最終章 光の続く先
春はやがて深まり、城下の並木は柔らかな緑を揺らしていた。
王妃としての日々は決して軽くはない。
書状は絶えず、面会は続き、決断はひとつひとつ重みを持つ。
元々の医療顧問の役割も時間が許す限り続けている。
役割が増え忙しさは増したがそれでもアリアは、どこか穏やかな呼吸でそれらを受け止めていた。
広間で民の声を聞き、庭で子どもたちの笑いに微笑み、祈りの間で静かに目を閉じる。
その姿は華やかというより、静かな灯のようだった。
遠巻きに見守っていた重臣たちの視線も、いつしか柔らぎを帯びている。
夕刻、執務を終えたルーカスが庭へ足を向けると、花の香りの中に白い衣が揺れているのが見えた。
アリアは小さな少女と目線を合わせ、何かを真剣に聞いている。
少女が最後に笑顔で駆け出すと、彼女もゆっくりと立ち上がった。
その横顔を見た瞬間、ルーカスは息を止める。
血統でも、利でもないと宣言したあの日から、彼の決意は変わらない。
だがこうして民と自然に言葉を交わす彼女を見ると、あの選択は“正しかった”のではなく、“必然だった”のだと思えてならない。
足音に気づいたアリアが振り向く。
目が合うだけで、互いの一日が伝わるような静かな時間が流れる。
「お疲れさまでした」
先に言ったのは彼女だった。
「そちらこそ」
短い言葉の中に、労わりと信頼が混ざる。
並んで歩き出すと、春の風が二人の間を抜けていく。
指先が触れ、自然に絡まる。人目はある。
それでももう、隠す必要はない。
「あの子に何を話していたんだ」
「将来の夢だそうです」
アリアは少しだけ微笑む。
「王宮で働きたいと」
「ほう」
ルーカスの口元が緩む。
「厳しいぞ、と言っておけ」
「言いません」
即答に、彼は横目で見る。
「夢は、厳しさよりも先に温かさを知るほうがよろしいでしょう」
その言葉が、静かに胸へ落ちる。
やがて庭の奥、噴水のそばで足を止める。
水面に夕陽が揺れ、二人の影が長く伸びて重なる。
ルーカスは彼女の手を引き、向き合わせる。
「アリア」
名を呼ぶ声は、初めて出会った頃と同じ温度を持ちながら、今は揺るがない深さを帯びている。
「後悔していないか」
問いは今さらのようでいて、彼の中では今も大切な確認なのだろう。
アリアは一瞬だけ目を細め、そしてゆっくりと首を振る。
「していません」
風が髪を揺らす。夕陽の光が彼女の瞳に宿る。
「ここが、私の居場所です」
その言葉は誇示でも宣言でもなく、ただ事実として穏やかに響く。
ルーカスはそっと彼女を抱き寄せる。
人目のある庭だというのに、腕は迷わない。
王としてではなく、夫としての抱擁。
「なら、よかった」
低い声が耳元に落ちる。
「俺の選択は、間違っていなかった」
アリアは彼の胸に頬を寄せ、小さく笑う。
「選んだのは、私もです」
その返答に、彼の腕がわずかに強まる。
噴水の水音が静かに響く。
遠くで鐘が鳴り、城下の灯りがひとつずつ灯り始める。
揺らぎも、不安も、すべて越えてきた。
華やかな奇跡ではない。
ただ、選び合い続けた日々がここにある。
ルーカスが彼女の額にそっと口づける。
それは回廊の夜よりも、宣言の日よりも、ずっと自然で、ずっと穏やかだった。
絡めた指はほどけない。
光はやがて夜に溶ける。
けれどその先にも、また朝が来ると知っている。
二人は並んだまま、城へと歩き出す。
その歩幅は、最初から揃っていたかのように、静かに重なっていた。




