を立てかけ、リーネに睨まれて静かに座った。


 司書は一枚の紙を机に置いた。


「まず、確認です。第六支点という言葉について、現時点で詳細な資料の閲覧はできません」


 アリシアは頷いた。


「はい」


「ただし、一般情報として確認できる範囲があります」


 リーネが手帳を構える。


 司書は続けた。


「一つ。五大国中心地の結界は、現在、五属性支点で構成されています。これはすでに皆さんが確認済みですね」


「はい」


「二つ。古い結界修復記録の中に、第六支点という語が存在しました。ただし、その役割、位置、属性、実在性は未確定です」


 未確定。


 アリシアは胸の奥を確認する。


 深くなる。


 でも、痛みはない。


 ノアが足元で言う。


「息」


 アリシアは呼吸を整えた。


 司書は視線だけでそれを確認し、続ける。


「三つ。その記録の近くに、水路、深部、保持、修復という語が見られました」


「水路……」


 アリシアの声が小さく漏れた。


 水音。


 水路。


 深部。


 保持。


 修復。


 隠れ里の神泉を思い出す。


 すべての神器と神獣を修復・回復させるもの。


 胸の奥が、また少し深くなる。


 司書は言った。


「ここで止めます。アリシアさん、体調は?」


「胸の奥が少し深くなりました。水音は……今はありません。痛み、冷えなし」


「記録します」


 リーネも手帳に書く。


 ルシアンが静かに言った。


「第六支点が水に関わるなら、闇だけの話ではないというノアちゃんの反応とも一致するかもしれませんね」


 ノアは普通の猫のふりをしている。


 アリシアは少しだけ緊張したが、ルシアンはそれ以上踏み込まなかった。


 シオンが頬杖をつく。


「水路、深部、保持、修復。支点っていうより、保管場所とか補助装置っぽい響きだね」


 リーネが頷く。


「可能性はあります。支点という語が、五属性支点と同じ意味とは限りません」


 ミランダが首を傾げる。


「でも、第六ってことは、六つ目なんだよね?」


 司書は慎重に答えた。


「数としてはそう読めます。ただし、五属性に並ぶ六番目なのか、別系統の第六設備なのかは不明です」


 レオンが腕を組む。


「難しいな!」


「はい」


 リーネが即答する。


 少しだけ場が緩んだ。


 アリシアはその空気に助けられる。


 司書は続けた。


「現時点で調べてよい範囲は、古い結界修復の一般論、学園地下水路の公開情報、五大国中心地の地形概要です。第六支点そのものの詳細資料、封印行、上級資料室奥の記録は閲覧不可です」


 リーネが整理する。


「調査可能範囲。一般結界修復、公開地下水路、中心地地形概要。調査不可範囲。第六支点詳細、封印行、上級資料室奥記録」


「その通りです」


 アリシアは、胸の中で線が引かれるのを感じた。


 調べていいこと。


 まだ駄目なこと。


 境界が見える。


 少しだけ安心した。


「ありがとうございます」


 アリシアが言うと、司書は穏やかに頷いた。


「あなたが自分から境界を確認しに来たことは、とても良い判断です」


 アリシアは少し顔が熱くなった。


 レオンが嬉しそうに言う。


「よかったな、アリシア!」


 ミランダも頷く。


「うん!」


 シオンが小さく笑う。


「ちゃんと扉を叩かずに、扉の前で許可を聞けたね」


 リーネが真面目に書く。


「扉の前で許可を聞く。良い表現です」


「それも記録?」


「はい」


 ルシアンは静かにアリシアを見た。


「今日は、かなり大きな一歩ですね」


 アリシアは少し迷ったが、頷いた。


「はい。怖かったけど……聞けてよかったです」


 ◇


 その後、リーネの提案で、調べてよい範囲だけを扱うことになった。


 最初は「古い結界修復の一般論」。


 司書が用意してくれた入門書を開く。


 五属性支点が劣化した時、魔力の流れを一時的に迂回させる補助線を使うこと。


 地脈と水脈が結界安定に関わること。


 結界深部には、過去の修復履歴が魔力残響として残る場合があること。


 アリシアは「水脈」という言葉で少し胸が反応したが、落ち着いて記録できた。


 次に、公開情報としての学園地下水路。


 学園の中心地には古い水路がある。


 現在はほとんど使われていないが、結界冷却や水属性支点の補助に関わる部分があるらしい。


 ただし、地下水路への立ち入りは禁止。


 管理者許可が必要。


 リーネはすぐに書いた。


『地下水路立ち入り禁止。調査対象だが現地確認不可』


 シオンが言う。


「行くなって線がまた増えたね」


 アリシアは頷く。


「うん。行かない」


 レオンが力強く言う。


「もし行きそうになったら止める!」


「ありがとう」


 ミランダも手を上げる。


「私も!」


 ルシアンが穏やかに言う。


「行かないための連携ですね」


 その言葉に、アリシアは少し笑った。


 行くための連携だけではない。


 行かないための連携。


 それも大事だ。


 ◇


 夕方。


 図書館を出る頃には、アリシアはかなり疲れていた。


 ただ、昨日のような沈み込む疲れではない。


 境界を確認し、調べていい範囲を知った疲れ。


 頭はいっぱいだが、胸は少し整理されている。


 メリルが隣で言う。


「今日はよく聞けたね」


「うん……怖かったけど、聞けてよかった」


「第六支点、少し形が見えた?」


「ううん。まだ見えない。でも、周りの地面が少し見えた感じ」


「周りの地面?」


「どこに立っていいか、少し分かった」


 メリルは嬉しそうに笑った。


「それ、大事だね」


 ノアが足元で言った。


「九十八点」


「今?」


「今日の途中採点よ」


「減点は?」


「水路って聞いた時、目が少し泳いだ」


「う……」


「でも戻った」


「うん」


 寮へ戻る道で、アリシアは中央塔の方を見た。


 地下水路。


 水脈。


 深部。


 保持。


 修復。


 その言葉たちが胸の奥で静かに並んでいる。


 行きたい気持ちは、まだ少しある。


 けれど今日は、線がある。


 立ち入り禁止。


 管理者許可が必要。


 今は資料で調べる。


 それでいい。


 ◇


 夜。


 アリシアは練習帳を開いた。


『今日は、第六支点について調べていい範囲を確認しました。詳細資料、封印行、上級資料室奥の記録は閲覧不可。調べていいのは、古い結界修復の一般論、学園地下水路の公開情報、五大国中心地の地形概要です』


 続ける。


『古い結界修復では、地脈や水脈が結界安定に関わることがあるそうです。結界深部には、過去の修復履歴が魔力残響として残る場合があるそうです。学園には古い地下水路がありますが、立ち入りは禁止です』


 さらに書く。


『第六支点の記録の近くには、水路、深部、保持、修復という語があったそうです。胸の奥が少し深くなりました。でも、水音はありませんでした。痛み、冷えもありません』


 アリシアはペンを止めた。


 今日、一番大事だったことを書く。


『調べていいことと、まだ駄目なことの境界が見えました。全部を知れたわけではありません。でも、どこに立てばいいか少し分かりました』


 ノアが机の上に飛び乗る。


「今日は?」


 アリシアが聞くと、ノアは少し考えた。


「九十九点」


「高い……!」


「境界を確認できた。調べたい気持ちを隠さなかった。地下水路へ行かないと決めた。周辺情報を調べる方法に切り替えた」


「減点は?」


「地下水路って聞いた時、ちょっと行きたそうだった」


「……うん」


「でも、行かないと書いた」


「うん」


「だから九十九点」


 アリシアは小さく笑った。


 ノアは練習帳を見つめる。


「最後に書くなら?」


 アリシアは少し考えた。


 境界。


 水脈。


 第六支点。


 立ち入り禁止の地下水路。


 調べていい本。


 まだ見てはいけない資料。


 それらを思い浮かべながら、一行を書いた。


『境界があるから、私は迷わず立ち止まれる』


 ノアはその一文を見て、静かに頷いた。


「いいわ」


 夜は静かだった。


 水音は聞こえない。


 胸の奥の深さも、今は少し落ち着いている。


 第六支点の真相は、まだ水底に沈んでいる。


 けれど、アリシアは今日、その岸辺に立つための線を見つけた。


 まだ潜らない。


 まだ掬い上げない。


 ただ、岸辺に立ち、静かに水面を見る。


 それが、今の自分に許された調査だった。

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