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第二十五章 夜にほどける約束


夜の城は、昼とは別の呼吸をしていた。


回廊で交わしたくちづけの余熱がまだ指先に残ったまま、ルーカスと分かれアリアは自室の窓辺に立っていた。


あれからどれ程そうしていたのか、月は高く、青白い光が床に長い影を落としている。


風がレースのカーテンを揺らすたびに、胸の奥までくすぐられるような感覚がよみがえり、落ち着こうとするほどに思い出は鮮明になった。


触れただけのはずなのに、どうしてあれほど熱かったのだろうと考えかけたところで、扉を叩く控えめな音が夜の静けさを震わせる。


その間合いを、彼女は知っている。


扉を開けると、灯りに照らされたルーカスが立っていた。


王の威厳を纏った姿ではなく、上着を緩めたまま、どこか決意と躊躇いが同居した表情で、彼は一歩だけ踏み出す。


「眠れない」


低く落ちた声が、夜気よりも柔らかく耳に触れる。


問い返さずとも理由は分かってしまい、それでもわざと微笑んでみせると、彼は小さく息を吐いた。


その仕草に、昼間の堂々たる姿は影を潜め、ただ一人の青年が立っている。


部屋に招き入れたあと、彼はすぐには近づかなかった。


数歩の距離がやけに長く感じられ、灯りの橙が二人の影を揺らす。


何か言いかけて、飲み込む。


その沈黙に、言葉よりも多くのものが滲む。


「来ておいて、今さらだが」


そう前置きしてから、彼は視線を落とす。


その指先が、わずかに緊張を含んでいるのが分かってしまう。


アリアは静かに歩み寄り、その距離を縮めた。


月明かりと灯りが混ざる場所で、互いの呼吸が触れ合う。


「どうなさいました」


穏やかに問うと、彼は彼女の肩に手を置く。


その掌は温かく、しかしどこか確かめるように慎重だった。


「お前は平気なのか」


問いは真剣で、軽い冗談の色はない。


夜に会いに来たことも、距離を縮めていることも、すべて含んだ問いであることが伝わる。


アリアはほんの少しだけ視線を伏せ、胸の奥に溜まった熱を整える。


平気ではない。

けれど、怖くもない。


その感情を言葉にしようとすると途端に薄れてしまいそうで、彼女はそっと彼の衣を掴んだ。


指先が布越しに力を込めると、彼の呼吸がわずかに揺れる。


「……嬉しいのです」


短い答えが落ちると同時に、彼の腕が彼女を包む。


抱擁は強引ではなく、逃げ場を塞ぐものでもなく、ただ自分の腕の中にあることを確かめるような抱き方だった。


胸元に頬を預けると、鼓動がはっきりと伝わり、その速さが彼の本心を物語っている。


「ルーカス」


名を呼ぶと、腕の力がわずかに強まる。


王と呼ばれるよりも、よほど深く届く名であることが、その反応で分かる。


彼は彼女の髪に顔を埋め、息を整えるように小さく笑った。


「お前の前だと、余裕がなくなる」


その告白は照れ隠しもなく、夜に溶けていく。


アリアは顔を上げる。


月光に照らされた彼の瞳が、迷いなく自分だけを映している。


その視線から逃げられないまま、ゆっくりと距離が縮まる。


くちづけは、先ほどよりも長かった。


深く奪うのではなく、触れて、確かめ、離れかけてはまた触れる。


甘くほどけるような熱が唇から広がり、指先が彼の胸元を無意識に掴むと、彼の手は背をなぞるように滑り、そこにいることを確かめる。


離れたあとも、額は離れない。


息が混ざり、どちらの鼓動か分からないほど近い。


「結婚したら」


彼が低く呟く。


その言葉は未来を約束する響きを持ちながらも、どこか少年のような照れを含んでいる。


「毎晩こうしていられる」


冗談めかした響きの奥に、真剣さが滲む。


アリアは目を閉じ、彼の胸にもう一度頬を寄せる。


未来という言葉が、怖さではなく温もりとして胸に広がる。


「逃げません」


囁きは布に吸い込まれるように小さい。


それでも彼は確かに聞き取り、腕の力を少しだけ強める。


灯りが揺れ、影がひとつに重なる。


夜は静かに深まり、城の外では風が木々を揺らしている。


重責も過去も、この瞬間だけは遠い。


絡めた指がほどけないまま、二人はしばらく何も言わずに立っていた。


言葉を重ねれば壊れてしまいそうな、甘く静かな時間が流れ、やがて彼の額が彼女のこめかみにそっと触れる。


未来はまだ正式な形を持たない。


それでも、この腕の中で交わされた約束は、どんな宣誓よりも確かで、夜の静寂に溶けながら、二人の心に深く沈んでいった。



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