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『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第41話 六人が並ぶ場所



 教室の空気は、まだざわついていた。


 伝声石から流れた教務主任の声はもう消えている。


 けれど、その言葉の余韻だけが、教室の隅々に残っていた。


 火属性代表候補、レオン・アルバート。


 水属性代表候補、セレナ・ヴァーレン。


 風属性代表候補、シオン・グレイ。


 土属性代表候補、ミランダ・フォード。


 光属性代表候補、ルシアン・ホワイト。


 そして。


 特殊魔力反応観察対象、アリシア。


 その呼び方が、胸に引っかかっていた。


 候補者ではない。


 代表でもない。


 観察対象。


 自分だけが、少し違う言葉で呼ばれた。


 分かっている。


 アリシアは五大国の候補者ではない。


 火の国でも、水の国でも、風の国でも、土の国でも、光の国でもない。


 山の隠れ里で祖父と暮らしていた少女。


 忘れられた闇の神獣ノアと契約した、黒い力を持つ少女。


 だから、同じ呼び方にはならない。


 それでも。


 観察対象。


 その言葉は、どうしても少し痛かった。


「アリシアちゃん」


 隣の席から、メリルが小さく呼んだ。


 アリシアははっとする。


 いつの間にか、机の上の練習帳を強く握っていた。


「大丈夫?」


「……怖い」


 声は小さかった。


 けれど、ちゃんと言えた。


 メリルは頷く。


「うん。怖いよね」


 否定しない。


 励ましすぎない。


 ただ隣に置かれる言葉。


 それだけで、少し呼吸が戻る。


 トマが前の席から振り返った。


「アリシア、無理すんなよ」


 ミーナも静かに言う。


「確認すべきことは、ちゃんと聞いた方がいいわ。観察対象なんて言い方をされたなら、なおさら」


 その言葉に、アリシアは少し目を丸くした。


 ミーナはいつも冷静だ。


 でも、今の声には少し怒りのようなものも混じっていた。


「……うん」


 アリシアは頷く。


「安全管理と、何をするのかは確認する」


「そう」


 ミーナは短く言った。


「それでいい」


 教室の後方では、何人かの生徒がこちらを見ていた。


 ひそひそと声がする。


「特殊魔力反応って、やっぱりアリシアだったんだ」


「合同授業に呼ばれるって、何するんだろ」


「黒い魔力って本当なのかな」


「観察対象って……」


 最後の言葉で、アリシアの肩が少し縮む。


 だが、すぐに足元からノアの声がした。


「背筋」


 アリシアは反射的に背筋を伸ばした。


 メリルが少しだけ笑う。


「ノアちゃん、今すごく頼もしい顔してる」


 ノアは普通の猫の顔で、上品に瞬きした。


 アリシアは小さく息を吐く。


「行ってくるね」


「うん」


 メリルは真剣な目で頷いた。


「終わったら、話せる範囲で聞かせて。無理なところは話さなくていいから」


「ありがとう」


 その言葉が、ありがたかった。


 全部を話さなくていい。


 でも、話せる場所はある。


 アリシアは練習帳を鞄へ入れ、木刀を腰に差した。


 ノアが足元を歩く。


 教室を出る時、視線が背中に刺さった。


 けれど、振り返らなかった。


 廊下へ出ると、空気が少し冷たく感じた。


 昼過ぎの校舎は、授業中の静けさに包まれている。


 だが今日は、その静けさの下に何かが動いていた。


 教師たちの足音。


 遠くから聞こえる魔導具の運搬音。


 中央演習棟の方角から、結界札が擦れるような微かな音も聞こえる気がした。


 アリシアは足を止めそうになる。


「行くわよ」


 ノアが言った。


「うん」


 中央演習棟へ向かう道は、中庭を抜ける。


 昨日まで何度も見た魔導灯が、昼の光の中で静かに立っていた。


 夜に黒い線が走った魔導灯。


 今は何もない。


 ただの灯具として、そこにある。


 アリシアは少しだけ視線を向けた。


 胸の奥の夜は、今日は揺れない。


「見すぎない」


「うん」


 アリシアは視線を戻した。


 中庭には、すでに何人かの生徒がいた。


 呼び出された者ではない。


 噂を聞きつけ、中央演習棟の方を遠巻きに見ている生徒たちだ。


 上級生もいる。


 一年生もいる。


 彼らの視線が、アリシアを見つける。


 黒髪の少女。


 黒猫を連れた少女。


 特殊魔力反応観察対象。


 その言葉が、彼らの目の中に浮かんでいるように感じた。


 アリシアは俯きそうになる。


 だが、そこで足元のノアが軽く尻尾で靴を叩いた。


「前」


「……うん」


 前を見る。


 中央演習棟。


 白い石造りの大きな建物。


 上級演習場に続く広い扉の前に、教師が二人立っていた。


 そのうち一人は、エレナ教官だった。


 腕を組み、いつものように厳しい顔をしている。


 アリシアが近づくと、エレナ教官は短く頷いた。


「来たか」


「はい」


「遅れてはいない。落ち着いているか」


「怖いです」


 アリシアは正直に言った。


 エレナ教官は一瞬だけ目を細めた。


「ならいい。怖いことが分かっているなら、無茶はしにくい」


「はい」


「中で説明がある。分からないことは聞け」


「はい」


 エレナ教官の言葉は短い。


 でも、その短さが今はありがたかった。


 アリシアは第一控室へ案内された。


 扉を開けると、すでに何人かがいた。


 最初に目に入ったのは、赤髪の少年だった。


 背が高く、がっしりした体格。


 制服の上からでも分かる筋肉。


 椅子に座っているのに、まるで立っているような圧がある。


 彼が火属性代表候補、レオン・アルバートだろう。


 その隣には、ミランダが立っていた。


 黄色い髪を揺らしながら、レオンと何か楽しそうに話している。


「だから、前に出すぎると怒られるんだよ!」


「前に出なきゃ始まらないだろ!」


「それで怒られるんだってば!」


 会話だけで、どちらも脳筋寄りだと分かる。


 少し離れた席には、リーネがいた。


 青髪のショートヘア。


 眼鏡。


 膝の上には記録板。


 いつもの落ち着いた表情で、すでに何かを書いている。


 水属性代表候補、セレナ・ヴァーレン。


 普段、アリシアたちはリーネと呼んでいる。


 だが、今日この場では、彼女も五属性候補の一人なのだと改めて感じた。


 窓際には、シオンがいた。


 緑髪のポニーテール。


 壁にもたれ、面倒そうに外を見ている。


 しかし、アリシアが入ると、ちらりとこちらを見た。


「来たんだ」


「呼ばれたので……」


「逃げなかっただけ偉いね」


「シオンさんも」


「僕は先生に逃げるなって言われたから」


 皮肉っぽい声。


 けれど、そこに少しだけ安心する。


 そして、部屋の奥。


 白髪の少年が立っていた。


 ルシアン。


 光属性代表候補。


 彼はアリシアに気づくと、柔らかく微笑んだ。


「アリシアさん。来られたのですね」


「はい」


「無理はなさらないでください」


「……ありがとうございます」


 礼は言う。


 でも、そこから先へ踏み込まない。


 半歩下がって見る。


 アリシアはそう意識した。


 六人。


 いや、正確には五属性候補五人と、特殊魔力反応観察対象の一人。


 その場に並んだ瞬間、空気が少し変わった気がした。


 火の赤。


 水の青。


 風の緑。


 土の黄。


 光の白。


 そして、闇の黒。


 色が揃っている。


 けれど、黒だけが正式な席を持たない。


 アリシアは部屋の隅に立とうとした。


 すると、ミランダがすぐに手を振った。


「アリシア! こっち!」


 大きな声。


 部屋の全員がこちらを見る。


 アリシアは一瞬固まる。


「ミランダ、声が大きい」


 シオンが言った。


「ごめん!」


 ミランダは素直に謝ったが、手招きはやめない。


「ここ空いてるよ!」


 そこは、ミランダとリーネの間だった。


 五属性候補の真ん中に入るような位置。


 アリシアは迷った。


 自分がそこに座っていいのか。


 けれど、リーネが顔を上げて言った。


「座ってください。壁際に立つと、余計に注目されます」


「そ、そうですね……」


 リーネらしい実用的な言葉だった。


 アリシアは小さく頷き、椅子に座った。


 ノアは足元へ。


 レオンがアリシアを見た。


 赤い髪に、強い目。


「お前がアリシアか!」


「は、はい」


「俺はレオン・アルバート! 火属性代表候補だ!」


 声が大きい。


 けれど、嫌な圧ではない。


 ただ真っ直ぐだった。


「よろしくな!」


「よ、よろしくお願いします」


 アリシアが頭を下げると、レオンは豪快に笑った。


「なんだ、ずいぶん礼儀正しいな!」


 ミランダが言う。


「アリシアは人見知りなんだよ!」


「そうなのか!」


「ミランダさん……」


 アリシアは顔が熱くなる。


 レオンは腕を組み、真剣に頷いた。


「人見知りでも、ここに来たなら根性あるな!」


「根性……」


「呼ばれて怖いのに来たんだろ? それは根性だ!」


 その言い方は少し単純だった。


 でも、不思議と胸に入ってきた。


 怖いのに来た。


 それは根性。


 ノアが足元で小さく言った。


「脳筋が増えたわね」


 アリシアは咳払いで笑いを誤魔化した。


 リーネが静かに言う。


「レオン、声量を少し落としてください。控室です」


「おお、悪い!」


 あまり落ちていない。


 シオンがため息をつく。


「火と土が揃うと部屋の温度が上がるね」


「風で冷ませば?」


 ミランダが言う。


「面倒」


「シオンらしい!」


 そんなやり取りに、アリシアの緊張が少しだけほぐれる。


 しかし、ルシアンが一歩近づくと、空気がまた少し整った。


「こうして六人が同じ場に集まるのは、初めてですね」


 六人。


 その言葉に、アリシアの胸が跳ねる。


 ルシアンは自然に言った。


 五人ではなく、六人。


 アリシアを数に入れていた。


 それは優しさなのか。


 意図なのか。


 分からない。


 リーネが眼鏡を押し上げる。


「正式には五属性代表候補五名と、特殊魔力反応観察対象一名です」


 あまりにも正確な訂正だった。


 レオンが首を傾げる。


「でもここには六人いるぞ」


「人数としては六人です」


「なら六人だ!」


 レオンはあっさり言った。


 リーネは少し黙った。


 シオンが小さく笑う。


「単純だけど、今回は嫌いじゃない」


 アリシアは胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。


 六人。


 自分がそこに含まれることは怖い。


 でも、レオンやミランダにとっては、ただそこにいる人数の話なのだ。


 それが、少し救いだった。


 その時、控室の扉が開いた。


 入ってきたのは、グラン先生、マリナ先生、エレナ教官、そして教務主任だった。


 空気が一気に引き締まる。


 六人は自然に姿勢を正した。


 ノアも足元で静かに座る。


 教務主任は中年の男性で、淡い金色の髪を後ろに撫でつけている。


 眼差しは厳しいが、感情をあまり表に出さない。


 彼は六人を見渡した。


「急な呼び出しに応じてくれて感謝します」


 声は落ち着いていた。


「本日の合同授業は、通常の属性基礎および戦闘基礎の延長として実施します。ただし、内容は特別編成です」


 アリシアは膝の上で手を握った。


 確認すべきこと。


 安全管理。


 授業内容。


 先生の立ち会い。


 教務主任は続ける。


「目的は三つ。一つ、各属性代表候補の基礎能力確認。二つ、複数属性の連携観察。三つ、特殊魔力反応が複数属性環境下でどのような反応を示すかの安全確認」


 三つ目で、アリシアの胸が少し固くなる。


 特殊魔力反応。


 自分のことだ。


 グラン先生がアリシアを見た。


 その視線は責めるものではない。


 落ち着いている。


 大丈夫。


 確認のため。


 安全に。


 アリシアは息を吸った。


 そして、手を小さく上げた。


 教務主任が視線を向ける。


「アリシアさん。質問ですか」


「はい」


 声が震えそうになる。


 でも、言う。


「私は……何を求められますか。黒い反応を出す必要がありますか」


 部屋が少し静かになる。


 アリシアは続けた。


「それと、安全管理はどうなっていますか。怖くなった時に、止めることはできますか」


 言えた。


 黙って頷くだけではなかった。


 エレナ教官がわずかに頷いたのが見えた。


 教務主任は表情を変えず、しかし丁寧に答えた。


「良い質問です。まず、あなたに強制的に黒い反応を出させることはありません」


 アリシアは小さく息を吐いた。


「本日の第一段階では、あなたは木刀での基礎動作と、複数属性魔力の場に立った時の体感を報告してもらいます。魔力反応の確認は、グラン先生の管理下で、あなたの同意を得た場合のみ行います」


「同意……」


「はい。あなたが不安を感じ、続行が難しいと判断した場合、即時中断できます」


 胸の緊張が、少し緩んだ。


 グラン先生も頷く。


「アリシアさん。いつもの個別指導と同じです。怖くなったら言ってください。無理に進めません」


「はい」


 マリナ先生が続ける。


「演習場には結界管理室の補助結界を張っています。外部干渉の監視も行います。先日の干渉痕の件もあるため、通常より警戒を上げています」


「分かりました」


 教務主任は六人全員を見渡した。


「他に質問はありますか」


 リーネが手を上げた。


「記録は許可されますか」


 シオンが小さく笑う。


「そこ聞くんだ」


 リーネは真剣だった。


 教務主任は少し考えた。


「授業中の個人記録は許可します。ただし、結界式や教員側の測定値は記録不可です」


「承知しました」


 レオンが手を上げる。


「全力でやっていいですか!」


 エレナ教官が即答した。


「だめだ」


「はい!」


 ミランダも手を上げる。


「前に出てもいいですか!」


「指示があるまで待て」


「はい!」


 シオンがため息をつく。


「この二人、質問が似てる」


 ルシアンは静かに手を上げた。


「連携観察では、属性相性も確認しますか」


 教務主任が頷く。


「可能な範囲で行います。ただし、本日の主目的は基礎確認です。高度な属性干渉は行いません」


「分かりました」


 落ち着いたやり取り。


 やはりルシアンは場に慣れている。


 アリシアはその姿を見ながら、光の支点を思い出した。


 柔らかく、整っていて、少し眩しい。


 それでも、今は半歩下がって見られている。


 教務主任は最後に言った。


「本日の合同授業は、君たちを競わせるためのものではありません。互いの力を知り、学園側が安全に指導するための確認です。勝敗にこだわらないように」


 レオンが少し残念そうな顔をした。


 ミランダも同じ顔をした。


 シオンが呟く。


「分かりやすいね、二人とも」


 リーネが記録する。


「勝敗目的ではない」


「それも書くんだ」


「重要です」


 アリシアは小さく笑った。


 その時、教務主任がアリシアへ視線を向けた。


「アリシアさん」


「はい」


「放送での呼称について、不安を与えたかもしれません」


 思いがけない言葉だった。


 アリシアは目を見開く。


「特殊魔力反応観察対象という表現は、学園側の管理分類に基づくものです。しかし、授業内ではあなたを一人の生徒として扱います」


 胸の奥が震えた。


 観察対象。


 その言葉が痛かったことを、見抜かれていたのだろうか。


 グラン先生が少しだけ穏やかな目で見ている。


 アリシアはゆっくり頭を下げた。


「ありがとうございます」


 教務主任は頷く。


「では、移動します」


 控室の扉が開かれた。


 その先に、中央演習場へ続く廊下がある。


 白い石の床。


 高い天井。


 壁には五属性の紋章が刻まれていた。


 火の鳥。


 水の蛇。


 風の狼。


 土の亀。


 光の白猫。


 アリシアはその紋章を見ながら歩いた。


 五つ。


 整った五つ。


 そして、やはり黒猫はない。


 足元のノアが、静かに歩いている。


 紋章のない神獣。


 忘れられた六つ目。


 アリシアは胸元に手を当てた。


 怖い。


 でも、今は質問できた。


 安全管理も確認した。


 同意なしに黒い反応を出させられることはない。


 怖くなったら止められる。


 それだけで、足は少し前へ進む。


 中央演習場の扉が開いた。


 中は広かった。


 天井は高く、光が上部の窓から差し込んでいる。


 床には大きな円形の結界陣が描かれていた。


 五つの属性支点を模した小さな石柱が、演習場の周囲に配置されている。


 中央には、何もない空間。


 そこに、六人は案内された。


 観覧席には、数名の教師がいた。


 属性担当教師。


 結界管理室の職員。


 そして、教務主任の補佐らしき人々。


 生徒はいない。


 見世物ではない。


 そのことに、アリシアは少し安心した。


 それでも、教師たちの視線は鋭い。


 火を見る目。


 水を見る目。


 風を見る目。


 土を見る目。


 光を見る目。


 そして、闇を見る目。


 アリシアはまた肩を縮めかけた。


 その瞬間、ミランダが隣に並んだ。


「アリシア、私ここにいるからね」


「ミランダさん……」


 反対側にはリーネが立つ。


「体感に変化があれば、短く伝えてください。記録します」


「リーネさん……」


 少し離れて、シオンが言う。


「倒れそうなら言いなよ。さすがに支えるくらいはするから」


「ありがとうございます」


「また礼」


 レオンが笑う。


「俺もいるぞ!」


 ルシアンは穏やかに言う。


「無理はしないでください。ですが、あなたの力を恐れすぎる必要もないと思います」


 アリシアは六人を見た。


 火。


 水。


 風。


 土。


 光。


 そして、自分。


 まだ、同じ場所に立てているとは言えない。


 でも、同じ演習場には立っている。


 ノアが足元で静かに言った。


「顔を上げなさい、アリシア」


「……うん」


 アリシアは顔を上げた。


 エレナ教官が中央に立つ。


「これより、合同授業を開始する」


 その声が、演習場に響いた。


 アリシアの胸の奥で、夜が静かに揺れた。

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