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34. 二度と帰らぬ――

 謹慎を命じられてから早くも数日が経ち、年が明けた。

 レイはもう南の領に辿り着いただろうか。何事もなければ一月の末には帰ってくるから、と笑顔で言っていたのが懐かしい。

 早く彼に会いたい。そう思えば思うほど、溜め息の数は増えていく。


 アルマは、なんとか平静を保っていた。最初にがつんとやられて以降、最小限の干渉しか受けていない。接点がないので、外部から揺さぶられることもないというわけだ。メイドたちの腫れ物に触るような扱いは傷つくけど。


 自室に押し込められた時に、執事長から大体の事情は聞いた。さすがに、何も説明無しというのはどうかと向こうも考えたようだった。

 執事長の話によれば――。


 シャーリーズ・サイフリッドの婚約者――まず、彼女に婚約者がいたという事実に驚いた――であるアルバート・ウィッドフィールドが、"アルマ・ヘンレッティ"と名乗る女と手紙のやり取りをしていた。彼から"アルマ"に宛てた手紙が、サイフリッド家宛ての郵便物に混じっていたというのだ。

 そのことにサイフリッド家の使用人が気付いた。

 主の娘の婚約者から送られた、聞き覚えのない名前の女に宛てた手紙――不審に思わないはずがない。

 手紙はすぐにリモーネ侯爵に届けられ……この後が少々問題だった。

 手紙の主はアルバート・ウィッドフィールド。宛名は"アルマ・ヘンレッティ"で、住所は間違いなく侯爵家のもの。しかし、侯爵家に"アルマ・ヘンレッティ"なる人物はいない。

 侯爵は悩んだ末、中身を検めることにした。倫理に則れば、封を切らずに送り主に送り返すのが正しい行いだったのかもしれない。だが、侯爵は嫌な予感を覚えたのだという。

 その予感は的中し、アルバートの背信行為が発覚した――というわけだ。

 手紙の内容に関しては、詳しく語る必要もない。リモーネ侯爵が激怒する内容だったと言えば、それだけで十分だろう。


 その後、リモーネ侯爵がベルタント公爵に猛抗議。公爵も最初は息子を信じていたのか、手紙は偽物だと言い放っての大口論。しかし当のアルバートがあっさりと密通を認めたことで、今度は侯爵と公爵が二人揃ってアルバートを責め立てた。


 アルバート・ウィッドフィールドという人間のことは、少しだけ聞いたことがあった。確か、ゲームにも登場した名前だ。攻略対象者ではなく、男性のお邪魔キャラ……のような人物だったと思う。あいにく自分でプレイしていたわけではないので、詳しくは分からないのがもどかしい。


 密通していた本人なら、相手が本物のアルマ・ヘンレッティじゃないことくらい聞き取りですぐ分かるはずだ。なのにアルマが密通相手として軟禁されているというのは、どういうことなのだろう。

 アルバートは嘘をついたのか。それとも、密通の事実は認めても密通相手のことは黙秘しているのか。

 その辺りのことは、執事長の話からは分からなかった。ただ、アルバートは「アルマから誘惑してきた」と話しているらしい。その"アルマ"は自分でないのだが、違うと断言しているのはアルマだけ。屋敷に戻ってきてからの冷たい眼差しはそのせいもあったのだろうかと、一層憂鬱が増す。


 リモーネ侯爵は男爵にも抗議。事件を知ったヘンレッティ男爵は、即座に使者を向かわせてアルマを拘束した。

 そして今に至るということらしい。



 経緯はだいたい把握した。

 完全な冤罪である。

 けれど、それを信じてくれる人はここにいない。

 自分で疑いを晴らせたらいいのだが、父は本気でアルマを外に出したくないらしく、部屋の外には常に使用人が見張りに立っている。

 アルマが自由に動けるのは二階にある自室――勉強や着替えをする部屋とそこに繋がる寝室、バスルームだけ。寝室の隣にはセーフルームもあるが、ただの小さな空間なので使用する予定はない。

 世話をしてくれるメイドは、話しかけても何も答えてくれない。そのように厳命されているようだ。

 自分は無実だと訴えても、迷惑そうに顔をしかめるだけの彼女らを見て、アルマはすぐに諦めた。

 その代わり、一人で考える。


 手紙と聞いて思い出すのは、代筆で書いた大量の恋文。

 誰かがアルマの名前を騙った。それは事実である。その者は、どうしてアルマの名前を知っていたのか。アルマの知り合いという線も考えられるけれど、恋文というキーワードが目につくせいか、代筆を依頼してきた女性たちの中に本当の密通相手がいるのではないかという考えが拭えない。


 しかしそこまで想像がついたところで、実際に調べるのは難しい。

 恋文の代筆依頼というのは、本当に多いのだ。自分では文字を書けないという人も、書けるけど気の利いた文章が出てこないという人もいる。

 数年がかりの恋を実らせようと意気込む人。手紙でのやり取りを楽しむ人。紙切れに一言、思いを伝えたいだけという人。

 色んな人が、胸に言葉を秘めてやってくる。

 その中からたった一人を探し出すのは無謀に近い。

 とどのつまり、アルバートなり本当の密通相手なりが真実を喋ってくれないことには解決しない。


 だからと言って、黙っておくメリットもない。

 一度、壊れた鎧戸の修繕のため、業者をつれた執事長がやってきたことがあった。彼を通じてなら、父も取り合ってくれるかもしれない。そう思い、提案してみたところ……。


「旦那様はお忙しい身ですので。お嬢様はどうか大人しくなさっていてください」


 取り付く島もなかった。


(ダメだ。私のことなんか、もう誰も相手にしてくれない)


 見知ったメイドも、アルマが市井で暮らしている間に入ってきた新人メイドも、皆アルマを居ないものとして扱う。父の命令もあるだろうが、それ以前の問題として、彼女たちと良好な関係を築けていなかったことが最大の理由だろう。


 後悔したってもう遅い。


 こんな時、どうするのが正解なのだろう。

 このところ思い出すのは、レイの顔ばかり。彼に会いたい。アルマにはレイが必要だった。





 二週間が経った頃、部屋にクリスが訪ねてきた。

 久しぶりに弟を見たアルマは驚いた。以前会った時はアルマと同じくらいの身長だったのに、この半年でぐんと成長していたのだ。たぶん、レイとそんなに変わらない。


(男の子ってすごい)


 顔つきの変化も甚だしい。以前のクリスは、天使のような可愛らしさの中に賢さが感じられる相貌をしていた。今は全体的に鋭くなり、高身長と相まって怜悧な印象を受ける。あまりに変わりすぎていて、最初知らない人が入ってきたと思ったくらいだ。


 クリスなら、少しは話を聞いてくれるだろうか。使用人でもない彼がここへやって来たのは、自分と話をするためなんだろうし、可能性はある。

 ――そう呑気に考えたアルマは、一瞬の後に希望を打ち砕かれることとなった。


「父上はあなたを修道院へ送るつもりのようですよ」


 挨拶も前置きもなく、唐突に切り出された話題は、アルマの想定の遥か斜め上を行くものだった。


「シュウドウイン……?」

「神に仕え、俗世との交わりを断つ。つまり、親子の縁を切るってことです」


 アルマはぽかんと口を開けた。クリスがどんな意図でそのようなことを言うのか、全然これっぽっちも理解できない。ただ、優しさでないことだけは分かった。クリスの顔にそう書いてある。


「私を信じてくれないの?」

「信じる?」


 クリスはハッと鼻で笑う。綺麗な顔が嫌悪に歪み、容赦のない言葉ナイフが投げつけられた。


「あなたと違って、僕は現実主義なんです。目に映るものしか信じないんですよ。信じてくれと言うなら、それに値する価値を示してほしいですね。できないでしょう? あなた自身が幻みたいなものですもんね。幻に価値はない。あなたの言葉は空虚です」

「…………」

「昔は、あなたのことが大好きでしたよ。いつも元気で明るく、毎日が楽しくて仕方がないといったあなたが……」


 愕然とするアルマを余所に、クリスは苦々しげに吐き出す。


「でも、ある時気付いたんです。あなたは見たいものを見ていただけだって。あなたは僕のことを見てはいない。僕の声を聞いてもいないって。あなたが見ていたのは幻想だった。現実の僕の顔なんか、一度だって見ようとしなかったんだ」


 違う、と言いたかった。そんなことない、私もあなたが大好きだ、と。

 でも言えなかった。

 彼の言葉を否定できないと気付いたから。


 生まれつき前世の記憶を持っていたアルマからすれば、今生の家族は家族と言えども赤の他人と変わらなかった。家族というだけで親愛の情を向けてくる父と弟が、"ヒロイン"になりきる前は怖くて仕方なかった。そして"ヒロイン"になりきってからは、愛されるキャラクターを演じるのに必死で、彼らの中身にまで目を向ける余裕がなかった。その結果、自分と彼らとの間には、大きな断裂が生まれてしまった。


 しかし、以前とは変わったものもある。気付いたことも。アルマは震えながら、しかし嫌悪の眼差しで睨むクリスから目を逸らさずに、口を開いた。


「クリスの言ってることは……正しい。でも、今は違うの。私は、今度こそちゃんと前を向いて生きようと……」

「それで二度目の略奪愛ですか? 結局、歪んだままじゃないですか。何が違うっていうんですか」

「ち、ちが……やってない、だって私は……!」

「すみません。僕は――一度間違えた人間を、再び信じることはできません。あなたの言葉も聞く気はない。今日訪ねたのは、最後に言いたいことを言いたかったから。それだけです。……では、さようなら。姉上」


 アルマの聴覚から、全ての音が消え失せた。目を見開いたまま、一切の表情が抜け落ちていく。

 そんな彼女から視線を離して、クリスは踵を返す。驚くくらいあっさりと扉は閉じて、弟はいなくなった。

 ぽとり、と両腕が体の横に落ちた。いつの間にか、手で宙を掻いていたらしい。何かを求めていたのか。だけどこの手で何を掴もうとしていたのか、今となっては分からなくなってしまった。





 謹慎三週間目。


「おー、こわ!」


 アルマの寝室から飛び出ていった新人メイドが、扉を閉めるなり演技じみた声で震え上がった。

 年上の先輩メイドはそれに気付いて、パタパタとはたきを振るう手を止めた。


「あの人、隅っこで膝抱えて身動ぎ一つしないの! 真っ黒な髪の毛で顔を隠して、まるで幽霊みたい。気持ちわる~!」

「ぷっ。聞こえるわよ。いくら何でもマズいでしょ」

「どうせこの家出ていくんでしょ? あ、追い出されるんだっけ。そんな人に気遣う必要ないわよ。執事長だって『質問されても答えなくていい』と仰っていたし」

「でもそんな風に陰口叩いてたら、恨みを買って呪われるかもよ?」

「それは怖いわね! 教会にお祈りに行かないと!」


 冗談を言い合い、二人は笑う。

 一頻り笑うと、先輩メイドがはーっと息を吐き出した。


「あたしはかなり前からここに務めてるんだけどね。アルマお嬢様、ずーっと昔もあんな感じだったのよ」

「昔って?」

「十年ちょっとかなぁ。お嬢様が四歳とか五歳の頃ね」

「うわ、お局様」

「拝むな」


 ぎろりと睨まれたのだろう。新人メイドは、へへっと調子のいい笑みを返す。


「で、小さくて可愛いアルマお嬢様がどうしたんです?」

「いや、どうしたって程でもないんだけど。普通、そのくらいの年の子って、だんだんと外に興味を持ち始める頃じゃない? それがアルマお嬢様の場合、ずっと部屋に閉じこもりっきりでさ。その頃はあたしも若くて――笑うな――新米だったからよくご機嫌取りに駆り出されたんだけど、これがうんともすんとも言わないのさ」

「扱いづらいですね~」

「そうそう。でも、奥様が亡くなられた後だったから」

「あー……」

「そういう理由もあるのかと思って。だから皆あれこれ頭を捻って頑張ったわけよ。だけどやっぱり成果なし。笑いもしない。泣きもしない。あんまり喋らないもんだから、どこか悪いんじゃないのかってお医者様に診てもらったけど、異常はなし。単に、極端な人見知りってだけ」


 当時を思い出してか、語る言葉に落胆が混じる。

 新人メイドは「あれ?」と首を傾げた。


「話に聞いてるのとは全然違いますね。私は、我儘で傲慢なお嬢様だって聞いてましたけど」

「退学する前のお嬢様のことね。あたしに言わせりゃ、我儘で傲慢っていうより馬鹿でお花畑って感じ。他者に対する配慮もどっかズレてるし、会話噛み合わないし、なんか苦手だったわ。ただ、そうなって(・・・・・)最初は旦那様も喜んでたのよ。娘が笑ってくれるようになった、って。ただ……まあ、ズレてたのよね。さっきも言ったけど。そういうことに何年かして気付いて。その頃にはもうすっかり、ヘラヘラ笑って人の話聞かない厄介者になってたってわけ。クリス様もすっごく慕ってたのになぁ。お可哀想に」


 ズキリと胸が痛む。


「はぁ。甘やかしすぎて、育成失敗しちゃったんですかね」

「あんたみたいね」

「やだぁ! 先輩ったら~!」

「そういうところだっての」


 明るい笑い声が、隣の部屋から聞こえてくる。それでこの話題は終わったようで、二人は軽い世間話をしながら仕事に戻っていった。


 アルマは、もそりと動いて壁から背を離す。

 誰も整える者がいないので、髪の毛はバラバラ。右耳の上に五枚の花びらが、名残のように埋もれている。目には光がなく、この三週間で頬も痩けた。そのせいか、いつも以上に肌が青白く不健康に見える。


 既に日は高いが、カーテンを十センチ程度しか開けていないので部屋は薄暗い。朝になるとメイドが掃除のために寝室に入ってくるが、窓の傍に陣取るアルマに気味悪がり、カーテンに触ることなく去っていくのだ。


 アルマにとっては都合が良かった。ただでさえ自由のない軟禁生活なのに、唯一安心できる寝室まで他人に踏み荒らされたとなっては、心中穏やかでいられない。

 自分のことを、何と言って噂しようが構わない。嫌おうが嘲ろうが、好きにしてくれていい。どう見られても仕方がない。


 元通り一人きりになったアルマは、ベッドの下に隠していた筆記用具を取り出した。

 平たい木の板と、万年筆とインク。ハンカチに白紙の束。全て隣室から持ち込んだものだ。荷物をまとめる暇もなく屋敷へ連れ戻されたので、自分の持ち物がどうなったか分からない。お気に入りの万年筆はまだ職場にあるだろうか。誰か親切な人が、鞄と一緒に取っておいてくれているといいのだけど。


 薄闇の中、慣れた手付きでインクを準備し、木板を下敷きにして紙に文字を連ねていく。

 書く。書く。書く。

 今の自分にはそれしかできないから。

 悲しむことはもう疲れた。悔やんでも悔やんでも仕方がない。ただ、受け入れるだけだ。どうしようもない現実と、どうしようもない自分とを。それでもクリスは許してくれないんだろうけれど。



 もちろんアルマは知らなかった。

 部屋の外で、クリスがメイドたちの会話を立ち聞きしていたことなんて。





 四週間目。

 外が少し騒がしい。屋敷の壁は丈夫だけれど、防音はさほどでもない。だから、誰かが大きな声を出せばすぐに伝わる。今のように。

 騒いでいるのはどうやら一人だ。怒っている? いや、誰かに抗議しているのか。廊下を歩きながら喚いているようで、だんだんとアルマの部屋の方へ近づいてくる。

 ところどころ聞き取れるようになってから気が付いた。

 この声はクリスだ。変声期を経て、だいぶ低くなった弟の声。

 何かあったのだろうか……。

 いや。

 自分には関係のないことだ。むしろ、自分が首を突っ込むと迷惑になる。そもそも外に出られないのだし、関わりようがない。

 一人で自嘲して、膝に顔をうずめたその時だった。

 クリスの声が一段と大きくなった。

 隣室――アルマの部屋に入ってきたのだ。

 ハッとして顔をあげるアルマ。自分に関係のあることかもしれない。そう思ったら、冷水に落とされたみたいに心臓が縮む。

 それから、信じられないようなことが起きて、寝室のドアがコンコンとノックされた。


「アルマ。オレだ、会いに来た」


 レイが、帰ってきた。

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