第二十八章 ふたりきりの誓い
祝福の余韻が城を満たしたまま、夜は静かに更けていった。
昼間の歓声が嘘のように遠のき、回廊に落ちる灯りは柔らかく揺れている。
花びらの散った庭は月に照らされ、昼とは違う静かな華やぎを湛えていた。
王妃の私室として整えられた部屋に、アリアはひとり立っていた。
豪奢ではあるが過度ではない調度、淡い色合いの布、窓辺に置かれた白い花。
自分のために用意された空間だと分かっているのに、まだ少しだけ他人の夢の中にいるような心地がする。
扉が静かに閉じられる音がして、振り返る。
そこに立っているのは、昼間と同じ衣を纏ったままのルーカスだった。
だが王冠はなく、肩の力も抜けている。
その姿を見ただけで、胸の奥の緊張がほどけていく。
しばらく、互いに何も言わない。
昼間はあれほど堂々と並んでいたのに、こうして二人きりになると、空気が少しだけ違う色を帯びる。
「疲れたか」
先に口を開いたのは彼だった。
問いは短いが、声音には労わりが滲む。
「少しだけ」
正直に答えると、彼はゆっくりと歩み寄る。
その歩幅は急がず、逃がさないと知っている距離の取り方だった。
「俺もだ」
近くまで来ると、ふっと息を吐く。
「だが、不思議と重くない」
その理由を言葉にせずとも、二人の間には分かっているものがある。
アリアはそっと視線を上げる。
「今日、名を呼ばれたとき」
広間で響いたあの声を思い出すだけで、胸が温かくなる。
「ようやく、ここに立てたのだと感じました」
それは安堵であり、覚悟でもある。
ルーカスの手が、彼女の頬に触れる。
昼間よりも優しく、確かめるように。
「最初から、隣にいた」
低い声が近い。
「ただ、公にするのが遅れただけだ」
その言い方が、どこか拗ねたようで、アリアは小さく笑う。
「では、今日は」
「うん?」
「私たちの、本当の始まりですね」
その言葉に、彼の瞳が柔らかく細まる。
指先が絡む。昼間のように強くはなく、自然に重なる。
「逃げ道はないと言ったな」
「ありません」
即座の返答に、彼の喉が小さく鳴る。
「……覚悟はできているか」
問いは軽いようでいて、その奥に熱がある。
アリアは一瞬だけ目を伏せ、そしてゆっくりと頷いた。
不安がないわけではない。
それでも、彼の隣で生きると決めた日のことを思い出せば、怖さよりも温もりのほうが勝る。
ルーカスは彼女を引き寄せる。
抱擁はこれまでと同じはずなのに、どこか違う。
肩書きが変わったせいではなく、二人が同じ覚悟を共有しているからだ。
額が触れ、やがて唇が重なる。
今まででいちばん、静かな口づけだった。
奪うのではなく、確かめる。
甘さは深いが、急がない。
互いの息遣いがゆっくりと揃い、鼓動が穏やかに重なる。
離れたあとも、距離は離れない。
「アリア」
名を呼ぶ声が、少し掠れる。
「これから先、楽な道ではない」
彼女は頷く。
「それでも」
続きは言わなくてもいいはずなのに、言葉が自然に溢れる。
「あなたとなら、歩けます」
その一言で、彼の腕がわずかに強くなる。
窓の外で、夜風が花を揺らす。
遠くで鐘がひとつ鳴り、新しい日付が静かに始まる。
王と王妃としての誓いは昼間に交わした。
けれど、夫と妻としての誓いは、今この静かな夜に結ばれている。
絡めた指がほどけないまま、二人はゆっくりと灯りの揺れる奥へと歩み出す。
祝福も、不安も、すべてを抱えた未来が待っている。
それでも、隣にいる。
それだけで、十分だった。




