・宰相と趣味
「馬鹿やろおおぉぉ! 付いてくんじゃねー!!」
「あはは~! 照れてるの? 本当にミラ二は可愛いなぁ~!」
城の中庭に臨む二階の廊下を歩いていた私は、眼下の中庭を器用に背後に顔を向けたまま走りながら叫ぶ少女と、満面の笑顔で彼女を追いかける青年の姿に、深い溜息を吐いた。
榛色の背中まである髪を三つ編みにし、恐らく男から贈られたのであろうシンプルなドレスを身に纏い、裸足で芝生を駆けて行く少女の名は、ミラニ・ピーカー。王都より離れた、地方の農村で両親と共に農作物を作って生活していた少女である。
一方、彼女を追いかける、肩口までの濃緑色の髪をさらさらと風に流し、物語の王子様のような繊細で綺麗な顔を、楽しそうな笑みでいっぱいにしている長身の青年は、エミリアン・ファラデチュードという名の、一地方を治めるファラデチュード侯爵家の嫡男だ。
ファラデチュード侯爵家は、元老院を構成する貴族の一つであるのだが、中央に出てくるのがいい加減面倒臭いと言って領地に篭ってしまった当主の代理として、エミリアンがしばらく王都に滞在し元老院議会に参加していた。
王都に来た当初は、様々な社交場に出席し、女性との出会いを楽しんでいたエミリアンだったが、しばらくすると貴族の女性達の派手な服装や化粧、あからさまに寄せられる媚、隙を見せればあっという間に食らいつかれそうな権力欲にうんざりするとともに、しだいに恐怖心まで抱くようになったようだ。
そして、女性不信になりそうなほどに疲れ切ってしばらく領地に戻り、再び嫌々ながらに王都に戻って来る途中で出会ったミラニ嬢に、彼は一目惚れをしてしまったらしい。彼女の素朴な装いと奔放な生き方、真っ直ぐに向けられる言葉と飾らない態度に、心が洗われるような気がしたのだとか。
何故私が、ここまで彼らの事情に詳しいかというと、本人達に直接問い質したからだ。
いや、あれはびっくりしたわ。ある農村から届けられた嘆願書に、“娘が貴族に連れ去られた!”と書かれていたのだ。すわ、誘拐か、人身売買か、はたまた貴族の好色オヤジが可愛らしい少女を手籠めにしようと!? 等と慌てて調べてみたところ、何とその貴族は若くして優秀と名高いファラデチュード侯爵家の跡取りで、攫われた少女も王都にある侯爵の屋敷にいるという。
外聞を慮る貴族に配慮して、こっそり屋敷を訪ねてみたところ、目の前に広がる光景に私は目を丸くした。
『ミラニ~、今日も可愛いね。そのドレスもよく似合ってるよ』
『うっせー! 近寄んじゃねー!! それ以上近寄ったらはっ倒すぞ!』
『ミラニ~! 今日は王都でも有名なお菓子を買ってきたよ~! 一緒に食べようよ~』
『菓子はそこに置いとけ。んで、お前はどっか行け!』
『ミラニ可愛い~! じゃあ、僕が食べさせてあげるね~!』
『こっちくんなああぁぁぁ!!』
というふうに、まるで毛を逆立てて怒る仔猫のような少女を前に、ニコニコと頭にお花を咲かせている侯爵がいたのだ。あれ、これどういう状況? と私の背後に立っていた、この屋敷の家令のオジサマを振り返ってしまったほどだ。
そこで、侯爵と少女と、侯爵家の家令を交えて話を聞いたところ、侯爵が少女に一目惚れしたあげくに攫ってきてしまったことが分かった。
『彼女は神が僕のもとに遣わして下さった天使なんだ! あなたのものにしちゃいなさいって、神の声が聞こえたんだよ~!』
それ、どっちかっつーと悪魔の声じゃね? というか、誘拐は立派な犯罪だからね! と怒鳴りつけたくなったが、頭にお花が咲いている侯爵には何も通じそうになかった。
まあ、私が言うより前に、『んなわけあるか! この変態がああぁぁ!!』と少女が手前のテーブルをひっくり返したので、その見事なちゃぶ台返しに拍手をするのに忙しかったということもあるが。
一応、誘拐はしてみたものの、未だに少女の純潔は無事らしい。むしろ、指一本も触れていないという。
『片時も目を離していませんから、絶対です』とどこか憔悴したように笑う家令の言葉を、とりあえず信じることにした。有望な跡取りの突然の暴挙に、家令のオジサマも大変お疲れのようだ。
少女の両親が彼女のことを非常に心配していることをその場で伝えると、少女が目に涙を溜めて縋るような顔を私に向けてきたので、帰りたいのなら私が帰してあげる旨を伝えると、いきなり席を立ったエミリアンが『ご両親にご挨拶に行こう!』と部屋を飛び出して行った。
苦笑いを浮かべる家令を見ると、おそらく支度をしに行ったのでしょうということだった。
まあ、この後すぐに少女の家に行くようだったので、しばらくしてまた様子を見に来ます、と少女に伝えると、少女は戸惑うように目を彷徨わせた後、こくりと頷いた。その様子は、さっきまでエミリアンに接していた強気な態度とは違い、思わず頭を撫でてしまうほどの可愛いさだった。ギャップ萌。
でも、彼女が本気で私に助けてほしいのなら、さっきまでの強気な性格からも、今この場で言いそうだから、それを言わないってことは、けっこう気持ちが揺れ動いてるってことなのかしら。
そうして私は、この数時間接した感じで、比較的常識人そうな家令に少女の、特に身の安全のことをお願いして、屋敷を後にした。
その後、ある筋からの報告によると、エミリアンは私が帰った後すぐに少女の実家に向かったらしい。どこからの知識かは分からないが、真っ白な正装に真っ赤なバラの花束を抱えて。
そうして少女の家に着くと、あの持ち前の話を聞かなさと、空気を読まなさと、舌の滑らかさを存分に発揮して、少女が何かを言う前に少女の両親を丸め込み、結婚を認めてもらって、再び少女を連れて王都に戻ってきたとのこと。
少女への愛を、聞いている方が恥ずかしくなるほどに熱く語り、少女に反論の間を与えないままにあたかも相愛のように演出し、両親の了承と、何故か村中からの祝福ももらって、問題なく自らの思うように物事を進めたエミリアンの手腕に、私は改めて彼の優秀さに感嘆の息を吐いたほどだ。まあ、その手腕の対象となった少女としては、災難以外の何ものでもないだろうが。
そこまでの報告書を読み終わり、私は執務机に向かった。
机の引き出しから取り出したのは、小説のネタをまとめるためのメモ帳である。
そう、私の趣味は恋愛小説を書くことなのだ。子ども向けのおとぎ話のようなソフトなものから、ハーレクインのようなねっとり泥沼ものまで幅広く書いている。そして、私と同じ趣味を持つ友人を巻き込んで、書いたお話を知り合いの出版社に持ち込み、本にして出版しているのだ。売り出した本は……そこそこの売り上げというところかしら。ふふふ。
それから、この城の中ははっきり言ってネタの宝庫である。王を筆頭に個性的な人は多いし、貴族の世界には様々な恋愛模様が広がっており、その内容も、可愛らしい純愛から、よくもまあそこまで拗れるものだと、逆に感心してしまうほどに重く悲惨な恋愛まで多種多様より取り見取りだ。
軍部に勤める友人の話を聞いたり、知り合いの貴族の令嬢に社交界での噂を聞いたり、知人の恋愛模様を眺めたりしているだけで、ネタがどんどん積み重なっていく。
さすがに本にする際には、個人のプライバシーを考慮して、名前や身分を変えるのは当然として、遠くの国の話にしたり、架空の世界の話にしたり、人外の話にしたりと工夫はしている。内容もちょこちょこ変えたり、捻ったりしているし。というか、話の作者が私であるということは、私と友人と出版社の知り合いしか知らないから、かなり私に近しい人じゃないと、このお話の元になった人物が誰かは分からないと思うんだけど。
ああ……ただ、少し前に、某帝国皇帝に会った時、「職場楽しそうだねぇ。特に人間関係なんかね」と意味深な笑顔で言われたわ。だから、ヤツはどこにどんな情報網を持ってて、何をどこまで知ってんのよ! 怖えよ!!
あ、ちなみに、我が国王と隣国の女王様の話は、予定通り、鬼畜執愛王×薄幸健気女王の成人向けの略奪愛のお話にしました。ロリコンアクスの話は、ロリコン貴族×そんな彼の性癖を知りながらも、健気に彼を想い続ける女性の切ない物語に。あのツンデレカップルは、ライトなラブコメにしといた。いや~、我ながらいい仕事したわ!
と、そこで、先ほど庭で追いかけっこをしていたエミリアンとミラニ嬢を思い出す。
実は、今日は、あれ以降の二人の状況を確認するため、エミリアンが元老院の議会に参加しているうちに、ミラニ嬢に話を聞くつもりでミラニ嬢を呼び出し、こうして執務室で待っているのだが、果たして彼女はいつになったら来てくれるのか。むしろ、議会はどうなった、議会は。
天然無邪気謀略貴族×平凡強気(野性的?)少女……え? 天然無邪気謀略貴族って思いっきり性質悪くない!? 人の迷惑考えず悪気無く計画練って、躊躇いなく思い通りに事を運ぶってことだよね! 何がいけないの? って感じで。しかも無駄に権力持ってて、あの頭にお花が咲いたへらへら笑顔で!? う~わ~! これはこれで怖いわぁ……。ミラニ嬢、ガンバ☆
とりあえず、嫁にするためでも、誘拐は犯罪です!