第271話 何回確かめるかは、結果を見る前に
新しい前向き設計へ進みたいと自分の意思を伝えた翌朝、アリシアは研究帳面を開かなかった。
窓の外では、夜のあいだに吹いた風が森の葉をいくらか落としたらしく、生活観測区画へ続く小道の端に茶色や黄褐色の葉が重なっていた。朝日は雲の切れ間から柔らかく差し込み、室内の床にも窓枠の形をした淡い光が伸びている。少し冷え込んではいるものの、暖房を必要とするほどではなく、寝台を出たアリシアは肩へ薄い上着を掛けるだけで十分だった。
身体の状態も悪くない。疲労は一から二のあいだで、痛みも息苦しさもなく、胸の中央から少し左へ意識を向けても冷たさや説明しにくい違和感はなかった。頭痛や吐き気、めまいもなく、昨日研究棟で長く考えたことによる重さが少し頭に残っている程度だった。
(今日は、回数を決めるのかな)
そう考えたところで、アリシアは机へ向かいかけた足を止めた。
昨日の最後に、研究帳面へ書いたことは覚えている。新しい記録で東側と西側の不一致がもう一度観察されるか確かめたいこと、旧系列へ試行を足すのではなく別の前向き設計として扱うこと、そして設計へ進む意思と実際の人工刺激へ参加する意思は同じではないこと。
だから、朝一番から帳面を開いて自分だけで試行数を考え始める必要はない。
「珍しいな」
窓辺にいたノアが、床へ降りながら言った。
「何が?」
「机の前まで行って戻った」
「見てたの?」
「視界に入っただけだ。お前が朝から同じところ二往復してりゃ嫌でも分かる」
「二往復してないよ」
「じゃあ一往復半」
「半って何?」
「途中でやめた分だ」
アリシアは言い返しかけたが、自分でも少し可笑しくなって口元を緩めた。ノアはそんな彼女を一度見上げると、朝食の匂いが漂ってくる方向へ歩き始める。
「で、今日は何を決めるんだ」
「たぶん、何回やるか」
「一回じゃ駄目なのか?」
「一回でも記録にはなるけど……」
答えながら、アリシアは自分の中にすぐ別の言葉が浮かんだことへ気づいた。
二回なら。
三回なら。
もっと多ければ。
けれど、それは何を基準に決めるのだろう。
「分からない」
「朝から立派な答えだな」
「馬鹿にしてる?」
「褒めてる」
「絶対違う」
ノアは振り返りもしなかった。
それでもアリシアは、そのまま研究帳面を閉じた状態にしておいた。
分からないなら、今は分からないままでいい。回数を決める理由まで含めて研究棟で考えればよく、昨日ようやく「急がずに設計する」と決めたばかりなのに、一晩で自分だけの答えを作って持っていく必要はなかった。
◇
朝食を終える頃には、生活観測区画の広間も少し賑やかになっていた。
子供は昨日作った木片の町をまだ片づけていなかった。家、パン屋、学校と呼ばれている木片が床の一角に並び、そのあいだには紐で作った川が曲がりながら通っている。橋に見立てた細長い木片だけは昨日と位置が変わり、学校の近くからパン屋の横へ移されていた。
「橋、動いたの?」
学院へ向かう支度をしながらアリシアが尋ねると、子供は床へ膝をついたまま頷いた。
「こっちの方がいい」
「学校へ行く時、遠くならない?」
「学校はこっちから行く」
子供は川を渡らず、家から学校まで指を歩かせる。
「あ、そっちにも道があるんだ」
「ある」
「昨日は?」
「なかった」
「今日できたの?」
「うん」
子供はそれ以上説明せず、今度はパン屋の隣へ丸い小石を置いた。
アリシアも理由を追及しなかった。
昨日までなかった道が今日できても、遊びなのだから構わない。研究の規則と違って、結果を見る前に町の作り方を固定する必要などない。
そこまで考えた瞬間、アリシアは自分で苦笑した。
(結局、研究のこと考えてる)
けれど、子供へその考えを重ねることはしなかった。
「行ってくるね」
「うん。学校?」
「学校」
「研究も?」
「今日はたぶん行くよ」
「何するの?」
「まだ、どうやって確かめるか考える」
子供は少し首を傾げたあと、「まだやらない?」と尋ねた。
「うん。今日はまだやらないと思う」
「じゃあ痛くない?」
思いがけない言葉に、アリシアの手が鞄の留め具の上で止まった。
「……うん。今日は身体に何かする日じゃないから」
「よかった」
子供はそれだけ言うと、再び町へ視線を戻した。
何気ない言葉だった。
けれどアリシアは、少しだけその場に残った。
人工刺激を使った試験で、これまで痛みが出たわけではない。それでも、子供にとって研究棟へ行くことと「身体に何かされるかもしれないこと」が少しだけ結びついているのだと初めて気づいた。
心配をさせたかったわけではない。
だからといって、「絶対に何もない」と言い切ることもできない。
「ちゃんと、嫌だったらやらないって言えるからね」
アリシアが付け加えると、子供は顔を上げた。
「うん」
「研究の人たちも、止めてくれるから」
「ノアも?」
「ノアも……たぶん」
「たぶんって何だ」
少し離れた場所から声が飛んできた。
ノアは不満そうに尻尾を振っている。
「聞いてたの?」
「聞こえたんだよ」
「じゃあ止めてくれる?」
「お前が馬鹿なことしようとしたらな」
「言い方」
「止めるって意味は同じだ」
子供が笑った。
その笑い声に混じるように、世話役も穏やかな表情を浮かべている。少し離れた場所で過ごしている顔のない存在にも目立った変化はなく、胸元の十一の光は静かだった。重要な木箱も閉じられたままで、今日それらを研究棟へ持ち込む理由はない。
アリシアは子供へもう一度「行ってきます」と告げ、学院へ向かった。
◇
学院へ着くと、教室は普段より少し騒がしかった。
理由はすぐに分かった。
「明日だって!」
席へ着いたばかりのアリシアのところへ、友人がやってきた。
「何が?」
「組み分け」
「昨日、明後日って言ってたから……うん、明日だよね」
「そうだけど、先生が今朝も言ってた。明日の朝、一番に掲示するって」
「そんなに楽しみなの?」
「楽しみでしょ」
友人は当然のように答えたあと、アリシアの机へ少し身を寄せた。
「同じ組だったらいいね」
「うん」
「また即答」
「普通に答えればいいって昨日言ったよね?」
「覚えてたんだ」
「覚えてるよ」
「じゃあ合格」
「何の?」
「普通の返事」
「そんな試験あったの?」
「今作った」
友人は楽しそうに笑い、自分の席へ戻っていった。
周囲でも組み分けの話が続いている。魔法系統が同じ者で固められるのではないか、逆に違う得意分野を混ぜるのではないか、実技成績が均等になるよう分けられるのではないかと、それぞれが勝手な予想を口にしていた。
アリシアはその輪へ積極的に入ることはしなかったが、耳に入る話を聞きながら少し楽しんでいた。
明日の朝になれば分かる。
だから今、答えを作らなくてもいい。
研究とはまったく違う話なのに、その待つ時間が今日は心地よかった。
◇
午前の授業が終わり、昼休みになる。
友人と食堂へ向かう途中、廊下の掲示板前にはすでに何人かの生徒が集まっていた。まだ組み分け表は貼られていないのに、掲示場所だけを確認しに来たらしい。
「気が早いね」
アリシアが言うと、友人が横目で見る。
「研究の結果早く見たがる人が言う?」
「それとこれは違うよ」
「どう違うの?」
「……研究は、気になるから」
「こっちも気になるよ」
「じゃあ同じ?」
「知らない」
二人で顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。
食堂では窓際の席が埋まっていたため、今日は中央寄りの長机へ座った。周囲には同じ学年の生徒が多く、食器の触れ合う音や話し声が絶えず聞こえてくる。
友人は今日のスープを一口飲んだあと、ふと思い出したように尋ねた。
「そういえば、昨日の研究どうなった?」
「新しい試験の設計をすることにした」
「やるって決めたの?」
「設計するって決めた」
友人の眉が少し寄った。
「それ、違うの?」
「違うよ」
「研究の人たち、細かいね」
「私も最初は同じだと思った。でも、設計してみて嫌だと思ったらやめられるし、実際にやる日にも確認するから」
「じゃあ、まだ絶対やるわけじゃないんだ」
「うん。でも私は今のところ、やりたいと思ってる」
昨日の昼には、そこまで明確には言えなかった。
友人もその違いに気づいたのか、少しだけアリシアの顔を見る時間が長くなった。
「怖いのは?」
「あるよ」
「それでも?」
「うん」
「そっか」
友人は余計な励ましをしなかった。
その代わり、パンをちぎりながら少し考えてから言う。
「じゃあ今日は何するの?」
「何回やるかとか」
「何回?」
「一回だけにするのか、何回かやるのか。あと、途中で中止した時に一回って数えるかとか」
「そこも決めるの?」
「決めるみたい」
「大変だね」
友人はしばらくスープを飲み、それから不思議そうに首を傾げた。
「でも、何回が正解なの?」
「……分からない」
「先生たちは知ってる?」
「たぶん、相談する」
「じゃあ聞けばいいじゃん」
「でも、私が欲しい結果が出るまで増やすのは駄目だから、先に決めないといけないの」
「それは分かるけど」
友人はそこまで言って、少し笑った。
「何回にしても、最後にもう一回やりたくなりそうだね」
アリシアの手が止まった。
「……なると思う」
「じゃあ二回でも三回でも同じじゃない?」
「同じではないと思うけど……」
「研究の意味は知らないよ。でもアリシアが『もう一回』って言いたくなるかどうかは、たぶん同じ」
友人はあくまで日常的な感覚で話している。
統計も、試験設計も知らない。
それでも、その言葉はアリシアの中へ残った。
(回数を決めたら、最後は本当に最後にしないといけない)
何件なら満足できるかを基準にしたら、たぶん終わらない。
なら、回数を決める理由は別に必要なのだろう。
「ありがとう」
「また急に言う」
「大事なことだったから」
「研究の役に立った?」
「たぶん」
「じゃあ今度何か奢って」
「なんで?」
「研究協力費」
「研究に参加してないよ」
「今、役に立ったって言ったじゃん」
「友達としてだよ」
「じゃあ友達協力費」
「そんなのない」
友人は残念そうな顔をしたが、すぐに笑った。
◇
放課後、アリシアは研究棟へ向かう前に一度だけ資料修復の担当教師を訪ねた。
以前、友人へ練習用紙を見せられるか確認すると約束していたことを思い出したからだ。
選択授業で使っている練習用紙は教材扱いで、作業途中のものを自由に持ち出すことはできない。ただし、課程が終わったあとに返却可能と判断された練習片については、担当教師の確認を受けたうえで持ち帰れる場合があるという。
「今使っているものは、まだ駄目ですか?」
「今は状態記録から安定化までの過程を残しているからね。もう少し先になる」
「分かりました」
「誰かに見せたいの?」
教師に尋ねられ、アリシアは少しだけ照れながら頷いた。
「友達が、見たいって」
「それなら、返却できる段階になったら声をかけるよ。ただし、失敗した跡もそのまま残っているから、綺麗な完成品ではないよ」
「その方がいいです」
思ったより早く答えていた。
教師は一瞬だけ目を丸くしたあと、柔らかく笑った。
「そう言えるなら、ちゃんと授業を聞いていたみたいだね」
「聞いてます」
「疑ってはいないよ」
教室を出たあと、アリシアは少し嬉しくなった。
明日、友人へ伝えよう。
研究棟へ向かう前に、学院で一つ約束を進められた。それだけで、今日が研究のためだけにある日ではないと思えた。
◇
その日の研究室には、副学長、サラ、安全管理担当、記録担当に加え、若い観測員も来ていた。
人工刺激を実施しないことは事前に決まっているため、装置は準備されていない。机の中央には白紙が数枚置かれ、その横に旧東西専用系列の設計記録と、昨日作成された新規設計候補の紙が別々の束として並べられていた。
若い観測員はアリシアが入室する少し前まで、その二つの束を見比べていた。
彼にとっても、今回の区別は重要だった。
旧系列の最後に不一致が出た時、自分自身も「もう一件あれば」と考えた。その気持ちは記録には残していないが、研究室にいた何人かの表情から、似た誘惑を感じた者がいたことは分かっている。
だからこそ、旧系列を閉じた。
そして今、新しい問いを立てるなら、あの時の「もう一件」とは別物にしなければならない。
扉が開き、アリシアが入ってくる。
以前より研究室へ入る時の肩の硬さが減ったように、若い観測員には見えた。ただし、それを「慣れて安全への警戒が薄れた」と解釈してはいけない。彼女はむしろ、怖さや期待を以前より言葉にするようになっている。
若い観測員は自分の前にある記録紙を閉じた。
今日、自分たちが決めるべきなのは、彼女へ何回受けてもらうかではない。
何を一件と数え、どこで終わるのかを、結果を知らない今のうちに決めることだった。
◇
「今日は人工刺激なしで、設計だけです」
サラが最初に確認した。
「はい」
「昨日、設計段階へ進みたいという意思は確認しました。ただし今日も、途中で設計の話そのものをやめたくなった場合は言ってください」
「分かりました」
身体状態も確認する。
疲労二。
痛みゼロ。
息苦しさゼロ。
胸部異常ゼロ。
頭痛、吐き気、めまいなし。
恐怖二。
研究参加希望八。
新しい前向き設計を進めたい気持ち九。
今日、試行数を決めたい気持ち七。
早く実施日を決めたい気持ち六。
前回と同方向の不一致を見たい気持ち七。
結果にかかわらず固定した回数で終えたい気持ち八。
止まりにくさ四。
「昨日より止まりにくさは下がっていますね」
「昨日は、やる方向に進むって決めた直後だったから」
「今は?」
「まだやりたい。でも、今日は試験しないって分かってるから」
サラが頷く。
副学長は旧系列の紙を一度だけ示した。
「最初に、動かさないものを確認する。旧系列は完了済みだ」
「はい」
「新しい系列の試行数を何件にしても、旧系列へ追加したとは扱わない」
「はい」
「旧系列の結果は、新しい問いが生まれた背景として保持する。しかし、新系列と単純にまとめて一つの均質な系列だったことにはしない」
「分かりました」
「では、今日はまず『一実施試行とは何か』から決める」
アリシアは少し意外そうに瞬いた。
「回数からじゃないの?」
「二回と言っても、何を一回と数えるかが決まっていなければ意味が曖昧になる」
「あ……前にもやった」
「そうだ」
以前の追加試行でも、予定した入力が成立した時点で一実施試行と数える規則を先に決めた。
入力成立前に中止した場合は実施試行に数えず、入力成立後に必要な記録の欠落などで主判定不能となった場合でも一実施試行として保持し、都合よく補充しない。
「今回も同じでいいの?」
アリシアが尋ねる。
副学長はすぐに肯定しなかった。
「同じ規則を採用する理由があるかを確認する」
記録担当が新しい紙へ見出しを書く。
サラが説明を引き継いだ。
「今回も入力条件そのものは、固定済み安全範囲内の早期位置単一意図的小変動を使う候補です。主に見たいのは、その入力が成立した後の東側奥部と西側の確認判定です」
「うん」
「なら、入力が成立する前に安全上の理由や本人意思で中止した場合、その日は問いに対する記録が始まっていないと扱うことができます」
「それは分かる」
「一方、入力が成立したあとで、たとえば西側の必要記録だけが機器上の理由で欠けた場合はどうでしょう」
アリシアは少し考えた。
「東西の一致か不一致かは分からない」
「はい」
「でも、入力はもうやった」
「その通りです」
「そこで一件に数えないことにすると……判定できるまでやり直せる?」
「そうなります」
「それは嫌」
アリシアはすぐに答えた。
「都合のいい記録が出るまでじゃなくても、分かる記録が出るまで増やせることになる」
若い観測員が口を開く。
「逆に、機器不良が頻発すれば、判定不能だけで予定件数が終わる可能性もあります」
「それでも?」
「そこを先に決める必要があります。ただ、もし機器が不安定だと事前に分かっているなら、そもそも開始すべきではありません」
安全管理担当も頷いた。
「装置確認で不備が見つかった場合は入力成立前に延期できます。入力を成立させた後の欠測だけを、結果を見てから無かったことにしないという考えです」
「じゃあ、前と同じ数え方がいいです」
アリシアは紙を見ながら続けた。
「入力成立前に止めたら実施試行じゃない。成立したら一件。あとで東か西が判定できなくても一件のまま」
「補充は?」
「しない」
「理由は?」
「判定できなかったからって補充できるようにすると、結果を見てから予定件数を変えることになるから」
副学長が少しだけ首を傾ける。
「正確には、判定不能が出たことを理由に予定件数を増やすことになる、だな。結果の方向そのものではないが、事後的な変更にはなる」
「うん。それをしない」
記録担当が文章へ整える。
『予定入力が成立した時点で一実施試行として数える。入力成立前の中止・延期は実施試行に数えない。入力成立後、記録欠落その他の理由により主判定不能となった場合も一実施試行として保持し、その事実を理由とする補充試行は行わない。』
アリシアは読み返した。
「これでいいです」
◇
次に試行数の話へ進む前に、短い休憩が入った。
研究室の窓は少しだけ開けられ、外から乾いた風が入ってくる。机上の紙が動かないよう記録担当が小さな重しを置き、サラは温かい飲み物をアリシアの前へ置いた。
「疲れは?」
「二のまま」
「急いで決めたい気持ちは?」
「六くらい」
「少し下がりましたね」
「一回の数え方だけでも、思ったより考えることあったから」
若い観測員が苦笑する。
「回数の方がもっと面倒かもしれません」
「先に言わないでください」
「すみません」
アリシアも少し笑った。
研究室の空気は穏やかだったが、机の上にある白紙の意味は軽くない。
何件と書けば、その件数は実際にアリシアが人工刺激を受ける可能性のある回数になる。
安全範囲内であっても、ただの数字ではない。
そのことを、研究室にいる誰も忘れていなかった。
◇
「では、件数を考えよう」
休憩後、副学長が言った。
「最初に確認するが、今回の目的は不一致の頻度を精密に推定することではない」
「はい」
「一致率を高精度で出すことでもない。独立した新しい前向き記録で、不一致が再び観察されるかを確認する探索的な反復だ」
「うん」
「だから、多ければ多いほど良いという設計にはしない」
アリシアは頷いた。
そこは重要だった。
百回行えば何かが分かるかもしれない。けれど、自分の身体を使う試験である以上、情報量だけを理由に回数を増やすことはできない。
「一回だけでは?」
アリシアが尋ねる。
副学長は少し考えてから答えた。
「一件の独立記録を得ることはできる。ただし、その一件が一致なら、『新系列では一件目は一致だった』で終わる。不一致なら、『独立した新しい一件でも不一致が観察された』とは言える」
「それでも問いには答えられる?」
「限定的にはな。ただ、今回の問いを一件だけで扱うと、一件の結果に設計全体が強く依存する」
若い観測員が紙の端へ小さく一、二、三と数字を書いた。
「では三件なら十分か、五件ならもっと良いか、と増やしていくと、今度は身体負担と回復日数が増えます。しかも今回の目的は頻度推定ではないので、件数を増やす利益が際限なく大きくなるわけでもありません」
「二件は?」
アリシアが聞く。
「候補にはできます」
「前も追加二件だったから?」
その問いに、研究室が少し静かになった。
副学長はゆっくり首を横へ振る。
「それを理由にはしない方がいい」
「やっぱり?」
「前回が二件だったから今回も二件、では、新しい問いに必要な件数を考えたことにならない」
アリシアは唇を軽く結んだ。
(じゃあ、何件ならいいんだろう)
直接的な思考が浮かび、視線が白紙の数字へ落ちる。
一件では少なく感じる。
二件なら、以前と同じだから何となく落ち着く。
三件なら、もっと分かりそうに思える。
しかし、その「感じ」が設計理由になってよいのかは分からない。
「私、三回くらい見たい」
正直に言った。
「理由は?」
「二回より分かりそうだから」
「何が?」
副学長の問いは穏やかだった。
アリシアは答えようとして、言葉に詰まる。
「……不一致があるか」
「二件で不一致が一件出た場合と、三件で不一致が一件出た場合、今回の問いに対して三件目が必ず必要になるだろうか」
「分からない」
「逆に二件とも一致だった場合、三件目が欲しくなるか?」
「なる」
「三件とも一致なら?」
アリシアは黙った。
答えは分かっている。
「……四件目が欲しくなるかもしれない」
「そうだろうな」
友人が昼に言ったことを思い出す。
何回にしても、最後にもう一回やりたくなりそう。
まさにその通りだった。
「じゃあ、満足する回数で決めちゃ駄目なんだ」
「少なくとも、それだけを基準にはできない」
サラがアリシアの表情を見ながら続ける。
「それに、もし最初の一件で不一致が出た場合はどうですか?」
「嬉しいと思う」
「二件目をやりたいですか?」
「……やりたい」
「なぜ?」
「もう一回出るか見たいから」
「つまり、不一致が出ても追加したくなる」
「うん」
「一致が出ても?」
「不一致が出るか見たいから、続けたくなる」
アリシアは自分で言ってから、少し困ったように眉を下げた。
「どっちでも続けたくなる」
「だから結果とは別のところで終点を決める必要があります」
サラの言葉に、アリシアは深く頷いた。
◇
安全管理担当が、人工刺激を行った場合の回復運用を確認した。
これまでと同じく、一日に一試行を上限とする。人工刺激を行った翌日は原則として新たな人工刺激を置かず、身体状態と遅れて出る変化の有無を確認する。さらに、予定日であっても疲労、痛み、息苦しさ、胸部異常、恐怖、本人の拒否その他の状態によって延期できる。
したがって、三実施試行を固定すれば、最短の日程だけを考えても複数日にまたがる。
「学校もある」
アリシアが言った。
「あります」
「合同実技も始まるかもしれない」
「学院予定は優先調整の対象です。研究のために通常の授業参加を当然に削る設計にはしません」
その答えを聞き、アリシアの肩から少し力が抜けた。
研究をしたいのは本当だ。
けれど、明日発表される合同実技の組み分けも楽しみだった。資料修復の授業も休みたくないし、友人と過ごす昼休みも、自分の中では研究より価値が低い時間ではない。
「二件なら、身体への刺激も二回」
「予定入力が二件とも成立すれば、そうです」
「三件なら三回」
「はい」
「一件だと少ない気がする。でも、三件にする理由が『もっと見たい』しか今ない」
アリシアは白紙を見つめた。
「だったら、二件?」
副学長はすぐには答えず、アリシアへ問い返した。
「なぜ二件だと思う?」
「一件だけの結果に全部引っ張られない。二件あれば、新しい独立記録を複数取れる。でも、頻度をちゃんと出す試験じゃないから、たくさんやる目的でもない」
「続けて」
「人工刺激は身体にするものだから、情報が増えるだけで増やし続けたくない。それに、一日一回で次の日は休むなら、三件にすると研究の日も回復の日も増える」
アリシアは一度息を整えた。
「二件で答えが全部分かるとは思わない。でも、今回の新しい問いを次へ進めるための独立記録としては、二件なら……一件だけよりは、結果が一つに全部寄らない」
若い観測員が尋ねる。
「二件とも一致だった場合、どうしますか?」
「不一致は新しい二件では再観察されなかった、って記録する」
「その直後に三件目を追加したくなったら?」
「追加しない」
「一件目で不一致が出た場合は?」
「二件目もやる。結果が出たから早く終わらせない」
「二件とも不一致なら?」
「そこで終わる」
「一件が判定不能だったら?」
「それも一実施試行だから、補充しない」
答えていくうちに、アリシア自身の中でも輪郭がはっきりしていく。
二件なら真実が分かるからではない。
二件で十分な証明になるからでもない。
今回の目的と身体負担の釣り合いを考えたうえで、独立した新規記録を複数得るための小さな固定系列として扱う。
そして、その二件で何が出ても、二件で終わる。
「二件がいいです」
今度は、少し落ち着いた声で言えた。
◇
副学長は研究室にいる全員を見回した。
「異論は?」
安全管理担当が先に答える。
「現在の目的なら、二実施試行を上限として固定する案に安全上の異論はありません。ただし、各実施前の状態確認と本人意思確認は当然別です」
若い観測員も頷く。
「頻度推定として扱わず、独立した小規模前向き反復として記述するなら妥当だと思います」
サラはアリシアを見る。
「二件に決めたあとでも、実施前に参加しない選択は残ります。その場合、『二件と決めたから必ず二件受けなければならない』とは扱いません」
アリシアが少し迷う。
「それだと、結果を見て途中でやめられる?」
「そこは区別が必要です」
副学長が答えた。
「安全上の理由、身体状態、本人の明確な拒否で中止する権利は、研究上の停止規則より優先される。だが、『一件目で欲しい結果が出たからもう十分』という研究上の理由で予定件数を減らすことはしない」
「逆に、一件目で欲しい結果が出なかったから増やすのも駄目」
「そうだ」
「じゃあ、本人が嫌になったら止められる。でも結果を理由に増やしたり減らしたりしない」
「その理解でいい」
アリシアは胸の前で手を重ねた。
そこは少し難しい。
自分の身体なのだから、いつでも拒否できる。
けれど、その自由があることと、研究結果を都合よく選ぶことは同じではない。
「もし一件目が一致で、私が二件目やりたくないって言ったら?」
「理由を言う義務はありません」
サラが答える。
「でも、それだと研究ではどう記録するの?」
「予定二件のうち一件実施後に本人意思で終了、と事実を残します。そこから二件完遂した系列と同じ結論を出すことはできません」
「私が本当は結果が嫌でやめても?」
「理由を無理に聞き出して参加を続けさせることはしません」
アリシアは黙った。
それは自分を守るための規則だ。
同時に、研究を綺麗に見せるために自分の拒否を隠すこともしない。
「分かりました」
サラの目を見て頷く。
「やめたら、やめたことも残す」
「はい」
◇
記録担当が、新規設計紙へ今日決まった部分を書き込んでいく。
『予定実施試行数:二件。』
『予定入力成立をもって一実施試行として数える。入力成立前の中止・延期は実施試行へ算入しない。入力成立後に主判定不能となった場合も一実施試行として保持し、補充しない。』
『一件目の結果により二件目を研究上の理由で中止しない。二件の結果により追加試行を行わない。』
『ただし、安全上の中止、身体状態による延期・中止、本人の明確な拒否は上記件数規則より優先する。本人拒否による未完遂は事実として保持し、完遂系列と同等には扱わない。』
『人工刺激は一日一試行を上限とし、実施翌日は原則として人工刺激を置かない。具体的実施日は学院予定・身体状態・安全確認を踏まえて別途決定する。』
アリシアは文章を一つずつ読んだ。
最後まで目を通してから、あることに気づく。
「主判定、まだ決めてない」
「そうです」
「不一致の向きも」
「まだ正式固定していません」
「今日やる?」
口にしてから、自分の状態を確認する。
疲労は三。
痛みも息苦しさもない。
頭痛や吐き気もない。
ただ、頭の中には「次も決めたい」という勢いが出始めていた。
サラも同じことに気づいたらしい。
「現在、今日のうちに主判定まで決めたい気持ちは?」
「八」
「実施日も?」
「七」
「早く一回目をやりたい気持ちは?」
「七……か八」
「止まりにくさは?」
アリシアは少し考えた。
「六」
昨日と似ている。
何か一つ決まると、そのまま次へ進みたくなる。
以前より自覚できるようになっただけで、その性質自体が消えたわけではない。
「今日はここまでにします」
アリシアが自分から言った。
副学長が確認する。
「主判定を決めずに?」
「うん。今日は回数と数え方を決めるって始めたから」
「不安ではない?」
「ちょっと気になる。でも、紙はなくならないから」
昼休みに友人と話したことを思い出し、アリシアは小さく笑った。
「明日じゃなくても、次に決められる」
若い観測員は、机上の記録へ目を落とした。
少し前までなら、アリシアが「続けたい」と言えば、情報価値を優先してそのまま議論を進めることを考えたかもしれない。
今は違う。
彼女自身が止まる理由を言葉にできている。
研究者側が、その成長を「もっと進められるから」という理由で踏み越える必要はなかった。
「では、本日の設計作業はここで終了でよいと思います」
若い観測員が言うと、アリシアは少し驚いたように彼を見たあと、頷いた。
「はい」
◇
最後に、今日決まったことと、まだ決まっていないことを分けて確認した。
新系列は旧系列と独立した前向き設計である。
予定実施試行数は二件。
予定入力成立時点で一実施試行と数える。
入力成立前の中止は実施試行へ数えない。
入力成立後の判定不能は一件として保持し、補充しない。
一件目の結果を理由に二件目を研究上の都合で取りやめない。
二件終了後、結果を理由に三件目を追加しない。
ただし、安全と本人意思は件数規則より優先する。
一日一試行を上限とし、翌日は原則として人工刺激を置かない。
一方で、主判定の正式文言、不一致方向の扱い、アリシアの対象感覚と閾値未満胸部異常をどう副次記録へ置くか、具体的な実施日はまだ決まっていない。
そして今日も人工刺激は行っていない。
「二件って決めたら、ちょっと近くなった感じがする」
アリシアが紙を見ながら言った。
「怖さは?」
「三」
「上がりましたね」
「実際にやる回数が見えたから」
「その変化も自然です。次回、また確認しましょう」
「はい」
アリシアは立ち上がったあと、もう一度だけ紙を見た。
二件。
たった一文字の数字なのに、それはこれから自分が参加するかもしれない二日分の人工刺激を意味している。
(決めたから、やらなきゃいけないわけじゃない)
昨日確認したことを、自分の中でもう一度言葉にする。
けれど同時に、今の自分はその二件をやってみたいと思っている。
怖さ三。
参加したい気持ちは八。
どちらも本物だった。
◇
生活観測区画へ戻る頃には、外はすっかり夕方になっていた。
朝より風が強くなり、道の端に集まっていた落ち葉が時折ふわりと浮き上がっている。アリシアは一枚が足元へ滑ってきたのを避けながら歩き、建物へ入った。
「おかえり」
子供が先に気づいた。
「ただいま」
「痛くなかった?」
「今日は何もしてないから大丈夫」
「決めた?」
「少し決めたよ」
「何を?」
「何回やるか」
子供が指を二本立てた。
「二回?」
「なんで分かったの?」
「二って顔してる」
「どんな顔?」
「これ」
子供は真剣な顔を作りながら指を二本立てる。
アリシアは思わず笑った。
「それ、指が二なだけだよ」
「でも二」
「うん。二回の予定」
子供は「ふうん」と答え、それ以上研究のことを聞かなかった。
朝に作っていた木片の町には、さらに一つだけ建物が増えている。
「今度は何?」
「猫の家」
「ノアの?」
「違う猫」
「なんで?」
「ノアはアリシアのところ」
あまりにも当然のように言われ、アリシアは一瞬黙った。
窓辺にいたノアが耳を動かす。
「聞いた?」
「聞こえてる」
「ノアは私のところだって」
「勝手に所有すんな」
「私が言ったんじゃないよ」
「顔が嬉しそうなんだよ」
「そんな顔してない」
「してる」
子供まで頷いたため、アリシアは少し頬を膨らませた。
けれど、否定する気持ちはそれほど強くなかった。
◇
夕食のあと、ノアと二人で窓辺にいる時間ができた。
外は暗く、ガラスには室内の灯りとアリシアの姿がぼんやり映っている。
「二回か」
ノアが言った。
「聞いてたんだ」
「さっきでかい声で言ってただろ」
「でかくないよ」
「猫にはでかい」
アリシアは窓枠へ肘をつかないよう気をつけながら、外の暗い森を眺めた。
「二回やって、不一致が出なかったらどうしよう」
「もう始まったのか」
「何が?」
「三回目やりたい病」
「まだやりたいって言ってない」
「顔が言ってる」
「今日は顔で全部分かる日なの?」
「分かりやすいだけだ」
ノアは前足を舐めてから、面倒そうに続けた。
「二回って決めたんだろ」
「うん」
「じゃあ二回で終わりだろ」
「簡単に言うね」
「簡単なところは簡単に言えばいい」
「でも二回とも一致だったら、不一致がもう出ないって意味じゃないよ」
「そうなんだろうな」
「もっとやったら出るかもしれない」
「そうかもな」
「だったら――」
「それ、何回やったら終わんだ?」
アリシアは口を閉じた。
ノアは彼女を見上げる。
「百回やって一回出たら百一回目やりたくなるんじゃねえの?」
「……なるかもしれない」
「じゃあ二回で世界の全部を決めるんじゃなくて、二回やるって決めただけだろ」
アリシアは少し目を見開いた。
ノアは研究の細かい方法を知らない。
それでも、その言葉は今の設計とよく合っていた。
「ノア、今日ちょっと賢い」
「今日も、だ」
「いつもは?」
「賢い」
「自分で言うんだ」
「お前よりはな」
「それは嫌」
「何でだよ」
アリシアは笑った。
二件で世界の全部を決めるわけではない。
新しい問いに対して、まず二件の独立した記録を取る。
そこで不一致が再観察されれば、それを記録する。
再観察されなければ、それも記録する。
判定不能があれば、それも消さない。
そのあとに何を考えるかは、その系列を終えてから別に考えればいい。
今から三件目を用意しておく必要はなかった。
◇
夜、アリシアは机へ向かった。
今日は先に学院用の帳面を開く。
『合同実技の組み分けは明日の朝に掲示。』
その下へ少し迷ってから書き足した。
『友達と同じ組になれたら嬉しい。』
昨日も似たことを書いたが、今日はもっとはっきり書けた。
さらに資料修復の担当教師へ確認したことを記す。
『今の練習用紙は作業途中なので持ち出し不可。課程終了後、返却可能と判断された練習片なら確認後に持ち帰れる場合がある。友達に見せたいと伝えた。先生が返却できる段階で声をかけてくれる。』
研究とは関係のない頁が、それだけで少し満たされた。
アリシアは一度それを眺めてから、研究帳面を開いた。
昨日の最後の文章。
『始める方向へ進むと決めても、今日始めなくていい。』
その下へ今日の日付を書く。
『新規独立前向き系列――設計継続。人工刺激なし。』
続けて、今日固定した内容を自分の言葉で整理した。
『予定実施試行数は二件。』
『入力が成立したら一件として数える。入力成立前に安全や本人意思等で止めた場合は実施試行に数えない。入力成立後に東西の必要記録が欠けて主判定不能になっても、その一件は消さない。補充しない。』
『一件目が一致でも不一致でも、研究上の都合で二件目を増減しない。二件終わったあとも、結果を理由に三件目を足さない。』
そこで筆を止めた。
安全や本人意思について、もう一度書く。
『ただし、身体状態、安全、明確な拒否は件数規則より優先する。二件と決めたことは、二件を必ず受けなければならないという意味ではない。途中で本人意思により終了した場合、その事実も記録として残す。』
アリシアは少し考え、さらに一行加えた。
『二件で全部が分かるから二件なのではない。』
そこが、今日いちばん大切だった気がする。
『一件だけの結果に全体を預けず、独立した新規記録を複数得る。一方、今回は頻度を精密に決める試験ではなく、人工刺激による身体負担と回復日もあるため、情報が増えるという理由だけで件数を増やさない。』
最後に、未決定事項を書く。
『まだ決めていない:
・主判定の正式文言。
・東確認/西非確認と、東非確認/西確認の扱い。
・アリシアの対象感覚、閾値未満胸部異常をどのような副次記録として残すか。
・具体的実施日。』
そこまで書いたところで、筆先が少し止まった。
主判定については、もう自分の中にかなり明確な案がある。
東と西が両方確認なら一致。
両方非確認でも一致。
片方だけ確認なら不一致。
以前の専用試験でも使った考え方だ。
けれど、新しい系列だからこそ、「前と同じだから」で済ませず、次に正式に確認する必要がある。
(明日、全部決められるかな)
そう思ったあと、アリシアは自分で首を横へ振った。
明日は学院で合同実技の組み分けが発表される。
研究棟へ行くかどうかも、まだ決めていない。
今日の続きを明日必ずやらなければならない理由はない。
研究帳面を閉じようとした時、窓辺からノアの声がした。
「三回目って書いてねえだろうな」
「書いてないよ」
「本当か?」
「見る?」
「字読むの面倒だからいい」
「じゃあ聞かないで」
「顔が怪しかった」
「また顔?」
アリシアは笑いながら研究帳面を閉じた。
今日決めたのは二件だった。
まだ一件も実施していない。
結果も存在しない。
それなのに、頭の中ではすでに「二件とも一致だったら」「一件だけ不一致だったら」「二件とも不一致だったら」といくつもの未来が浮かび始めている。
その想像自体を消す必要はない。
期待も、不安も、予想も、自分の中にあるものとして認めればいい。
ただし、それによって予定件数を動かさない。
明日になって不一致が見たくなっても、二件。
一件目で望んだ結果が出ても、研究上の理由では二件目を消さない。
二件とも望んだ結果にならなくても、三件目を足さない。
もちろん、身体が嫌だと言えば止まる。
自分が明確に嫌だと言っても止まる。
その自由まで数字に縛られる必要はない。
アリシアは灯りを少し落とし、寝台へ向かった。
重要な木箱は今夜も閉じられている。顔のない存在の十一の光にも、新しい変化は確認されていない。三件の弱い胸部異常にはまだ名前がなく、六つ目の神器の正体も、東側と西側のあいだに何があるのかも分からないままだ。
けれど、新しく確かめようとしている問いには、少しずつ形ができ始めていた。
何を見るのかを決める前に、まず何回見るのかを決めた。
正確には、何を一回として数え、どこまで行ったら結果にかかわらず一度終えるのかを決めた。
答えが欲しいからこそ、答えを見てから終わりを動かさない。
その規則を自分の身体へ課すことには、まだ少し怖さがある。
それでもアリシアは、今夜その怖さを消そうとは思わなかった。
(次は、何を「不一致」として見るのかを決める)
そこまで考えたところで、続きは明日以降に置いておく。
研究帳面は閉じている。
学院の帳面も、その隣にある。
明日の朝には、合同実技の組み分けが発表される。
研究で何を見るかを決める前に、まず自分が誰と一緒に学院の実技へ挑むことになるのかを知る朝が来る。
その順番を、今のアリシアは悪くないと思っていた。




