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『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第30話 小さな調査班



 翌朝、中央学園の空は曇っていた。


 雨が降るほどではない。


 けれど、白い雲が薄く広がり、いつもの朝の光を少しだけ柔らかくしている。


 アリシアは窓辺に立ち、校舎の影を見下ろしていた。


 昨日、図書館の窓側で見つけた結界灯の異常。


 影喰いの残滓とは違う。


 けれど、また黒い線だった。


 結界の継ぎ目に残った干渉痕。


 司書はそう言った。


 影喰い。


 結界灯。


 黒い糸。


 黒い線。


 夜の守り手の資料。


 六つ目の影。


 古き追跡者。


 ひとつひとつは、まだ小さい。


 でも、小さいものが少しずつ繋がり始めている。


 それが怖かった。


 怖いのに、目を逸らせなくなっている自分もいた。


「朝からまた影を観察?」


 ノアが机の上から言った。


「うん……昨日の黒い線、気になって」


「気になるでしょうね」


「影喰いとは違うって言ってたけど……でも、黒かった」


「黒いから全部同じとは限らないわ」


「うん。決めつけない」


「よろしい」


 ノアは机から窓辺へ跳び移った。


 黒い毛並みが曇り空の光を吸い込む。


「でも、無関係とも限らない」


「うん……」


「だから、報告。記録。共有。手順通りに進める」


「うん」


 アリシアは机の上の記録紙を見た。


 リーネが作った調査用の紙。


 資料名。


 時間。


 場所。


 ノア反応。


 異常の有無。


 共有先。


 昨日から、そこに新しい項目が加わった。


『結界・魔導具反応』


 リーネらしい追加だった。


 アリシアはその紙を鞄に入れる。


「今日は、司書さんから追加説明があるかも」


「ええ」


「リーネさんたちにも共有する」


「ええ」


「グラン先生にも?」


「必要ならね。結界灯の件は、魔法演習棟より結界担当の範囲かもしれない。でも、あんたの黒い反応に関わるならグランにも伝えるべき」


「うん」


 アリシアは頷いた。


 一人で抱え込まない。


 昨日も書いたこと。


 でも、何度でも確認した方がいい。


 自分は、怖くなると一人で抱えようとする。


 自分が何とかしなければと思ってしまう。


 昨日の戦闘基礎でも、全部を止めようとして失敗した。


 全部止めようとするな。


 エレナ教官の言葉が胸に残っている。


「ノア」


「何?」


「私は、全部を止めようとしなくていいんだよね」


 ノアはアリシアを見た。


 そして、はっきり言った。


「当たり前でしょう」


「うん……」


「闇が止める力を持っているとしても、世界の全部を背負う力じゃない」


「うん」


「誰かと一緒に、止めるべきものを見つける。昨日、自分で書いたでしょう」


「うん」


「なら、今日はそれを実行しなさい」


 アリシアは胸元に手を当てた。


 怖い。


 でも、やることはある。


 食堂へ向かうと、廊下はいつも通りだった。


 メリルと合流し、朝の挨拶を交わす。


 メリルは昨日の結界灯の件を気にしているようで、少し表情が硬かった。


「昨日の黒い線……大丈夫かな」


「分からない。でも、司書さんが結界担当に報告するって言ってた」


「うん。なら、私たちは勝手に触らない。記録する。共有する」


「うん」


 二人で確認する。


 それだけで少し落ち着く。


 食堂では、ガレスとミランダがいつもの席にいた。


「おはよう!」


「おはよう」


 席につくと、ガレスが声を落として聞いた。


「昨日の図書館のやつ、どうなった?」


「まだ分からない。今日、司書さんに聞けると思う」


「そうか」


 ガレスは珍しく、すぐに勢いで言わなかった。


 少し考えてから言う。


「何かあったら言えよ」


「え?」


「俺、難しい調査はできないけど、前に立つくらいならできる」


 ミランダも頷く。


「私も! 静かにするのは苦手だけど、守るのはできる!」


 アリシアの胸が温かくなる。


「ありがとう……でも、危ない時は先生に報告する」


「それはそうだ!」


 ガレスは大きく頷く。


「でも、友達にも言え!」


 友達。


 その言葉が自然に出てきたことに、アリシアは少し泣きそうになった。


 けれど、今日は泣かなかった。


「うん。言う」


 メリルが嬉しそうに笑った。


 朝食の終わり頃、ルシアンが食堂へ入ってきた。


 今日は遠くの席に座ったままだった。


 こちらへは来ない。


 ただ、視線が一度だけ重なった。


 穏やかな会釈。


 アリシアも会釈を返す。


 胸は少し緊張する。


 でも、昨日より落ち着いていた。


 近づかない日もある。


 それもまた、間合いなのだと思った。


 生活基礎では、セリア先生が「小さな集団での役割分担」について話した。


 アリシアは思わず背筋を伸ばした。


 調査班。


 昨日、自分たちはそういう形になり始めている。


 セリア先生は黒板に書いた。


『見る人』


『記録する人』


『判断する人』


『報告する人』


「何かに取り組む時、全員が同じことをしようとすると混乱します。役割を分けることで、全体が動きやすくなります」


 アリシアはノートを取る。


 見る人。


 ノア。


 アリシアも、影や違和感を見る。


 記録する人。


 リーネ。


 メリル。


 判断する人。


 その場ではリーネが得意かもしれない。


 でも危険判断は大人。


 報告する人。


 自分でもできるようになりたい。


 セリア先生は続ける。


「ただし、役割は固定ではありません。状況に応じて変わります。大切なのは、自分だけが全部を背負わないことです」


 アリシアはペンを止めた。


 まただ。


 今必要な言葉が、授業の中に出てくる。


 自分だけが全部を背負わない。


 アリシアはその一文を強く書いた。


 班練習では、架空の「資料室で異常を見つけた場合」の役割分担を考えた。


 メリルが言う。


「見る人は、異常に近づきすぎないで確認する」


 トマが続ける。


「記録する人は、時間と場所を書く」


 ミーナが言う。


「報告する人は、すぐ先生か司書を呼ぶ」


 アリシアは少し考えて言った。


「判断する人は……生徒だけで危険かどうかを決めきらない。分からなければ、危険かもしれないとして離れる」


 ミーナが頷く。


「それ、いいわね」


 トマも言う。


「アリシア、実感こもってる」


「うん……少し」


 以前なら、そう言われると縮こまったかもしれない。


 でも今は、少しだけ受け止められた。


 経験したから言えることがある。


 怖かったことを、次の備えに変える。


 セリア先生の言葉を思い出す。


 戦闘基礎では、第三者介入の連携が続いた。


 今日の相手役はカイルとミーナ。


 アリシアとメリルは、昨日より役割を意識して動いた。


 全部を止めない。


 アリシアは正面の動きを見る。


 メリルは横の圧を見る。


 危険が大きい方を声なしで共有する。


 もちろん、うまくいかないことも多い。


 カイルがわざと大きく踏み込んで注意を引き、ミーナが横から低く入る。


 アリシアは一瞬カイルに引きつけられすぎ、メリルへの支援が遅れた。


「止め」


 エレナ教官の声。


「アリシア。正面に釣られた」


「はい」


「メリル。横は見えていたが、自分だけで処理しようとして杖が流れた」


「はい」


「二人とも、相手を信じろ。だが任せきるな。支えろ」


 信じる。


 任せきらない。


 支える。


 難しい。


 でも、必要な言葉だった。


 もう一度。


 カイルが踏み込む。


 ミーナが横へ回る。


 アリシアはカイルの動きを見ながら、木刀の角度でメリルへ左を空ける合図を出す。


 メリルが杖を左へ向ける。


 アリシアはカイルの二手目を止める位置に木刀を置く。


 メリルはミーナの槍先を逸らす位置へ杖を入れる。


「止め」


 エレナ教官が少しだけ頷く。


「今のは役割が分かれていた」


 アリシアは息を吐いた。


 メリルも小さく笑う。


 カイルが悔しそうに言う。


「また止められた」


 ミーナが笑う。


「今のは私も動きにくかったわ」


 アリシアは胸の奥が少し温かくなった。


 自分一人では、できなかった。


 メリルがいたからできた。


 そして、自分もメリルを支えられた。


 昼食後、図書館へ行くと、司書がすぐに声をかけてきた。


「アリシアさん、皆さんも。昨日の結界灯の件で、少し共有があります」


 アリシア、メリル、リーネ、そして遅れて来たシオンが受付近くに集まった。


 ノアも足元で耳を立てている。


 司書は声を落とした。


「結界担当の確認によると、昨日の結界灯には外部からの微弱な干渉痕がありました」


 リーネの目が細くなる。


「外部から、ですか」


「はい。ただし、大きな侵入ではありません。図書館の結界を破るほどのものではなく、継ぎ目を探るような、ごく細い干渉です」


 アリシアの胸が冷たくなる。


 探る。


 何かが、図書館の結界を探っていた。


「影喰いとの関係は?」


 リーネが聞く。


「現時点では不明です。ただ、時期が近いため、学園側では関連の可能性も含めて調査します」


 シオンが低く言う。


「つまり、自然発生の小さな事故では済まなくなったわけだ」


 司書は否定しなかった。


「皆さんには、引き続き勝手に触れず、異常があればすぐ報告するようお願いします」


「はい」


 アリシアは頷いた。


 怖い。


 けれど、前より落ち着いて聞けた。


 手順がある。


 仲間がいる。


 大人にも共有されている。


 司書は続ける。


「それと、夜の守り手関連の資料閲覧について、しばらく私の管理下で行ってください。必要な本はこちらで出します」


「分かりました」


 リーネが頷く。


「調査は続けてもよいのですか」


「完全に止める必要はありません。ただし、安全優先です」


 アリシアは少しほっとした。


 調査を止められるかもしれないと思っていた。


 怖いけれど、知りたい。


 だから続けられるのはありがたかった。


 閲覧席に移動した後、リーネが紙を広げた。


「今日から役割を明確にします」


 アリシアは生活基礎の授業を思い出した。


「役割……」


「はい。アリシアさんは、影や黒い反応の違和感確認。ただし接触禁止。ノアの反応も伝える。メリルさんは記録補助と周囲確認。私は資料整理と照合。シオンは風の国の口承、歌、地理情報の確認」


 シオンが眉を上げる。


「僕も正式に入ってるんだ」


「すでに重要情報を提供しています」


「拒否権は?」


「あります」


 リーネは淡々と言った。


 シオンは少し意外そうに黙る。


 リーネは続ける。


「無理に参加する必要はありません。ただし、あなたの情報は有用です。協力してくれるなら助かります」


 アリシアもシオンを見る。


「私も……助かります」


 メリルも頷く。


「シオン君がいてくれると、風の国のことが分かるから」


 シオンは少し居心地悪そうに視線を逸らした。


「……まあ、暇な時なら」


「ありがとうございます」


 アリシアが言うと、シオンはため息をついた。


「礼が早い」


「でも、言いたいので」


「知ってた」


 シオンは諦めたように言った。


 そのやり取りに、メリルが少し笑う。


 リーネも、ほんの少しだけ口元を緩めたように見えた。


 小さな調査班。


 アリシアはその言葉を心の中で呟いた。


 自分一人ではない。


 役割がある。


 自分にも、できることがある。


 今日の調査では、司書が出してくれた資料を確認した。


 外部干渉に関する古い記録。


 結界灯の仕組み。


 魔力の継ぎ目。


 難しい内容が多く、アリシアにはすべてを理解するのは難しかった。


 でも、リーネが要点を整理してくれた。


「結界には境界があります。完全な壁ではなく、内と外を分ける膜のようなものです」


 シオンが言う。


「風はそういう継ぎ目を見つけるのが得意だよ。抜け道みたいなものだから」


 メリルが記録する。


「結界の継ぎ目、外部干渉、風は抜け道を探しやすい……」


 アリシアは小さく聞いた。


「闇も……継ぎ目に関係あるのかな」


 リーネが考える。


「可能性はあります。闇が動きを眠らせる、隠す、遮る性質を持つなら、結界の境界とも相性があるかもしれません」


 シオンが頬杖をつく。


「だから結界灯の黒い線がアリシアに見えた?」


「断定はできません」


 リーネがすぐに言う。


「ただし、仮説として記録します」


 アリシアは頷いた。


 事実。


 伝承。


 推測。


 仮説。


 言葉が増えていく。


 でも、分けることで怖さが少し整理される。


 調査の終わり頃、司書が新しい紙を持ってきた。


「結界担当から、明日の放課後に簡単な説明があります。希望するなら、あなたたちも立ち会えます。ただし見学のみです」


 リーネが即答する。


「参加します」


 シオンがため息をつく。


「聞く前に決まったね」


 メリルがアリシアを見る。


「アリシアちゃんは?」


 アリシアは少し胸を押さえた。


 怖い。


 でも、知りたい。


 そして、今は一人ではない。


「参加したいです」


 司書は頷いた。


「分かりました。では明日の放課後、図書館受付へ」


 その夜、部屋でアリシアは練習帳を開いた。


『今日は、生活基礎で小さな集団の役割分担を学びました。見る人、記録する人、判断する人、報告する人。自分だけが全部を背負わなくていいと学びました』


 続ける。


『戦闘基礎では、メリルさんと役割を分けて、カイルさんとミーナさんの動きを止めました。全部を一人で止めようとしないで、メリルさんに任せることが少しできました』


 さらに書く。


『図書館で、結界灯には外部からの微弱な干渉痕があったと聞きました。怖いです。でも、学園側も調べてくれています。私たちは小さな調査班として、役割を決めました。私は影や黒い違和感を見る役です。でも、触りません。抱え込みません。報告します』


 ペンが止まる。


 アリシアは今日の調査班を思い出した。


 リーネの冷静な記録。


 メリルの柔らかい支え。


 シオンの皮肉混じりの知識。


 ノアの鋭い感覚。


 その中に、自分もいる。


 アリシアは最後に書いた。


『私にも、役割がありました』


 その一文を書いた時、胸が静かに震えた。


 ノアが机の上に飛び乗る。


「今日は?」


 アリシアが聞くと、ノアは少し考えた。


「九十七点」


「高い……」


「生活基礎を使えた。戦闘基礎で任せられた。図書館で役割を受け取った。結界灯の話も抱え込まなかった」


「減点は?」


「外部干渉と聞いた時、少し顔が白くなった。あと、シオンが正式加入っぽくなった時、嬉しそうすぎた」


「え、そんな顔してた?」


「してたわ」


「うぅ……」


 ノアは尻尾を揺らした。


「でも、悪くない顔だったわよ」


 アリシアは少し照れた。


 窓の外には、曇った夜が広がっていた。


 星はほとんど見えない。


 けれど、学園の魔導灯が静かに灯っている。


 その灯りの周りには、やはり影がある。


 光と闇。


 境界。


 外部干渉。


 追跡者。


 怖い言葉は増えている。


 でも、同時に支えてくれる言葉も増えている。


 役割。


 共有。


 報告。


 仲間。


 アリシアは練習帳の最後に一行を書き足した。


『私は一人で夜を抱えなくていい。小さな調査班で、境界を見る』


 ノアはその一文を見て、静かに頷いた。


「明日は、結界の説明ね」


「うん」


「怖い?」


「怖い。でも……知りたい」


「それでいいわ」


 アリシアは頷いた。


 夜は静かだった。


 けれどもう、その静けさを一人で聞いているわけではなかった。

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