↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『忘れられた六つ目の神器に選ばれました 〜人見知りな闇の少女と毒舌黒猫の学園英雄譚〜』  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
277/331

第277話 五人で支える、ひとつの壁



 朝の学院には、いつもより少し強い風が吹いていた。


 正門から続く石畳の両側では、木々の枝が大きく揺れ、ときおり葉が舞い落ちている。雲は高く、日差しも十分にあったが、建物の陰へ入ると肌寒さを感じるほどで、登校してくる生徒たちの中には外套の襟を押さえながら足早に歩く者もいた。


 アリシアは風に乱された髪を指先で整え、実習棟の方角へ視線を向けた。


 今日は合同実技の日だった。


 前回は、五人で小規模魔力防壁を形成する練習を行った。最初の試行では右側の出力が強くなり、左側と中央の均衡が崩れたものの、二度目には互いに声を掛け合うことで維持時間を延ばせている。


 ただし、まだ十分に安定したとは言えない。


 それぞれが自分の担当へ集中すると、ほかの場所で起きている変化に気づくのが遅れる。反対に、誰かが気づいても、補助する前に声を掛けなければ、別の人と調整が重なる可能性があった。


 今日は担当を入れ替え、その問題をもう一度確かめる予定だった。


(前より、ちゃんと話せるかな)


 アリシアは鞄の持ち手を握り直した。


 研究室では、自分の状態や希望を以前より言葉にできるようになっている。けれど、学院の同級生たちを相手にすると、まだ少し緊張する。


 研究室の人々は長い時間をかけて自分のことを知ってくれた。


 それに対して、合同実技の班員たちとは、まだ一緒に魔法を使い始めたばかりだ。


 それでも前回は、自分から助けを求められた。


 今日も同じようにできるだろうか。


「アリシア!」


 背後から明るい声がして、アリシアは振り返った。


 メリルが外套の襟を押さえながら小走りで近づいてくる。風に髪を乱されていることなど気にしていない様子で、アリシアの隣へ並ぶと、まず実習棟の方を見た。


「おはよう! 今日は絶対、前より長く防壁を保ちたいね」


「おはよう、メリル。うん。でも、最初から無理はしないでね」


「分かってるって。私だって、前回の反省くらいしてるよ」


 メリルは胸を張ったものの、すぐに少し困ったような顔をした。


「……右側を強くしすぎたの、私もちょっと焦ったんだよね。弱くなったところを見つけると、つい多めに足したくなるし」


「そうなんだ」


「だって、足りないより多い方が安心しない?」


 アリシアは少し考えた。


「でも、防壁は全体の釣り合いが大事だから。多すぎても、ほかの場所に負担がかかると思う」


「そうなんだよねえ。分かってるんだけど、実際にやると難しい」


 メリルは苦笑し、それからアリシアの顔を覗き込んだ。


「今日はどうする? また中央?」


「できれば、違う役をやってみたい」


「おっ、いいね。何がいい?」


「まだ決めてないけど……全体を見る役が気になってる」


 アリシアが答えると、メリルは少し驚いたように目を見開いた。


「アリシアが?」


「変かな」


「ううん、むしろ合ってると思う。ただ、全体を見る役って、みんなに指示を出さないといけないでしょ?」


「……そうなんだよね」


 アリシアは少しだけ視線を落とした。


 そこが、一番不安だった。


 細かな魔力の変化を見ることは嫌いではない。


 けれど、見つけた変化をその場で言葉にし、ほかの人へ伝えるとなると、どうしても少し躊躇してしまう。


 メリルはそんなアリシアの様子を見て、少し笑った。


「じゃあ、私がいっぱい返事するよ」


「返事?」


「そう。アリシアが『左を少し』って言ったら、私が『分かった!』って返す。返事があれば、言いやすいでしょ?」


 アリシアは目を丸くした。


 それから、思わず笑みをこぼす。


「……うん。たぶん」


「じゃあ決まり。ほかのみんなにも相談しよう」


 二人は並んで実習棟へ向かった。


     ◇


 合同実技が始まる頃、実習棟の広間には複数の班が集まっていた。


 高い天井から吊るされた魔導灯が柔らかな光を落とし、床には各班の実習区域を示す白い線が引かれている。壁際には小型結界具が並び、教師たちが順番に状態を確認していた。


 アリシアたちの班は、広間の奥側に割り当てられていた。


 すでに三人の班員が集まっている。


 前回、立ち上げを担当していた男子生徒は、茶色の髪を短く整えたエドガーだった。魔法の扱いは堅実で、実技の前には必ず手順を確認したがる。慎重なところがあり、前回も防壁が崩れたあと、誰が悪かったかより先に、どこで均衡が変わったのかを確かめようとしていた。


 その隣には、明るい栗色の髪を肩のあたりで結んだ女子生徒、フィオナがいる。


 フィオナは普段の会話では控えめだが、一度納得できないことがあると、そのままにせず質問する性格だった。前回の実技では中央の補助を担当し、魔力を足す量について何度も教師へ確認している。


 もう一人の男子生徒は、黒に近い濃い灰色の髪をしたテオだった。


 テオは言葉数こそ多くないものの、周囲の動きをよく見ている。前回も防壁が崩れたあと、右側の出力が強くなった時点で左側が薄くなり始めていたことを指摘していた。


「おはよう、二人とも」


 エドガーが記録紙から顔を上げた。


「おはよう。今日、役割を変える話だったよね?」


 メリルが尋ねると、フィオナが頷いた。


「うん。私、今日は中央をやってみたい。前回はアリシアに助けてもらったから、今度は自分でも支えられるか試したくて」


「いいと思う」


 アリシアが答えると、フィオナは少し安心したように笑った。


「ありがとう。でも、もし危なそうだったら遠慮なく言ってね。私、中央の変化だけ見てると、左右まで気が回らなくなると思うから」


「それなら、全体を見る役が必要だな」


 エドガーが記録紙を机へ置いた。


「前回は俺が立ち上げと全体確認を兼ねてたけど、正直、両方を同時にやるのはきつかった。最初の形を作ることに集中すると、端の変化を見落としやすい」


 そこでアリシアは、小さく息を吸った。


「あの……私、今日は全体を見る役をやってみたいです」


 三人の視線が集まる。


 アリシアは一瞬だけ肩へ力を入れたが、途中で言葉を止めなかった。


「前回は中央を支えるので精いっぱいだったから、今日は少し離れたところから全体を見てみたい。足りない場所があったら、みんなに伝えて、必要なところだけ補助する役をやってみたいです」


 エドガーは少し考え、それから頷いた。


「いいんじゃないか。アリシアは細かな魔力の変化に気づくのが早いし」


「俺も賛成」


 テオが短く言った。


「ただ、一人で全部直そうとしない方がいい。全体を見る人が忙しくなったら、ほかの四人が何をしてるか分からなくなる」


 アリシアは頷いた。


「うん。そこは気をつけたい」


 フィオナが少し首を傾げる。


「じゃあ、全体を見る役は、直接魔力を足すより、誰が補助するか決める方がいいのかな?」


「必要なら補助もするけど、最初から全部やろうとはしない方がいいと思う」


 エドガーが答えた。


 メリルはそこで勢いよく手を挙げた。


「じゃあ私は左側! 前回、左が薄くなった時に焦ったから、今日はちゃんと自分の担当として見てみたい」


「俺は右側を担当する」


 テオが続ける。


「右は前回、出力が強くなりすぎた。今度は安定させる方を意識する」


 エドガーは記録紙へ役割を書き込んだ。


「じゃあ俺は立ち上げ。フィオナが中央、メリルが左、テオが右、アリシアが全体確認と必要時の補助だな」


 五人は互いの顔を見て頷いた。


 アリシアは少しだけ緊張していた。


 けれど、さっきよりも怖くはなかった。


 誰が何を担当するのか、今ははっきり分かっている。


     ◇


 最初の試行は、思っていたほど上手くいかなかった。


 開始の合図とともに、エドガーが結界具へ魔力を流し込む。淡い半透明の膜が立ち上がり、床へ描かれた円の内側を包むように広がった。


 フィオナが中央へ魔力を送り、左右からメリルとテオが支える。


 アリシアは少し離れた位置から、その全体を見ていた。


 最初は安定している。


 中央の厚みも十分で、左右の出力にも大きな差はない。


 ただ、しばらくすると左側の膜がわずかに薄くなり始めた。


(左が少し弱い)


 アリシアはすぐに気づいた。


 けれど、声を掛けるより先に、自分の魔力を少しだけ送ってしまった。


 同じ瞬間、メリルも左側へ魔力を足していた。


 補助が重なり、左側の膜が急に強くなる。


「わっ、左が強い!」


 メリルが声を上げた。


「ごめん、私も足した!」


 アリシアは慌てて自分の魔力を弱めた。


 しかし、今度は弱めるのが少し早すぎた。


 左側の膜が揺れ、その影響が中央へ伝わる。


「中央、引っ張られてる!」


 フィオナが声を上げ、崩れかけた膜を支えようと魔力を強めた。


 ところが、中央の出力が急に増えたことで右側との釣り合いまで崩れてしまう。


「フィオナ、中央を少し下げて!」


 エドガーが呼び掛けたが、フィオナはすでに揺れを抑えることで精いっぱいだった。


 テオが右側の出力を調整しようとした時には、防壁全体が大きく波打っていた。


 次の瞬間、半透明の膜は淡い光を散らして消えてしまった。


 実習区域へ短い沈黙が落ちる。


 アリシアは膝の上で手を握った。


(また、私が先に動いちゃった)


 全体を見る役をやりたいと言ったのは自分だ。


 けれど、最初に変化を見つけた瞬間、誰かへ伝えるより先に、自分で直そうとしてしまった。


「……ごめんなさい」


 アリシアが小さく言うと、メリルも困ったように眉を下げた。


「私も足しちゃったからね。左が薄くなったの見て、すぐに強くしちゃった」


「俺も声を掛けるのが遅かった」


 エドガーが記録紙を見ながら言った。


「左側の変化は見えてた。でも、アリシアが補助するのか、メリルが自分で調整するのか、確認しなかった」


 フィオナは自分の手元を見つめていた。


「私、中央が揺れた時、どこまで魔力を足せばいいか分からなくなっちゃった。支えようとして、逆に強くしすぎたと思う」


 テオはしばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。


「最初に崩れたのは左だけど、そのあと全員が別々に直そうとした。だから、全体が余計に揺れたんだと思う」


 アリシアはテオの言葉を聞きながら、もう一度防壁が崩れた瞬間を思い返した。


 左側が薄くなった。


 自分が補助した。


 メリルも補助した。


 左側が強くなりすぎた。


 自分が魔力を引いた。


 フィオナが中央を強めた。


 テオが右側を調整しようとした。


 それぞれは、防壁を保とうとして動いていた。


 けれど、互いの判断が分からなかった。


「……私、補助する前に言えばよかった」


 アリシアが顔を上げた。


「左が薄くなったから、すぐに足そうとした。でも、メリルも自分の担当を見てたんだよね」


「うん。私もアリシアが見てるの分かってたのに、何も言わなかった」


 メリルは少し恥ずかしそうに笑った。


「お互い、相手がどうするか考えてなかったね」


 エドガーが頷く。


「じゃあ、次は補助する前に必ず声を掛けよう。全体を見る役が変化を伝えて、担当者が対応できるなら担当者が直す。難しい時だけ補助を頼む」


「それなら分かりやすい」


 フィオナが頷いた。


「中央も、左右がどうなってるか分かれば、慌てて強くしすぎずに済むと思う」


 テオは少し考えてから付け加えた。


「あと、返事が必要だな。言っただけじゃ、相手が聞こえてるか分からない」


 アリシアはメリルの方を見た。


 朝、メリルが言っていたことを思い出した。


『私がいっぱい返事するよ』


 アリシアは少し笑った。


「……うん。返事、大事だと思う」


 メリルも笑い返した。


「でしょ? じゃあ次は、ちゃんと声出していこう」


     ◇


 二度目の試行が始まる前、五人はもう一度立ち位置を確認した。


 エドガーが立ち上げ。


 フィオナが中央。


 メリルが左。


 テオが右。


 アリシアが全体確認と必要時の補助。


 ただし、今度は魔力を動かす前に必ず声を掛ける。


 担当者が自分で対応できるなら、ほかの人は余計な補助をしない。


 誰かが対応できない時には、はっきり助けを求める。


「よし。じゃあ始めるぞ」


 エドガーが声を掛けた。


 五人が頷く。


 結界具へ魔力が流れ込み、半透明の膜がゆっくりと立ち上がった。


 今度は最初から、互いの状態を伝え合う。


「中央、今は安定してる。でも少し強くすると揺れそう」


 フィオナが言う。


「了解。立ち上げはこのまま維持する」


 エドガーが応じた。


 アリシアは全体を見ながら、左右の厚さを確かめる。


 左側がわずかに薄くなり始めた。


「メリル、左が少し弱くなってる。自分で調整できる?」


「できる! 少し足すね」


「お願い」


 メリルが魔力をゆっくり増やすと、左側の膜が穏やかに戻った。


 今度はアリシア自身が補助する必要はなかった。


 中央も安定している。


 右側に少し揺れが生じたが、テオがすぐに声を出した。


「右、少し強くなってる。俺が下げる」


「分かった。中央はそのままにするね」


 フィオナが応じる。


 テオは急に魔力を引くのではなく、少しずつ出力を落とした。


 右側の膜は一度だけ小さく揺れたものの、すぐに安定する。


 アリシアはその様子を見ながら、胸の奥で小さな驚きを感じていた。


(私、ほとんど魔力を足してない)


 それなのに、防壁は安定している。


 自分が直接直さなくても、必要なことを伝えれば、担当者が動いてくれる。


 そのことが嬉しかった。


 やがて担当教師が終了を告げ、五人はゆっくり魔力を抜いた。


 半透明の膜が静かに消える。


「……できた!」


 メリルが嬉しそうに声を上げた。


 フィオナも大きく息を吐き、肩の力を抜いた。


「さっきよりずっと落ち着いてできた。中央が揺れても、みんなが何をしてるか分かるだけで安心するね」


 エドガーは記録紙を見ながら頷いた。


「維持時間も延びてる。最初の試行より、魔力の変化が小さい」


「アリシア、よかったな」


 テオが言った。


 アリシアは少し驚いて顔を上げる。


「えっ?」


「全体を見る役、ちゃんとできてた。余計な補助をしなかったのがよかったと思う」


 その言葉に、アリシアは少しだけ頬を赤くした。


「……ありがとう。でも、みんながちゃんと調整してくれたから」


「それを言えたのがよかったんじゃない?」


 メリルが笑う。


「アリシアが全部やろうとしてたら、また重なってたかもしれないし」


 アリシアは少し考えた。


 確かに、最初の試行では自分で何とかしようとしていた。


 二度目は、必要なことを伝え、ほかの人へ任せることができた。


(私が全部やらなくても、ちゃんとできるんだ)


 その気づきが、胸の奥へ静かに残った。


     ◇


 担当教師は五人のところへ来ると、記録紙へ目を落とした。


「一度目は補助が重なって崩れましたね」


「はい」


 エドガーが答える。


「でも、二度目は改善できています。特に、全体を見る役が一人で補助を抱え込まなかったのがよかった」


 教師はアリシアへ視線を向けた。


「アリシアさんは細かな魔力調整が得意ですね。ただし、得意だからといって全部を担当する必要はありません」


「はい」


「ほかの人へ任せる判断も、連携の一部です」


 アリシアはゆっくり頷いた。


 教師は続ける。


「次回は、担当者が一時的に補助できなくなった場合を想定した練習も行います。誰か一人が抜けても、すぐに全体が崩れないようにすることが目標です」


 班員たちの間に、小さなどよめきが起きた。


「一人抜けるんですか?」


 フィオナが尋ねる。


「実際に危険な状態へするわけではありません。あらかじめ決めた合図で一人が出力を下げ、残りの人がどう対応するかを見る練習です」


「なるほど……」


 フィオナは少し考えた。


「じゃあ、中央が抜けたらどうなるんだろう。左右だけで支えられるのかな」


「それを考えるのが次回の課題です」


 教師が答える。


 メリルは興味深そうに目を輝かせた。


「難しそうだけど楽しそう! 誰が抜けても大丈夫な班になれたら、かなり強いよね」


「最初からそこまでできるとは限らないけどな」


 エドガーが苦笑する。


「まずは、誰か一人が出力を下げても慌てないことだろ」


 テオも頷いた。


「今日みたいに、誰が何をするか分かってれば対応しやすいと思う」


 アリシアは四人の顔を見た。


 次回も、同じ班で練習する。


 今日できたことを、次は別の条件で試す。


 そのことが楽しみだった。


     ◇


 実技が終わったあと、五人は実習棟の外にある長椅子へ集まった。


 午後の日差しはまだ明るく、広間の中で魔力を使っていた時よりも風が心地よく感じられる。ほかの班の生徒たちも近くで今日の結果について話しており、ときおり笑い声が聞こえてきた。


「今日の二回目、かなりよかったよな」


 エドガーが記録紙を見ながら言った。


「うん。最初はどうなるかと思ったけど」


 フィオナが笑う。


「私、中央が揺れた時に本当に焦った。でも、二回目はみんなが何をしてるか分かったから、落ち着いていられた」


「フィオナ、ちゃんと声出してたもんね」


 メリルが言う。


「中央が安定してるって分かると、私も左だけ見てればよかったし」


 テオは長椅子の端へ腰を下ろし、少し考えてから口を開いた。


「でも、次は誰か一人が出力を下げるんだろ。今日みたいに担当を固定してるだけじゃ足りないかもしれない」


「そうだな」


 エドガーが頷く。


「たとえば左が一時的に弱くなったら、誰が補助するか決めないといけない」


「それなら私が右から少し回せるかな?」


 メリルが尋ねる。


 テオは首を傾げた。


「右を弱くしすぎると、今度は右が崩れるかもしれない。中央が余裕あるなら、そっちから補助した方がいい場合もあると思う」


 フィオナは少し不安そうな顔をした。


「中央って、そんなに余裕あるかな……」


 アリシアは四人の話を聞きながら、少し考えた。


 誰か一人が抜けた時、残りの四人がどう動くか。


 それは、今日よりも難しい。


 けれど、最初から完璧な答えを出す必要はない。


「……次の実技の前に、少しだけ相談してもいい?」


 アリシアが言うと、四人の視線が集まった。


「今日みたいに、始める前に役割を決めておきたい。誰かが出力を下げた時、最初に誰が確認するかだけでも決めておけば、少し落ち着いてできると思う」


 エドガーが頷いた。


「いいな。じゃあ、次回は授業の少し前に集まろう」


「賛成!」


 メリルがすぐに答える。


 フィオナも笑った。


「私も。今日みたいに慌てたくないし」


 テオは短く頷いた。


「俺もそれでいい」


 アリシアは少しだけ胸が温かくなった。


 自分から提案したことを、みんなが受け入れてくれた。


 しかも、それが次の約束になった。


「……ありがとう」


 アリシアが言うと、メリルが不思議そうに首を傾げた。


「何でお礼?」


「私が言ったこと、ちゃんと聞いてくれたから」


 メリルは一瞬きょとんとしたあと、笑った。


「当たり前でしょ。同じ班なんだから」


 エドガーも頷く。


「それに、今日の二回目が上手くいったのは、アリシアが全体を見てくれたおかげでもあるし」


「俺たちも助かった」


 テオが続けた。


 フィオナは少しだけ身を乗り出す。


「アリシアが言ってくれると、私も安心するよ。自分が中央を見てる間、ほかのところを誰かが見てくれてるって分かるから」


 アリシアは言葉に詰まった。


 嬉しい。


 けれど、どう返せばいいのか分からない。


 そんなアリシアの様子を見て、メリルが笑いながら肩を軽く叩いた。


「ほら、また照れてる」


「……照れてない」


「照れてるよ」


「メリル」


「はいはい。じゃあ次もよろしくね、全体確認係さん」


 アリシアは少しだけ頬を膨らませた。


 けれど、そのあと自然に笑っていた。


     ◇


 放課後、アリシアは研究棟へ向かわず、生活観測区画へ戻った。


 今日は合同実技で魔力を使っている。


 次の人工刺激候補日はまだ先だが、だからといって今から研究の準備を進める必要はない。


 生活観測区画へ着くと、子供が庭で世話役と一緒に小さな木の板を並べていた。


 以前から使っている遊び用の板で、重要な木箱とは別のものだ。


「アリシア、おかえり!」


「ただいま。何してるの?」


「道を作ってる」


 子供は木の板を指さした。


 地面の上には、曲がりくねった道のように板が並べられている。


「ここからここまで、転がすの」


 子供は小さな木の駒を持ち上げた。


 アリシアは隣へしゃがみ、板の並びを見た。


「途中で曲がってるね」


「うん。まっすぐだとすぐ終わっちゃうから」


「なるほど」


「アリシアもやる?」


「少しだけなら」


 子供は嬉しそうに頷いた。


 二人は木の駒を道の端へ置き、ゆっくり転がした。


 最初は途中で止まってしまったが、子供が板の位置を少し直すと、次は最後まで進んだ。


「できた!」


 子供が声を上げる。


 アリシアも笑った。


「上手だね」


「アリシアもやって」


 今度はアリシアが木の駒を転がす。


 少し力を入れすぎたため、途中で板から外れてしまった。


「あっ」


 子供が笑った。


「強すぎ!」


「ほんとだ」


「もっと優しく」


「分かった」


 アリシアはもう一度、今度は少し弱く転がした。


 木の駒はゆっくり進み、途中の曲がり角を通って最後まで到達した。


「できたね」


「うん!」


 子供は嬉しそうに拍手した。


 アリシアはその笑顔を見ながら、今日の合同実技を思い出した。


 強くすればいいわけではない。


 全部を一人で動かせばいいわけでもない。


 必要なところへ、必要なだけ。


 それは魔力の制御にも似ている。


 けれど、今は研究のために考えているわけではなかった。


 子供と一緒に遊んでいるだけだ。


     ◇


 夕方、ノアが庭へ姿を見せた。


 アリシアの近くまで歩いてくると、木の駒を見下ろす。


「何してんだ」


「道を作って転がしてる」


「見りゃ分かる」


「じゃあ聞かないでよ」


「お前が楽しそうだからな」


 アリシアは少し驚いた。


「……そう見える?」


「見える」


 ノアはそれだけ言うと、近くの日当たりのよい場所へ座った。


 子供がノアへ木の駒を差し出す。


「ノアもやる?」


「俺は猫だぞ」


「猫も転がす?」


「転がすのはお前らに任せる」


 子供は少し残念そうにしたものの、すぐにアリシアへ向き直った。


「じゃあ、もう一回」


「うん」


 アリシアは笑いながら木の駒を受け取った。


 庭には夕方の柔らかな光が差し込み、木々の影が長く伸びている。


 研究棟の静かな観測室とは違う、穏やかな時間だった。


     ◇


 夜になり、アリシアは自室で学院の帳面を開いた。


 今日の合同実技について、忘れないうちに書いておきたかった。


『合同実技。五人で小規模魔力防壁を作った。今日は担当を入れ替え、私は全体を見る役をした。』


『エドガーが立ち上げ、フィオナが中央、メリルが左、テオが右。私は全体確認と必要時の補助。』


『一回目は、左側へ私とメリルが同時に補助を入れてしまい、防壁が崩れた。二回目は声を掛け合い、誰が補助するかを確認したことで安定した。』


『自分が全部を直さなくても、みんなへ伝えて任せればうまくいくことがある。』


 そこまで書き、アリシアは少しだけ筆を止めた。


 研究帳面は机の端に置いてある。


 新しい系列の残り一件について、候補日はすでに仮置きされている。


 今日の実技で疲労は少し増えたものの、痛みや息苦しさ、胸部異常はない。


 次の候補日までに、身体の状態がどうなるかはまだ分からない。


 けれど、今日は研究のために何かを決める必要はなかった。


 アリシアは研究帳面へ手を伸ばしかけ、少し考えてからやめた。


(今日は学校のことだけでいい)


 そう思うと、不思議と落ち着いた。


 寝台ではノアが丸くなっている。


「ノア」


「何だ」


「今日、合同実技うまくいったよ」


「そうか」


「一回失敗したけど、二回目はできた」


「ならいいじゃねえか」


 アリシアは笑った。


「うん。楽しかった」


 ノアは片目を開け、アリシアを見た。


「最近、学校の話が増えたな」


「そう?」


「前は研究の話ばっかだった」


 アリシアは少し考えた。


 確かに、以前は研究のことが頭から離れない日が多かった。


 東側と西側の反応。


 自分の感覚。


 六つ目の神器。


 分からないことが多すぎて、何か一つでも確かめたかった。


 今も、その気持ちは変わらない。


 けれど、学院で友人と話し、班員たちと魔法を使い、子供と庭で遊ぶ時間も大事になっている。


「……学校も楽しいから」


 アリシアが答えると、ノアは小さく鼻を鳴らした。


「結構なことだ」


「ノアは?」


「何が」


「私が学校楽しんでるの、嬉しい?」


 ノアはしばらく黙っていた。


 それから、面倒そうに尻尾を動かす。


「お前が研究室に籠もりっぱなしじゃなくなったら、俺の仕事も減るからな」


「それだけ?」


「十分だろ」


 アリシアは少し笑った。


 ノアが素直に喜んでいると言わないことは、もう分かっている。


 それでも、そばにいてくれる。


 研究へ行く時も、学校から帰った時も、眠る前も。


 そのことが嬉しかった。


 アリシアは学院の帳面を閉じ、机の上へ置いた。


 残る一件の実施候補日は、少しずつ近づいている。


 その日が来れば、また東側と西側の反応を確かめることになる。


 不一致が出るかもしれない。


 一致するかもしれない。


 自分が何かを感じるかもしれないし、何も感じないかもしれない。


 けれど、今日の合同実技で得たものは、その結果によって変わらない。


 五人で失敗し、話し合い、もう一度試して、前より安定した防壁を作れたこと。


 自分一人で抱え込まず、ほかの人へ任せられたこと。


 メリルだけでなく、エドガーやフィオナ、テオとも、次の実技を楽しみにできること。


 それらは研究とは別に、確かに自分の中へ残っている。


 アリシアは灯りを落とし、寝台へ向かった。


 ノアが少しだけ身体をずらし、隣へ入る場所を空ける。


「おやすみ、ノア」


「おう」


 アリシアは掛け布を引き上げ、目を閉じた。


 次の試験が終わっても、学院の日々は続いていく。


 そのことが、今夜は何よりも心強かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。