第46話 継続される合同授業
翌朝、アリシアは練習帳を閉じるのに少し時間がかかった。
昨日の最後の一文が、まだ胸の中に残っている。
『怖さの中に楽しいがあっても、私はそれをなかったことにしない』
怖い。
楽しい。
その二つが一緒にあることを、アリシアはまだうまく受け止めきれていなかった。
怖いものは怖いだけ。
楽しいものは楽しいだけ。
ずっとそう思っていた。
けれど、合同授業は違った。
呼ばれた時は怖かった。
観察対象という言葉は痛かった。
五属性候補たちと並ぶことも、教師たちに見られることも、胸が縮むほど怖かった。
でも、木刀を握った時、少しだけ世界が変わった。
シオンの入りたい場所が見えた。
ミランダの戦槌の戻りが見えた。
ルシアンの整った形が崩れる瞬間が見えた。
六人で魔導人形を相手にした時、五つの属性の隙間に入った。
レオンの前進を支え、ミランダの右を補い、リーネの水膜に合わせ、シオンの風の道を作り、ルシアンの光が示した薄い場所を進路に変えた。
怖かった。
でも、確かに楽しかった。
そのことを、昨日は練習帳に書けた。
それだけで、自分が少し変わったような気がする。
「朝からまた読み返してる」
ノアが机の上で言った。
アリシアは顔を上げる。
「うん……この一文、まだ不思議で」
「怖さと楽しさが一緒にあること?」
「うん」
「慣れなさい」
「慣れるものなの?」
「慣れるわ。戦いも、調査も、人付き合いも、だいたい一色ではないもの」
一色ではない。
その言葉に、アリシアは窓の外を見た。
朝の空は白く、薄い青が混ざっている。
完全な白でも、完全な青でもない。
夜と朝の境界もそうだった。
光と闇も。
怖さと楽しさも。
きっと、ひとつの色だけではない。
「今日は、合同授業の結果について連絡があるかも」
アリシアが言うと、ノアは尻尾を揺らした。
「あるでしょうね」
「ノア、分かるの?」
「昨日あれだけ教師たちが記録していたのよ。何もないわけがない」
「継続……かな」
「可能性は高いわね」
アリシアの胸が小さく跳ねる。
継続。
また、六人で動くかもしれない。
また、見られるかもしれない。
また、楽しいと思ってしまうかもしれない。
怖い。
けれど、嫌ではない。
その自分の反応に、アリシアは少し戸惑った。
「行きたいの?」
ノアが聞いた。
アリシアはすぐには答えられなかった。
でも、ノアには隠せない。
「……少し」
「怖いのに?」
「うん」
「なら、そのまま記録しなさい。怖いけど少し行きたい。今はそれでいい」
「うん」
「ただし、浮かれない」
「うん」
「六人目だの何だの、名前を急いで受け取らない」
「うん。空欄にしておく」
「よろしい」
アリシアは練習帳を閉じ、制服に着替えた。
鏡の前に立つ。
黒髪。
黒い瞳。
まだ不安そうな顔。
でも、少しだけ昨日より顔を上げられている。
「背筋」
ノアが言う。
アリシアは背筋を伸ばした。
「今日は、怖いけど少し行きたい、を隠さない」
「うん」
扉が叩かれた。
「アリシアちゃん、おはよう」
メリルの声。
アリシアは扉を開ける。
「おはよう、メリルさん」
メリルはアリシアの顔を見ると、少し安心したように笑った。
「今日は昨日より落ち着いてるね」
「うん……少し」
「合同授業のこと、まだ考えてた?」
「うん。怖かったけど、楽しかったこと」
アリシアがそう言うと、メリルは嬉しそうに目を細めた。
「その言い方、いいね」
「いい?」
「うん。怖かったけど、楽しかった。どっちも本当って感じがする」
「うん……どっちも本当」
二人と一匹で廊下を歩く。
昨日より、視線は少し落ち着いていた。
もちろん、まだ見られている。
黒猫を連れた黒髪の少女。
昨日の合同授業に呼ばれた少女。
特殊魔力反応の少女。
けれど、昨日ほど刺さる感じはなかった。
アリシア自身が、少しだけ受け取り方を変えられたのかもしれない。
全部の視線が悪意ではない。
全部の視線に答える必要もない。
そう思いながら、食堂へ向かった。
食堂では、いつもの席にガレスとミランダがいた。
そして今日は、リーネとシオンも先に来ていた。
「おはようございます」
リーネが手帳から顔を上げる。
「おはようございます」
シオンは片手を軽く上げた。
「おはよう」
「おはようございます」
ガレスが身を乗り出す。
「アリシア! 今日、合同授業の連絡あると思うか?」
「分からないけど……あるかも」
「あるといいな!」
ガレスの目は輝いている。
ミランダも頷く。
「私もまたやりたい! 昨日、最後みんなで円に入れたの、すごく嬉しかった!」
リーネは冷静に言う。
「継続されるなら、課題整理が必要です。初回は偶発的成功も含まれています」
シオンがパンをちぎりながら言った。
「リーネ、朝から真面目すぎ」
「必要です」
「まあ、継続はありそうだよね。先生たち、かなり見てたし」
アリシアは席に座りながら、パンに手を伸ばした。
今日は、手があまり震えない。
ノアが椅子の上で見ている。
アリシアはパンを大きめにちぎった。
「九十一点」
ノアが小さく言った。
アリシアは少し嬉しくなる。
ミランダが不思議そうに聞く。
「アリシア、今ちょっと嬉しそうだった?」
「あ、パンが……今日はうまくちぎれたなって」
「パン?」
ガレスが真剣にパンを見る。
「確かにいい大きさだ!」
シオンが呟く。
「そこ褒めるんだ」
メリルが小さく笑った。
朝食の空気は、昨日より少し柔らかかった。
合同授業の話題は出る。
けれど、それはただの噂ではなく、六人の共有した経験として語られている。
アリシアはそれが少し嬉しかった。
自分だけが見られる話ではない。
六人で動いた話。
全員で成功した話。
その中に自分もいる。
食事の途中、ルシアンが食堂へ入ってきた。
今日も白い髪が朝の光を受けて目立つ。
何人かの生徒が自然に視線を向ける。
彼はトレーを持ち、少し周囲を見てから、アリシアたちの席へ歩いてきた。
「皆さん、おはようございます」
ガレスが元気よく言う。
「おはよう、ルシアン!」
ミランダも手を振る。
「おはよう!」
リーネは頷き、シオンは軽く手を上げる。
アリシアも少し遅れて言った。
「おはようございます」
ルシアンは穏やかに微笑む。
「少しだけ同席しても?」
席には一つ空きがあった。
一瞬、アリシアの胸が固くなる。
でも、ルシアンは昨日、自分の空欄を勝手に埋めないと言った。
今は、距離を測る練習でもある。
リーネが答えた。
「構いません。ただし、合同授業の内容については話せる範囲で」
「もちろんです」
ルシアンは席に座った。
六人のうち五人が食堂に揃った形になる。
レオンだけはいない。
火属性の朝練でもあるのかもしれない。
ルシアンは静かに言った。
「昨日の合同授業について、光属性担当から簡単な所感を聞きました。継続の可能性が高いそうです」
アリシアの胸が跳ねる。
ガレスが喜ぶ。
「やっぱりか!」
「まだ正式決定ではありません」
リーネが即座に釘を刺す。
ルシアンは頷く。
「その通りです。ただ、教員側としては、昨日の連携は想定以上に収穫があったようです」
シオンが言う。
「収穫ねえ」
「特に、役割の隙間をどう補うかという点で」
ルシアンの視線がアリシアへ向いた。
アリシアは少し緊張する。
だが、ルシアンはすぐに視線を全体へ戻した。
「全員の動きが関係していたと思います。誰か一人の成果ではなく」
その言い方に、アリシアは少し息を吐いた。
自分だけを持ち上げる言い方ではなかった。
六人全員。
それなら受け取りやすい。
リーネが頷く。
「同意します。最終進路の形成は、レオンの正面圧、ミランダの右側支援、シオンの左側流路、私の足元調整、ルシアンの検知、アリシアさんの位置取りが重なった結果です」
「朝食中に完全分析しないでよ」
シオンが言う。
「簡易分析です」
「簡易とは」
メリルがくすりと笑う。
アリシアも少し笑った。
この場にルシアンがいても、息苦しさだけではない。
少し緊張する。
でも、会話はできる。
それが分かった。
生活基礎の授業では、セリア先生が「継続する予定への心構え」について話した。
黒板にはこう書かれていた。
『一度できたことを、次も同じようにできるとは限らない』
アリシアはすぐにノートを開いた。
セリア先生は言う。
「何かが一度うまくいくと、次も同じようにできると思いたくなります。ですが、状況、体調、相手、場所が変われば、結果も変わります」
昨日の合同授業。
成功した。
でも、次も成功するとは限らない。
むしろ、二回目の方が緊張するかもしれない。
期待が生まれるから。
周囲の目が変わるから。
自分も、できるはずだと思ってしまうから。
「大切なのは、成功をなかったことにしないこと。そして、成功にしがみつかないことです」
成功をなかったことにしない。
でも、しがみつかない。
怖さと楽しさと同じだ。
どちらもある。
でも、片方に飲まれない。
班練習では、「前回成功した練習をもう一度行う時、何に気をつけるか」を話し合った。
アリシアはメリル、トマ、ミーナと同じ班。
トマが言う。
「前回できたからって、油断しない」
ミーナが続ける。
「前回と同じ条件か確認する」
メリルがアリシアを見る。
「アリシアちゃんは?」
アリシアは少し考えた。
「前回の楽しかった気持ちを消さない。でも、それで前に出すぎない。あと……次も同じ役割とは限らないから、場を見る」
ミーナが頷く。
「良いわね」
トマも笑う。
「アリシア、本当に整理上手くなったな」
「まだ、ノート見ないと難しいけど」
「それでもだよ」
アリシアは少し照れた。
戦闘基礎では、エレナ教官が昨日と同じように「基礎を崩すな」と言った。
今日は通常訓練。
だが、アリシアの動きを見る生徒の視線が少し増えていた。
昨日の合同授業の影響だろう。
カイルやミーナも、どこか意識している。
アリシアは木刀を握る。
視線が気になる。
でも、木刀の感触に意識を戻す。
今日の訓練は、相手が昨日と違う動きをした時の対応だった。
エレナ教官は言った。
「昨日の自分に引っ張られるな。今日の相手を見ろ」
昨日の成功にしがみつかない。
まさに生活基礎と同じ。
アリシアはメリルと組み、カイルとミーナを相手にする。
一回目。
アリシアは昨日の六人連携の感覚が少し残っていて、広く動こうとしすぎた。
その分、メリルとの距離が空く。
カイルがそこへ入る。
「止め」
エレナ教官の声。
「アリシア。広い場の動きだ。ここでは不要」
「はい」
「メリル。距離が空いた時に声を出せ」
「はい」
二回目。
アリシアは動きを小さくする。
メリルの杖が通れる距離。
カイルの足。
ミーナの槍。
それだけを見る。
うまくいく。
「止め」
エレナ教官が頷く。
「今のは場に合っていた」
アリシアは息を吐く。
成功を持ってくるのではない。
成功から学んだものを、今の場に合わせる。
難しいが、大事だった。
授業後、エレナ教官が全員へ告げた。
「午後、昨日の合同授業対象者は教務室前に集合。正式な連絡がある」
アリシアの胸が跳ねる。
周囲の生徒たちもざわついた。
継続。
きっと、その話だ。
昼食後、指定された時間に教務室前へ向かうと、六人が揃った。
レオンは少し息を弾ませていた。
「すまん! 火属性の先生に捕まってた!」
「走ってきたの?」
ミランダが聞く。
「走ってない! 早歩きだ!」
シオンが言う。
「嘘っぽい」
「本当だ!」
リーネは冷静に言った。
「額に汗があります」
「早歩きでも汗は出る!」
アリシアは少し笑った。
ルシアンも穏やかに微笑んでいる。
六人が並ぶと、教務室の扉が開いた。
出てきたのは教務主任、エレナ教官、グラン先生、マリナ先生だった。
教務主任が口を開く。
「昨日の合同授業結果を踏まえ、今後も週に一度、合同基礎訓練を継続することになりました」
レオンとミランダが同時に顔を輝かせた。
シオンは小さくため息をつく。
リーネはすぐ記録しようとして、教務主任の前なので手を止めた。
ルシアンは静かに頷く。
アリシアは、胸が強く鳴った。
週に一度。
継続。
怖い。
でも、嫌ではない。
教務主任は続ける。
「目的は、各属性候補者の基礎能力向上、および複数属性連携の安全確認です。アリシアさんについては、特殊魔力反応の強制確認は行いません。木刀での位置取り補助、および体感報告を中心とします」
アリシアは小さく頷いた。
昨日と同じ条件が、正式に言葉になった。
少し安心する。
グラン先生が言う。
「アリシアさんの内的反応については、引き続き無理のない範囲で記録します。異常があれば即中断します」
「はい」
マリナ先生も続ける。
「合同訓練時は結界管理室も監視を強化します。先日の干渉痕との関連もあるため、演習場の補助結界は毎回確認します」
リーネが手を上げた。
「訓練記録は、個人記録として継続可能ですか」
教務主任は頷く。
「可能です。ただし、前回と同じく教員側の測定値や結界式は記録不可」
「承知しました」
レオンが手を上げる。
「次はもっと連携できますか!」
「基礎が先だ」
エレナ教官が即答する。
「はい!」
ミランダも手を上げる。
「アリシアの空欄担当は継続ですか?」
アリシアは顔が熱くなった。
教務主任は少しだけ眉を動かす。
「正式名称ではありませんが、昨日の配置は参考にします」
シオンが小声で言う。
「正式名称、欠落地点補助?」
リーネが真面目に頷く。
「候補名としてはあります」
「いや、長いって」
エレナ教官が短く言った。
「名前を決めるな。役割は訓練の中で変わる」
「はい」
全員が返事をした。
アリシアは少しほっとした。
名前を決めない。
六人目も、空欄担当も、まだ固定しない。
それでいい。
教務主任は最後に言った。
「君たちは注目される立場になります。噂も出るでしょう。しかし、合同訓練は見世物ではありません。外部への詳細な共有は禁止します。話す場合は、授業の範囲内で、教師の指示に従ってください」
「はい」
六人の声が揃った。
その響きに、アリシアは少しだけ驚いた。
六人で返事をした。
ただそれだけなのに、胸に残った。
連絡が終わると、六人は教務室前の廊下に残った。
レオンが真っ先に言った。
「継続だな!」
ミランダも嬉しそうに頷く。
「やった!」
シオンは肩をすくめる。
「週一で騒がしい日ができた」
リーネは手帳を開く。
「週一なら、記録整理の時間を確保する必要があります」
ルシアンはアリシアを見る。
「アリシアさんは、大丈夫ですか」
アリシアは少し考えた。
怖い。
でも、少し行きたい。
朝、ノアに言った言葉。
ここでも言っていい気がした。
「怖いです。でも……少し、またやってみたいです」
言った瞬間、レオンがにっと笑った。
「いいな!」
ミランダが嬉しそうに手を握る。
「私も!」
シオンが少し目を細める。
「正直でいいね」
リーネは頷いた。
「重要な自己申告です」
ルシアンは柔らかく言った。
「その感覚を大切にしてください」
アリシアは少し顔を赤くしながら頷いた。
帰り道、メリルに報告すると、彼女はとても嬉しそうに笑った。
「週一で続くんだね」
「うん」
「怖い?」
「怖い。でも、少し楽しみ」
「うん。いいと思う」
メリルはそう言ってくれた。
その言葉だけで、アリシアはかなり安心した。
夜。
部屋に戻ったアリシアは、練習帳を開いた。
『今日、合同基礎訓練が週に一度継続されると正式に決まりました。私は、木刀での位置取り補助と体感報告を中心に参加します。黒い反応を強制的に出すことはありません。異常があれば即中断です』
続ける。
『怖いです。でも、少しまたやってみたいとも思いました。そのことを六人の前で言えました。レオンさんとミランダさんは嬉しそうで、シオンさんは正直でいいと言ってくれて、リーネさんは重要な自己申告と言って、ルシアンさんはその感覚を大切にしてくださいと言いました』
さらに書く。
『生活基礎では、一度できたことを、次も同じようにできるとは限らないと学びました。成功をなかったことにしない。でも、成功にしがみつかない。合同訓練でも、それを忘れないようにします』
アリシアはペンを止める。
怖い。
楽しい。
またやってみたい。
その三つが、今の胸の中にある。
どれか一つだけを選ぶ必要はないのだと思った。
ノアが机の上へ飛び乗る。
「今日は?」
アリシアが聞くと、ノアは少し考えた。
「九十八点」
「高い……」
「継続の話を聞いても逃げなかった。怖いけどまたやってみたいと言えた。成功にしがみつかない姿勢も記録できた」
「減点は?」
「教務室前で『空欄担当』と言われた時、赤くなりすぎ」
「それは……恥ずかしかったから」
「まあ、いいわ」
ノアは練習帳を見る。
「最後に書くことは?」
アリシアは少し考えた。
そして、ゆっくり一行を書き足した。
『怖いけど、また立ちたい場所ができました』
ノアはその一文を見て、静かに頷いた。
「いいわね」
アリシアは小さく笑った。
窓の外には夜がある。
封印された一行も、学園結界の空白も、まだ何も解決していない。
それでも、今のアリシアには、新しい予定ができた。
週に一度、六人で立つ場所。
怖いけれど、少し楽しみな場所。
その存在が、夜の中に小さな灯りのように浮かんでいた。




