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『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第44話 六つ目の位置


 中央演習場の空気は、先ほどまでとは別の緊張に変わっていた。


 一対一の対人確認では、それぞれの癖が見えた。


 レオンは強い。


 正面から押す力がある。


 けれど力が大きすぎて、制御しきれない場面がある。


 リーネは整える。


 冷静に見て、位置を読み、必要なところへ短杖を置ける。


 けれど考えすぎると、一歩が遅れる。


 シオンは速い。


 風のように軽く、相手の視界から外れるのが上手い。


 けれど読まれた時、次の選択にわずかな癖がある。


 ミランダは支える。


 前へ出る勢いと、足場を固める感覚がある。


 けれど空振りした後の戻りに隙が生まれる。


 ルシアンは整っている。


 姿勢も判断も綺麗で、場を鎮めるような落ち着きがある。


 けれど、崩れた形のまま動くことが少し苦手。


 そして、アリシア。


 力はない。


 速くもない。


 魔法も使わない。


 けれど、相手が使いたい場所を見る。


 入りたい場所。


 戻りたい場所。


 逃げたい場所。


 そこへ先に木刀を置く。


 エレナ教官はそれを「武器」と言った。


 アリシアは、まだその言葉をうまく受け取れていない。


 けれど、木刀を握る手は、先ほどより少しだけ落ち着いていた。


「次は六人での連携確認だ」


 エレナ教官の声が響く。


 六人は自然に姿勢を正した。


「相手は教員側の訓練用魔導人形三体。低出力属性魔法のみ許可する。身体強化は禁止。高出力魔法は禁止。目的は撃破ではなく、指定地点までの進路確保だ」


 演習場の奥に、三体の魔導人形が運ばれてきた。


 人の形をしているが、顔はない。


 木と魔導金属で作られた訓練用の人形。


 関節部分に青白い光があり、簡単な移動と防御行動ができるらしい。


 アリシアは、少しだけ喉を鳴らした。


 人ではない。


 けれど、動く相手。


 しかも三体。


 六人で連携する。


 自分は魔法なし。


 木刀のみ。


 胸が緊張で固くなる。


 ノアが足元で言った。


「息」


 アリシアは小さく息を吸った。


 吐く。


 木刀の柄を握り直す。


 エレナ教官は床の奥にある白い円を指した。


「あの円が到達地点だ。六人のうち三人以上が円に入れば成功。途中で誰かが大きく体勢を崩した場合は中断する」


 レオンが手を上げた。


「魔導人形は壊していいですか!」


「壊すな」


「はい!」


「押し退ける、止める、避ける。必要最低限で道を作れ」


「はい!」


 ミランダも手を上げる。


「土壁は使っていいですか?」


「低出力なら可。ただし視界を塞ぐな」


「はい!」


 リーネが尋ねる。


「水膜での足止めは可能ですか」


「低出力なら可。床を滑らせすぎるな」


「承知しました」


 シオンが面倒そうに手を上げる。


「風で進路を示すのは?」


「可。だが味方を吹き飛ばすな」


「そんなことしません」


 ミランダが小さく言う。


「前にしたの?」


 シオンは視線を逸らした。


「ちょっとだけ」


 リーネが即座に言う。


「二名転倒しました」


「記録しなくていい」


「事実です」


 ルシアンが手を上げた。


「光の検知は使えますか」


「低出力なら可。ただし鎮静、浄化は指示があるまで禁止」


「承知しました」


 最後に、アリシアは恐る恐る手を上げた。


 エレナ教官が視線を向ける。


「アリシア」


「私は……魔法を使わず、木刀だけで位置取り、でいいんですよね」


「そうだ」


「魔導人形に触れる時は、止めるだけですか。攻撃していいんですか」


 聞きながら、少し声が震えた。


 けれど、聞けた。


 エレナ教官は頷く。


「良い確認だ。木刀での接触は許可する。ただし、破壊を目的にするな。関節部を強く打つな。進路を塞ぐ、動きを遅らせる、味方の道を作る。それが役割だ」


「はい」


「お前は一番前に出る必要はない。だが最後方で見ているだけでもない。空いた場所に入れ」


 空いた場所。


 アリシアは頷いた。


「分かりました」


 レオンが振り返る。


「俺が前に出る!」


 ミランダも言う。


「私も前に出る!」


 シオンが即座に言った。


「だから二人同時に出ると詰まるって、何回言われたの」


「でも前は必要だろ!」


「必要だけど、二人とも同じ場所に突っ込むなって話」


 リーネが短杖を持ち直しながら言った。


「配置を決めましょう。レオンが正面圧。ミランダはやや右前で足場管理。私は中央後方で水膜と記録。シオンは左側から流路確認。ルシアンは後方で検知。アリシアさんは……」


 リーネの言葉が止まる。


 視線がアリシアへ向く。


 どこに置けばいいのか。


 五属性にはそれぞれ場所がある。


 火は前。


 土は支える。


 水は整える。


 風は流れる。


 光は見渡す。


 では、闇は。


 アリシア自身も分からなかった。


 空欄。


 また、そこに空欄が生まれる。


 けれど、今度は怖いだけではなかった。


 アリシアは、自分の木刀を見た。


 前ではない。


 後ろでもない。


 固定された場所ではない。


 空いたところ。


 欠けたところ。


 相手が使いたいところ。


 味方が動きにくいところ。


 そこへ入る。


「私は……決まった場所じゃなくていいですか」


 アリシアは小さく言った。


 全員がこちらを見る。


 アリシアは緊張しながら続けた。


「レオンさんとミランダさんが前に出て、リーネさんとルシアンさんが後ろで、シオンさんが横を見るなら……私は、その時に空いたところへ入ります。相手が抜けそうな場所とか、味方の戻りにくい場所とか……そこを見ます」


 言い終えると、少し沈黙が落ちた。


 レオンが最初に笑った。


「おお! 自由枠だな!」


 ミランダも頷く。


「空欄担当だ!」


 シオンが口元を緩める。


「ついに戦術名になったね」


 リーネは真剣に記録していた。


「アリシアさん、固定位置ではなく、欠落地点補助。非常に妥当です」


「欠落地点補助……」


 アリシアは少し困った。


 ルシアンが静かに言う。


「興味深い位置ですね。五つの配置の隙間を補う役」


 その言葉に、胸が少し揺れる。


 五つの配置の隙間。


 六つ目の位置。


 アリシアは深く息を吸った。


 エレナ教官が頷く。


「悪くない。今回はそれで行く。アリシアは固定位置なし。味方の隙間を見ろ。ただし、迷ったら中央後方へ戻れ」


「はい」


 決まった。


 自分の位置は、決まらないことに決まった。


 それは不安でもあり、少しだけ自分らしいとも思えた。


 エレナ教官が手を上げる。


「配置につけ」


 六人が動いた。


 レオンが正面。


 ミランダが右前。


 シオンが左へ軽く移動する。


 リーネが中央後方。


 ルシアンがさらに後方で全体を見る。


 アリシアは、リーネとミランダの間より少し後ろへ立った。


 どちらにも動ける場所。


 前にも出られ、後ろにも戻れる場所。


 ノアは演習場の端に移動した。


 アリシアを見ている。


 金色の瞳が静かに光る。


 魔導人形三体が動き始めた。


 一体は正面。


 一体は左。


 一体は右。


 それぞれがゆっくりと構えを取る。


 顔はない。


 だが、向かってくる圧はある。


 エレナ教官の手が下りた。


「始め」


 最初に動いたのはレオンだった。


「行くぞ!」


 大きな声。


 大剣型訓練剣を構え、正面の魔導人形へ踏み込む。


 火の魔力が、低く剣の周囲に灯った。


 炎ではない。


 赤い熱の膜のようなもの。


 四分の一以下に抑えているのだろうが、それでも存在感がある。


 正面の魔導人形が盾のように腕を上げる。


 レオンは叩きつけるのではなく、剣の面で押すように当てた。


「おおお……っと、壊しちゃだめだった!」


 途中で力を抜いた。


 魔導人形が少し後退する。


 シオンが左から風を流した。


「左、回るよ」


 短い声。


 左の魔導人形がレオンの横を抜けようとしている。


 シオンの風が、その進行をわずかに逸らす。


 リーネが杖を振る。


「水膜、低出力」


 床に薄い水の膜が広がり、左の魔導人形の足を少し鈍らせる。


 滑らせるほどではない。


 動きが遅くなる程度。


 ミランダが右前で土の固定陣を作った。


「こっちは止める!」


 右の魔導人形が進もうとする足元に、淡い黄色の光が広がる。


 足場が重くなり、人形の動きが少し鈍る。


 ルシアンが後方で白い光を灯す。


「右側、反応が少し強いです。ミランダさん、押されます」


「分かった!」


 ミランダが戦槌を構え直す。


 アリシアは、その全体を見た。


 情報が多い。


 火の熱。


 水の膜。


 風の流れ。


 土の重さ。


 光の検知。


 それぞれが動いている。


 胸の奥の夜が、少しだけ輪郭を確かめる。


 でも、黒い反応は出ていない。


 今は木刀。


 今は位置。


 正面はレオンが押している。


 右はミランダが支えている。


 左はシオンとリーネが遅らせている。


 なら、自分はどこへ行く。


 アリシアは、正面の魔導人形がレオンに押されながら、わずかに右へ体をずらしたのを見た。


 そのままだと、レオンとミランダの間へ抜ける。


 そこは、二人の隙間。


 空欄。


 アリシアは動いた。


 走らない。


 滑るように半歩、さらに一歩。


 レオンとミランダの間に入る。


 木刀を低く置く。


 正面の魔導人形が抜けようとした足元の進路へ、切っ先を置いた。


 魔導人形の動きが止まる。


 レオンが振り返る。


「助かった!」


「前を見てください」


 アリシアは思わず言った。


 自分でも少し驚いた。


 レオンはすぐに前を向いた。


「おう!」


 ミランダが笑う。


「アリシア、今のいい!」


「右、来ます」


 アリシアは続けて言った。


 ミランダはすぐに戦槌を構える。


 右の魔導人形が、土の固定陣を抜けようとしていた。


 ルシアンの検知が正しかった。


 ミランダは受けようとする。


 だが、相手の腕が少し高い。


 受けると戦槌が流される。


 アリシアはミランダの後ろへ回り、木刀の切っ先で人形の足の進路を軽く塞いだ。


 止めるのではない。


 遅らせる。


 その一瞬で、ミランダが戦槌を持ち直す。


「ありがとう!」


 ミランダの戦槌が人形の腕を押し返す。


 シオンが左で言う。


「こっち一体、抜ける」


 声は軽い。


 でも少し急いでいる。


 アリシアは左を見る。


 左の魔導人形が、水膜の薄い場所を見つけて抜けようとしている。


 リーネが対応しようとするが、一拍遅い。


 シオンは距離が近すぎて、風で逸らすとリーネに当たる。


 空いた場所。


 今度は左。


 アリシアは右から左へ移動する。


 距離がある。


 間に合うか。


 足が動く。


 木刀を握る手に力が入る。


 けれど、走りすぎない。


 間に合わないなら、声。


「リーネさん、半歩下がってください!」


 リーネが即座に下がる。


 シオンが風を流す空間が生まれる。


「助かる」


 シオンが短く言い、風を斜めに当てた。


 左の魔導人形の進路が変わる。


 そこへアリシアが木刀を置く。


 かん、と軽い音。


 人形の動きが鈍る。


 リーネが水膜を張り直した。


「補助完了」


 全体が、少し噛み合った。


 演習場の端で、教師たちが静かに見ている。


 グラン先生の筆が走る。


 マリナ先生は結界反応を見ながらも、時々アリシアの移動を追っている。


 エレナ教官の目が鋭くなる。


 アリシアは気づいていない。


 今はもう、視線を気にしている余裕がなかった。


 五つの属性が動く。


 その隙間を見る。


 火が押す。


 水が整える。


 風が逸らす。


 土が支える。


 光が知らせる。


 その間にできる、ほんの小さな空白。


 誰かが戻りにくい場所。


 相手が抜けたがる場所。


 味方の視線が途切れる場所。


 そこへ入る。


 木刀を置く。


 声を出す。


 戻る。


 また見る。


 アリシアの呼吸は静かだった。


 普段のオドオドした姿は、そこにはほとんどない。


 声は大きくない。


 でも、必要な言葉は出ている。


「レオンさん、押しすぎです」


「おう!」


「ミランダさん、右足が流れます」


「分かった!」


「シオンさん、リーネさんの後ろが空きます」


「見えてる」


「ルシアンさん、左奥の反応は?」


「弱いです。正面に集中しています」


「正面、抜けます」


 短い言葉。


 必要な言葉。


 それが少しずつ連携を作っていく。


 レオンは最初、アリシアに指示されるたびに少し驚いていた。


 だが、すぐに受け入れた。


 彼は単純だが、良いものを良いと受け取る早さがある。


 ミランダはアリシアの声を信頼して動いた。


 リーネはアリシアの位置取りを記録したい衝動と戦いながら、水膜を整えた。


 シオンは時々面白そうに笑い、アリシアが見つけた隙間へ風を通した。


 ルシアンは後方で全体を見ながら、光の検知を必要最低限で使った。


 六人の形は、まだ完璧ではない。


 何度も崩れた。


 レオンが前へ出すぎる。


 ミランダが釣られる。


 シオンが横へ流れすぎる。


 リーネの水膜が遅れる。


 ルシアンの検知が少し慎重になりすぎる。


 アリシアも、全部を見ようとして一瞬足が止まる。


 それでも、崩れたら戻す。


 戻す場所がある。


 円へ向かう道は、少しずつ開いていった。


 白い到達地点まで、あと半分。


 正面の魔導人形が突然、動きを変えた。


 レオンを押し返すのではなく、横をすり抜けようとした。


 想定より速い。


 レオンの大剣が空を切る。


「しまった!」


 ミランダが支えようとするが、右の人形も同時に動く。


 シオンは左にいる。


 リーネは水膜の張り直し中。


 ルシアンが声を上げる。


「正面、抜けます!」


 誰も間に合わない。


 アリシアは見た。


 正面の人形が抜ける場所。


 レオンの戻りにくい空白。


 ミランダが支えられない角度。


 そこへ、自分が入るしかない。


 でも、間に合うには少し遠い。


 木刀だけでは届かない。


 その瞬間、胸の奥の夜が、ほんのわずかに揺れた。


 黒い反応ではない。


 ただ、止める感覚。


 魔力紐を止めた時の記憶。


 夜をそばに置く感覚。


 アリシアは息を吸った。


 使わない。


 今日は魔力使用なし。


 同意していない。


 グラン先生にも言われている。


 だから、夜は出さない。


 代わりに、声を出す。


「レオンさん、引いて!」


 レオンが反応した。


 大剣を戻すのではなく、自分の体ごと一歩引く。


 人形の進路がわずかに変わる。


 その変わった先へ、アリシアが滑り込む。


 木刀を低く構える。


 人形の足が、木刀の直前で止まる。


 アリシアの腕に衝撃が走った。


 重い。


 受けるな。


 流せ。


 アリシアは木刀を押し返さず、角度を変えた。


 人形の進行が斜めへ逸れる。


 そこへ、ミランダの土の固定陣が間に合った。


「止める!」


 黄色い光が床に広がる。


 人形の足が鈍る。


 レオンが戻る。


「今度こそ!」


 大剣の面で、人形を押し返す。


 壊さない。


 押し退ける。


 リーネの水膜が足元を整える。


 シオンの風が横の人形を逸らす。


 ルシアンの白い光が、三体の位置を淡く示す。


 道が開いた。


「前へ」


 アリシアが言った。


 誰の声よりも小さい。


 けれど、六人には届いた。


 レオンが前へ出る。


 ミランダが右を支える。


 シオンが左を流す。


 リーネが足元を整える。


 ルシアンが後方から進路を示す。


 アリシアはその隙間を埋める。


 白い円まで、あと数歩。


 魔導人形三体が最後に一斉に動いた。


 正面、右、左。


 それぞれが六人の進路を塞ぐ。


 エレナ教官の目が細くなる。


 これは最初から設定されていた最終動作。


 六人がどう崩れるかを見るためのもの。


 レオンが叫ぶ。


「正面は俺!」


 ミランダが続く。


「右は私!」


 シオンが軽く言う。


「左、逸らす」


 リーネが短く言う。


「足元、整えます」


 ルシアンが白い光を広げる。


「進路、中央やや左が薄いです」


 中央やや左。


 そこは、今、誰もいない。


 五つの力が動いた結果、ぽっかり空いた道。


 アリシアはそこを見た。


 空欄。


 でも、今度は怖い空欄ではない。


 進むための空欄。


 最後の道。


「そこです」


 アリシアは言った。


 そして、自分が先にその道へ入った。


 木刀を横に構え、左の人形の腕をそっと逸らす。


 シオンの風がそこへ重なる。


 リーネの水膜が足元を滑らかにしすぎない程度に整える。


 ルシアンの光が進路を照らす。


 レオンとミランダが左右を押さえる。


 六人の足が、白い円へ入った。


 一人。


 二人。


 三人。


 条件達成。


 それでも勢いで、六人全員が円の中に入った。


「止め!」


 エレナ教官の声が、演習場に響いた。


 魔導人形の動きが止まる。


 結界陣の光が静かに消える。


 演習場に、長い沈黙が落ちた。


 アリシアは木刀を握ったまま立っていた。


 息が少し上がっている。


 腕が重い。


 足も震えそうだ。


 けれど、倒れなかった。


 黒い反応は出していない。


 魔法も使っていない。


 木刀だけ。


 声だけ。


 位置だけ。


 それでも、自分は六人の中で動けた。


 隣でレオンが大きく息を吐いた。


「成功……したよな?」


 ミランダがぱっと顔を輝かせる。


「した! 全員入った!」


 シオンが肩を回しながら言う。


「騒がしいけど、意外といけたね」


 リーネは息を整えながら、記録板を持とうとして、手が少し震えていることに気づいた。


「記録……」


「今は休みなよ」


 シオンが言う。


「ですが……」


「後で僕も覚えてる範囲で言うから」


 リーネは少し驚いたようにシオンを見た。


「あなたが?」


「僕を何だと思ってるの」


「皮肉屋」


「もういいよ、それで」


 ルシアンはアリシアを見ていた。


 穏やかな顔だが、その目は先ほどより深い。


「アリシアさん」


「はい」


「最後の道を、よく見つけましたね」


 アリシアは少しだけ息を整えた。


「ルシアンさんが、中央やや左が薄いって言ってくれたので」


「僕は反応の薄い場所を伝えただけです。そこを道として選んだのは、あなたです」


 その言葉に、アリシアは返事に迷った。


 褒められている。


 でも、少し眩しい。


 半歩下がって受け取る。


「……ありがとうございます」


 それだけ言う。


 ルシアンはそれ以上、踏み込まなかった。


 エレナ教官が中央へ歩いてきた。


 六人は姿勢を正そうとする。


「楽にしていい」


 その言葉で、レオンとミランダが同時に肩の力を抜いた。


 シオンは最初から少し楽にしていた。


 リーネはようやく記録板を下ろす。


 アリシアも木刀を少し下げた。


 エレナ教官は言った。


「初回としては悪くない」


 それは、彼女にしてはかなり高い評価だった。


 レオンが嬉しそうにする。


 ミランダも笑顔になる。


 リーネはすぐ記録しようとして、シオンに止められた。


 エレナ教官は続ける。


「だが、課題は多い。レオン、初動で押しすぎた。ミランダ、右へ意識を取られすぎた。セレナ、水膜の張り直しが一拍遅い。シオン、左を任されたなら最後まで責任を持て。ルシアン、検知は良いが言葉が少し遅い」


 五人がそれぞれ頷く。


 そして、エレナ教官はアリシアを見る。


「アリシア」


「はい」


「お前はよく隙間を見た。だが、途中で魔力を使いかけたな」


 アリシアの胸が跳ねた。


 周囲の空気が少し変わる。


 グラン先生も視線を向けた。


 アリシアは木刀を握る手に力を込めた。


「……はい」


 嘘はつけなかった。


「正面の人形が抜けそうになった時、一瞬、止める感覚が出ました。でも、今日は魔力使用なしだったので……使いませんでした」


 グラン先生が静かに頷く。


「黒い反応の顕在化は確認されていません。内的反応のみと思われます」


 マリナ先生も結界板を見て言う。


「結界にも異常なし」


 エレナ教官は頷いた。


「使わなかった判断は良い」


 アリシアは息を吐いた。


 怒られると思っていた。


 しかし、エレナ教官は続ける。


「見えたもの、使えるものがあっても、条件外なら使わない。それができたのは評価する」


「はい……」


「ただし、今後はそういう場面が増える。自分の内側の反応を早めに言えるようにしろ」


「分かりました」


 ノアが演習場の端で静かに目を細めている。


 アリシアは、少しだけノアの方を見た。


 ノアは小さく頷いた。


 よく止まった。


 そう言われた気がした。


 教務主任が口を開いた。


「今回の連携確認で、重要な点がいくつか見えました」


 六人の視線が向く。


「五属性は、それぞれ役割が明確です。しかし、役割が明確であるがゆえに、動きの間に空白が生まれる」


 アリシアの胸が静かに揺れた。


 空白。


 また、その言葉。


 しかし今回は、封印された怖い空白ではない。


 動きの間に生まれる空白。


「アリシアさんは、その空白に入る傾向があります。これは、現時点では魔力反応ではなく、戦闘観察能力として扱います」


 戦闘観察能力。


 特殊魔力反応ではなく。


 観察対象ではなく。


 能力として。


 アリシアは、胸の奥が熱くなるのを感じた。


 教務主任は続けた。


「今後、合同授業を継続する場合、アリシアさんには木刀による位置取り補助を担当してもらう可能性があります」


 レオンが嬉しそうに言った。


「いいな! また一緒にできるのか!」


 ミランダも頷く。


「アリシアがいると、隙間が埋まる感じがする!」


 シオンが言う。


「隙間担当」


 リーネが即座に訂正する。


「欠落地点補助です」


「それ長い」


 ルシアンが柔らかく言う。


「六人目の位置、と言ってもいいかもしれませんね」


 六人目。


 その言葉に、アリシアは息を止めた。


 六つ目。


 忘れられた六つ目。


 ノアの耳が微かに動く。


 ルシアンは悪気なく言ったのかもしれない。


 だが、その言葉は重かった。


 アリシアはすぐに返事ができなかった。


 すると、エレナ教官が短く言った。


「名前をつけるのは早い」


 演習場の空気が少し締まる。


「今は初回の確認だ。役割名も評価も、簡単に固定するな」


 ルシアンは少しだけ目を伏せた。


「失礼しました」


 アリシアはほっとした。


 六人目。


 その言葉は嬉しくもあり、怖くもあった。


 簡単に受け取るには、まだ重い。


 エレナ教官がそれを止めてくれた。


 リーネが静かに記録する。


「名称固定は避ける」


 シオンが小声で言う。


「それも記録するんだ」


「重要です」


 少しだけ空気が緩む。


 エレナ教官は最後に言った。


「今日はここまでだ。各自、体調と所感を記録しろ。アリシアはグラン先生の確認を受けてから戻れ」


「はい」


 合同授業は終わった。


 六人は中央演習場の円から出る。


 レオンはまだ興奮している。


「いや、面白かったな!」


 ミランダも頷く。


「うん! またやりたい!」


 シオンは疲れた顔をしている。


「僕は寝たい」


 リーネは記録板を抱えながら言う。


「情報量が多すぎます。整理に時間が必要です」


 ルシアンはアリシアへ向き直った。


「今日はお疲れさまでした」


「お疲れさまでした」


「最後の言葉は、少し軽率でした」


 アリシアは驚いた。


 ルシアンが自分から謝った。


「六人目、という言い方です。あなたにとって重い言葉かもしれないと、後から思いました」


 アリシアは少し迷った。


 でも、言葉を選んで答えた。


「……怖かったです。でも、悪い言葉だけではなかったです。だから、まだ……空欄にしておきたいです」


「空欄に?」


「はい。今は、決めないで置いておきたいです」


 ルシアンは少しだけ目を細めた。


 そして、穏やかに頷いた。


「分かりました。では、そのまま置いておきましょう」


 アリシアは少し安心した。


 今日のルシアンは、踏み込みすぎない。


 少なくとも、今はそう感じた。


 グラン先生が近づいてくる。


「アリシアさん。体調確認をしましょう」


「はい」


 アリシアは少し離れた椅子に座った。


 ノアが足元に来る。


 グラン先生は水晶片を取り出したが、アリシアに持たせるのではなく、近くに置くだけにした。


「黒い反応の残留確認です。触れなくて構いません」


「はい」


 水晶片は透明なままだった。


 わずかに灰色の影が見える気もしたが、すぐ消えた。


 グラン先生は頷く。


「問題ありません。内側の反応はあったようですが、外部への顕在化はほぼなし。疲労は?」


「少しあります。でも、嫌な疲れではないです」


「痛み、冷え、めまいは?」


「ありません」


「精神的な負荷は?」


 アリシアは少し考えた。


「最初はすごく怖かったです。でも、木刀を握ってからは少し落ち着きました。六人で動いた時は、情報が多くて大変でした。でも……少し、楽しかったです」


 言ってから、自分で驚いた。


 楽しかった。


 そんな言葉が出ると思わなかった。


 グラン先生は微笑んだ。


「それは良い記録です」


 ノアが足元で小さく言う。


「本当にね」


 アリシアは顔を赤くした。


 合同授業が楽しかった。


 怖かったのに。


 観察対象として呼ばれたのに。


 木刀だけで、六人の中に入って、道を作って。


 その瞬間、確かに少し楽しかった。


 夜、部屋に戻ったアリシアは、練習帳を開いた。


 手が少し疲れていた。


 でも、書きたいことがたくさんあった。


『今日は、六人で合同授業をしました。魔法は低出力のみ、私は魔法なしで木刀だけでした。目的は、魔導人形三体を相手に、白い円まで進路を確保することでした』


 続ける。


『レオンさんは正面から押す力が強く、ミランダさんは右側を支えてくれました。リーネさんは水膜で足元を整え、シオンさんは風で左側を逸らし、ルシアンさんは光で反応の薄い場所を教えてくれました。私は、決まった場所ではなく、空いたところへ入る役になりました』


 ペンが進む。


『途中、正面の魔導人形が抜けそうになった時、胸の奥の夜が少し揺れました。止める感覚が出ました。でも今日は魔力使用なしだったので、使いませんでした。声を出して、レオンさんに引いてもらいました。使わなかった判断は良いとエレナ先生に言われました』


 さらに書く。


『最後、ルシアンさんが中央やや左が薄いと言ってくれて、私はそこを道として見ました。六人全員で白い円に入りました。成功しました。怖かったけど、少し楽しかったです』


 そこで、アリシアはペンを止めた。


 楽しかった。


 その文字を見つめる。


 自分が合同授業を楽しいと思うなんて、少し前なら考えられなかった。


 でも、嘘ではない。


 アリシアは最後に書く。


『六人目という言葉は怖かったです。でも、悪い言葉だけではありませんでした。今はまだ、空欄にしておきたいです』


 ノアが机の上へ飛び乗った。


「今日は?」


 アリシアが聞くと、ノアはしばらく考えた。


「九十九点」


 アリシアは目を丸くした。


「昨日と同じ……!」


「魔力を使いかけても止まった。声を出せた。六人の中で自分の位置を見つけた。楽しかったと書けた」


「減点は?」


「ルシアンの『六人目』で固まりすぎ。でも、ちゃんと空欄にしたから大きな減点ではないわ」


「そっか……」


 ノアは尻尾を揺らす。


「今日はよくやったわ」


 その言葉に、アリシアの胸がいっぱいになった。


「ありがとう、ノア」


「礼はいいわ」


「でも、言いたいから」


「知ってる」


 アリシアは練習帳の最後に一行を書き足した。


『私の場所はまだ決まっていない。でも、空いた場所へ入ることはできた』


 ノアはその一文を見て、静かに頷いた。


「それでいいわ」


 夜は静かだった。


 けれど、今日の夜は少しだけ温かかった。


 五つの属性の間に、まだ名のない小さな場所がある。


 そこに、自分は一歩だけ立てたのかもしれない。


 アリシアはそう思いながら、練習帳を閉じた。

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