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『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第42話 合同授業、開始 


 中央演習場に、エレナ教官の声が響いた。


「これより、合同授業を開始する」


 その一言で、演習場の空気が変わった。


 広い石床。


 高い天井。


 上部の窓から差し込む白い光。


 周囲に配置された五つの小さな支点石。


 火、水、風、土、光。


 それぞれの属性を示す淡い魔力石が、静かに光を宿している。


 その中央に、六人は立っていた。


 赤髪のレオン。


 青髪のセレナ――リーネ。


 緑髪のシオン。


 黄髪のミランダ。


 白髪のルシアン。


 そして、黒髪のアリシア。


 五つの色の中に、黒がひとつ混ざっている。


 アリシアはその事実を、痛いほど意識していた。


 自分だけが、正式な五属性候補ではない。


 放送でも、そう呼ばれた。


 特殊魔力反応観察対象。


 観察される者。


 確認される者。


 その言葉が、胸の奥でまだ消えていない。


 けれど、今は違う言葉もある。


 教務主任は言った。


 授業内では、一人の生徒として扱う、と。


 グラン先生は言った。


 黒い反応を強制的に出させることはない、と。


 エレナ教官は言った。


 分からないことは聞け、と。


 そしてノアは言った。


 顔を上げなさい、と。


 アリシアは木刀の柄に手を添えた。


 まだ抜かない。


 ただ、そこにあることを確認する。


 祖父と山で振っていた木刀。


 学園へ来てからも、何度も握ってきた木刀。


 黒い力よりも先に、アリシアを支えてくれたもの。


 その感触があるだけで、足元が少し安定した。


 エレナ教官は六人を見渡した。


「今日の合同授業は、勝敗を決めるものではない。まずそこを勘違いするな」


 レオンの肩が少し下がった。


 ミランダも少しだけ残念そうな顔をした。


 シオンが横で小さく呟く。


「分かりやすいね、火と土」


「聞こえてるぞ!」


 レオンが言う。


「聞こえるように言ったからね」


 シオンは平然としている。


 ミランダが少し笑いそうになり、リーネが眼鏡を押し上げた。


「授業中です。静粛に」


「リーネ、先生みたいだな!」


 レオンが言うと、リーネは無表情で答えた。


「教師ではありません。ただ、進行を妨げる発言は記録効率を下げます」


「記録効率……」


 ミランダが小さく呟く。


 アリシアは緊張の中で、ほんの少しだけ口元が緩みそうになった。


 六人が並んでいる。


 それは怖い。


 けれど、この人たちは、完全に遠い存在ではない。


 ミランダは朝食で笑ってくれた。


 リーネは調査班で一緒に記録してくれる。


 シオンは皮肉を言いながらも、足跡を見る考え方を教えてくれた。


 ルシアンはまだ少し距離が難しいけれど、敵と決まったわけではない。


 レオンは今日初めて話したばかりだが、真っ直ぐだった。


 知らないものばかりではない。


 あるものもある。


 ノアが足元で静かに座っている。


 その存在も、確かにある。


 エレナ教官は続けた。


「第一段階では、各自の基礎確認を行う。武器の扱い、基本姿勢、属性魔力の安定度。アリシアは木刀での基礎動作と、複数属性魔力環境下での体感報告を行う」


 アリシアは小さく頷いた。


 黒い反応を出せとは言われていない。


 まずは木刀。


 まずは体感。


 それなら、できるかもしれない。


「第二段階では、二人組または三人組での簡単な連携を確認する。ただし、高出力魔法は禁止。属性魔法は低出力のみ。武器も訓練用のものを使う」


 レオンが手を上げた。


「低出力って、どれくらいですか!」


 エレナ教官は即答した。


「お前の感覚の三分の一だ」


「三分の一!」


「いや、四分の一でもいい」


「そんなにですか!」


「お前は特にだ」


 レオンは真剣に頷いた。


「分かりました! 四分の一!」


 シオンが小声で言う。


「それでも多そう」


「シオン」


 リーネが注意する。


「事実だと思うけど」


「授業中です」


 ミランダが小さく手を上げた。


「私も四分の一ですか?」


「お前もだ」


「はい!」


 エレナ教官の迷いない返答に、ミランダも素直に頷いた。


 アリシアは少し圧倒されながら見ていた。


 レオンとミランダ。


 明るく、強く、前へ進む二人。


 自分とはまるで違う。


 でも、二人の真っ直ぐさは、怖さを少しだけ薄めてくれる。


 エレナ教官は次に、ルシアンへ視線を向けた。


「ルシアン。光属性の鎮静魔法は、今日の第一段階では使用禁止だ」


「承知しました」


 ルシアンは穏やかに頷いた。


「使用する場合は指示が出てからですね」


「そうだ。勝手に他者の魔力へ干渉するな」


「はい」


 その言葉に、アリシアの胸が少し動いた。


 勝手に他者の魔力へ干渉するな。


 それは、光に対して言われた言葉。


 闇だけではない。


 光もまた、使い方を間違えれば干渉になる。


 アリシアは少しだけ呼吸が楽になった。


 自分の力だけが危険なのではない。


 どの属性にも、距離と手順が必要なのだ。


 エレナ教官はシオンを見る。


「シオン。風で観測を乱すな」


「僕、そんなことしませんよ」


「前科がある」


「ありますね」


 認めるのが早かった。


 ミランダが笑いをこらえ、レオンが首を傾げる。


「前科?」


「風で測定札を裏返しただけ」


 シオンは軽く言う。


 リーネがすぐに訂正した。


「三枚同時に裏返し、測定担当教員の記録順を乱しました」


「細かい」


「事実です」


 エレナ教官が短く言う。


「今日はやるな」


「はい」


 最後に、エレナ教官の視線がリーネへ向く。


「セレナ。水属性の記録補助は許可するが、授業中に分析へ意識を割きすぎるな」


「承知しました」


「お前は考えすぎると動きが遅れる」


「自覚しています」


 リーネは冷静に答えた。


 そのやり取りを見て、アリシアは少し意外に思った。


 リーネにも、指摘される部分がある。


 完璧に見える彼女にも、弱点がある。


 記録に意識が向きすぎる。


 考えすぎて動きが遅れる。


 それは、少しアリシアにも似ている気がした。


 そして最後に、エレナ教官はアリシアを見た。


「アリシア」


「はい」


「お前は今日、黒い反応を出す必要はない。だが、何かを感じたら報告しろ」


「はい」


「怖くなったら言え」


「はい」


「分からないことがあれば聞け」


「はい」


「そして、木刀を握る時は余計なことを考えるな」


 アリシアは小さく息を吸った。


「……はい」


「お前は考えすぎる。だが、木刀を握った時の集中は悪くない。そこを信じろ」


 エレナ教官の言葉は、短く、厳しい。


 でも、そこには確かな評価があった。


 木刀を握った時の集中は悪くない。


 そこを信じろ。


 アリシアは木刀の柄に触れた。


「分かりました」


 その声は、思ったより震えていなかった。


 演習場の端では、グラン先生が記録用の水晶板を準備していた。


 マリナ先生は結界札を確認している。


 教務主任は少し離れた場所で全体を見ている。


 他の教師たちも、視線を六人へ向けていた。


 見られている。


 それは怖い。


 でも、見世物ではない。


 教員たちは観客ではなく、安全管理と記録のためにいる。


 そう思うと、少しだけ耐えられる。


 エレナ教官は床の中央を指した。


「まずは自己紹介と基礎装備確認だ。知っている者同士もいるだろうが、正式な場として行う」


 レオンが一歩前へ出た。


 出るのが早い。


 エレナ教官が眉を動かす。


「まだ呼んでいない」


「すみません!」


 レオンは一歩戻った。


 シオンが肩を震わせている。


 ミランダも笑いをこらえている。


 エレナ教官はため息をつき、改めて言った。


「レオン・アルバート」


「はい!」


 今度こそ、レオンが前へ出た。


 赤い髪が光を受けて鮮やかに見える。


 背筋はまっすぐ。


 堂々としている。


「レオン・アルバート! 火属性代表候補です! 武器は大剣型訓練剣! 魔法は火球、火炎付与、身体強化が得意です!」


 声が大きい。


 演習場の壁に反響するほどだった。


 エレナ教官が言う。


「声量は半分でいい」


「はい!」


「それもまだ大きい」


「はい」


 少しだけ小さくなった。


 レオンは訓練用の大剣を持っていた。


 木製ではなく、魔導樹脂で作られた重い訓練剣。


 刃はないが、当たれば痛いどころでは済まないだろう。


 彼はそれを軽々と肩に担いでいる。


 火の鳥の神獣と、バスターソードの神器。


 まだ神器は出ていない。


 けれど、その片鱗を思わせるほど、彼の立ち姿は大剣に似合っていた。


 次に呼ばれたのはリーネだった。


「セレナ・ヴァーレン」


「はい」


 リーネが静かに前へ出る。


 青髪のショート。


 眼鏡の奥の瞳は落ち着いている。


 派手さはない。


 けれど、彼女が前に立つと、空気が少し整うような気がした。


「セレナ・ヴァーレン。水属性代表候補です。武器は短杖。魔法は水膜、防御、流動制御、記録補助を得意とします」


 声は大きくない。


 でも、よく通る。


 リーネは短杖を胸の前に掲げた。


 青い魔力石が先端についている。


 水の蛇の神獣。


 ランスの神器。


 リーネ自身は文系で、前に出るタイプではない。


 しかし、彼女の魔法はきっと場を整える。


 アリシアはそう思った。


「記録補助は得意魔法に含めるのか?」


 シオンが小声で言う。


 リーネは前を向いたまま答えた。


「実際に魔力水面へ記録を写せます」


「便利」


「便利です」


 堂々としていた。


 次はシオン。


「シオン・グレイ」


「はい」


 シオンは面倒そうに歩き出した。


 緑髪のポニーテールが揺れる。


 細身で、どこか力を抜いた立ち方。


 だが、足音がほとんどしない。


 アリシアはそこに気づいた。


 彼はやる気がないように見えて、体の使い方が軽い。


「シオン・グレイ。風属性代表候補。武器は短弓と訓練用短剣。魔法は風刃、移動補助、探知、流路確認」


 必要最低限。


 それ以上話す気はないらしい。


 エレナ教官が言う。


「もう少し声を張れ」


「風は静かでも届きます」


「声を張れ」


「はい」


 シオンは少しだけ声を大きくして、もう一度言った。


 その様子に、ミランダが小さく笑う。


 シオンは戻り際、アリシアの近くでぼそりと言った。


「こういうの、苦手」


「私も……」


「知ってる」


 それだけ言って、彼は元の位置へ戻った。


 次はミランダ。


「ミランダ・フォード」


「はい!」


 ミランダは元気よく前へ出た。


 黄色い髪が弾む。


 明るく、はつらつとしていて、立っているだけで場が少し明るくなる。


 体つきはしっかりしていて、健康的な力強さがあった。


「ミランダ・フォード! 土属性代表候補です! 武器は訓練用戦槌! 魔法は土壁、足場固定、身体強化が得意です!」


 レオンに負けない声量だった。


 エレナ教官が額を押さえる。


「ミランダ、お前も声量を半分にしろ」


「はい!」


「だから大きい」


「はい」


 ミランダも少し声を落とした。


 彼女の持つ訓練用戦槌は大きい。


 だが、ミランダはそれを楽しそうに持っている。


 土の亀の神獣。


 アックスの神器。


 彼女自身は明るい脳筋に見えるが、土属性らしい安定感もある。


 アリシアは戦闘基礎で何度もミランダの動きを見ている。


 前へ出る勢いは強い。


 でも、足場を作る時の感覚は鋭い。


 次はルシアンだった。


「ルシアン・ホワイト」


「はい」


 ルシアンが静かに前へ出る。


 白髪が光を受け、ほとんど淡く輝いて見えた。


 彼が立つだけで、演習場の空気が整う。


 レオンやミランダのような熱はない。


 シオンのような軽さでもない。


 リーネのような冷静さとも違う。


 柔らかく、穏やかで、しかし中心に強い光を持つような存在感。


「ルシアン・ホワイト。光属性代表候補です。武器は短杖。魔法は治癒、鎮静、浄化、魔力検知を得意とします。本日は指示に従い、鎮静魔法は許可があるまで使用しません」


 完璧な自己紹介だった。


 声量も、姿勢も、言葉選びも。


 教師たちの何人かが満足そうに頷く。


 アリシアは胸が少しだけ固くなる。


 眩しい。


 光の支点に近づいた時と同じ感覚。


 嫌ではない。


 でも、近いと少し息が詰まる。


 ルシアンは戻る途中、アリシアへ微笑んだ。


 アリシアは小さく会釈した。


 半歩下がって見る。


 そして最後。


 エレナ教官がアリシアを見た。


「アリシア」


 名前だけだった。


 特殊魔力反応観察対象、とは呼ばれなかった。


 アリシアはそれに気づき、少しだけ胸が温かくなった。


「はい」


 前へ出る。


 足が少し重い。


 演習場の中央へ向かう数歩が、とても長く感じる。


 教師たちの視線。


 五属性候補たちの視線。


 ノアの気配。


 全部が背中と胸に集まっているようだった。


 アリシアは中央に立った。


 木刀の柄に触れる。


 息を吸う。


 そして、小さな声で言った。


「アリシア、です」


 声が少し小さすぎた。


 エレナ教官が言う。


「もう少し声を出せ」


「はい」


 アリシアはもう一度息を吸った。


「アリシアです。武器は木刀です。属性魔法は……まだ、普通の五属性としては確認されていません」


 少し沈黙。


 自分で言葉を探す。


 どう言えばいいのか。


 黒い力。


 特殊魔力反応。


 闇。


 まだ、全部を言えない。


 言う必要もない。


 アリシアは続けた。


「魔法については、グラン先生の指導のもとで確認中です。今日は、木刀の基礎動作と、複数属性の場で感じたことを報告します」


 言えた。


 震えていたかもしれない。


 でも、言えた。


 エレナ教官が頷く。


「よし」


 その一言だけで、アリシアの胸が少し緩んだ。


 レオンが大きく頷く。


「木刀か! いいな!」


 ミランダも笑う。


「アリシア、戦闘基礎でも木刀上手いもんね!」


 シオンが言う。


「声は小さいけどね」


 リーネが即座に言う。


「今の自己紹介は必要事項を満たしています」


 ルシアンは穏やかに微笑んだ。


「確認中、と自分で言えるのは大切ですね」


 アリシアは少し顔を赤くした。


 けれど、俯かなかった。


「ありがとうございます」


 戻る時、ノアが足元で待っていた。


 金色の瞳がアリシアを見上げる。


「八十九点」


 小さな声。


 アリシアは思わず小声で聞き返す。


「減点は?」


「一回目の声が小さすぎ。でも二回目はよく言えた」


 アリシアは少しだけ笑った。


 自己紹介が終わると、エレナ教官は六人を横一列に並べた。


 左から、レオン、リーネ、シオン、アリシア、ミランダ、ルシアン。


 アリシアは一瞬、自分が中央寄りにいることに気づいて緊張した。


 だが、シオンが隣で小さく言った。


「端より目立たないよ」


「そうなんですか?」


「たぶん」


「たぶん……」


 反対側のミランダが笑う。


「大丈夫! 私もいるから!」


 その声が大きくて、アリシアは少し安心した。


 エレナ教官は言う。


「次は基礎姿勢の確認だ。武器を構えろ。魔法はまだ使うな」


 六人がそれぞれ武器を構える。


 レオンは大剣。


 リーネは短杖。


 シオンは短弓を背に、短剣を軽く構える。


 アリシアは木刀。


 ミランダは戦槌。


 ルシアンは短杖。


 武器の形がまるで違う。


 立ち方も違う。


 気配も違う。


 アリシアは木刀を抜いた。


 その瞬間、少しだけ世界が静かになる。


 周囲の視線。


 観察。


 封印。


 空欄。


 それらが完全に消えるわけではない。


 けれど、木刀を握ると、意識の中心が柄と足元に戻ってくる。


 祖父の声が遠くに蘇る。


 ――まず立て。立てなきゃ、逃げることも守ることもできん。


 アリシアは足を置く。


 右足。


 左足。


 膝を固めすぎない。


 肩を落とす。


 木刀の切っ先を少し下げる。


 呼吸を深く。


 エレナ教官の視線がアリシアで止まった。


 何かを見ている。


 アリシアは緊張したが、構えは崩さなかった。


 エレナ教官は次に他の候補者を見た。


「レオン、剣が高い。力で押す前提になっている」


「はい!」


「リーネ、杖先は良いが足が狭い。押された時に崩れる」


「はい」


「シオン、脱力しすぎだ。初動は速いが、受けに弱い」


「はいはい」


「返事」


「はい」


「ミランダ、戦槌を握りすぎ。手首を殺すな」


「はい!」


「ルシアン、姿勢は良い。ただし整えすぎだ。崩れた時の対応を考えろ」


「はい」


 そして、最後にアリシア。


「アリシア」


「はい」


「構えは悪くない。だが周囲を気にしすぎるな。木刀を握ったなら、まず前を見ろ」


「はい」


 構えは悪くない。


 その言葉が、アリシアの胸に残った。


 観察対象ではなく、木刀を持つ生徒として指摘された。


 他の候補者と同じように。


 それが、少し嬉しかった。


 エレナ教官は手を叩いた。


「次、基本動作。前進、後退、左右移動。合図に合わせろ」


 六人が動き始めた。


 最初は単純な動き。


 前へ一歩。


 後ろへ一歩。


 右へ。


 左へ。


 だが、六人が並んで動くと、それだけで空気が揺れる。


 レオンの一歩は重く熱い。


 床を踏む音が大きい。


 リーネの動きは慎重で正確。


 シオンは軽い。


 ほとんど風のように位置を変える。


 ミランダは安定しているが、時々前へ行きたがる。


 ルシアンは美しいほど整っている。


 そしてアリシアは、その全員の動きに飲まれそうになった。


 情報が多い。


 足音。


 魔力の気配。


 武器の重み。


 視線。


 教師の記録。


 胸の奥が少しざわつく。


 だが、ノアの声が足元から聞こえた。


「自分の足」


 アリシアは自分の足を見る。


 床。


 足裏。


 木刀。


 呼吸。


 そこへ意識を戻す。


 全員を見る必要はない。


 今は、自分の基本動作。


 エレナ教官の合図。


 前。


 後ろ。


 右。


 左。


 少しずつ動きが安定していく。


 グラン先生が遠くで記録している。


 マリナ先生は結界の反応を見ている。


 教務主任は表情を変えない。


 レオンは時々勢いが余る。


 ミランダも少し前へ出る。


 シオンはそれを避けるように軽く動く。


 リーネは記録したそうな顔をしながらも、必死に動きに集中している。


 ルシアンは乱れない。


 アリシアは、それぞれの違いを感じながらも、自分の動きを失わないようにした。


 しばらく基本動作を続けた後、エレナ教官は止めた。


「よし。次は魔力の安定確認だ」


 アリシアの胸が少し固くなる。


 エレナ教官はすぐに言った。


「アリシアは見学と体感報告。魔力を出す必要はない」


「はい」


 少し安心する。


 五属性候補たちは、低出力で魔力を出すことになった。


 レオンは手のひらに小さな火を灯す。


 それでも十分明るい。


 ミランダが小声で言う。


「四分の一?」


 レオンが小声で返す。


「たぶん!」


 エレナ教官がすぐに言う。


「レオン、さらに半分」


「はい!」


 火が少し小さくなる。


 リーネは杖先に薄い水膜を張った。


 青い光が静かに揺れる。


 シオンは指先に小さな風の渦を作る。


 見えにくいが、近くの空気が少し揺れている。


 ミランダは足元に小さな土の固定陣を作った。


 床に淡い黄色の光が広がる。


 ルシアンは杖先に白い光を灯した。


 柔らかい。


 でも、存在感がある。


 五属性の魔力が、同じ場に揃った。


 アリシアは息を止めそうになった。


 火の熱。


 水の静けさ。


 風の流れ。


 土の重さ。


 光の鎮まり。


 それらが、中央演習場の空気に重なっていく。


 胸の奥の夜が、静かに揺れた。


 拒絶ではない。


 痛みでもない。


 ただ、五つの力の中で、自分の中の夜が輪郭を確かめているような感覚。


 グラン先生の声がした。


「アリシアさん。体感を言葉にできますか」


 アリシアはゆっくり息を吸った。


 五人がこちらを見る。


 教師たちも見る。


 怖い。


 でも、これは報告。


 自分の役割。


「火は……近くにあると、胸の上の方が温かいです。水は、呼吸が落ち着きます。風は、皮膚の外側を撫でる感じがします。土は、足元が重くなります。光は……胸の奥の夜が、少し奥に下がる感じがします」


 言えた。


 グラン先生が頷く。


「痛みは?」


「ありません」


「冷えは?」


「ありません」


「黒い反応が出そうな感じは?」


 アリシアは胸に意識を向ける。


「出そう……というより、輪郭を確かめている感じです」


「輪郭」


 グラン先生が記録する。


 ルシアンが静かに言った。


「光で、夜が奥に下がるのですね」


 アリシアは少し緊張した。


 でも、答える。


「はい。でも……嫌な感じではありません。ただ、近いと少し眩しいです」


 ルシアンは少しだけ目を細めた。


「なるほど。ありがとうございます」


 それ以上、踏み込んでこなかった。


 アリシアはほっとする。


 シオンが言う。


「風は皮膚の外側か。面白いね」


 リーネが記録しながら言った。


「アリシアさんの体感は、属性ごとの特徴と一致しています。主観記録として有用です」


「主観記録……」


 アリシアは少し困ったように笑った。


 エレナ教官が手を叩く。


「よし。第一段階はここまでだ」


 五属性の魔力が消える。


 演習場の空気が少し軽くなった。


 アリシアは深く息を吐いた。


 まだ何も戦っていない。


 でも、もうかなり疲れた。


 それでも、倒れてはいない。


 報告できた。


 黒い反応も強制されなかった。


 エレナ教官は六人を見渡す。


「次は、訓練武器のみでの簡単な対人確認を行う。魔法は禁止。まずは二人ずつ、基礎を見る」


 アリシアの手が木刀の柄へ触れる。


 対人確認。


 木刀。


 魔法なし。


 胸の奥が、少しずつ静かになる。


 怖い。


 でも、木刀なら。


 木刀を握るなら。


 ノアが足元で、小さく呟いた。


「……来るわね」


 アリシアは木刀を握った。


 演習場の空気が、さらに一段張りつめた。


★★★★★


 エレナ教官の言葉が、中央演習場の空気を変えた。


「次は、訓練武器のみでの簡単な対人確認を行う。魔法は禁止。まずは二人ずつ、基礎を見る」


 対人確認。


 魔法なし。


 武器のみ。


 アリシアの手が、木刀の柄へ触れた。


 胸の奥が、先ほどまでとは違う形で静かになる。


 五属性の魔力に囲まれていた時は、体の内側にたくさんの波が届いていた。


 火の熱。


 水の静けさ。


 風の揺れ。


 土の重さ。


 光の眩しさ。


 その中で、自分の中の夜は輪郭を確かめていた。


 けれど、今は違う。


 魔法ではなく、木刀。


 属性ではなく、間合い。


 観察ではなく、動き。


 アリシアは小さく息を吸った。


 祖父の声が、遠くで蘇る。


 ――怖いなら、まず立て。


 ――立てば、次を選べる。


 木刀の柄に触れる指先が、少しだけ落ち着いていく。


「アリシアさん」


 隣のリーネが小さく声をかけた。


「体調は?」


「大丈夫です。少し緊張してます」


「記録します」


「それも……?」


「重要です」


 リーネは真顔だった。


 アリシアは少しだけ笑いそうになる。


 その横で、シオンが肩を回しながら言った。


「魔法なしなら、まだ気楽だね」


「そうなんですか?」


「少なくとも、火と土に吹き飛ばされる心配は少ない」


「おい、聞こえてるぞ!」


 レオンが振り返る。


 ミランダも頬を膨らませた。


「私もちゃんと加減するよ!」


「その加減が心配なんだよ」


 シオンは平然としている。


 レオンは少し考え、真面目に頷いた。


「確かに、俺は力を抜くのが苦手だ!」


「自覚があるのはいいことですね」


 ルシアンが穏やかに言った。


 その声は柔らかかったが、どこか場を整える力があった。


 アリシアは少しだけルシアンを見る。


 白髪。


 短杖。


 整った姿勢。


 光の支点のように、柔らかくて、少し眩しい。


 ルシアンは視線に気づき、静かに微笑んだ。


「木刀なら、アリシアさんの得意な領域ですね」


「得意……かは、分かりません」


「でも、先ほどの構えはとても安定していました」


 その言葉に、胸が少し温かくなる。


 同時に、少し眩しい。


 アリシアは半歩だけ心の距離を取る。


「ありがとうございます」


 それ以上は踏み込まない。


 ルシアンも、それ以上踏み込まなかった。


 エレナ教官は六人を中央から少し下がらせ、床の円形結界陣の外周を指した。


「対人確認は、この内側で行う。三手まで。勝敗を見るものではない。姿勢、反応、距離、判断を見る」


 教務主任が腕を組み、少し離れた位置で見ている。


 グラン先生は水晶板の前で記録を取る準備をしていた。


 マリナ先生は演習場の結界札を確認している。


 教師たちの視線がある。


 アリシアは、それを感じて肩が縮みそうになった。


 だが、ノアが演習場の端から短く言った。


「前」


 アリシアは顔を上げる。


 見られている。


 でも、見世物ではない。


 授業。


 確認。


 安全管理。


 そう何度も心の中で繰り返す。


 エレナ教官は言った。


「最初はレオンとミランダ。力で押す者同士、どこまで制御できるかを見る」


「はい!」


「はい!」


 二人の声が重なった。


 大きい。


 演習場に響く。


 シオンが耳を軽く押さえる。


「音圧で負けそう」


 リーネが言う。


「同意します」


「そこ同意するんだ」


 アリシアは少しだけ笑った。


 レオンとミランダが中央へ出る。


 大剣型訓練剣と、訓練用戦槌。


 二人が向き合うだけで、床の空気が少し重くなったように感じた。


 魔法は禁止。


 身体強化も禁止。


 それでも、二人の体からは前へ進む力があふれている。


 アリシアはその姿を見ながら、自分とは違う強さだと思った。


 正面からぶつかる強さ。


 迷わず踏み込む強さ。


 自分にはないもの。


 けれど、だからこそ見えるものもある。


 レオンの足は、初手でかなり前へ出る。


 ミランダは受ける時、少し右足に重心が乗る。


 まだ始まっていないのに、そんなことが目に入った。


 木刀を握っていないのに、見てしまう。


 アリシアは少し驚いた。


 昨日までなら、きっと二人の迫力に圧倒されて終わっていた。


 でも今は、怖いと思いながらも、足を見ることができている。


「見てるわね」


 ノアの声がした。


 アリシアは小さく頷いた。


「うん」


「いいことよ。でも、見すぎて飲まれない」


「うん」


 エレナ教官の手が上がる。


 対人確認が始まろうとしている。


 レオンは楽しそうに笑っていた。


 ミランダも同じくらい楽しそうだった。


 アリシアは、その眩しさに少しだけ目を細める。


 怖い。


 でも、見たい。


 自分とは違う強さが、どう動くのか。


 それを見たいと思った。


 その気持ちは、悪いものではない気がした。


 エレナ教官の手が、静かに下りた。


 アリシアは息を止める。


 中央演習場に、木と魔導樹脂がぶつかる最初の音が響こうとしていた。

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