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14. 古見張り塔

 それはシンプルな形の塔だった。四角く切り出した石を積み上げて、周囲をぐるりと階段が巡っただけの。最上階には屋根がなく、物々しい胸壁が四方を囲っている。古い時代には、あそこから兵士が町を看視していたのだろう。見張り塔の位置から考えると、その頃の王都は今よりずっと狭かったのかもしれない。都が発展するにつれ、用をなさなくなり打ち捨てられたのかと思うと、少しだけ侘しさが込み上げてくる。

 ともあれ。


「わわわわわっ、レレレイ様、ここ! ここ、手摺てすり無いです! 落ちちゃいますよ!」

「大丈夫。落ちても下は草地だ」

「勢い余って崖下まで転がり落ちるかもっ」

「ねぇよ。心配性だなぁ」


 二人横に並んで歩けるほどの幅がある階段で、アルマはレイにがっしりとしがみつき、崩れ落ちた手摺壁の一部を指差してアワアワと慌てふためいている。崩れ方を見るに、何らかの衝撃を受けて破損したようだ。危険と言えば危険だが、塔自体は揺るぎもしていない。

 むしろ、レイにしがみついて身動きを取れなくしているアルマの方が危険だ。ただしそこは騎士志望、非力なインドア少女にガクガクと揺さぶられても一向に動じないし文句言わないレイなのだった。


 アルマはレイの服をしっかり握りしめる一方、買ってもらった髪飾りが風に飛ばされやしないかと、ビクビクしながら髪の毛を押さえていた。高台の、それも他に遮るもののない場所に建っているため、風が非常に強い。

 高いし怖いし寒い。

 口を開けたら泣き喚いてしまいそうで、アルマは目と口をぎゅっと結んで、レイに抱えられるようにして階段を一段一段登って行くった。


 ――しかし、その数分後。

 ようやく辿り着いた屋上には、荒々しい空気を胸いっぱいに吸い込んで、頭のすぐ上にある青空に顔を輝かせるアルマの姿があった。


「広い……!」


 歴史から汲み取る侘しさも、危険がもたらす恐怖感も、強風と一緒にどこかへ吹き飛んでしまったようだ。

 待ちきれないといった様子で胸壁に駆け寄って、地平線の端から端まで広がる町並みを瞳に映す。


 町中を歩いている時は見上げるほどに高かった建物も、ここからだと地面にへばりついているみたいに見える。

 他の建物より一際高い時計台の鐘でさえ、まるで玩具だ。――あるいは、ワインのボトル。

 白濁色の屋根と翡翠の尖塔を持つホロンド大聖堂は、お皿に載ったケーキ。有名な巨大噴水と公園を抱えるノルン博物館は、豪華なフルーツの盛り合わせ。そうなると、独特のセンスで有名な建築士がデザインしたという美術館の雲みたいな形の屋根が、甘いソフトクリームに見えてくる。


「すごい! 食べちゃいたい!」


 感動のあまり、胸壁の低いところに手をついてピョンピョンとはしゃいでいると、隣から噴き出す音が聞こえた。見やれば、レイが壁に額をくっつけて笑っていた。


「め、目ぇキラキラさせて、何考えてるのかと思えば。くはっ、食べちゃいたいって……!」


 ハッとして口を噤む。自分が何を言ったのか全く意識していなかったが、レイの言葉で考えていたことが口に出ていたことが理解できた。アルマは恥ずかしさで顔を真っ赤に染めた。

 そんな彼女の反応が、さらにレイの笑いのツボを刺激するのだった。

 あまりにも遠慮なく笑うので、アルマはむっと頬を膨らませる。

 一頻り笑ってもなお収まらない様子のレイが、腹を抱えながらトープファの包みを一つアルマに差し出した。


「も、いいから、食おうぜ。せっかく作りたてを買ったのに冷めちまう。くくく……」

「レイ様が笑い過ぎなのがいけないんじゃないですか! まだ笑ってるし」

「お前が変なこというからだろ」

「ふんだ」


 いい加減腹が立ってきていたアルマは、レイの手から奪うように包みを取った。身体ごとレイを視線から外すように横を向いて、包みを開こうとしたその瞬間、一際強い風が吹いてアルマの髪や衣服を靡かせる。

 レイがさっと手を一振りすると、一瞬で強風がそよ風へと変わった。

 アルマは驚いてレイを振り返った。


「レイ様は風が得意なんですね」

「言わなかったか?」

「初めて知りました。お似合いですね」

「そりゃどういう意味だ?」


 アルマはすっかり機嫌を直して笑った。それを見て、怪訝そうな顔のレイも自分の分の包みを開けてパクっとかぶりつく。

 トルティーヤ風の薄い生地に、瑞々しいレタスと角切りにしたトマト、ピリ辛なタレに漬けた羊肉が、溢れんばかりに挟まれている。それに、とろりととろけるオレンジ色のチーズ。屋台に並んでいる時も思ったが、一目で美味しいと確信できる色合いだ。


「人気が出ないわけがない……」


 一口食べて幸せそうに顔を綻ばせるアルマに、レイも満足気な様子。歩いて移動している間に結構冷めてしまったが、それでも肉は十分柔らかくて美味しい。

 しばらくホクホク顔で堪能していたアルマだったが、ふとあることに気が付いて、レイを真剣な眼差しで睨むように見据えた。


「こ。これが三位ということは、もっと上があると言うんですね?」

「まあ楽しみにしてろよ」


 レイはにやりと笑って一言だけ返すと、食べ終えて空になった包み紙をくしゃりと丸めた。

 そんな簡素な答えでは満足できないアルマ。けれど、どうせ聞いても教えてくれないだろうと断じ、まだ半分以上残っているトープファにはむっと齧りついた。


 お互い無言のまま時だけが流れていく。彼女たちの周りでは、風ですら止まったままだ。だけど気まずい沈黙ではない。ただ隣に座って、足早に流れる雲を眺める。それだけで十分だった。


「今日はありがとうございました。色々」

「なんだ。突然」

「この髪留めのこととか……まだお礼言ってなかったなって、思って」


 アルマの右耳の上には、まだ花の髪飾りが咲いている。レイの視線がそこに向かうのを感じて、アルマはやや気恥ずかしさを覚えた。

 そして、そんな自分に驚いた。

 レイと居ると、恐怖以外でドキドキすることが多い――とは、最近になって気付いたこと。一方で、心は春の丘のように穏やかだ。今まで、一番落ち着ける瞬間は一人になった時だけだった。何物も自分を傷つけないその一時だけが、アルマにとって安らぎだった。それは寂しいことなのだと、アルマは知っている。誰から教えられずとも。

 胸の奥から込み上げてくるのは、ただひたすら感謝だった。神様でも運命でもなく、隣に居てくれる彼への。


「レイ様といると、人間になれる気がします」

「お前は人間だろ」

「人並みに、って意味です」


 アルマの嬉しそうな微笑みに――しかし、彼女自身も気付いていない影のある微笑みに――レイは押し黙って、遠くの町並みに目を向けた。風が少しだけ強くなったが、今度は魔術を使わずに、自然のまま任せている。


 アルマは流れる髪を片手で押さえて、拙い言葉で気持ちを伝えようとした。しかし、喋ろうとしたけど上手く声が出ない。

 もし心の内を全部吐き出しても、伝わらなかったら……。そう思うと胸が潰れるような重圧を覚えて、無力に俯いた。


「――人間で思い出した」


 沈黙の底を浚うように、レイが言った。

 アルマは膝を抱えたまま、「えっ?」と顔を上げる。


「前、兄貴に言われた。『お前は人間が嫌いだよね』ってさ。ちょっと言い方違うかもしれねぇけど」

「レイ様が?」

「貴族ってさ、結構人付き合いを大事にするだろ。義務として」

「はい」


 国は一人では動かせない。物事も同じだ。そのことをよく知っている貴族たちは、己の目的を叶えるため、常に人脈づくりに精を出す。それはもう貪欲に。こちらよりあちらの方が利が出ると見るや、平気で裏切ることだって珍しくない世界だ。お人好しはあっという間に食い尽くされる。


「昔、うちと同じ派閥の子供をぶっ飛ばしたことがあったんだけど。かなり重要な家の息子だったらしくて、周りからめっちゃくちゃ怒られたんだよ。あれは面白かったな。普段偉そうに指図してくる奴らが、顔真っ赤になったり紫になったりすんの。おかげで謝罪行脚までさせられたけど」

「レイ様……。自由過ぎます……」


 完全に悪ガキだった。

 アルマはすっかり呆れ、楽しく思い出し笑いしているレイを胡乱に見やった。

 反省の色は全くない。アルマはぶっ飛ばされたという子を少し不憫に思う反面、余程のことをしたのだろうなと思った。彼が何の理由もなく人を殴るとは思えない。それに、彼の言葉には大人に対する敵意も感じられた。それも、かなり根深いものを。

 昔、何があったのだろう。疑問が顔に出ていたのか、レイは「大したことじゃねぇよ」と前置きして、続けた。


「オレ、ガキの頃太ってたんだ。魔力の循環器系の疾患で。そのせいで色々言われたから、人の見た目をあげつらって笑うのが大っ嫌いなんだよ」


 あっさりした告白に、アルマは目を丸くした。

 魔力循環器は、魔術を扱う上で最も大事な器官だ。魔力循環器に異常があると、様々な弊害が現れる。太る、というのもその一つで、典型的な症状だ。逆に循環が上手く行われていると、肌ツヤや髪ツヤが良くなったり、病気に罹りにくくなったりする。

 そして最も重大なのは、放置しすぎると命に関わるという点だ。レイは簡単に言ってのけたが、聞かされたこちらはちっとも笑えない。


 アルマが驚いた理由は、もう一つある。一度、魔力循環器の病を抱えた者は、たとえ完治しても魔術の使用に困難が伴うと聞いたことがあるからだ。けれど、先程のレイはごく自然に魔術を使ってみせた。簡単な魔術とは言え、とてもハンデがあるとは思えない。

 いったい、どれくらいの努力を重ねてきたのか。アルマは、何気ない顔の裏にある苦労を思って、胸を詰まらせた。


「治らねえ病気じゃねぇって今なら分かるけど、ガキの頃はそんなの誰も教えてくれなくて、醜いだの役立たずのって貶してくる周りの言葉を、いちいち真に受けてたな」

「そんな……。どうして誰も本当のことを教えてくれなかったんですか?」

「さあなぁ。親とは顔合わせてもほとんど会話にならなかったから、聞いたことねぇな。まあ色々考えられるよ。三男坊だし、頭悪かったし、病気ん頃は満足に運動もできなかったし。あ、頭悪いのは今もか。ま、単に要らねって思ったんだろうよ。治療には時間も根気もかかるからな。そんなわけで、オレはガキの頃から捻くれてたってわけだ。親に迷惑かけても良心咎めないくらいにな。自分で言うのは抵抗あるけど、中身はガキのまんまなんだよ」


 レイは笑って言ったが、アルマは愕然とした。

 そんな酷いことって、あるだろうか。家族が苦しんでるのに、治療に手を貸すどころか突き放すなんて。最悪、死ぬかもしれないっていうのに。


 ――いや。あるんだ。確かに、ある。家族の情が、血による繋がりが、赤の他人よりも薄いことが。アルマはそのことを、前世を通して知っている。


 レイも同じだなんて、想像もしていなかった。人付き合いが悪いとは聞いていた。セドリックたちと一緒にいる時も、友人という割にどこか一線引いているのが不思議だった。アルマが突き崩せなくて途方に暮れていた他者との壁を、レイは自ら築き上げていたんだ。


 だったら、なぜ心配してくれるの?

 せっかく自分で造った壁を、どうして越える気になったのだろう。

 私なんかのために……。



 その後は、暗くなってしまった空気を入れ替えるべくレイが魔術で大風を起こしたり、アルマがうっかり吹き飛ばされたりした。そのおかげで笑顔は戻ったものの、アルマの胸の奥には小骨が刺さったようなしこりが残り、夜ベッドに入ってからもなかなか寝付けなかった。


 冷気が這う床を裸足のまま横切って、薄いカーテンを大きく開く。

 ガラス一枚を隔てた外では、街灯の明かりがぼんやりと地上を照らし、空には無数の星が瞬いている。

 しかしアルマが見たのは、ガラスに映った自分の姿だった。もう寝るつもりだったので、レイに貰った髪飾りは外して机の上に置いてある。

 星明かりを受けて控えめに光るそれを見て、アルマは不意に気が付いた。五枚の花びらを象った水晶は、アルマの瞳の色と似ている。水晶の方が若干薄く、ピンクのようにも見えるけれど。

 アルマのために選んでくれたのだ。その事実がじわじわとインクのように心に染み込む。


「胸を張っていい……」


 勇気を出して外に出れば、何か変わると思っていた。この淀みきった泥沼のような世界に少しでも変化があれば、息がしやすくなるんではないか、と。

 だが実際のところは、よく分からない。

 自分に変化は起きたのか、なかったのか。あったとして、それが何をもたらすのか。

 アルマはまだ何も知らない。

 ただ、それを決めるのもまた自分自身であると、ぼんやりとした理解はあった。

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