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『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第298話 欠けた番号の向こうに、別の箱があった



翌朝、アリシアが目を覚ました時、窓の外には久しぶりに澄んだ青空が広がっていた。


昨日の夕方まで空を覆っていた薄い雲は夜のうちに流れ去ったらしく、庭の石畳には朝日が明るく差し込んでいる。窓辺に置かれた小さな鉢植えの葉が風に揺れ、その影が机の上の帳面をゆっくりと横切っていた。


アリシアは寝台の中で身体を起こし、しばらくその光景を眺めていた。


昨日、資料室で見つけた番号の抜けが、まだ頭の片隅に残っている。


六つの欄を持つ古い目録と、受入記録に残された一つの番号の抜け。


どちらにも空白がある。


けれど、その二つが同じ理由で生まれたとは限らない。


昨日、エレナ・ヴァイスは、同じ時期に整理された別の保管箱の記録を比較すれば、番号の付け方について考える材料が増えるかもしれないと教えてくれた。


アリシアはその言葉を思い出しながら、寝台の端へ腰を下ろした。


(……もし、ほかの箱にも同じような番号の抜けがあったら、特別なことじゃないのかもしれない。でも、違っていたら……)


そこまで考えて、彼女は小さく首を振った。


違っていたとしても、それだけで何かが隠されていたことにはならない。


番号を付けた人の事情や、当時の整理方法を知らない以上、考えられる理由はいくつもあるはずだった。


「朝から難しい顔してるな。昨日の番号が夢にまで出てきたか?」


寝台の足元で丸くなっていたノアが、片目を開けて言った。


アリシアは振り返り、少し困ったように笑った。


「……夢には出てこなかったよ。ただ、今日は別の箱の記録を見られるかなって考えてたの」


「なるほど。今度は箱を調べるのか。お前、昔は人前で話すのも怖がってたくせに、最近は古い紙の方から逃げられそうだな」


「……紙は逃げないと思うけど」


「だからこそ厄介なんだよ。逃げねえ相手なら、いつまでも追いかけられるからな」


ノアは大きく伸びをし、尻尾を揺らした。


アリシアはその言葉に少し笑いながら、寝台から立ち上がった。


確かに、調べたいことは次々と増えている。


けれど、それを理由に生活を後回しにするつもりはなかった。


昨日も、資料室へ行く前に授業を受け、友人たちと昼食を取り、生活観測区画では子供と絵の話をした。


その一つ一つが、今の自分にとって大切な時間だった。


「……今日は、授業が終わってから先生に相談するつもりだよ。もし時間がなかったら、また別の日にする」


「それでいい。古い箱は一晩待ったところで文句を言わねえだろうしな」


アリシアは頷き、身支度を始めた。


窓の外では小鳥が枝から枝へ飛び移り、朝の光が少しずつ部屋の奥まで届いていた。


今日も、いつもの一日が始まろうとしていた。


◇


学院へ向かう道では、メリルとテオが先に歩いていた。


二人は何かを話しながら笑っていたが、アリシアに気づくと手を振った。


「アリシア、おはよう! 今日はいい天気だね!」


「……おはよう、メリル。うん、昨日より明るいね」


アリシアが近づくと、テオも笑顔で挨拶した。


「おはよう。今日は午後の授業で、古い魔導具の構造図を読むらしいよ。昨日の安全管理の講義と少しつながってるみたいだね」


アリシアは興味を引かれ、顔を上げた。


「……構造図?」


「うん。実物を動かすんじゃなくて、図面を見ながら部品の役割を考えるんだって。先生が、昔の記録には今と違う書き方もあるから注意するようにって言ってた」


メリルは少し大げさに肩をすくめた。


「私は細かい線がいっぱいある図面って、見てるだけで目が回りそうなんだよね。でも、エドガーは楽しみにしてそう」


テオは笑った。


「確かに。昨日も予習してたし」


アリシアは二人の会話を聞きながら、今日の授業を少し楽しみに感じた。


古い資料を調べるようになってから、昔の人が何を考え、どのように物を作り、記録を残していたのかに興味を持つようになっている。


それは六つ目の神器の謎だけに関係することではなかった。


今まで知らなかった世界が、少しずつ広がっているように感じられた。


教室へ着くと、すでにエドガーとフィオナが席についていた。


エドガーは予習用の資料を広げ、フィオナは窓際で教科書を読んでいる。


メリルが二人へ声をかけると、フィオナは顔を上げて微笑んだ。


「おはよう。今日はみんな早いわね」


「だって、いい天気だもん! 寝坊するのがもったいなくて」


メリルが元気よく答えると、エドガーは少し呆れたように笑った。


「天気がいいから早起きするのは構わないが、昨日の課題は終わってるんだろうな」


「もちろん! ちゃんと終わらせたよ!」


メリルは胸を張った。


その様子にテオが笑い、フィオナも小さく微笑んだ。


アリシアは友人たちの会話を聞きながら、自分の席へ座った。


こうして自然に挨拶を交わし、同じ授業を受けることが、今では当たり前になっている。


けれど、以前の自分にとっては、その当たり前が遠いものだった。


アリシアは教科書を開きながら、胸の奥に広がる穏やかな気持ちを大切にした。


◇


午後の授業では、古い魔導具の構造図が配られた。


図面には細かな線と記号が並び、現在使われているものとは少し異なる表記が使われている。


教師は黒板へ簡単な図を描きながら説明した。


「古い図面を読む時に大切なのは、今の知識だけで意味を決めつけないことです。同じ形の記号でも、時代や地域によって異なる意味を持つ場合があります」


アリシアはその言葉を聞きながら、資料室で学んだことを思い出した。


古い文字や番号も、今の使い方と同じとは限らない。


当時の人がどのような目的で記録したのかを考えなければ、見た目だけで誤解してしまうことがある。


教師は一つの部品を指さした。


「この記号は、現在では魔力の流れを調整する部品を示すことが多いですが、この図面が作られた時代には、別の意味で使われていた可能性があります。では、周囲の構造から何が読み取れるでしょうか」


学生たちはそれぞれ図面を見つめ、考え始めた。


アリシアも線のつながりを追いながら、部品の配置を確認した。


エドガーは早くも何かに気づいたらしく、資料の端へ書き込みをしている。


メリルは眉を寄せながら図面を眺め、テオは部品同士の位置関係を指で確かめていた。


フィオナは少し考えた後、静かに口を開いた。


「この部品だけを見ると調整装置に見えますけれど、前後の構造を考えると、流れを止めるためのものかもしれません」


エドガーは頷いた。


「そうだな。ただ、図面だけでは実際の動作までは分からない。説明文か、同じ形式の別の図面があれば比較できるんだが」


アリシアは二人の話を聞きながら、資料の別の部分へ目を向けた。


そこには小さな番号が振られていた。


部品の番号は順番に並んでいるが、一部では数字が飛んでいる。


アリシアは一瞬、昨日の受入記録を思い出した。


けれど、すぐに別の可能性へ考えを向けた。


この図面では、番号が飛んでいる理由が説明されているかもしれない。


彼女は図面の下にある注記を読み、少し驚いた。


そこには、旧式の部品番号をそのまま使用しているため、一部の番号が現在の構造図には登場しないことが記されていた。


アリシアはその一文を指さした。


「……ここに、番号が飛んでいる理由が書いてあるよ」


メリルが身を乗り出した。


「えっ、どこ?」


アリシアが示すと、テオも注記を確認した。


「本当だ。昔の番号をそのまま残してるから、使われなくなった部品の番号が抜けてるんだね」


エドガーは興味深そうに頷いた。


「番号の抜けにも、こういう理由があるわけか。見た目だけでは分からないな」


アリシアは静かに頷いた。


昨日の受入記録にも、同じような事情があるのかもしれない。


ただし、今見ている図面と資料室の受入記録は別のものだ。


似た現象があるからといって、同じ理由だと考えることはできない。


その違いを意識しながら、アリシアは授業の内容を記録した。


教師は学生たちの考えを聞き、最後にこうまとめた。


「古い資料では、記録された内容だけでなく、記録されなかった部分にも注意が必要です。ただし、空白や欠番があるからといって、必ず何かが失われたとは限りません。資料の作成目的と、後から加えられた整理方法を分けて考えてください」


アリシアはその言葉を胸に刻んだ。


授業が終わる頃には、窓の外の光が少し傾き始めていた。


◇


放課後、アリシアは資料室へ向かった。


今日はフィオナも一緒だった。


フィオナは昨日の話を聞いていたため、別の保管箱の記録を比較することに興味を持ったらしい。


「私も、どんなふうに番号が付けられているのか見てみたいの。もちろん、公開されている範囲だけだけれど」


アリシアは嬉しそうに頷いた。


「……うん。一緒に見られたら心強いな」


ノアは二人の後ろを歩きながら、少し退屈そうに尻尾を揺らしていた。


「紙を見る仲間が増えたな。次は誰を巻き込むつもりだ?」


アリシアは小さく笑った。


「……巻き込んでるわけじゃないよ」


フィオナも微笑んだ。


「私が見たいと思ったのよ。アリシアだけに任せるより、別の目で見た方が気づくこともあるかもしれないでしょう?」


ノアは少しだけ目を細めた。


「そりゃもっともだ。こいつ一人だと、気になる文字を見つけた途端に時間を忘れかねねえからな」


「……ノア」


アリシアが少し困ったように名前を呼ぶと、フィオナは声を立てずに笑った。


三人はそのまま中央棟の資料室へ向かった。


資料室の入口には、昨日と同じ案内板が置かれていた。


公開展示はまだ続いており、古い文字の変遷を示した資料の前では、数人の学生が説明を読んでいる。


アリシアたちは受付でエレナ・ヴァイスを呼んでもらい、しばらく待った。


やがて奥の整理室から姿を見せたエレナは、二人を見て穏やかに微笑んだ。


「こんにちは、アリシアさん。今日はお友達も一緒なのですね」


フィオナは丁寧に頭を下げた。


「こんにちは。フィオナと申します。昨日の受入記録について話を聞いて、私も比較の方法を知りたいと思いました」


エレナは頷いた。


「それなら、公開されている範囲で一緒に確認しましょう。ただし、資料の状態によっては閲覧できないものもありますので、その点はご了承ください」


二人は頷き、案内された机へ向かった。


◇


エレナが用意したのは、昨日見た受入記録と、同じ時期に整理された別の保管箱の一覧だった。


それぞれの資料には、箱ごとの整理番号と、その中に収められた文書の枝番号が記されている。


アリシアは最初に昨日の記録を確認した。


そこには、六欄の古い目録が収められていた箱の番号があり、その中の資料が順番に並んでいた。


そして、途中に一つだけ番号の抜けがある。


フィオナはその部分を見つめ、少し考え込んだ。


「確かに、ここだけ番号が飛んでいるわね。でも、前後の資料の内容を見ると、同じ種類のものが並んでいるわけではないのね」


アリシアは頷いた。


「……うん。古い目録もあるけど、別の形式の文書も入ってるみたい」


エレナは説明を加えた。


「この箱は、現在の分類では複数の資料群を含んでいます。受け入れた時点で、すでに内容が混在していた可能性がありますが、どの段階で一緒になったのかは分かっていません」


アリシアはその言葉を書き留めた。


同じ箱に入っていたことは事実。


けれど、最初から同じ場所で使われていたとは限らない。


それを確認してから、二人は別の箱の記録へ目を向けた。


最初の箱では、番号がほぼ連続していた。


ただし、最後の部分に二つほど使われていない番号がある。


エレナはその理由について、当時の整理作業の途中で番号の割り当てが変更された可能性があると説明した。


次の箱では、番号が一つ飛んでいる箇所が複数あった。


こちらには簡単な注記が残っており、破損した文書を別の保存場所へ移した際、元の番号をそのまま空けておいたことが記されていた。


フィオナはその違いに気づき、静かに頷いた。


「同じように番号が抜けていても、理由が分かるものと、分からないものがあるのね」


「……うん。それに、理由が分かるものも、全部同じじゃない」


アリシアは昨日の記録を見直した。


そこには、番号の抜けについての注記がない。


ほかの箱に欠番があることは分かった。


けれど、昨日の箱の番号がなぜ抜けているのかは、まだ分からなかった。


アリシアは少し考えた後、エレナへ尋ねた。


「……先生、同じ時期の箱でも、番号の付け方が違うことはあるんですか?」


エレナは頷いた。


「あります。整理を担当した人や、資料の状態によって方法が異なる場合もありますし、途中で規則が変わることもあります。ただし、今回の資料について、どの方法が使われたのかを確定するには、さらに別の記録が必要です」


アリシアは静かに頷いた。


その時、フィオナが別の一覧の端を指さした。


「先生、こちらの箱には、最初から番号が付いていない資料もあるんですね」


エレナはその欄を確認した。


「ええ。受け入れた時点で個別番号が確認できなかった資料です。後から仮番号を付けていますが、元の整理番号が存在したかどうかは分かっていません」


フィオナは少し驚いたように目を見開いた。


「番号がないからといって、最初から番号がなかったとは限らないんですね」


「そのとおりです」


エレナは穏やかに答えた。


アリシアは二人の会話を聞きながら、古い目録の六番目の欄を思い出した。


そこには名前が書かれていなかった。


けれど、それが最初から空白だったのか、記入される予定だったのかは分からない。


番号も同じだった。


今の記録に残っていないことと、過去に存在しなかったことは、必ずしも同じではない。


アリシアはその違いを、もう一度自分の中で確かめた。


◇


比較を続けているうちに、エレナが一つの欄へ目を留めた。


それは昨日の箱ではなく、別の保管箱の受入記録だった。


そこには、資料の内容を簡単に説明する欄があり、古い整理票の写しが添えられていた。


エレナはしばらく確認した後、二人へ声をかけた。


「少し興味深い記載がありますね。ただし、これは昨日の目録と直接関係するものではありません」


アリシアとフィオナは顔を上げた。


「……どんな記載ですか?」


エレナは資料を指さした。


「こちらの箱には、古い施設で使われていた備品の一覧が含まれていたと記されています。ただし、施設名は判読できず、内容も一部しか残っていません」


アリシアは静かに目を向けた。


そこには、確かに備品の一覧らしい記載があった。


けれど、昨日の六欄の目録とは形式が異なっている。


項目の並び方も、番号の付け方も同じではなかった。


フィオナが慎重に尋ねた。


「同じ種類の資料なんでしょうか?」


エレナは首を横に振った。


「現時点では、同じ種類と断定できません。どちらも備品に関係する記録である可能性はありますが、作成された場所も時期も、直接比較できるほど明確ではありません」


アリシアは頷いた。


ただ、別の箱にも古い備品の記録が残っている。


それは、比較できる資料が一つだけではないことを示していた。


エレナは続けた。


「こうした資料は、単独で見るよりも、同じ時代や地域の記録と比較することで、形式の特徴が分かる場合があります。ただし、比較する資料が本当に近い時代や地域のものかどうかも、確認が必要です」


アリシアは帳面へ書き留めた。


『別の保管箱にも古い備品記録がある。ただし、六欄の目録との関係は未確認。形式も異なる。』


書き終えた時、彼女は少しだけ不思議な気持ちになった。


昨日までは、一つの箱に残された番号の抜けだけが気になっていた。


けれど、今日の比較によって、番号の抜けそのものは珍しいことではないと分かった。


同時に、別の箱にも古い備品の記録が残っていることを知った。


答えに近づいたのかどうかは分からない。


それでも、調べる対象が少し広がったことは確かだった。


◇


資料室を出る頃には、夕方の光が廊下を淡く染めていた。


アリシアとフィオナは並んで歩きながら、今日確認したことを振り返った。


「思っていたより、番号の抜けっていろいろな理由で起きるのね」


フィオナが言うと、アリシアは頷いた。


「……うん。昨日は、あの箱だけに番号の抜けがあるのかもしれないって思ってた。でも、ほかの箱にもあったね」


「だから、昨日の番号が特別だとは言えなくなったわね」


「……そうだね」


アリシアは少し考えた後、微笑んだ。


「……でも、調べてよかったと思う。もし調べなかったら、ずっと特別な番号かもしれないって考えてたと思うから」


フィオナはその言葉を聞き、穏やかに微笑んだ。


「私もそう思うわ。何かを見つけるだけじゃなくて、違う可能性を確かめることも大切なのね」


ノアは二人の足元を歩きながら、少し得意げに尻尾を揺らした。


「つまり、今日は大発見じゃなくて、思い込みを一つ減らした日ってわけだ」


アリシアは小さく笑った。


「……うん。そうかもしれない」


フィオナも笑った。


「でも、それって悪いことじゃないわね」


「悪いどころか、かなりまともな進歩だろ。古い紙一枚で世界の秘密が分かった気になるより、ずっといい」


ノアの言葉に、アリシアは頷いた。


六つ目の神器の謎は、まだ遠いところにある。


けれど、焦って近づこうとすれば、見えているものまで見誤ってしまうかもしれない。


今は、確かめられることを一つずつ積み重ねていくしかない。


アリシアはそう考えながら、生活観測区画へ向かった。


◇


談話室へ戻ると、子供は机の上に三枚の絵を並べていた。


昨日、一本だけ線を引いた真ん中の紙には、今日は小さな橋が描き加えられていた。


ただし、橋の下にはまだ川が描かれていない。


アリシアが近づくと、子供は嬉しそうに顔を上げた。


「アリシア、おかえり!」


「……ただいま。今日は橋を描いたんだね」


子供は大きく頷いた。


「うん! でも、まだ川にするかどうか決めてないの」


アリシアは少し驚いた。


「……橋を描いたけど、川はまだ決めてないんだ?」


「うん。橋って、川がなくてもあっていいでしょう? 小さな道の上に橋があってもいいし、森の中に橋があってもいいと思ったの」


子供は楽しそうに説明した。


アリシアはその言葉を聞きながら、絵を眺めた。


確かに、橋の下には何も描かれていない。


けれど、それは描き忘れではなかった。


子供は、橋だけを先に描くことを選んだのだ。


「……そうだね。橋がある場所は、川の上だけじゃないもんね」


アリシアが言うと、子供は嬉しそうに笑った。


「うん! だから、あとで考えるの!」


少し離れた場所では、顔のない存在が静かに過ごしていた。


胸元の十一の光は安定しており、覆われた木箱にも変化はない。


アリシアは一度だけそちらへ視線を向けたが、何かを読み取ろうとはしなかった。


今は、子供が自分で考え、自分で描いている時間を大切にしたかった。


子供は橋の絵を指さしながら、少し考え込んだ。


「でもね、もし川にしたら、おうちから森へ行く時にここを渡ることになるでしょう?」


「……うん」


「それで、もし道にしたら、橋の下を通る人もいるかもしれないの」


アリシアは微笑んだ。


「……どっちも楽しそうだね」


子供は頷いた。


「うん。だから、今日はまだ決めない!」


その言葉に、アリシアは小さく笑った。


昨日は一本の線だった。


今日は橋が増えた。


けれど、まだ決めていないことも残っている。


それでも、絵は少しずつ変わっていく。


アリシアはその様子を見ながら、今日の資料室での出来事を思い出した。


分からないことが残っていても、確かめられたことは増えていく。


そして、何かを決めないまま進むこともできる。


子供の絵は、そんなことを自然に教えてくれているようだった。


◇


夜、アリシアは自室で日記帳を開いた。


窓の外には星が見え、昼間の暖かさが少しずつ薄れている。


ノアは寝台の上で丸くなり、時折尻尾を揺らしていた。


アリシアは今日の出来事を思い返しながら、ゆっくり筆を動かした。


『今日は、昨日見つけた番号の抜けについて、別の保管箱の記録と比較した。ほかの箱にも番号が抜けている場所があり、その理由が分かるものと、分からないものがあった。』


『だから、昨日の箱の番号が特別なものだとは言えない。六欄の目録との関係も、まだ確認できていない。』


アリシアは一度筆を止めた。


今日、別の箱にも古い備品記録が残っていることを知った。


それは新しい情報だったが、六つ目の神器の謎へ直接つながるものではない。


彼女はその違いを意識しながら、続きを書いた。


『別の保管箱にも古い備品の記録があった。ただし、六欄の目録とは形式が違い、作成場所や時期もはっきりしていない。今は、比較できる資料が存在することだけが分かった。』


そこまで書いて、アリシアは少し微笑んだ。


今日の調査では、何かが隠されている証拠は見つからなかった。


けれど、番号の抜けが珍しいことではないと分かった。


それは、昨日までの自分が抱いていた期待を少し変える結果だった。


アリシアはその変化を、残念だとは思わなかった。


むしろ、確かめたことで考え直せたことが嬉しかった。


ノアが寝台から声をかけた。


「今日はどうだった。箱の秘密は分かったか?」


アリシアは振り返り、少し笑った。


「……秘密があるかどうかも、まだ分からないよ。でも、番号が抜けてる箱はほかにもあった」


「ほう。じゃあ、昨日の番号は特別扱いできなくなったな」


「……うん。でも、調べてよかったと思う」


ノアは満足そうに目を細めた。


「それなら十分だろ。明日も古い紙を追いかけるなら、ちゃんと飯を食ってからにしろよ」


「……分かってるよ」


アリシアは笑いながら答え、日記帳へ最後の一文を書き加えた。


『子供は、今日は橋を描いた。でも、その下を川にするか道にするかは、まだ決めていない。私も、分からないことを急いで決めず、確かめながら考えていきたい。』


書き終えると、アリシアは日記帳を閉じた。


六つ目の神器の謎は、まだ解けていない。


失われた六人目の名前も、古い目録の六番目の空白も、何を意味するのか分からないままだ。


けれど、今日の比較によって、受入記録の番号の抜けを特別な証拠として扱うことはできないと分かった。


それは、次に進むために必要な確認だった。


アリシアは灯りを落とし、寝台へ入った。


ノアはいつものように隣へ移動し、丸くなって目を閉じた。


窓の外では夜風が木々の葉を揺らし、遠くの森から虫の声が聞こえている。


アリシアはその音を聞きながら、今日見た別の保管箱の記録を思い出した。


そこには、昨日とは違う形式の古い備品記録が残されていた。


それが何を意味するのかは、まだ分からない。


けれど、比較できる資料があることは分かった。


明日、また別のことが見えてくるかもしれない。


そう考えながら、アリシアは静かに目を閉じた。


今夜も胸に冷たさはなく、身体に痛みもない。


穏やかな夜の中で、彼女はゆっくりと眠りへ落ちていった。


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