第32話 夜に走った黒い線
夜の廊下は、昼間とはまるで別の場所のようだった。
昼の第一寮は、足音と声と扉の開閉音で満ちている。
誰かが課題のことを話し、誰かが食堂へ急ぎ、誰かが笑いながら階段を駆け下りる。
けれど夜の廊下には、そのすべてがない。
壁に並ぶ魔導灯だけが、淡い光を落としていた。
その光は暖かいはずなのに、今のアリシアには少し心細く見えた。
練習帳を抱え、ノアを足元に連れて、アリシアは二〇八号室の扉を閉めた。
胸の鼓動が速い。
さっき、窓の外で見た。
中庭の端の魔導灯が、一瞬だけ揺らいだ。
その足元に、細い黒い線が走った。
結界灯で見た干渉痕に似ていた。
影喰いの黒い糸とは少し違う。
けれど、確かに黒かった。
そして、アリシアの胸の奥の夜が、かすかに反応した。
見間違いかもしれない。
気のせいかもしれない。
でも、そう思って部屋に戻ることはできなかった。
次に影を見つけた時、私は一人で抱え込まない。
練習帳にそう書いた。
だから今、報告に行く。
走らない。
慌てない。
でも、止まらない。
「呼吸」
ノアが足元で言った。
アリシアは足を止めかけ、すぐに息を吸った。
冷たい廊下の空気が胸に入る。
吐く。
少しだけ鼓動が落ち着いた。
「まず誰に報告するか、分かってる?」
「寮だから……寮監さん」
「そう」
「それから、図書館の結界灯と似ているかもしれないから、司書さんか結界担当のマリナ先生にも」
「順番は寮監。夜間の連絡は寮監を通す。勝手に図書館や中庭へ行かない」
「うん」
「見に行きたくても行かない」
「……うん」
「今、少し行きたそうだったわね」
「だって……消えちゃうかもしれないって」
「消えたとしても、記録はできる。あんたが一人で行って何かに触れる方がずっと悪い」
ノアの声は厳しかった。
でも、その厳しさが今はありがたい。
アリシアは練習帳を抱え直した。
「行かない。報告する」
「よろしい」
階段を下りる。
夜の寮は静かだが、完全に眠ってはいない。
談話室の方から、低い話し声が聞こえた。
課題をしている上級生だろうか。
廊下の角に置かれた花瓶の影が、魔導灯の光で長く伸びている。
その影に、つい視線が吸い寄せられる。
普通の影。
ただの影。
けれど、今は全部が怪しく見えそうになる。
アリシアは首を振った。
決めつけない。
黒いもの全部を異常だと思わない。
事実。
感情。
推測。
分ける。
寮監室の扉の前に着く。
アリシアは一度だけ深呼吸した。
「一回」
ノアが言う。
「うん」
扉を叩く。
こつ、こつ。
夜の廊下に、思ったより大きく響いた。
「はい」
中から落ち着いた声がした。
扉が開き、寮監のエルダ先生が顔を出した。
年配の女性で、普段は穏やかだが、生徒の夜更かしには厳しい人だ。
アリシアを見ると、少し眉を上げた。
「アリシアさん。どうしました?」
アリシアは練習帳を握った。
声が震えそうになる。
でも、生活基礎で習った。
報告は、まず事実。
「窓から中庭を見ていたら、端の魔導灯が一瞬揺らいで……足元に、黒い線のようなものが見えました」
エルダ先生の表情が変わった。
眠そうでも、面倒そうでもない。
すぐに仕事の顔になった。
「場所は分かりますか?」
「はい。第一寮側から見て、中庭の北東寄りです。低い生垣の近くの魔導灯です」
「時間は?」
「今から……三分くらい前だと思います」
「見たのはあなたとノアだけ?」
「はい。部屋にいました」
「近づきましたか?」
「いいえ。ノアに、勝手に行かないよう言われて……すぐ報告に来ました」
ノアは足元で普通の猫の顔をしている。
エルダ先生は一瞬だけノアを見て、それから頷いた。
「良い判断です」
良い判断。
その言葉に、アリシアの胸が少しだけ緩んだ。
けれど、まだ終わっていない。
エルダ先生は机の上の小さな連絡鈴を取った。
「夜間結界担当へ連絡します。あなたはここで待ちなさい。中庭には出ないこと」
「はい」
「見たものを、できるだけ詳しく書けますか?」
「はい。練習帳に……」
「では、そこへ記録を。時間、場所、見え方、体の感覚。分かる範囲で構いません」
アリシアは寮監室の端の椅子に座った。
ノアは足元。
エルダ先生が連絡鈴を鳴らすと、鈴の中の光が細く伸び、空中に小さな文字を作った。
夜間連絡用の魔導具らしい。
アリシアはそれを横目で見ながら、練習帳を開いた。
手が少し震える。
でも、書く。
『夜、二〇八号室の窓から中庭を見ていた時、北東寄りの魔導灯が一瞬揺らいだ。灯りの足元に、細い黒い線が走ったように見えた。結界灯の干渉痕に似ている気がしたが、距離があったので断定はできない』
次に、感情。
『怖かった。すぐ見に行きたくなった。でも、ノアに止められた。寮監さんに報告した』
体の感覚。
『胸の奥の夜が少し揺れた。痛みはない。冷えもない。息は少し浅くなった』
書いている間に、少しずつ呼吸が整っていく。
記録することで、怖さが紙の上に移っていくようだった。
全部が消えるわけではない。
けれど、胸の中だけで膨らむのを止められる。
エルダ先生が連絡を終えて戻ってきた。
「結界担当が確認に向かいます。あなたはこのまま寮内で待機です」
「はい」
「必要なら、結界担当の先生が話を聞きに来ます」
「分かりました」
「怖かったでしょう」
不意にそう言われ、アリシアは少し驚いた。
エルダ先生の声は穏やかだった。
アリシアは小さく頷く。
「怖かったです。でも……報告した方がいいと思って」
「その通りです」
エルダ先生は静かに言った。
「異常かどうか分からない時こそ、報告してよいのです。見間違いだったとしても構いません。報告をためらって危険が大きくなるより、ずっといい」
アリシアは胸が熱くなった。
見間違いだったら迷惑かもしれない。
そんな不安も少しあった。
でも、報告してよかったのだ。
「ありがとうございます」
エルダ先生は軽く頷いた。
「少し水を飲みますか」
「はい……」
温かい白湯を出してもらい、両手で受け取る。
湯気がゆっくり上がる。
その温かさに、指先の冷えが少し戻っていく。
ノアが足元で言った。
「よくできたわ」
小さな声。
エルダ先生にはただの鳴き声に聞こえたかもしれない。
アリシアは白湯を飲みながら、小さく頷いた。
しばらくして、寮監室の扉が叩かれた。
現れたのは、灰色の外套を羽織ったマリナ先生だった。
夜間対応なのか、昼間より少し髪が乱れている。
けれど表情は鋭く、眠気は見えない。
「アリシアさん。報告ありがとうございます」
「あ……はい」
「現場確認をしました。確かに、北東の中庭魔導灯に微弱な干渉痕が残っていました」
アリシアの胸が跳ねた。
見間違いではなかった。
「本当に……?」
「はい。あなたの報告が早かったので、痕跡が薄れる前に確認できました」
マリナ先生はエルダ先生に短く報告書を渡し、それからアリシアへ向き直る。
「詳しく聞いても?」
「はい」
アリシアは練習帳を開き、書いた内容を見せた。
マリナ先生は丁寧に読む。
「記録が早いですね」
「生活基礎で……習ったので」
「とても良いです」
マリナ先生は頷いた。
「今回の干渉痕は、昨日の図書館の結界灯と似ています。ただし、場所が違う。図書館内ではなく、中庭の魔導灯です」
「それって……広がってるんですか?」
聞く声が震えた。
マリナ先生はすぐに断定しなかった。
「可能性の一つです。ただし、中庭の魔導灯も学園内結界の補助点です。図書館とは別系統ですが、結界の継ぎ目に関わるという意味では共通しています」
「継ぎ目……」
「はい。何かが、学園結界の継ぎ目を複数箇所で探っている可能性があります」
アリシアの背筋に冷たいものが走る。
複数箇所。
図書館だけではない。
学園そのものの結界。
マリナ先生は続ける。
「ただし、侵入は確認されていません。結界は機能しています。現時点で、生徒に避難を求める状況ではありません」
エルダ先生も頷く。
「寮生には通常通り過ごさせます。ただし夜間巡回を増やします」
アリシアは少しだけ安心した。
でも、怖さは残る。
「私は……どうしたらいいですか?」
マリナ先生は静かに答えた。
「今まで通りです。見つけたら、近づかず報告する。記録する。無理に力を使わない」
「はい」
「あなたが気づきやすいことは、今回分かりました。ですが、あなたが探し回る必要はありません」
「……はい」
探し回る必要はない。
自分が全部見つけなければならないわけではない。
その言葉を、アリシアは胸に刻んだ。
「明日の朝、教務主任と司書、グラン先生にも共有されます。必要に応じて、あなたの調査班の皆さんにも説明します」
「調査班……」
マリナ先生の口からその言葉が出たことに、アリシアは少し驚いた。
マリナ先生は薄く笑った。
「司書から聞いています。小さな資料調査班だと」
「あ……はい」
「良いことです。ただし、学園側の調査とは分けてください。あなたたちは資料と記録。危険対応は大人の仕事です」
「分かりました」
「よろしい」
その後、アリシアは部屋に戻るよう促された。
エルダ先生が廊下まで送ってくれた。
「今夜はもう外を見張らなくていいですよ」
「でも……」
「見張るのは大人の仕事です。あなたは寝ること」
優しいが、逆らえない声だった。
「はい」
二〇八号室へ戻る。
扉を閉めると、足の力が少し抜けた。
アリシアは椅子に座り、練習帳を机に置く。
ノアが机の上へ飛び乗った。
「よく報告したわね」
「うん……見間違いじゃなかった」
「ええ」
「でも、複数箇所って……怖い」
「怖いわね」
ノアは否定しなかった。
そのことが、逆に落ち着いた。
「でも、侵入はない。結界は機能している。マリナが確認している。寮の巡回も増える」
「うん」
「事実を並べなさい。怖さだけで埋めない」
「うん」
アリシアは練習帳に追加を書いた。
『マリナ先生が確認してくれた。中庭魔導灯にも微弱な干渉痕があった。図書館の結界灯と似ている。複数箇所で結界の継ぎ目を探っている可能性がある。侵入は確認されていない。結界は機能している。寮の巡回が増える』
書く。
書く。
怖いことも、安心材料も、両方書く。
ノアがそれを見て言った。
「今日はここまで。寝なさい」
「眠れるかな」
「眠る努力をしなさい」
「うん……」
アリシアは寝支度をした。
布団に入っても、すぐには眠れなかった。
窓の外を見たくなる。
でも、エルダ先生に見張らなくていいと言われた。
ノアも寝台の端でこちらを見ている。
アリシアは窓に背を向けた。
見張るのは大人の仕事。
私は報告した。
私は記録した。
今日は、それでいい。
そう何度も心の中で繰り返すうちに、意識は少しずつ沈んでいった。
翌朝。
食堂へ行くと、メリルがアリシアの顔を見てすぐに気づいた。
「アリシアちゃん、少し眠そう」
「うん……昨日、夜に報告があって」
「報告?」
メリルの顔が真剣になる。
ガレスとミランダも席に着いたばかりだった。
「どうした?」
アリシアは周囲を見た。
大声では話せない。
でも、共有する必要がある。
「昨日の夜、中庭の魔導灯にも黒い線が見えたの。寮監さんに報告して、マリナ先生が確認してくれた」
メリルが息を飲む。
「本当に異常だったの?」
「うん。図書館の結界灯と似た干渉痕だったって」
ガレスの表情が引き締まる。
「中庭にも……」
ミランダも珍しく声を落とした。
「広がってるの?」
「可能性の一つ。でも、侵入はないって。結界は機能してるって」
アリシアは昨夜書いた通りに、事実と安心材料を一緒に伝えた。
怖いことだけを伝えないように。
ガレスは真剣に頷いた。
「分かった。何か見つけたら俺たちも報告する」
「うん。でも、近づかないで」
「分かってる!」
ミランダも拳を握る。
「触らない! 報告する!」
メリルはアリシアの手元を見る。
「昨日、ちゃんと報告できたんだね」
「うん……ノアが一緒だったから」
「アリシアちゃんも、自分で行ったんだよ」
その言葉に、アリシアは少し黙った。
確かに。
ノアがいた。
でも、自分で扉を開け、寮監室へ行き、報告した。
「……うん」
小さく頷くと、メリルは柔らかく笑った。
生活基礎の授業前、セリア先生がアリシアの席へ来た。
「アリシアさん。昨夜の報告、聞きました」
「はい……」
「とても良い対応でした」
胸が熱くなる。
「ありがとうございます」
「今日の授業後、少し時間を取れますか? 昨夜の記録を一緒に整理しましょう」
「はい」
セリア先生は優しく頷いた。
授業では、偶然にも「夜間の異常対応」について説明があった。
おそらく昨夜の件を受けて、急遽内容を少し変えたのだろう。
セリア先生は教室全体に向けて言った。
「夜間に異常を見つけた場合、生徒だけで確認に行かないでください。寮内なら寮監へ。校舎内なら当直教師へ。屋外なら絶対に一人で出ないこと」
教室の中に、少し緊張が走る。
何かあったのだと感じ取った生徒もいるだろう。
けれど、セリア先生は不安を煽らなかった。
「学園の結界は機能しています。皆さんがするべきことは、異常を見つけた時に正しく知らせることです」
アリシアはノートを取った。
正しく知らせる。
昨夜、自分はそれをした。
戦闘基礎では、アリシアの動きが少し硬かった。
寝不足と、昨夜の緊張が残っていたせいだ。
メリルとの連携で、いつもなら拾える足音を一度聞き逃した。
カイルの踏み込みに反応が遅れる。
「止め」
エレナ教官がすぐに声をかけた。
「アリシア。今日は反応が鈍い。体調は?」
「少し……寝不足です」
「理由は?」
アリシアは少し迷った。
だが、隠すことではない。
「昨夜、魔導灯の異常を報告しました」
エレナ教官の目が細くなる。
「聞いている。なら今日は無理をするな」
「はい」
「メリル。今日はアリシアを前に出しすぎるな。支える側に回れ」
「はい」
訓練内容が少し変わった。
アリシアが無理に前へ出るのではなく、メリルが前に出る場面を増やし、アリシアは後ろから支える。
前衛交代の練習にもなる。
アリシアは最初、少し悔しかった。
でも、すぐに思い直す。
全部を自分で止めなくていい。
今日は、自分の状態を認める日。
メリルが前に出る。
アリシアは後ろから木刀で横を守る。
動きは派手ではない。
でも、支える感覚があった。
メリルが小さく言う。
「今日は私が前を見るね」
「うん……お願い」
「任せて」
任せる。
その言葉が、少しずつ怖くなくなってきた。
授業後、エレナ教官は短く言った。
「体調が悪い日に、悪い日の動き方を覚えるのも訓練だ」
「はい」
「無理に普段と同じ動きをしようとするな。自分の状態を見ろ」
「分かりました」
また一つ、覚えることが増えた。
午後、図書館に集まると、リーネはすでに昨夜の件を聞いていた。
「中庭魔導灯の干渉痕。マリナ先生から概要を聞きました」
「早い……」
シオンが椅子に座りながら言う。
「リーネの情報網、怖いよね」
「正式共有です」
リーネは平然としている。
メリルが記録紙を広げる。
「アリシアちゃんが昨夜書いた内容も、共有できる範囲で見せてもらえる?」
「うん」
アリシアは練習帳を開いた。
昨夜の記録。
見たもの。
怖かったこと。
報告したこと。
マリナ先生の説明。
リーネは真剣に読む。
シオンも横から覗き込む。
「距離があっても黒い線が見えたんだ」
「一瞬だけ。でも……見えた」
「やっぱり、アリシアは黒系統の干渉に感度が高いっぽいね」
リーネが頷く。
「仮説として妥当です」
メリルが心配そうに言う。
「でも、それってアリシアちゃんが異常を見つけやすい分、怖い思いもしやすいってことだよね」
その言葉に、アリシアの胸が少し温かくなった。
メリルは、役に立つかどうかだけでなく、アリシアの怖さも見てくれている。
「うん……怖い。でも、報告できるなら」
アリシアは少し考えてから言う。
「見えたことを、無駄にはしなくていいのかなって」
リーネが静かに言った。
「良い考えです。ただし、負担が大きい時は言ってください」
シオンも頬杖をついたまま言う。
「見える人間に全部見ろって言うのは、だいぶ悪趣味だからね」
「シオンさん……」
「褒めてないけど、心配はしてる」
シオンは視線を逸らした。
メリルが少し笑う。
「シオン君、それ言うんだ」
「うるさいな」
アリシアは小さく笑った。
怖い話をしている。
でも、一人ではない。
それが、昨夜とは違った。
その日の調査班は、昨夜の干渉痕を記録し、図書館と中庭の位置関係を簡単な地図に落とした。
図書館窓側。
中庭北東の魔導灯。
どちらも、学園中心へ向かう境界線上に近い場所だった。
リーネが地図を見て言う。
「もし点が増えれば、線が見えるかもしれません」
「増えてほしくないけどね」
シオンが言う。
「同意します」
リーネは頷いた。
アリシアは地図を見る。
黒い点が二つ。
これ以上増えてほしくない。
でも、もし増えるなら、見逃してはいけない。
怖い。
でも、記録する。
夜、部屋に戻ると、アリシアは練習帳を開いた。
『昨夜、中庭の魔導灯に黒い線を見つけて、寮監さんに報告しました。マリナ先生が確認し、干渉痕があったと言いました。見間違いではありませんでした。複数箇所で結界の継ぎ目を探られている可能性があります』
続ける。
『今日は寝不足で、戦闘基礎の動きが鈍かったです。エレナ先生に、体調が悪い日の動き方を覚えるのも訓練だと言われました。メリルさんに前を任せました。任せることが少しできました』
さらに書く。
『図書館で、昨夜の記録を調査班のみんなと共有しました。怖いけど、見えたことを無駄にしなくていいのかもしれないと思いました。でも、全部を見る必要はないとも言ってもらえました』
書き終えると、ノアが机の上に座った。
「今日は?」
アリシアが聞くと、ノアは少し考えた。
「九十八点」
アリシアは驚いた。
「寝不足で動き悪かったのに?」
「昨夜、すぐ報告した。見に行かなかった。記録した。今日も共有した。体調不良を認めてメリルに任せた」
「減点は?」
「夜、窓をもう一回見ようとした。あと、朝食のパンが少し細かかった」
「あ……」
「でも、全体としてはとても良かったわ」
ノアは静かに言った。
「昨日のあんたは、一人で抱えなかった」
その言葉に、アリシアの胸がいっぱいになった。
「うん」
窓の外を見る。
今日はもう、見張らない。
ただ、夜があることを確認するだけ。
学園の魔導灯は、静かに灯っている。
そのどこかに、また黒い線が走るかもしれない。
怖い。
でも、次も一人で抱えない。
アリシアは練習帳の最後に一行を書き足した。
『見えた夜を、私は一人で抱えない。報告し、記録し、誰かと分ける』
ノアはその一文を見て、満足そうに目を細めた。
「今日はそれで寝なさい」
「うん」
アリシアは練習帳を閉じた。
夜は静かだった。
けれど、その静けさの中に、今は確かに繋がりがあった。




