表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/39

35. ひかり射して風が吹く

 クリスはモヤモヤしていた。今日は学園が休みだ。普段の休日は友人たちと親睦や交友の輪を広げるための会食など行うのだが、その予定もない。珍しく、誰からも誘われなかったのだ。……実は、最近悩んでいる様子のクリスを気遣った友人たちが声をかけるのを止めたのだが、本人はそのことを知らない。誘われなかったことを不思議に思うゆとりもなかった。


 モヤモヤの原因は自分にある。正しくは、自分とアルマに。

 ずっと言えずにいたことを、先週とうとう姉に突きつけた。絶縁状に等しい宣言だったが、後悔はない。そのはずだった。


 自分は悪くない。悪いのは姉だ。人道にもとった行為をし、家名に深いキズを付けた。縁を切るに足る理由だ。父だって、姉を修道院に送ると言っている。もはや自分の娘ではない。だが放し飼いにするつもりもないと、そういう意思表示だろう。


 ――アルバート・ウィッドフィールドという男は、良い噂と悪い噂の両方で有名な貴族だ。しかも良い噂といっても、単にモテるとかそういった類の評価であって、男であるクリスは対して魅力を感じない。そして悪い噂もまた色恋沙汰に偏ったものばかりで、そっちは最悪だった。

 夫や恋人のある女に手を出すのは当たり前。相手の男が抗議してくると、裏で糸を引いて男の社会的地位を貶めるとか。見目の良い平民娘を何人も金で買い、夜な夜なベッドに侍らせているとか。世間知らずのお嬢様を言葉巧みに魅了しては、堕落させるのが趣味だとか。

 どれもこれも噂の域を出ないものではあるが、本人を知る人間が言うには、「有り得る」だそう。


 父親の方も大概だ。王弟という地位を利用して好き勝手遊び放題。年季も入っている。ぎりぎり法を犯さないラインを保っている辺り、たちが悪いとも言える。もっとも、公爵家に入ってしまえば外から中の様子は窺えないので、実際は何をしているのか分からない。


 そんな家へ、なぜリモーネ侯爵は娘を嫁がせようとしたのか。クリスの友人の話によれば、大事な娘の婚姻相手を探しすぎた(・・・・・)あまり、候補の男が全員じゃがいもにしか見えなくなったのだとか。それで肩書と能力を重視する方向に変えた結果、アルバート・ウィッドフィールドを選んでしまったらしい。ある意味、凄い判断だ。


 どんな形であれ、そんな男と関わりを持ってしまった姉には呆れるしかない。

 だから見放すことにした。


(なのに……ああもう、なんでこんなに煮え切らないんだよ)


 決めた後でグダグダ言うなんて、民の上に立つ貴族らしくない。少なくとも父はこんな優柔不断ではない。


 あれからアルマには会っていないものの、クリスは何度も彼女の部屋に足を運んでいた。会うつもりはない。ドアを開けて、挨拶する気にもなれない。ただ胸のわだかまりをどうにかしたくて、気がついたら姉の部屋の前に立っている。


 ある日、少し開いていたドアの隙間から、メイドたちの会話が聞こえてきた。

 概ね、姉の悪口だった。寝室にいる本人にも聞こえるであろう声量で。

 立場的に彼女らを咎めなければならなかったのだろうが、クリスはそうしなかった。会話の内容が気になり、つい魔が差して立ち聞きしてしまったのだった。


 自分の知らない、幼い頃の姉の姿。知らないというより忘れていた。しかし言われてみれば、自分がうんと小さい頃――まだトテトテと覚束ない足取りで駆けていた頃、姿の見えない姉を探してメイドに尋ねていた記憶がある。メイドは何と答えていたのだったか。そこまではよく覚えていないけれど、メイドがいつも困った顔をするので、聞いてはいけないことなのだと幼心に感じていた。


 姉は何を感じ、何を思っていたのだろう。当時の姉と言えば、自分と同じで幼子である。しかし幼子は幼子なりに、何かを思い、考えることをクリスは知っている。

 アルマの急激な変化には、何か理由があったはずだ。

 アルマと、自分と父との関係を決定づける何かが。


(そうか。だからモヤモヤするんだ。分からないから。姉上が僕たちを見ていなかったように、僕にも姉上の知らないところがまだある……)


 だがそこに気付いたところで、何かを変えようとは思わない。一度こじれた関係を修復するには相応の気合が必要だ。それだけの気持ちが自分にあるかというと、たぶん無いな、とクリスは思うのだった。

 自分から絶縁宣言を叩きつけておいて、やっぱり仲直りしましょうなんて言えるわけがない。

 アルマだって、クリスを嫌いになったはずだ。あんな風に一方的に否定されて、それでもなお家族であろうとするほど強い女性ひとではない。クリスの見立てでは。


(もう終わったことなんだ。気にしたって仕方がないんだ)


 そんな葛藤を抱えつつ、静かな廊下を宛てもなく歩いていると、階段の方から見覚えのある人物がつかつかと歩いてくるのが見えた。先導する執事は、父専属の者だ。なので、父の客だということが分かる。

 しかし、彼がここにいること自体、クリスには理解不能な出来事だった。


「あ……れ? カーライル様? なんで、ここに?」


 当然向こうもクリスに気付いており、レイはすれ違う直前で足を止めた。夏空のような朗らかな笑みをクリスに向けて浮かべる。


「やあ。クリス殿だったな。去年、兄上の教務室で一度会った」

「は、はい。覚えております。お久しぶりです。カーライル様」

「レイでいいよ。堅苦しくなる必要はない。ここは君の家なんだから」

「恐縮です」


 そう言って軽く目を伏せるクリスだったが、内心ではレイの居佇まいに瞠目していた。

 ――学校にいる時より、遥かに貴族っぽいのだ。身も蓋もない言い方をすれば。

 レイとは所属クラスも学年も違うため、リアムの教務室で鉢合わせた時を除いて遠目でしか見たことがないのだが、王子たちと一緒にいるのを見た時は、レイのことを――失礼ながら――優雅な水鳥の群れに混じった猛禽類みたいだとすら思った。

 礼節は弁えているし、誇れるだけの家柄もある。だけど、どことなく俗っぽい。クリスのレイに対する総評はそんな感じだった。


 それが、今はどうだろう。身なりは華美ではなく、伝統的なスタイルに則った落ち着いた礼服。上背があり、また体格が無駄なく引き締まっているので、メリハリが効いて華がある。加えて、端然とした立ち姿に自信あふれる表情。彼の兄リアムは、アルバートとは別種のプレイボーイだが、今のレイも人前に出れば大勢の目を引くこと間違いなしである。


 唯一瑕疵を挙げるとすれば、頬に薄っすらと残る切り傷だ。以前会った時は、こんなものはなかったはず。

 クリスの視線に気付いたレイは、人差し指で頬の傷に触れて言った。


「ああ、これか? ちょっと無茶やってな。魔物につけられた傷だから、治りが遅いんだ」

「ま、魔物ですか。僕は見たことがありません」

「まあ大体の王国民はそうだろうな。トールスじゃ、街道から少し外れたら出くわすのも珍しくないんだが」

「ご実家に戻られていたんですか?」


 だから魔物なんて単語が出てくるのかと、クリスは納得しそうになった。レイは笑いながら首を横に振る。


「いや。戦技科二年は年末年始、恒例の実地訓練があるんだ。昨日、南領から帰ってきたばかり」

「き、昨日!?」


 驚きのあまり、思わず目を丸くして大きな声を出すクリス。傍で控えていた老執事が、細目でクリスを嗜める。クリスはバツの悪さを誤魔化すように咳払いをした。


「え、えっと……。トールス程でないとは言え、南領も魔物の数が多く、被害が絶えないと聞きます。そのようなところで訓練とは、さすが王立学園の戦技科ですね。一王国民として、頼もしいと存じます」

「他に腕を揮える場がないだけだよ」

「ご謙遜を」


 喋っている間にも、クリスの中では違和感と疑問が膨らんでいった。

 ヘンレッティ男爵家とカーライル伯爵家に直接の繋がりはない。片や宮仕えの下級貴族。片や国内でも屈指の実力派騎士団を抱える地方領主。家同士でも個人でも、これまで交流などなかった。

 なのに、これはどういう風の吹き回しか。


「それで、本日はなぜ我が家に? 差し支えなければ、お聞かせ願いたく」

「アルマに会いに来た。それだけだ」


 端的に、問いの答えが返ってくる。

 クリスは絶句し、一瞬聞き間違えたかと耳を疑った。だがそうではないと、レイのどこか満足そうな笑みを見てはっとする。


「そういうわけには参りません! 姉は今謹慎中の身。勝手な振る舞いは――」

「勝手じゃねぇよ。男爵には許しを貰ってある」


 レイは左手を腰に置き、やや姿勢を崩してクリスを見下ろす。貴族の顔から一転、素である言動の荒っぽさが表に現れ、クリスは覚えず気圧されてしまった。


「うっ……。で、ですが」

「この家で一番エライのは誰だ? ロバート殿だろ。その男爵が、アルマとの面会を許可してくださった。もし彼の許しが得られなかったら、オレだって今日のところは(・・・・・・・)引き下がったさ。だが実際はこうして認められて案内を受けてる。それを妨害する権利がクリス殿にあるのか?」

「それは……っ」


 そんなものはない。理屈としては分かるが、心情として納得がいかない。

 悔しそうに唇を噛みしめるクリスをレイは不思議そうに一瞥したが、時間が惜しいとでも思ったのだろう、執事に案内の続きを促した。男爵家の使用人として、目の前で主家の嫡男がやり込められるのは心地悪さもあっただろうが、老執事は顔色を変えずに歩き出す。

 脇を二人が通り抜けていくと同時、クリスは焦る気持ちで振り返った。


「ま、待ってください! 姉上は今、人に会えるような状態ではなくて!」

「なら、なおさらだ。大丈夫だって。たぶん、オレはお前よりアルマのことをよく分かってるから」

「はぁ!? 何言って――」


 反論を終える前に、レイと執事は扉の前で立ち止まった。廊下の向こうから、騒ぎを聞きつけたメイドたちが顔を出しているのに気が付いて、クリスは抗議の言葉を喉の奥に飲み込んだ。


「いい。ここからはオレ一人で」


 扉をノックしようとする執事をレイは制し、何の合図もなくノブを回す。

 突然の暴挙にクリスも執事も呆気にとられたが、レイはお構いなしに部屋の中へ足を踏み入れるのだった。

 その時、なぜか気持ちの底から沸き上がる感情があった。

 早々に立ち直り、廊下で待機する執事とは真逆に、クリスは怒りを瞬間沸騰させてレイを追う。


「なんて非常識な! 貴方、それでも伯爵家のご子息なんですか!?」

「うるせ。黙ってろ」

「う、うるせ……? いいや、黙りませんよ! ほら、姉上ここには居ませんから! きっとまだお休みなのでしょう。人に会うには準備が必要なんです。だから一度外に出て、別の部屋にてお待ち下さい。僕が姉上をお呼びしますから」

「…………」


 クリスが指摘するまでもなく、部屋の中にアルマの姿はなかった。クローゼットの中になら身を隠すことも可能だが、さすがのアルマもそんなことはしない。なら彼女の居場所は二つに一つ。浴室か寝室だ。そんなところへ、赤の他人が踏み込めるはずもない。

 引き篭もってくれていた姉にこの時ばかりは感謝するクリスだったが、彼はまだ分かっていなかった。

 レイにとって、多少の常識など障害にならないことを。


 部屋を横切って寝室の扉へ向かうレイに、クリスは咄嗟に反応できなかった。その扉をコンコンとノックをしたのも、単に来訪を告げるためだと思い込んだ。

 だから。


「アルマ。オレだ、会いに来た。開けるぞ」


 ガチャリと。

 眠る少女のような無防備さで開いていくドアを、ただ見ていることしかできなかった。


 カーテンを開けられたこちら側の部屋とは対照的に、薄暗く寒々しい寝室。瞬間、なぜかクリスの胸に見えない棘が突き刺さる。


 寝室から黒い塊が飛び出してきて、レイの胸にぶつかった。レイは、ぶつかってきたものを揺るぎもせずに受け止める。まるで最初から予想していたみたいに。そして両腕でしっかりと大切そうに抱き締めると、黒髪に口づけるように頬を寄せ、言った。


「よしよし。一人で寂しかったろ。もう泣かなくていい」


 飛び出してきた黒い塊――アルマは、レイの胸に顔を埋め、小さな肩を震わせる。レイは左手でアルマの背を擦り、右手で彼女の頭をぐっと引き寄せた。


「オレがいるから。お前にはオレが必要だろ?」


 アルマは大きな声を上げて泣き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ