第11話 入学式
入学式の朝、アリシアは制服の入った箱を前にして固まっていた。
白い箱だった。
蓋の右下に、中央学園の紋章が小さく押されている。
火の鳥。
水の蛇。
風の狼。
土の亀。
光の白猫。
五つの紋章が輪のように組み合わさった印。
何度見ても、そこに黒猫はいない。
それでも、その箱は確かにアリシアのために用意されたものだった。
二〇八号室の机の上。
朝食前、寮の係員が部屋まで届けてくれた。
「仮渡しの制服です。式典用の外套は入学式前に講堂で配られます」
そう言われて受け取った時、アリシアはうまく返事ができなかった。
制服。
中央学園の生徒になる証。
今日、自分はそれを着る。
「いつまで箱を見てるの」
寝台の上で丸くなっていたノアが言った。
「だ、だって……」
「箱は着られないわよ」
「分かってるけど……」
「なら開けなさい」
ノアの声はいつも通りだった。
それが少しありがたかった。
昨日、属性測定で黒い反応が出た。
水晶柱の中に浮かんだ黒い点。
五つの属性石の震え。
周囲のざわめき。
魔族という囁き。
あれから一日も経っていない。
それでも、学園生活は進んでいく。
今日は入学式。
制服を着て、講堂へ行く。
正式に、新入生として名前を刻む日。
アリシアはゆっくり箱の蓋に手をかけた。
指先が少し震える。
箱を開けると、新しい布の匂いがした。
白いシャツ。
紺色の上着。
同じ色のスカート。
細いリボン。
靴下。
そして胸元につける学園章。
綺麗に畳まれている。
アリシアはしばらく、その制服を見つめた。
「……本当に、私の?」
「名前が書いてあるでしょう」
ノアが顎で箱の内側を示す。
そこには小さな紙が貼られていた。
アリシア。
家名はない。
ただ、名前だけ。
それでも、自分のものだ。
アリシアは制服をそっと持ち上げた。
布は柔らかく、けれどしっかりしている。
山で着ていた服とは違う。
旅装とも違う。
学園のための服。
「着たら、少しは……学園生に見えるかな」
小さく呟く。
ノアは片目を開けた。
「服だけで中身が変わるわけじゃないわ」
「う……」
「でも、服で背筋が伸びることはある」
アリシアはノアを見た。
ノアはそっぽを向く。
「だから、ちゃんと着なさい」
「……うん」
アリシアは頷いた。
着替えには時間がかかった。
白いシャツの袖に腕を通す。
少しだけ大きい気がする。
でも動きにくくはない。
紺色の上着を羽織ると、肩のあたりがぴんとした。
リボンを結ぶのに少し苦戦した。
何度も曲がる。
鏡の前で直す。
また曲がる。
「ノア……」
「自分でやりなさい」
「見てるだけでいいから……曲がってたら教えて」
「最初からそう言いなさい」
ノアは寝台から鏡の近くへ移動し、じっとアリシアの胸元を見た。
「右が長い」
「えっ、こっち?」
「逆」
「こ、こう?」
「今度は締めすぎ」
「難しい……」
「たかがリボンに負けない」
「うぅ……」
何度かやり直して、ようやく形になった。
アリシアは鏡の中の自分を見る。
黒髪。
黒い瞳。
白い肌。
紺色の制服。
胸元の学園章。
自分なのに、自分ではないように見えた。
山奥で祖父と暮らしていた少女が、急に学園生の姿をしている。
似合っているのか分からない。
変ではないだろうか。
鏡の中の自分は、相変わらず頼りなかった。
でも、昨日までより少しだけ背筋が伸びている気もした。
「……どう?」
アリシアは恐る恐るノアに聞いた。
ノアはアリシアを上から下まで見た。
少しの沈黙。
アリシアは緊張する。
「悪くないわ」
ノアはそう言った。
短い言葉。
でも、それだけで胸が温かくなる。
「本当?」
「嘘を言ってどうするの」
「ありがとう」
「礼を言うことじゃないわ」
「でも……嬉しい」
ノアは顔を背けた。
「調子に乗らない」
「うん」
「あと、背筋」
「あっ」
アリシアは慌てて背筋を伸ばした。
その時、扉が控えめに叩かれた。
「アリシアちゃん、起きてる?」
メリルの声だった。
アリシアは慌てて扉へ向かう。
開けると、そこには制服姿のメリルが立っていた。
白いシャツに紺色の上着。
肩で切りそろえた淡い茶髪が、いつもより少し大人びて見える。
胸元のリボンも綺麗に結ばれていた。
「おはよう、アリシアちゃん」
「お、おはよう……メリルさん」
お互いに少し見つめ合った。
そして、メリルがふわりと笑う。
「制服、似合ってる」
「えっ」
アリシアの顔が一気に熱くなった。
「そ、そんな……」
「本当だよ。黒髪に紺色、すごく綺麗」
「き、綺麗……」
言葉が胸に刺さる。
痛いのではない。
照れくさくて、落ち着かない。
アリシアは視線を泳がせた。
「メリルさんも……似合ってる」
「ありがとう。リボン結ぶの、ちょっと大変だった」
「私も……ノアに見てもらった」
メリルが足元を見る。
ノアも今日は登録札付きの首輪をつけていた。
黒い毛並みに銀の札が揺れている。
「ノアちゃんもおめかしだね」
ノアの耳がぴくりと動く。
アリシアは内心で慌てた。
「首輪は……決まりだから……」
「うん。でも似合ってる」
ノアは無言でそっぽを向いた。
アリシアには分かる。
照れている。
たぶん。
言ったら怒られるので言わない。
「朝食、行こうか」
メリルが言う。
「うん」
アリシアはノアを抱き上げようとしたが、ノアは床に降りた。
「歩くわ」
「うん……でも人が多かったら抱っこするね」
「必要ならね」
二人と一匹は廊下へ出た。
廊下には、制服姿の新入生たちがいた。
昨日まで旅装や私服だった生徒たちが、同じ制服を着ている。
それだけで、廊下の空気が少し変わっていた。
まだ着慣れていない者が多く、リボンや襟を気にする姿があちこちにある。
「袖、長くない?」
「お前、リボン曲がってるぞ」
「うわ、本当だ」
「制服着ると急に学園って感じするな」
「緊張してきた……」
アリシアはその声を聞きながら、少しだけ安心した。
みんな、少し落ち着かない。
自分だけではない。
制服に袖を通したからといって、急に堂々とできるわけではない。
誰もが、新しい自分に戸惑っている。
食堂へ向かう道でも、視線はあった。
昨日の黒い反応のことを知っている生徒たちが、ちらりとこちらを見る。
けれど、制服姿の新入生が多いせいか、その視線は昨日ほど鋭く感じなかった。
アリシアはノアの後ろを歩きながら、小さく息を整える。
食堂に入ると、朝食の匂いがした。
焼きたてのパン。
温かいスープ。
果物。
今日は入学式のためか、食堂内の雰囲気も少し浮き立っていた。
ガレスの声はすぐに見つかった。
「おう! アリシア! メリル!」
壁際の席で、大きな手が振られている。
制服姿のガレスは、さらに大きく見えた。
紺色の上着の肩が少し窮屈そうだ。
赤髪と制服の対比が強く、周囲からもかなり目立っている。
隣にはミランダがいた。
彼女も制服姿で、黄色い髪が明るく映えている。
リボンは少し曲がっていたが、本人は気にしていないようだった。
「二人とも、おはよう!」
ミランダが元気よく言う。
「お、おはよう……」
「おはよう、ミランダ」
メリルが返す。
アリシアは席に座る。
ノアは椅子の上。
ガレスがアリシアを見て、にっと笑った。
「制服、似合ってるな!」
「ひゃ……あ、ありがとう……」
「声が跳ねたぞ」
「急に言うから……」
「そうか! すまん!」
ガレスは素直に謝った。
それから少し声を抑える。
「でも、本当に似合ってる」
もう一度言われて、アリシアは顔を赤くした。
メリルが微笑み、ミランダも頷く。
「うんうん! 黒髪に制服、すごく綺麗!」
「うぅ……」
褒められ慣れていない。
でも、昨日ほど全力で否定したいとは思わなかった。
アリシアは小さく言う。
「……ありがとう」
ノアが椅子の上で尻尾を揺らした。
受け取れたわね。
そう言われた気がした。
朝食は、少しだけ食べられた。
昨日よりも味が分かる。
パンの香ばしさ。
スープの温かさ。
果物の甘さ。
周囲の声は相変わらず多い。
けれど、同じ席にいる三人の声が、そのざわめきからアリシアを守ってくれていた。
「入学式って長いかな」
ミランダがスープを飲みながら言う。
「式だから、それなりに長いんじゃない?」
メリルが答える。
「途中でお腹鳴ったらどうしよう」
「朝ごはん食べてるよね?」
「緊張するとお腹すくんだよ」
ガレスが真剣に頷く。
「分かる!」
「ガレス君は緊張してなくてもお腹すきそう」
「そうだな!」
堂々と認めた。
アリシアは思わず笑った。
小さな笑いだったが、ガレスが嬉しそうに見る。
「笑ったな」
「えっ」
「昨日より少し元気だ」
その言葉に、アリシアは胸が温かくなった。
見てくれている。
大きな声で、勢いのある少年だけれど、ちゃんと人の変化に気づく。
「……うん。少し」
「ならよかった!」
ミランダも嬉しそうに頷く。
朝食後、新入生たちは第一講堂へ向かった。
入学式のため、昨日の説明会よりもずっと整った空気があった。
講堂前では上級生たちが式典用の外套を配っている。
白地に紺の縁取り。
肩には学園章。
新入生がそれを羽織ると、さらに式らしい姿になった。
アリシアも外套を受け取った。
「重い……」
思ったより布がしっかりしている。
羽織ると肩に少し重みが乗った。
でも、その重みが不思議と背筋を伸ばしてくれる。
ノアは外套の裾をじっと見上げた。
「歩く時に踏まないように」
「うん……」
「あと、首輪が外套で隠れるわ」
「それは……いいの?」
「登録札が見えなくなると面倒ね。少し出しなさい」
アリシアはノアの登録札が見えるように外套の裾を直した。
ノアは不満そうだが、黙っている。
講堂に入ると、昨日とは違う雰囲気が広がっていた。
壇上には式典用の青い布がかけられ、五つの紋章の下に大きな学園旗が掲げられている。
教師たちは正装し、上級生の代表らしき者たちも前方に並んでいた。
新入生たちは、指定された席へ案内される。
今回は寮や班ではなく、受付順に近い並びだった。
アリシアはメリルと少し離れた席になりそうだったが、従魔連れのため通路側へ誘導され、結果的にメリルの斜め後ろになった。
近くに知っている人がいる。
それだけで少し落ち着く。
ガレスとミランダは前方の別列。
リーネはさらに前の席に静かに座っている。
シオンは後方寄りで、式典の空気を少し面倒そうに眺めていた。
ルシアンは前列の中央近く。
彼は制服と外套を完璧に着こなし、すでに式典に馴染んでいるように見えた。
アリシアは自分のリボンを少し触る。
曲がっていないだろうか。
外套は変ではないだろうか。
ノアが膝の上へ飛び乗る。
「触りすぎ」
「だって……」
「大丈夫よ」
小さな声だった。
アリシアはノアを見る。
ノアは前を向いている。
それでも、今の言葉ははっきり聞こえた。
大丈夫。
ノアがそう言ってくれた。
アリシアは胸の奥が少し落ち着くのを感じた。
鐘が鳴った。
入学式が始まる。
講堂内のざわめきが消え、全員が前を向く。
壇上に学園長が現れた。
昨日と同じ深い青のローブ。
けれど今日は式典用なのか、銀の刺繍が施されている。
学園長はゆっくりと壇上中央へ立ち、新入生たちを見渡した。
「新入生諸君」
声が響く。
「本日、君たちは中央学園の生徒となる」
その一言で、アリシアの胸が震えた。
中央学園の生徒。
自分が。
山奥で祖父と暮らしていた自分が。
黒い反応を出して周囲に驚かれた自分が。
それでも、今日ここで正式に学園生になる。
「昨日まで君たちは、各々の家、村、町、国に属する者だった。だが今日からは、もう一つの名を持つ」
学園長は静かに言った。
「中央学園生」
講堂内が静かに引き締まる。
「この名は、君たちを縛るものではない。君たちが自ら学び、考え、選び、成長するための場所を示す名だ」
アリシアは膝の上の手を握る。
ノアの尻尾がそっとその手に触れた。
「この学園には、さまざまな者が集う。貴族も平民も、商家の子も、騎士の子も、神殿に育てられた者も、遠き地より来た者もいる」
遠き地。
また、その言葉。
アリシアは少しだけ顔を上げた。
「力ある者もいるだろう。まだ力の形を知らぬ者もいるだろう。すでに名を知られた者も、誰にも知られずこの場に立つ者もいるだろう」
誰にも知られず。
胸が痛む。
でも、その痛みは昨日までのものとは少し違った。
誰にも知られていないことは、寂しい。
でも、今は周りに少しだけ知ってくれている人がいる。
メリル。
ガレス。
ミランダ。
ノア。
祖父。
全部の秘密を知っているわけではなくても、自分を見てくれている人たちがいる。
「大切なのは、始まりの位置ではない」
学園長の声が重なる。
「どこへ向かうかだ」
アリシアは息を吸った。
どこへ向かうか。
自分は、どこへ向かうのだろう。
黒月。
六つ目の神器。
ノア。
忘れられた聖人。
まだ何も分からない。
けれど、今は少なくとも、逃げずにここへ来た。
「この学園で、君たちは多くを知る。自分の弱さも、他者の強さも、世界の広さも、歴史の重さも知るだろう」
歴史の重さ。
アリシアの胸がまた静かに震える。
「だが、知ることを恐れるな。恐れたままでもよい。恐れを抱いたまま、学びなさい」
その言葉が、アリシアの胸へまっすぐ入ってきた。
恐れたままでもいい。
怖いままでもいい。
震えながらでも、学んでいい。
まるで、今の自分へ向けられた言葉のようだった。
ノアが膝の上で小さく身じろぎした。
アリシアはノアの背にそっと触れる。
式辞は続く。
五大国の代表教師からの祝辞。
上級生代表の言葉。
新入生代表の宣誓。
新入生代表として壇上に立ったのは、ルシアンだった。
彼が立ち上がると、講堂の中で静かなざわめきが生まれた。
白髪の少年は、完璧な所作で壇上へ進んだ。
歩幅も、礼の角度も、声の出し方も、すべてが整っている。
アリシアは遠くから見ているだけで、少し息苦しくなった。
完璧。
その言葉が似合いすぎる。
ルシアンは壇上で礼をし、宣誓文を読み上げた。
「我々新入生一同は、中央学園の生徒として、互いを尊重し、学びを怠らず、己の力を正しく磨くことを誓います」
澄んだ声。
柔らかく、よく通る。
「五大国の未来を担う者として、また世界に生きる一人として、力を誇るためではなく、誰かを守るために学ぶことをここに誓います」
誰かを守るため。
アリシアはその言葉に少し反応した。
ルシアンは優しく微笑んでいる。
その姿は、光の名にふさわしかった。
けれど、ノアは膝の上で微動だにしなかった。
昨日、ルシアンに対して「油断しないこと」と言ったノア。
アリシアは、その言葉を忘れていなかった。
ルシアンの宣誓が終わると、講堂に拍手が起こった。
大きな拍手。
上級生も教師も、新入生も手を叩く。
アリシアも拍手した。
ノアが膝にいるので少しぎこちない。
だが、心の中では別のことを考えていた。
ルシアンは、何を知っているのだろう。
ノアは、なぜ警戒しているのだろう。
それを聞きたい。
でも、今は式の途中。
今は、学園生になる日。
アリシアは考えをいったん胸の奥へしまった。
式の最後、新入生全員が起立した。
学園長が告げる。
「これをもって、本年度中央学園入学式を終了する」
鐘が鳴った。
講堂全体に音が響く。
ごうん。
ごうん。
ごうん。
アリシアは立ったまま、その音を聞いた。
終わった。
入学式が終わった。
自分は、正式に中央学園の生徒になった。
不思議だった。
何かが劇的に変わったわけではない。
黒い反応の謎も解けていない。
人見知りも治っていない。
怖さもある。
それでも、胸の奥に小さな重みが生まれていた。
責任。
実感。
あるいは、居場所の始まり。
まだ自分のものではない場所に、最初の印をつけたような感覚。
アリシアは胸元の学園章に触れた。
五つの紋章。
そこに六つ目はない。
でも、その制服を着ているのは自分だ。
ノアが膝から降り、足元に立った。
「終わったわね」
小さな声。
「うん……」
「どう?」
「え?」
「学園生になった気分は」
アリシアは少し考えた。
すぐには答えが出なかった。
嬉しい。
怖い。
不安。
寂しい。
少し誇らしい。
全部が混ざっている。
「まだ……分からない」
正直に言った。
「でも……逃げずにここに立てたのは、少しだけ嬉しい」
ノアはアリシアを見上げた。
「なら、十分よ」
その言葉に、アリシアは小さく頷いた。
講堂の中では、新入生たちが少しずつ動き始めていた。
この後は、各班ごとの顔合わせがある。
アリシアは戦闘基礎三班。
メリルと同じ班。
ガレスやミランダとは別。
そして、魔法基礎は保留。
再測定は後日。
まだ、やることはたくさんある。
講堂を出ると、廊下には式を終えた新入生たちのざわめきが戻っていた。
「終わったー」
「緊張した」
「ルシアン様、すごかったね」
「代表って感じだった」
「制服、肩凝る……」
「このあと班顔合わせだよね」
アリシアは人の流れに乗って歩く。
少し離れたところにメリルが見えた。
メリルもこちらに気づき、手を振ってくれる。
アリシアも小さく振り返した。
その時、横から大きな声がした。
「アリシア!」
ガレスだ。
制服姿で、式典用外套を少し窮屈そうにしている。
ミランダも一緒だった。
「入学式、終わったな!」
「う、うん」
「俺、途中で腹が鳴りそうだった!」
「鳴ってたよ」
ミランダが笑う。
「小さくだから大丈夫!」
「鳴ってたんだ……」
アリシアは思わず笑った。
ガレスも笑う。
「アリシアは大丈夫だったか?」
「うん……緊張したけど」
「倒れなかったなら勝ちだ!」
「勝ち……」
その言葉が妙にガレスらしくて、アリシアは少し肩の力が抜けた。
ミランダがアリシアの制服を見て、またにこにこする。
「やっぱり似合ってるね!」
「あ、ありがとう……」
「昨日より顔色いいよ」
「そう……かな」
「うん!」
ミランダは力強く頷いた。
それだけで、本当にそうかもしれないと思えた。
メリルも合流する。
「アリシアちゃん、次は三班の顔合わせだね」
「うん……」
「一緒に行こう」
「うん」
その言葉が、今日もアリシアを支えてくれる。
ガレスが少し残念そうに腕を組む。
「俺たちは一班か」
「でも食堂で会えるよ!」
ミランダが言う。
「そうだな! 昼は食堂だ!」
「ガレス君、またご飯の話」
メリルが笑う。
「飯は大事だ!」
昨日から何度聞いたか分からない言葉。
でも、今はそれが少し安心する。
学園は広い。
謎は深い。
不安は多い。
けれど、ご飯を食べる時間は来る。
また会える人がいる。
それだけで、一日は少しだけ形を持つ。
ガレスとミランダは一班の集合場所へ向かい、アリシアとメリルは三班の集合場所へ向かった。
場所は、訓練場横の小演習室。
戦闘基礎三班。
木刀を腰に差したアリシアにとって、魔法測定よりは少しだけ息がしやすい場所かもしれない。
けれど、別の不安もあった。
戦闘。
祖父との稽古。
木刀。
自分は、人前でどれくらい動けるのだろう。
戦う時だけは、いつものオドオドが消える。
祖父は何度もそう言った。
でも、学園の生徒たちの前で本当にそうなるのかは分からない。
ノアが足元で言う。
「次は木刀ね」
「うん……」
「神器も魔法もまだ使わない。あんたが持っているのは、あの爺に叩き込まれた剣だけ」
「うん」
「なら、それを信じなさい」
アリシアは腰の木刀に触れた。
祖父から受け取った木刀。
山での時間。
何度も転んだ。
何度も泣いた。
でも、何度も立った。
自分に何もないわけではない。
そう思いたかった。
小演習室の前に着くと、すでに何人かの生徒が集まっていた。
戦闘基礎三班。
剣を持つ者。
槍を持つ者。
杖を持つ者。
弓を背負う者。
そして、アリシアの木刀に視線が集まる。
また。
見られる。
けれど、昨日や今朝とは少し違った。
アリシアは息を吸う。
怖い。
でも、ここでは木刀がある。
ノアがいる。
メリルもいる。
「アリシアちゃん」
メリルが小声で言う。
「大丈夫?」
アリシアは木刀に触れたまま、少しだけ頷いた。
「うん……たぶん」
「たぶん?」
「でも、逃げない」
自分で言って、少し驚いた。
逃げない。
声は小さい。
けれど、確かにそう言えた。
ノアが足元で尻尾を揺らした。
「今日のところは、それで十分ね」
アリシアは前を向いた。
入学式は終わった。
中央学園の生徒としての一日が、本当に始まる。
黒い光の噂も、再測定の不安も、ルシアンへの警戒も、すべて消えたわけではない。
それでも、次の扉は目の前にある。
戦闘基礎三班。
自分が、自分の力で立つ場所。
アリシアは木刀の柄をそっと握った。
震えていた指が、少しだけ落ち着く。
祖父の声が胸に蘇る。
怖くても、一歩だけ進みなさい。
アリシアは小演習室の扉をくぐった。
その一歩は小さかった。
けれど、昨日までの自分では踏み出せなかった一歩だった。




