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『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第40話 六人の候補者 



 翌朝、アリシアはいつもより静かな気持ちで目を覚ました。


 昨日の夜、ノアから九十九点をもらった。


 封印に触れない手。


 逃げた手ではなく、守るために止まった手。


 練習帳の最後に書いたその一文は、朝になっても胸の中に残っていた。


 封印された一行の中身は、まだ分からない。


 設立時議事に何が書かれていたのか。


 なぜ現行結界へ反映されなかったのか。


 なぜ五大国共同承認なしに再提起できないのか。


 答えは、まだ空白の向こう側にある。


 けれど、昨日のアリシアはそこへ手を伸ばさなかった。


 見たいと思った。


 知りたいと思った。


 触れたいとさえ思った。


 でも、触れなかった。


 そのことが、今朝の胸の奥に小さな芯を作っていた。


「顔が少し落ち着いてるわね」


 窓辺からノアが言った。


 アリシアは寝台の上でゆっくり起き上がる。


「昨日、触らなかったからかな」


「ええ。触れなかった、ではなく、触らなかった。そこは大事よ」


「うん」


「今日は封印のことばかり考えすぎないこと」


「うん……でも、考えちゃうかも」


「考えるのはいいわ。飲まれないこと」


 ノアは窓の外を見る。


 朝の光が、黒い毛並みの縁だけを淡く照らしていた。


「今日は、別の動きがあるかもしれないし」


「別の動き?」


 アリシアが聞くと、ノアは少しだけ耳を動かした。


「学園の空気が少し違う」


「空気……?」


「廊下の足音が早い。朝から教師の気配が多い。何かを準備しているわね」


 アリシアは耳を澄ませた。


 確かに、いつもの朝より遠くの廊下が慌ただしい気がする。


 生徒の声ではない。


 大人の足音。


 低い話し声。


 何かが運ばれているような音。


 胸が少し緊張する。


「また結界のことかな」


「可能性はある。でも、決めつけない」


「うん」


「まずは朝食。パンを粉々にしない」


「そこも大事?」


「当然」


 ノアはいつものように言った。


 その調子に、アリシアは少し笑う。


 不安が完全に消えるわけではない。


 でも、ノアがこうしていつもの調子でいてくれるだけで、足元が少し安定する。


 制服に着替え、リボンを結ぶ。


 鏡の前に立つ。


 黒髪。


 黒い瞳。


 少し細い体。


 以前と同じ自分。


 でも、少しだけ違う自分。


 封印に触れなかった手。


 報告できる足。


 記録できる言葉。


 仲間に頼れる心。


 それらが、少しずつ自分の中に増えている。


「背筋」


 ノアが言う。


 アリシアは自然に背筋を伸ばした。


「今日は何があっても、一人で抱えない」


「よろしい」


 扉が叩かれた。


「アリシアちゃん、おはよう」


 メリルの声だった。


 アリシアは扉を開ける。


「おはよう、メリルさん」


 メリルも少し周囲を気にしていた。


「なんか、今日は先生たち忙しそうだね」


「やっぱり?」


「うん。さっき廊下で、上級生の先生が何人か走ってた」


「走ってたの?」


「早歩きくらいだけど、先生にしてはかなり急いでた」


 メリルの声にも不安が混じっていた。


 アリシアは頷く。


「ノアも、空気が違うって」


「ノアちゃん、すごいね」


 ノアは足元で上品に鳴いた。


「にゃあ」


 メリルは少し笑ったが、すぐに表情を戻した。


「結界のことかな」


「分からない。でも……何かあるなら、先生から話があると思う」


「うん」


 二人と一匹で廊下を歩く。


 第一寮の朝はいつも通りのはずだった。


 けれど、今日は少しだけ違っていた。


 生徒たちもその空気に気づいているのか、いつもより話し声が低い。


 階段の下で、二年生らしい女子生徒たちが「今日、合同で何かあるらしいよ」と囁いていた。


 別の男子生徒が「実技場が朝から閉鎖されてるって」と話している。


 合同。


 実技場。


 その言葉がアリシアの耳に残った。


 食堂へ入ると、空気はさらにざわついていた。


 普段は朝食の匂いと笑い声で満ちている場所が、今日はどこか浮き足立っている。


 配膳台の前でも、生徒たちが小声で話していた。


「上級演習場、使えないらしい」


「先生たちが結界札運んでたって」


「一年も関係あるのかな」


「属性別の合同授業じゃない?」


「五大国の候補者がどうとか……」


 断片的な言葉が聞こえる。


 アリシアは少し肩を縮めかけた。


 五大国の候補者。


 自分には関係ないはずの言葉。


 けれど最近、その「関係ないはず」が少しずつ揺れている。


 火、水、風、土、光。


 そして、闇。


 六つ目。


 空欄。


 封印。


 自分がその流れの中にいることを、もう完全には否定できなかった。


「アリシア!」


 ガレスの声がした。


 いつもの席で、ガレスとミランダが手を振っている。


 ただ、二人とも今日は少しそわそわしていた。


「おはよう」


 アリシアが座ると、ガレスが身を乗り出した。


「聞いたか? 今日、合同授業があるかもしれないって!」


「合同授業?」


「上級演習場が朝から閉鎖されてる。先生たちが準備してる。絶対何かある!」


 ミランダも目を輝かせる。


「属性候補者が集められるかもって噂!」


 メリルが少し不安そうに言う。


「噂だよね?」


「噂だけど!」


 ガレスは興奮している。


「でも、火の先生が俺を見て『今日はしっかり食べておけ』って言ったんだ!」


「それは……かなり可能性あるね」


 メリルが苦笑した。


 ミランダも頷く。


「土の先生にも、午後の予定空けておけって言われた!」


 アリシアはパンを手にしたまま固まった。


 火の候補者。


 土の候補者。


 なら、水のセレナ。


 風のシオン。


 光のルシアン。


 そして。


 自分は?


 アリシアはすぐに首を振りたくなった。


 自分は正式な属性候補者ではない。


 黒い特殊魔力反応を持っているだけ。


 五大国の継承者候補たちと並ぶような存在ではない。


 そう思いたい。


 けれど、胸の奥の夜は静かに揺れていた。


 ノアが椅子の上で言う。


「パン」


「え?」


「固まってる。粉々になる前に食べなさい」


「あ……うん」


 アリシアは慌ててパンをちぎった。


 今日は少し形が崩れたが、まだ粉ではない。


「七十八点」


 ノアが小声で言う。


 アリシアは少しだけ苦笑した。


 そのやり取りのおかげで、固まっていた体が少し戻る。


 ガレスが言った。


「もし合同授業なら、アリシアも呼ばれるんじゃないか?」


 アリシアは目を丸くする。


「私?」


「だって、特殊魔力反応だろ? それに、結界の黒い線も見つけてる」


「でも、五属性じゃないし……」


 ミランダが首を傾げる。


「でも、だから呼ばれるんじゃない?」


「だから……」


「うん。五属性じゃないから、先生たちも見たいのかも」


 悪気のない言葉。


 でも、胸が少し冷たくなる。


 見たい。


 調べたい。


 確認したい。


 ルシアンが言った、いつか比べる機会があるかもしれませんね、という言葉を思い出す。


 アリシアはパンを見下ろした。


 メリルがすぐに気づく。


「アリシアちゃん、大丈夫?」


「うん……もし呼ばれたら、怖いなって」


「怖いよね」


 メリルは否定しなかった。


「でも、呼ばれたら一人じゃないよ。私も行けるかは分からないけど、ガレス君やミランダさんはいるかもしれないし、シオン君やリーネさんも関係するかもしれない」


「リーネさんは水の候補者じゃ……」


 言いかけて、アリシアは止まる。


 そうだった。


 水の継承者候補は、青髪の少女。


 セレナ。


 これまで直接の関わりは少なかった。


 リーネは文系で眼鏡の水属性候補として設定されているが、アリシアたちの調査班にいる彼女こそが、その水の候補者だった。


 学園の日常の中で、リーネはただの冷静な記録係に見えていた。


 でも、彼女もまた五大国の候補者の一人なのだ。


「リーネさんも、候補者なんだよね」


 アリシアが呟くと、メリルは頷いた。


「うん。普段は本の虫だけど」


 少し離れた席で本を読んでいたリーネが、なぜかこちらを見た。


 聞こえたのかもしれない。


 メリルが小さく手を振ると、リーネは会釈だけしてまた本へ視線を落とした。


 ガレスが笑う。


「リーネも絶対呼ばれるな!」


「シオン君もだよね」


 メリルが言う。


 ミランダが頷く。


「ルシアンも!」


 その名前に、アリシアは少しだけ胸が固くなった。


 光のルシアン。


 優しい少年。


 でも、近づくと少し息苦しい。


 光の支点のような存在。


 もし合同授業で一緒になるなら、きっと避けては通れない。


 ノアが静かに言った。


「半歩下がって見る」


 アリシアは小さく頷いた。


 生活基礎の時間になっても、教室のざわつきは収まらなかった。


 生徒たちは朝の噂を持ち込んでいた。


 上級演習場。


 合同授業。


 属性候補者。


 教師の準備。


 普段ならセリア先生が教室へ入るだけで空気が落ち着くが、今日は先生が来ても、ざわめきが完全には消えなかった。


 セリア先生は教壇に立ち、少しだけ微笑んだ。


「皆さん、今日はずいぶん気になることが多いようですね」


 教室に小さな笑いが起きる。


 セリア先生は黒板に文字を書いた。


『予定変更への対応』


 アリシアは思わずペンを握った。


 また、今必要な授業だった。


「学園では、急な予定変更が起こることがあります。授業内容が変わる。集合場所が変わる。自分に関係ないと思っていた予定に呼ばれる。そういう時、大切なのは、噂で判断しないことです」


 教室が少し静かになる。


「正式な連絡を待つ。分からないことは確認する。必要な準備をする。自分の不安を無視しない。これが基本です」


 アリシアはノートに書く。


 噂で判断しない。


 正式な連絡を待つ。


 不安を無視しない。


 まさに今の自分に必要だった。


 セリア先生は続ける。


「もし予定変更で不安になったら、まず自分に聞いてください。何が不安なのか。何を確認すれば安心できるのか。誰に聞けばよいのか」


 アリシアはノートの端に小さく書いた。


『不安:呼ばれるかもしれない。五属性候補と並ぶのが怖い。黒い力を見られるのが怖い』

『確認:正式な対象者。授業内容。安全管理。先生の立ち会い』

『聞く人:セリア先生、グラン先生、エレナ教官』


 書いていると、少し呼吸が整っていく。


 まだ何も正式には決まっていない。


 噂だけで不安になっている。


 でも、不安になっている自分を無視しなくていい。


 授業の後半では、予定変更を伝えられた時の対応を班で話し合った。


 アリシアはメリル、トマ、ミーナと同じ班だった。


 トマが言う。


「急に実技試験って言われたら嫌だな」


 ミーナが頷く。


「準備ができないものね」


 メリルがアリシアを見る。


「アリシアちゃんは、何を確認したい?」


「安全管理……かな。あと、何をするのか。誰と一緒なのか」


 ミーナが真剣に頷いた。


「大事ね。特に特殊魔力反応の件があるなら、先生がいるか確認した方がいいわ」


「うん」


 トマが少し笑う。


「アリシア、最近ちゃんと確認項目出せるようになったよな」


「そうかな……」


「うん。前なら、たぶん『はい』だけで固まってた」


「う……」


 その通りだった。


 アリシアは少し恥ずかしくなったが、同時に少しだけ嬉しかった。


 自分は少しずつ変わっている。


 戦闘基礎では、上級演習場が使えないため、第二演習室での軽い訓練になった。


 エレナ教官は普段より少し硬い表情で入ってきた。


 教室の噂を知っているのだろう。


 生徒たちの視線が一斉に向く。


 エレナ教官は短く言った。


「噂で浮くな。今やるべき訓練をしろ」


 それだけで、生徒たちは少し背筋を伸ばした。


 今日の訓練は、基本姿勢と反応確認だった。


 派手な動きはない。


 だが、エレナ教官の目は厳しかった。


「大きな予定がある日ほど、基礎が崩れる。心が先へ行くからだ」


 アリシアは木刀を握りながら、胸に刺さるのを感じた。


 まさに、自分の心は先へ行っている。


 合同授業。


 候補者。


 光。


 闇。


 まだ決まってもいないことを考えて、足元が浮いている。


「足を見ろ」


 エレナ教官の声が飛ぶ。


 アリシアははっとした。


 自分の足元を見る。


 右足が少し外へ流れていた。


「すみません」


「謝る前に直せ」


「はい」


 アリシアは足を戻す。


 木刀を構える。


 息を吸う。


 吐く。


 今見るのは、未来の合同授業ではない。


 今立っている床。


 今握っている木刀。


 今隣にいるメリル。


 あるものを見る。


 訓練は単純だった。


 合図に合わせて構え、下がり、前へ出る。


 だが、心が乱れると動きも乱れる。


 ガレスは明らかに興奮していて、前への踏み込みが強すぎた。


 ミランダも力が入りすぎて、重心が前に流れていた。


 エレナ教官は容赦なく指摘する。


「ガレス、浮くな」


「はい!」


「ミランダ、力を入れすぎだ」


「はい!」


「メリル、周りを気にしすぎて遅れている」


「はい」


「アリシア」


「はい」


「未来を見るな。今を見ろ」


 その言葉に、アリシアは息を止めた。


 未来を見るな。


 今を見ろ。


 何度も似た言葉を聞いてきた。


 でも今日のそれは、特に胸に刺さった。


「はい」


 アリシアは木刀を握り直した。


 今を見ろ。


 床。


 足。


 呼吸。


 木刀。


 メリルの気配。


 ノアは壁際で見ている。


 そこにあるもの。


 空欄ではないもの。


 それを見れば、少し落ち着く。


 訓練の終わり頃には、最初より動きが安定していた。


 エレナ教官は全員を見渡し、言った。


「午後、正式な連絡がある。聞くまでは余計な想像で自分を乱すな」


 教室が静まった。


 やはり、何かある。


 ガレスの目が輝く。


 ミランダもそわそわする。


 アリシアの胸も強く鼓動した。


 でも、エレナ教官の視線がアリシアに向く。


「アリシア」


「はい」


「呼ばれたら、確認すべきことを確認しろ」


「……はい」


「黙って頷くだけで済ませるな」


 アリシアは驚いた。


 エレナ教官は、アリシアが呼ばれる可能性を知っているのだろうか。


「分かりました」


「ならいい」


 それ以上、エレナ教官は何も言わなかった。


 昼食の時間、食堂のざわめきはさらに大きくなっていた。


 午後に正式連絡がある。


 その情報が、一気に広がっていた。


 リーネが食堂へ来ると、まっすぐアリシアたちの席へ向かった。


 シオンも珍しく一緒だった。


「午後、特別連絡があるようです」


 リーネが言う。


「やっぱり合同授業?」


 メリルが聞く。


「可能性が高いです。水属性担当から、午後の資料調査を延期するよう言われました」


 シオンが面倒そうに椅子へ座る。


「僕も風の先生に、逃げるなって言われた」


「逃げるつもりだったの?」


 ミランダが聞く。


「少し」


「正直!」


 ガレスが笑う。


 シオンは肩をすくめた。


「面倒なことになりそうだからね」


 そこへ、白髪の少年が近づいてきた。


 ルシアンだった。


 食堂の空気が少し変わる。


 彼はいつもの柔らかな微笑みを浮かべ、自然に会釈した。


「皆さん、こんにちは」


 ガレスが元気よく返す。


「こんにちは、ルシアン!」


 ミランダも手を振る。


「こんにちは!」


 メリルは少し緊張して会釈する。


 リーネは淡々と頷く。


 シオンは頬杖をついたまま、片手を軽く上げた。


 アリシアも少し遅れて頭を下げる。


「こんにちは……」


 ルシアンの視線がアリシアへ向いた。


「アリシアさんも、午後の連絡について聞いていますか?」


「正式には……まだです」


「そうですね。僕も正式な内容は聞いていません。ただ、光属性担当から、午後は中央演習棟へ向かうよう言われています」


 中央演習棟。


 上級演習場に近い場所だ。


 アリシアの胸が少し固くなる。


 ルシアンは穏やかに続けた。


「おそらく、五属性の候補者に関する合同授業でしょう」


「五属性……」


 アリシアは小さく呟いた。


 ルシアンは優しく微笑む。


「ですが、今の学園には五属性だけでは説明できない力もあります」


 その言葉で、食卓が少し静かになった。


 アリシアは喉が詰まりそうになる。


 ノアの尻尾が椅子の下でわずかに揺れた。


 半歩下がって見る。


 ルシアンの言葉は優しい。


 でも、まっすぐこちらへ向いている。


「もしアリシアさんも呼ばれるなら、無理をしないでください」


 ルシアンはそう言った。


「未知の力を人前で扱うのは、負担が大きいでしょうから」


 それは気遣いの言葉だった。


 たぶん。


 でも、アリシアは少し息苦しくなる。


 未知の力。


 人前。


 扱う。


 自分が不安に思っていたことを、柔らかくなぞられたようだった。


 アリシアは一度、指先を握った。


 そして、ゆっくり答える。


「ありがとうございます。でも……まだ呼ばれるか分からないので、正式な連絡を待ちます」


 ルシアンは少しだけ目を細めた。


 すぐに微笑みに戻る。


「そうですね。噂で判断するべきではありません」


「はい」


「もし一緒になった時は、よろしくお願いします」


 アリシアは少し迷った。


 よろしくと言うべきか。


 距離を取るべきか。


 でも、これは挨拶だ。


 全部を差し出す必要はない。


「……その時は、よろしくお願いします」


 そう答えると、ルシアンは満足そうに会釈して去っていった。


 沈黙が残る。


 シオンが低く言った。


「相変わらず、綺麗に刺してくるね」


 メリルが困ったように言う。


「シオン君……」


「いや、褒めてないけど感想」


 リーネは冷静に言った。


「アリシアさんの返答は適切です。正式連絡を待つ。条件を確定させない。礼は受け取るが、自分の力を語らない」


「分析されてる……」


 アリシアは少し顔を赤くした。


 ガレスは難しい顔で腕を組む。


「俺は普通に、よろしくって意味だと思ったぞ」


 ミランダも頷く。


「うん。でも、アリシアがちょっと緊張したのも分かった」


 メリルが優しく言う。


「どっちも本当かもね」


 アリシアは小さく頷いた。


 ルシアンが悪意を持っているとは限らない。


 でも、自分が緊張したことも事実。


 どちらも記録する。


 それでいい。


 午後。


 特別連絡は、生活基礎の教室ではなく、学年全体への放送で行われた。


 教室の上部にある伝声石が淡く光り、教務主任の声が響く。


『一年生の皆さんへ連絡します。本日第五時限、属性基礎および戦闘基礎の合同授業を行います。対象者は、各属性担当教師より指名された生徒です』


 教室が一気にざわついた。


 アリシアの胸が高鳴る。


『対象者は、火属性代表候補レオン・アルバート。水属性代表候補セレナ・ヴァーレン。風属性代表候補シオン・グレイ。土属性代表候補ミランダ・フォード。光属性代表候補ルシアン・ホワイト』


 名前が続く。


 ガレスではなく、火はレオン。


 ミランダは呼ばれた。


 シオン。


 ルシアン。


 セレナ。


 五属性。


 そして。


『加えて、特殊魔力反応観察対象、アリシア』


 教室の空気が止まった。


 アリシアは息を止めた。


 自分の名前。


 呼ばれた。


 五属性候補と一緒に。


 特殊魔力反応観察対象。


 その言葉が胸に刺さる。


 観察対象。


 生徒たちの視線が一斉に集まった。


 メリルがすぐに小さく言う。


「アリシアちゃん」


 トマも心配そうにこちらを見る。


 ミーナは周囲の視線を遮るように少し体を動かした。


 伝声石は続ける。


『対象者は第五時限開始前に、中央演習棟第一控室へ集合してください。授業は教員立ち会いのもと、安全管理を徹底して行います。対象外の生徒は通常授業となります』


 放送が終わった。


 教室にざわめきが戻る。


 けれど、アリシアの周囲だけは静かだった。


 呼ばれた。


 正式に。


 五属性候補と並ぶ形で。


 アリシアは膝の上の手を見る。


 封印に触れなかった手。


 今日は、何を求められるのだろう。


 黒い力を見せるのか。


 木刀で戦うのか。


 ただ観察されるのか。


 怖い。


 とても怖い。


 でも、セリア先生の授業がある。


 確認すべきこと。


 安全管理。


 授業内容。


 先生の立ち会い。


 黙って頷くだけで済ませるな。


 エレナ教官の言葉もある。


 ノアが足元で、小さく言った。


「アリシア」


 その声は静かだった。


「……うん」


「始まるわよ」


 アリシアはゆっくり息を吸った。


 胸の奥の夜が、深く静かに揺れる。


 怖い。


 でも、一人ではない。


 アリシアは練習帳を閉じ、顔を上げた。

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