第二十九章 朝の光のなかで
薄い金色の光が、長いカーテンの隙間からそっと差し込むころ、アリアはまだ夢と現実の境目にいた。
深く眠っていたわけではない。
胸の奥に静かな熱が残り、身体のどこかがまだ昨夜の余韻を覚えているようで、目を閉じていても意識はやわらかく揺れていた。
隣から、規則正しい呼吸が聞こえる。
その音を聞くだけで、胸の内側がじんわりと温まる。
確かめるように、ほんの少しだけ身体を動かすと、背に回された腕が無意識に強まった。
逃がさないと告げるよりも先に、離れないと知っている抱き方だった。
「……起きているのか」
低く、まだ眠気を帯びた声が耳元に落ちる。
アリアは目を開け、振り向く。
至近距離で見つめ合うと、昼間の王の顔はどこにもない。
ただ、少し髪の乱れた青年が、愛おしむようにこちらを見ている。
「少しだけ」
そう答えると、彼は小さく笑い、額を寄せてくる。
「俺は、もう少しこうしていたい」
甘えるような響きに、胸が跳ねる。
昨日までなら、遠慮や躊躇が先に立っただろう。
けれど今は、彼の言葉がまっすぐ胸に落ちる。
「今日は、朝議があるのでは?」
「ある」
迷いなく答えながらも、腕は解けない。
「だが、あと少しは王でなくていい」
その言い方が、どこか子どもじみていて、アリアは笑いをこらえきれず肩を震わせた。
「笑うな」
「だって……」
言いかけた唇を、彼が軽く塞ぐ。
昨夜よりも短く、けれど甘さは深い。
離れたあと、彼はじっと彼女を見つめた。
「昨日、怖くなかったか」
唐突な問いに、アリアは一瞬だけ考える。
広間で名を呼ばれたときの眩しさ、民衆の歓声、重くのしかかる視線。
すべてが現実で、逃げ場はなかった。
けれど。
「怖さよりも、嬉しさのほうが勝っていました」
そう言うと、彼の瞳の奥がわずかに揺れる。
「私は何も持っていないと思っていましたから」
捨てられた聖女と呼ばれ、居場所を失い、ただ彼の隣に立つことだけを望んでいた日々を思い出す。
「でも、昨日……」
自分の胸に手を当てる。
「ここに、ちゃんとあるのだと分かりました」
誇りでも、称号でもない。
誰かを想い、想われるという確かなもの。
ルーカスはゆっくりとその手を取り、自分の胸へ導く。
「ここにも、ある」
鼓動が重なる距離。
「お前がいる限り、俺は迷わない」
断言ではない。けれど揺るがない声。
アリアは目を細める。
「では、迷ったときは?」
「そのときは」
彼は少しだけ考えるふりをしてから、いたずらめいた笑みを浮かべた。
「抱きしめてもらう」
思わず息を呑むと、彼は続ける。
「王妃命令だろう?」
その言葉に、頬が熱を帯びる。
「……それは、ずるいです」
「夫婦だからな」
さらりと言われ、心臓が忙しくなる。
窓の外では、城がゆっくりと目を覚まし始めている。
足音や遠くの声が、かすかに届く。
やがて彼は名残惜しそうに腕を解いた。
「行くか」
王としての顔が、少しずつ戻る。
けれど立ち上がる前に、もう一度だけ彼女を引き寄せ、額に口づけた。
「戻ったら」
その続きを待つように見上げると、彼は静かに微笑む。
「今日は、ちゃんと二人で食事をしよう」
忙しさの合間に、ほんの少しの時間を作るという約束。
アリアは頷く。
「楽しみにしています、陛下」
わざとらしくそう呼ぶと、彼は目を細める。
「今は、ルーカスでいい」
その名を口にすると、不思議と胸が満ちる。
扉が閉じたあと、部屋には朝の光だけが残る。
けれど寂しさはない。
昨夜と今朝で、世界は大きく変わったわけではない。
政務も課題も、これからも続いていく。
それでも、隣に立つ人がいる。
そして帰る場所がある。
アリアはゆっくりと身支度を始める。
王妃としての一日が始まる。
けれど胸の奥では、まだ彼の温もりが静かに息づいていた。




