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13. 深い優しさ

 レイに誘われて細い路地を抜けると、一気に目の前が開けた。

 そこはかなりの幅がある真っ直ぐな舗道で、馬車が入れないことを示す赤茶のレンガが一面に敷き詰められている。道の真ん中は露店が所狭しとひしめいていて、種々雑多な品物が、木箱やビロードの敷物の上などに並べられている。


 ――ロドリック市場。


 物だけではない。

 楽器を爪弾いて客寄せをしたり、大道芸人がここぞとばかりに得意の芸を披露していたりと、賑やかさはイーゼル街の市場の比ではなかった。

 そして、それらに群がる人、人、人。先程までいた大通りも大した人出だったが、ここに比べたら隙間風が吹く。麻の服を着た労働者から、ちょっと上等な身なりをした紳士まで、幅広い階級の人がぎゅうぎゅうに押し合いへし合いしているのは、この王都であっても珍しい光景だった。


 そんな人だかりの只中へ、アルマはレイに手を引かれ突入しようとしている。サーッと顔を青くし、「ちょっと待」まで言ったところで、アルマはふくよかなご婦人と屈強な左官風の男の合間に埋もれた。

 引いている手の抵抗力が増したので、レイは訝しんで後ろを振り向く。するとそこには、左右から押し潰されて、肘から上が無くなったアルマの腕だけがあった。


「うおっ、アルマ!?」


 レイはすぐさま二人の男女に断りを入れ、僅かな隙間からアルマを救出する。少しだけ体の自由を取り戻したアルマは、肺の空気を一気に入れ替えようと、ぷはぁっと大きく息を吐いた。


「死ぬ、かと……」

「すまん、アルマ。人垣を突っ切ろうとしたんだが、無謀だった。もう少し層の薄いところから突破しよう。ほら」


 と差し出されたのは彼の肘。これに掴まれということか。ちょっと恥ずかしい気もしたが、さっきみたいな思いは二度とゴメンだと思い、アルマは一も二もなくしがみついた。その途端、レイの喉から「うっ」と呻き声のようなものが漏れる。


「お、おい。くっつき過ぎだ。そんなに締め付けんな」

「ご、ごめんなさい」

「別に、責めてるわけじゃねぇんだけど……もうちょっと、慎みをだな」


 しばしレイは決まりが悪そうに口の中でもごもごと何か呟いていたが、やがて面倒になったのか、乱暴に頭を掻いて言った。


「うん。もう、いい! 考えるのはよそう」

「? は、はい」

「おっ。あの辺りなんか良さそうだな。行くぞ、アルマ」

「はい……っ」


 何かを見つけたらしいレイに再び手を引かれて、人の流れに沿うようにして進む。周りに歩調を合わせたので、今度はもみくちゃになることはなかった。


 そうしてレイが立ち止まったのは、アクセサリを扱う露店の手前だった。そこは銀細工や、水晶や瑪瑙を加工した小物をメインに扱う店のようで、他の露店よりも規模が小さい。しかし並べられた品は小ぶりながらも美しく、砂埃を被ってもなお輝きを失っていなかった。

 店主の拘りだろうか、商品は一つとして同じものがない。値段はそれほど高くなく、町娘でも手に取りやすそうだ。実際、アルマたちの隣では、二人組の女の子がペンダントを首に付ける振りをしてはきゃっきゃとはしゃいでいる。


 店主は小麦色の肌をした若い女性で、アルマたちよりも一つ、二つ年下くらいだろうか。日に焼けた金髪が陽気な表情によく映える。

 小さな店主は目敏く新たな客――レイとアルマを見つけると、元気な笑顔で迎えた。


「らっしゃい! お兄さんお姉さん、ちょっと寄って行きなよ! ウチの商品は余所にないよ。天下にただ一つのお宝だよ。見てって損はさせないよ!」


 小柄なのに、その体のどこにこんな力があるのかと言うくらい張りのある大きな声だ。隣のガタイのいい二人組の男店主にも負けていない。


「ほら、コレなんかどう? 一番新しい自信作だよ! あっ、持ってくならお金払ってね! 格安にしとくからさっ」


 店主が勧めたのは、青い宝石の花冠を頭に乗せた乙女のブローチだった。掌に収まるくらいの大きさで、細部まで丁寧に作られている。もちろん貴族であるレイとアルマからすれば安っぽい作りではあったが、決して粗悪ではなかった。


「自信作?」


 同じところに疑問を持ったようで、レイが店主の顔を見ながら問う。店主はにこにこ笑顔でうんっと頷いて、


「そうだよ! ウチ、彫金師なの。まだまだ修行中だけど。これ全部、ウチが作ったんだよ。師匠が、自分の食い扶持は自分で稼げって。すごいでショ!」

「へ、へぇ。厳しい師匠……なのかな?」

「そうでもないよ。テキトーだけど。ほらほら、そんなことより。どう? どう? お兄さん、彼女さんにお一つプレゼント」

「そうだな」

「ひえっ?!」


 盛大に動揺するアルマとは反対に、レイは真剣な顔つきで台に視線を滑らせる。

 時を置かずに手を伸ばし、選び取ったのは、ピンク色がかった紫水晶の髪飾りだった。水晶は五枚の花びらの形にカットされていて、銀の台座に嵌め込まれている。花びらの形はシンプルで、細い星のようにも見える。


 レイはアルマに向き直ると、目元をすっかり隠している前髪の右端に指をかけた。そのまますっと左に流した瞬間、アルマの視界が開けてレイの顔がはっきりと目に映った。

 すっきりと通った精悍な目鼻立ち。遠い海を思わせる群青色の瞳は、その色の深さと同様、揺るぎない芯を持っている。見つめられると心を丸裸にされたみたいな気分になって、落ち着かなくなる。

 レイはアルマの前髪を髪留めで留めると、にかっと明朗に笑った。


「ほら。可愛い」


 その一言でアルマは、かちんこちんに固まってしまった。レイの声が脳内でリフレインされて、心臓が引き攣るような音を立てる。これは夢だろうか、現実だろうかとあわあわしている間に、レイと店主は「店主もそう思うだろ?」「うん! めっちゃ可愛い! めちゃくちゃ似合ってる!」「だよな」などと頷きあっていた。店主の方は商売込みのリップサービスな気もしないでもないが。

 ようやく我に返ったアルマが何か言おうと口を開くと、機先を制してレイが財布を開いた。


「これにしよう。いくらだ?」

「十五フラムだけど、お姉さん可愛いからおまけして十二フラムでいいよ」

「じゃ、これで」

「ぴったりだね。まいどありー! 包みはいらないね?」

「ああ。このままでいい」


 あれよあれよという間に商談は成立し、アルマは再びレイに引っ張られて歩き出した。前髪を分けたおかげで視界はクリアになり、市場の色彩がより鮮やかに感じられる。心なしか周囲の喧騒まで明るくなったような気がした。


 アルマはスースーする胸を片方の手で抑えながら、なるべく下を向いていた。周囲の視線が気になるからではなかった。もはやそんなことはどうでもよく、今はただ頬が照って仕方がない。自分でもびっくりする程、レイの言葉が胸中を埋め尽くしている。


(なんであんなこと、言うかなぁっ)


 怒りにも似た感情が沸き起こる。それが照れ隠しということくらい、アルマにはすぐ分かった。分かったけれども、この恥ずかしさはどうしようもなかった。


「アルマ!」

「!?」


 突然、背中にパシッという衝撃。

 またもや誰かにぶつかったのかと慄くアルマだったが、振り返ってこちらを覗き込むレイの笑みを見て、ぽかんと口を開ける。

 レイはアルマの背中をパシパシと何度か軽く叩いて――仲間を鼓舞するように――群青色の眼差しを眩しげに細めて言った。


「お前はもうちょっと胸を張って生きていい」

「…………」


 アルマは、ぐ、と奥歯を噛み締めた。胸の底から湧き上がる何かは、必死に蓋をして押し留めた。じゃないと、この場で溢れてしまいそうだった。

 短い言葉にどんな意味が込められているのかを考える余裕もなかった。彼の言葉そのものというよりも、アルマは、彼の瞳の中に深い優しさを見たのだった。



 * * *



 ロドリック市場に背を向けて、二人は本来の目的地へと歩きだした。

 四本の道が交差する広場に辿り着く頃には、市場の喧騒もすっかり聞こえなくなっていた。


 開放感ある広場の中央には、初代国王と天使のブロンズ像が建っている。その周囲は丸い花壇で囲われて、コスモスや鶏頭、孔雀草といった秋の花々が広場を彩っている。また、広場東の崖を守る擁壁付近では、何本もの金木犀がオレンジ色の小さな花をいっぱいに咲かせており、甘みのある香りが風に運ばれてアルマたちの下まで漂ってくる。


 アルマは初めて訪れる場所に、ひっそりと胸を弾ませた。王都で生まれ育った彼女だが、西側が主な生活圏で、東側にはほとんど来たことがない。あっても馬車で通り過ぎるだけで、自分の足で歩くことはなかった。

 西と東で町並みががらりと変わるわけではないが、物珍しさは抑えられなかった。


 景色に気を取られるアルマとは反対に、見慣れているレイは像や金木犀に注目することもなく、それらとは無関係の広場の一角を指差した。


「ほら、あそこに屋台あるだろ。オレのオススメ、トープファ編第三位。店主は別のとこで肉屋やってて、昼時だけここに屋台引っ張ってくるんだ。今日やってて良かった。やってなかったら、もう少し歩かせないと行けないところだった」

「……わー」


 レイが指差した方角を見て、アルマは思わず瞬きを忘れた。

 どぎついピンクとイエローで描かれた看板には、『グレイスの肉屋・出張店』とある。看板の端っこに小さく、ウサギなのかイタチなのかよく分からないキャラクターが薄茶色の生地のトープファを持って「おいしいよ!」と喋っているのだが、これがまたグロテスクというか、なんとも絶妙なホラー感を醸し出している。

 ちょっとどころかかなり初見の度肝を抜く外観だが、レイは気にならないようだ。同じく気にならないらしい客が、屋台の周りに数人並んで順番を待っている。これだけ客入りが良いのなら、味は確かに期待できるのだろう……たぶん。

 ちなみに、店主はガタイのいい強面のおじさんだった。


 二人分のトープファを購入した後は、再び誘われるままレイの後について歩く。彼はベンチのある花壇側とは別方向の、崖のある方角に向かっていた。

 そちらには休めそうなところは見当たらないが……?

 不思議がるアルマを振り返って、レイはにっと口の端を上げる。


「いい場所があるんだ。どうせなら落ち着いて食いたいだろ?」


 悪戯坊主のような笑みにドキリとしながら、アルマはこくこくと頷いた。先程の照れがまだ残っているせいで、ちょっとしたことでも大袈裟に反応してしまう。だというのにレイは平然としているものだから、天然とは怖いものだなとアルマは震え慄くのだった。


 金木犀の一団をさらに奥へ。そこには、金木犀と擁壁の影に隠れ、古い石造りの階段がまるでお地蔵のように鎮座していた。階段は九十九折になっていて、何度も折れ曲がりながらかなり上まで続いているようだ。ある地点から先は、死角になって完全に見えない。


「こんなところに階段が」

「すごいだろ。ここ登ると、貴族上街の西端に出るんだ。散歩してたら偶然見つけてな。誰も使ってないらしくって、今はじゃすっかりオレ専用の散歩道」

「ふあぁ……」


 階段の存在自体より、そんな見つけにくいものを見つけてしまったレイの行動に驚きだ。

 いったい何を考えてこんなところを歩いていたのか聞いてみたい気もしたが、予想がついたので止めた。「なんとなく」――それが気まぐれの騎士の常套句である。

 きっとレイは、こういう場所を見つけるのが得意なのだろう。誰も見ない場所とか、誰も行かない場所とか。金木犀に隠れた古の階段に比べたら、アパルトマンの中庭なんて秘密でもなんでもない。

 アルマはなんとなくドキドキしてきて、階段を登ってみたくて仕方がなくなった。


「レイ様、すごいですね」

「だろ?」

「はい! すごいです」

「へっへっへ」


 誰かが聞いたらたぶん馬鹿みたいと思うような会話を交わして、二人はにこにこと笑い合う。


 下から見て判っていたことだが、階段は結構な傾斜だったなので、最後の段を登りきる頃には、アルマは膝に手を置き、すっかり息が上がってしまった。


「大丈夫か?」

「は、はぃ……」


 レイの手を借りて体を起こす。

 土地が高いせいか、吹く風が下より冷たい。レイによるとここはもう貴族上街らしいが、周囲は雑木林になっていて、それらしい雰囲気は欠片もない。

 紅葉した木々の合間を丸っこい縁石を置いただけの歩道がのんびり走っている風景は、なかなか絵になっていた。

 周囲には人っ子一人いない。道が整備されている以上、誰かが通ることを想定しているのだとは思うが、それにしてはやけに寂しい場所だ。


(誰も使ってないって言ってたっけ)


 もしそうなら、この雑木林も人々から忘れ去られた景色なのかもしれない。

 風が荒み、秋色に木の葉が舞う中、レイと自分二人きり。

 寂しいような、どこか温かいような。感じたことのないような、しかし懐かしい気のする不思議な感覚に、胸の辺りがじんと痺れる心地がした。


 アルマはレイの、自分より大きな背中を見ながら歩いた。彼との間に会話はなく、顔も見えない。なのに、しっかりと繋がっている感じがする。こんな感じを安心感と呼ぶのだろう、とアルマはぼんやりと考える。

 なぜだか、母親の顔が脳裏に浮かんだ。前世の、優しかった頃の母だ。隣には父もいて、親子三人仲良く笑っている。そういう時期もあった。二度と届かない、過去の幻影だ。

 アルマはぼんやりとした三人の顔を、頭を振って払い除けた。


 やがて雑木林が途切れ、高く広がる大空が現れた。大きな筆でさっとひと塗りしたような青に、この時期特有のいわし雲がぽんぽんと泳いでいる。思わず飛び込んで行きたくなるような、気持ちのよい空。


 見えたのはそれだけではなかった。

 崖上にそびえる巨人のような影。

 苔むした、古い石の見張り塔が、この街の主のように真っ直ぐにそばだっていた。

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