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『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第312話 届かなかった確認票と、影が照らす北の通路


 翌朝、アリシアが寮の窓を開けると、冷たい風とともに湿った土の匂いが流れ込んできた。


 夜の間に雨が降ったらしく、中庭の石畳には細かな水滴が残り、花壇の縁に溜まった水が朝日を受けて淡く輝いている。遠くに見える中央棟の北側は、昨日と同じように一部の窓が暗く、連絡廊下へ続く入口には立ち入りを制限するための柵が置かれていた。


 その柵の近くで、二人の設備職員が書類を広げている。


 アリシアはしばらくその様子を眺めていたが、何を話しているのかまでは分からなかった。窓を閉めようとしたところで、寝台の上からノアの声が聞こえてきた。


「朝からまた北側を見てるのか。昨日のうちに直ると思ってたわけじゃねえだろうな」


「……ううん。ただ、まだ調べてるんだなって」


「そりゃ調べるだろ。原因も分からねえのに、学生を通して何かあったら大問題だ。閉めたままにしておく方が、よっぽどまともな判断だな」


 ノアは大きく伸びをすると、寝台から床へ飛び降りた。


 アリシアは窓の鍵を確かめ、机の上に置いた調査用ノートへ目を向けた。昨夜書き留めた「受領確認」という言葉が、まだ頭の片隅に残っている。


 古い資料の帰還印と、現在の設備記録。


 どちらも、何かを送ったあとに確認が戻ることを扱っているように見える。


 けれど、同じ言葉が使われているわけでもなければ、同じ仕組みだという証拠もない。


(……気になるからこそ、混ぜないようにしなくちゃ)


 アリシアはノートを鞄へしまい、朝食の準備を始めた。


 今日も授業がある。


 昨日の設備異常について新しい情報が出るかもしれないが、それを自分で確かめようとして封鎖区域へ近づくつもりはなかった。


 今の自分にできることは、学院の指示を守りながら、必要な時に協力できるようにしておくことだった。


     ◇


 教室へ入ると、メリルがいつもより少し早く席についていた。


 机の上には教科書が開かれているものの、彼女の視線は何度も窓の外へ向いている。アリシアが近づくと、メリルはすぐに顔を上げた。


「おはよう、アリシア。今日も北側は閉まったままだね」


「……うん。朝、職員さんたちが何か確認してたよ」


「そっか。昨日、うちの組の子が、北側の階段に置いてきた荷物を取りに行けなくて困ってたんだ。もちろん職員さんに相談したみたいだけど、まだ戻ってこないって」


 メリルの声には、単なる好奇心とは違う心配が混じっていた。


 アリシアは椅子へ座りながら、少し考えた。


「……荷物が必要なら、先生に相談して、別のものを借りられるか聞くのもいいかもしれないね」


「うん。昨日はそうしてたみたい。でも、本人は自分のものがどこにあるか分からないのが落ち着かないって言ってた」


 その言葉に、アリシアは小さく頷いた。


 物がそこにあると分かっていても、手元へ戻ってこない時間は不安になる。


 まして、何が起きているのか分からない場所に置いたままなら、なおさらだろう。


 その時、テオとエドガーが教室へ入ってきた。


 二人は掲示板の前で何か確認してきたらしく、エドガーの手には新しい連絡事項を書き写した紙があった。


「北側連絡廊下の点検は今日も続くそうだ。午前の実技は予定どおり別室で行う。ただ、午後の授業については、設備担当の確認が終わってから最終決定するらしい」


 エドガーが説明すると、メリルは少しだけ肩を落とした。


「まだ時間がかかるんだね」


「原因が分からないなら、仕方ないと思うよ」


 テオはそう言いながら、アリシアの隣へ腰を下ろした。


「昨日、先生が話していたことを思い出したんだけど、設備の記録って、魔導具が動いたことだけじゃなくて、確認した人の返事も必要なんだよね」


 アリシアは顔を上げた。


「……うん。少なくとも、昨日の授業ではそう習ったよ」


「だったら、今朝も何かの確認を待っているのかもしれないね。もちろん、実際に何が起きているかは分からないけど」


 テオは最後にそう付け加えた。


 アリシアは少しだけ微笑んだ。


 以前なら、気になることを聞いた瞬間に、その意味を一人で考え込んでいたかもしれない。


 けれど、今は仲間たちも同じように、分かることと分からないことを区別して話している。


 それが嬉しかった。


     ◇


 午前の授業は、複数の魔法を同時に扱う際の安全な制御についてだった。


 実習室には、前回より小さな教材用魔導具が並べられている。今回は灯りを使うのではなく、軽い木片を決められた範囲へ移動させ、その途中で教師の合図に従って動きを止める練習を行うことになっていた。


 教師は学生たちへ、魔法を使う前に周囲の状況を確認するよう指示した。


「今日は、動かすことよりも、途中で止めることを意識してください。魔法を使い始めたあとでも、状況が変われば判断を変える必要があります。最初に決めた手順を最後まで続けることが、必ずしも正しいとは限りません」


 アリシアはその説明を聞きながら、少し前の自分を思い出した。


 以前は、魔法を使い始めるだけでも緊張していた。


 途中で止めることを考える余裕など、ほとんどなかった。


 けれど、今は違う。


 影を動かす時、どこへ伸ばすかだけでなく、どこで止めるか、いつ戻すかを考えられるようになってきた。


 最初の練習では、アリシアは影を細く伸ばし、木片の下へ滑り込ませた。


 木片を持ち上げると、教師が手を上げる。


 アリシアはすぐに動きを止め、木片が傾かないよう影の厚みを調整した。


 そのまま数呼吸待つと、教師が次の合図を出した。


「では、元の位置へ戻してください」


 アリシアは影をゆっくり動かし、木片を机の上へ下ろした。


 大きな音は立たず、木片はほとんど揺れなかった。


 教師は頷いた。


「よくできました。止めた時に支えが不安定にならなかったのがよかったですね」


「……ありがとうございます」


 アリシアは小さく頭を下げた。


 隣で見ていたメリルが、嬉しそうに笑っている。


「アリシア、今日もすごいね。私だったら、途中で止めろって言われたら慌てちゃいそう」


「……私も、最初は少し慌てたよ。でも、急に力を変えると木片が動いちゃうから、できるだけゆっくり止めるようにしたの」


 メリルは感心したように頷いた。


「なるほど。止める時も、ちゃんと考えるんだね」


 その言葉を聞いて、ノアが机の端から口を挟んだ。


「当たり前だろ。走ってる途中で急に止まれば転ぶこともある。魔法だって、止め方を間違えりゃ余計なことが起きるんだよ」


 メリルは少し頬を膨らませた。


「分かってるけど、ノアって本当に言い方が厳しいよね」


「優しい言い方で木片が止まるなら、いくらでも優しくしてやるがな」


 その返事に、近くの学生たちから笑いが起きた。


 アリシアも思わず笑ってしまった。


 授業の緊張が少し和らぎ、次の練習へ向かう学生たちの表情も明るくなった。


     ◇


 昼休みになる少し前、教室の入口に設備担当の職員が現れた。


 教師は授業を中断し、職員から渡された書類へ目を通した。


 教室の空気が少しだけ静かになる。


 学生たちは何か新しい連絡があったのだろうと察したが、誰も大きな声を出さなかった。


 教師は書類を読み終えると、学生たちへ向き直った。


「北側連絡廊下について、設備担当から連絡がありました。昨日から続いていた照明系統の応答確認ですが、一部の記録が正常に戻っていないため、点検を継続するそうです」


 学生たちの間に小さなどよめきが広がった。


 教師は続けた。


「ただし、現時点で学生が利用している区域に危険が広がっているという報告はありません。封鎖区域には近づかず、指定された通路を使ってください。また、設備の状態を自分で確かめようとすることは禁止です」


 アリシアは静かに頷いた。


 記録が戻っていない。


 その言葉は、昨日から気になっていたことと重なっていた。


 けれど、教師の説明では、何が原因で記録が戻らないのかまでは分からない。


 アリシアはそのことを意識しながら、手元のノートへ書き留めた。


 その時、後方の席から一人の学生が手を挙げた。


「先生、記録が戻らないということは、魔導具が壊れているんですか?」


 教師はすぐには答えず、書類をもう一度確認した。


「その可能性もありますが、現時点では断定できません。記録を送る側、受け取る側、途中の経路のいずれかに問題がある場合も考えられます。設備担当が確認しているのは、その違いを明らかにするためです」


 アリシアはその説明を聞き、少しだけ目を見開いた。


 送る側。


 受け取る側。


 途中の経路。


 それぞれが別のものとして扱われている。


 昨日、資料室でエレナと話した内容を思い出す。


 古い整理記録でも、送付と受領確認が分けて記されていた。


 ただし、今の設備記録と古い資料の仕組みが同じだとは限らない。


(……でも、確認する時の考え方は、似ているのかもしれない)


 アリシアはそう思いながら、教師の説明を最後まで聞いた。


     ◇


 昼食の時間、五人は中庭の屋根付き回廊へ集まった。


 空には薄い雲が流れていたが、雨は降っていない。回廊の外では、風に揺れた木の葉が石畳へ落ち、通りかかった学生がそれを踏まないよう少しだけ足をずらしていた。


 メリルは弁当箱を開きながら、先ほどの連絡について話し始めた。


「記録が戻らないって、思ってたよりいろんな理由があるんだね。私はてっきり、魔導具が壊れたんだと思ってた」


 テオは頷いた。


「僕も最初はそう考えたよ。でも、途中の経路に問題があるなら、魔導具そのものは動いている可能性もあるんだよね」


 エドガーは少し考え、手元の水筒を置いた。


「だからこそ、現場の確認が必要なんだろう。記録だけで判断できない部分があるなら、設備担当が直接調べるしかない」


 フィオナは穏やかに頷いた。


「それに、確認が終わるまで通路を閉じているのも、必要なことなのでしょうね。少し不便だけれど、危険が分からないまま通るよりは安心だわ」


 アリシアは仲間たちの話を聞きながら、弁当箱の中のパンを小さくちぎった。


 数日前の事故では、落ちかけた照明魔導具を影で支えた。


 あの時は、すぐに動かなければ誰かが怪我をするかもしれなかった。


 けれど、今は違う。


 危険が分からない場所へ自分から近づく必要はない。


 職員が調べている間、学生たちは指示を守り、必要な情報があれば伝える。


 それも、誰かを守るための行動なのだ。


「……私、前は何か起きたら、すぐに何かしなくちゃって思ってたんだ」


 アリシアがそう呟くと、メリルが顔を向けた。


「今は違うの?」


「……うん。もちろん、危ない時は動かなきゃいけないと思う。でも、今みたいに調べてくれている人がいるなら、その人たちの邪魔をしないことも大事なんだなって」


 フィオナは微笑んだ。


「そうね。助けることと、何でも自分でやることは違うもの」


 その言葉に、アリシアはゆっくり頷いた。


 仲間たちと過ごす時間の中で、自分の考え方が少しずつ変わっている。


 以前なら、自分が何もできないことを責めていたかもしれない。


 今は、待つことにも意味があると考えられるようになった。


     ◇


 午後の授業が終わると、アリシアは図書室へ向かった。


 今日は資料室で新しい資料を探す予定ではなかった。


 昨日、エレナから聞いた内容を整理し、次に何を尋ねるか考えるだけにしようと決めていた。


 図書室の窓際には、夕方の光が差し込んでいる。


 書棚の間を歩く学生たちの足音は静かで、机へ向かう者たちはそれぞれの課題に集中していた。


 アリシアは空いている席へ座り、調査用ノートを開いた。


 古い目録の六番目の空白。


 旧札番号と現物整理番号の不一致。


 別置と記された照合原簿。


 帰還印という言葉。


 六つ並んだ小区画と、最後の空白。


 そして、送付と受領確認を分けて記録していた可能性。


 アリシアはそれらを見直しながら、今まで自分が考えていたことを整理した。


 照合原簿の所在は、まだ分からない。


 帰還印が何を示していたのかも、確定していない。


 六つの小区画が、古い目録の六番目の空白と関係している証拠もない。


 けれど、今までの記録には、一つ共通しているように見える考え方があった。


 何かを移した時、移したという事実だけでは、その後の状態を確定できない。


 受け取った側の確認が必要になる場合がある。


 アリシアはその考えを、ノートの新しい頁へ書き始めた。


『送付記録だけでは、受領確認の有無は分からない。』


『受領確認がない理由は、未受領、未記録、記録の欠損など複数考えられる。』


『帰還印の意味は未確定。古い整理作業における具体的な運用を確認する必要がある。』


 そこまで書いてから、アリシアは筆を止めた。


 東側と西側の反応についても、似たようなことが言えるのではないか。


 東側で刺激が観測され、そのあと西側で反応が確認されたことがある。


 しかし、それだけでは、東側から西側へ何かが送られたとは断定できない。


 時間差があることと、因果関係があることは別だ。


 アリシアは少し考え、別の頁へ短く書き加えた。


『東側と西側の反応についても、観測された事実と、推測される仕組みを分けて考える。』


 その文字を見つめていると、ノアが机の端から顔を上げた。


「ずいぶん慎重な書き方になったな」


「……うん。前は、似ているものを見つけると、すぐにつながってるのかもって思っちゃってたから」


「それ自体が悪いわけじゃねえ。仮説を立てなきゃ、何も調べられねえからな。ただ、仮説を答えに変えるには、別の証拠が必要だ」


 アリシアは頷いた。


「……うん。だから、今はまだ決めないでおく」


 ノアは満足そうに尻尾を揺らした。


「それでいい。分からねえものを無理に埋めようとすると、あとで余計に面倒なことになる」


 アリシアは小さく笑い、ノートを閉じた。


 今日の調査は、ここまでにしよう。


 そう決めて立ち上がった時、図書室の入口から一人の職員が入ってきた。


 職員は司書へ何かを伝え、掲示板へ新しい紙を留めた。


 アリシアは帰り際に、その掲示へ目を向けた。


 そこには、北側連絡廊下の点検が翌日も継続することと、設備の確認記録の一部がまだ未回収であることが書かれていた。


 原因についての説明はない。


 アリシアはその事実を確認し、静かに図書室を出た。


     ◇


 生活観測区画へ到着すると、談話室には穏やかな夕方の光が差し込んでいた。


 子供は窓際の机で絵を描いており、顔のない存在はその隣に座っている。


 胸元の十一の光は安定しており、覆われた木箱にも目立った変化はなかった。


 アリシアが入ってくると、子供は嬉しそうに顔を上げた。


「アリシア、おかえり!」


「……ただいま。今日は何を描いてるの?」


 子供は机の上の絵を指さした。


 橋の手前には、以前描いた小さな丸い印がある。


 橋の向こう側へ続く道は、まだ途中で終わっていた。


 けれど、今日はその道の脇に、小さな点がいくつか描き加えられていた。


「……これは?」


「道の途中に、目印があったらいいなって思ったの。橋の手前の丸だけだと、向こうへ行った時に見えなくなるかもしれないでしょう?」


 アリシアは少しだけ目を丸くした。


「……そうだね。途中にも目印があれば、戻る時に分かりやすいかもしれないね」


 子供は嬉しそうに頷いた。


「うん。でも、まだ何の目印にするかは決めてないんだ。石でもいいし、小さな木でもいいし」


 アリシアは微笑んだ。


「……決めたくなった時に、決めればいいと思うよ」


 子供は安心したように笑い、色鉛筆を机へ置いた。


 その時、顔のない存在がゆっくりと手を持ち上げた。


 指先は、いつものように橋の下の青い線へ向けられている。


 子供はその動きを見て、少しだけ首を傾げた。


「また、そこなんだね」


 顔のない存在は、しばらくその位置へ手を向けたままだった。


 アリシアはその様子を静かに見守った。


 何度も同じ場所を指している。


 けれど、その意味はまだ分からない。


 子供は少し考え、青い線へ目を向けた。


「……ねえ、もしここが水だったら、橋の下を通って、どこかへ流れていくのかな」


 アリシアは少し考えた。


「……水だったら、流れていくこともあると思う。でも、この青い線が水かどうかは、まだ決めてないんだよね」


「うん。だから、まだ分からない」


 子供はそう答え、顔のない存在へ微笑みかけた。


「でも、気になるんだね。また一緒に考えよう」


 顔のない存在は、ゆっくりと手を下ろした。


 アリシアはその動きを見ながら、今日の授業で学んだことを思い出した。


 何かを動かすことだけでなく、途中で止めることも大切だということ。


 子供が絵を描き足す時も、同じなのかもしれない。


 まだ決めたくない部分は、そのまま残しておく。


 無理に意味を与えず、本人が考えられる時間を守る。


 それも、一つの大切な選択なのだろう。


     ◇


 しばらくして、サラが談話室へ入ってきた。


 手には記録用紙を持っており、子供と顔のない存在の様子を静かに確認している。


「今日は道の途中に、目印を描いたのね」


 サラが声をかけると、子供は頷いた。


「うん。橋の向こうへ行っても、帰ってくる時に分かるようにしたいんだ」


 サラは穏やかに微笑んだ。


「そうなのね。戻る場所が分かると、安心できるものね」


 子供は嬉しそうに頷いた。


 アリシアはその様子を見ながら、今日の学院での出来事を思い出していた。


 記録が戻らない設備。


 確認が終わるまで閉鎖された通路。


 そして、帰ってくるための目印を描く子供。


 それぞれは別の出来事だった。


 けれど、どれも、戻ってくることや、確認することについて考えさせられるものだった。


 アリシアはサラへ、今日の授業で学んだことを少しだけ話した。


 魔法を動かすだけでなく、途中で止める練習をしたこと。


 状況が変わった時には、最初の手順を続けるのではなく、判断を変える必要があること。


 そして、設備の記録が戻らない理由を、すぐに一つへ決めつけないこと。


 サラは静かに聞いていた。


「それは大切な学びね。ここでも、子供たちの様子を見ながら、予定を変えることがあるもの」


 アリシアは顔を上げた。


「……ここでも、ですか?」


「ええ。例えば、庭へ出る予定を考えていても、本人が今日は室内にいたいと言えば、その気持ちを優先するわ。最初に決めたことを守るために、本人の意思を無視するわけにはいかないでしょう?」


 アリシアはゆっくり頷いた。


 確かに、そのとおりだった。


 子供は以前、庭へ一歩出た。


 けれど、そのあとも毎日外へ出たいと決めているわけではない。


 その日の気持ちによって、選ぶことは変わる。


「……予定を変えることも、大切なんですね」


 サラは穏やかに頷いた。


「そうね。大切なのは、予定どおりに進めることだけではないから」


 アリシアはその言葉を胸に留めた。


 今日の授業で学んだことが、ここでもつながっていた。


     ◇


 夜、自室へ戻ったアリシアは、机へ向かって日記帳を開いた。


 窓の外には薄い雲が流れ、遠くの学院棟にはまだいくつかの灯りが点っている。


 北側の連絡廊下は、今日も閉鎖されたままだった。


 けれど、設備担当の職員たちは、確認を続けている。


 アリシアは今日の出来事を書き始めた。


 授業では、魔法を途中で止める練習をした。


 設備の記録が戻らない理由は、まだ分からない。


 古い資料については、送付と受領確認を分けて考える必要があると整理した。


 そして、生活観測区画では、子供が橋の向こうへ続く道に、帰ってくるための目印を描き足した。


 アリシアは筆を止め、少しだけ考えた。


(……今日も、答えが出ないことはたくさんあった。でも、何を確かめればいいのかは、少しずつ分かってきた気がする)


 ノアは寝台の上で丸くなり、アリシアを見ていた。


「今日はもう終わりか?」


「……うん。ちゃんと休むよ」


「よし。ようやく学習したな」


 アリシアは小さく笑った。


「……ノアって、すぐそういう言い方するよね」


「褒めてるんだぞ。お前が勝手に嫌味だと思ってるだけだ」


 ノアは得意げに尻尾を揺らした。


 アリシアは日記帳を閉じ、灯りを落とした。


 古い目録の六番目の空白は、まだ埋まっていない。


 照合原簿の所在も分からない。


 帰還印の意味も、東側と西側の反応の仕組みも、まだ確かめられていない。


 けれど、今は急いで答えを出す必要はない。


 確かめられることを一つずつ積み重ね、分からないことは分からないまま残しておく。


 それが、今の自分にできることだった。


 アリシアは寝台へ入り、ノアの温かな毛並みにそっと触れた。


 窓の外では、夜風が木々の葉を静かに揺らしている。


 明日もまた、何か新しいことが分かるかもしれない。


 それでも、分からないことを無理に埋めようとせず、自分の足で確かめていこう。


 そんな思いを胸に、アリシアは穏やかな眠りへ落ちていった。

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