毎日食べたい天使のお恵み②
『こんにちは、迷える仔羊さん』
今日も彼女は教会のベンチに腰掛けて、俺のことを待っていた。
潮風に吹かれて銀色の髪をふわりと浮かせながら、彼女は聖女のように優しくニコッと微笑む。
『今日も、貴方のお話を聞かせてくれませんか?』
俺は彼女の隣に腰掛けた。今日も真夏の太陽が照りつけているが、ここは木陰になっているし潮風も拭いているからか、いくらか心地良く感じられる。
この場所からは松楠海岸がよく見え、今日も海水浴を楽しむ人々が砂浜を埋め尽くしていたのだった。
一方で、俺達はそんな夏らしいアウトドアを楽しんでいたわけではないが、ただこの場所に二人でいられる時間が、真夏の太陽よりも輝いているようにも思えたのだ。
『そんなに俺の話が面白いかよ』
『はい。昨日の続きをお聞かせください。勇者様は魔王との大食い競争に敗北した後、一体どうなってしまったのですか?』
『そうだな、量じゃ勝てねぇと気づいた勇者は、今度は激辛料理で──』
俺は毎日のように、彼女に自分が作った物語を語っていた。
今思えば、それは教科書やノートに気まぐれで描いた落書きのような、子どもが考えたくだらない作り話だ。見切り発車で、物語の帰着点なんて一切考えずに、その時思いついたことを箇条書きのようにただただ羅列していくだけの稚拙な物語だった。
俺はただ、誰かの笑顔を見たかっただけなのだ。
この世の全ての物語がハッピーエンドではないことを、俺は知っていたはずなのに。
バッドエンドだと認めたくないぐらい、唐突な結末を迎えることも知っていたはずなのに。
一度終わってしまった物語に続きが来ることを、未だに待ち続けている……。
◇◇◇
どうして、疲れすぎると眠れなくなるのだろう。
体は休息を求めているはずなのに、何故か段々と休むことが苦手になってしまう。
それでも俺は、今日もいつもと変わらない日常を過ごそうと努めている。
「……むにゃむにゃ」
俺はいつものように朝のランニングを終えてシャワーを浴びていたのだが、リビングに戻ると長い黒髪の、長身の女性が寝巻き姿で寝ていたのだった。なんとも滑稽なポーズをとりながら。
「……もうのめないよぉ~」
なんとも滑稽な寝言を言いながら。
「……のこりはくれおぱとらにのませといて~」
……どんな夢を見てるんだ、コイツは。
こんな醜態を晒している人間、ぶっちゃけ関わりたくないぐらいだが、一応身内だし彼女にも仕事があるので、俺は携帯を取り出して彼女の耳元で音MADを大音量で流してやった。
「はぁっ!? なんだか帝◯平成大学に通いたくなってきた!?」
「いつまで寝ぼけてんだ。早く起きろ、姉貴」
彼女は俺の姉、才木琴子。
見た目こそスマートで美人な女性なのだが、どこかポンコツな部分もあるし家では途端にダメ人間になってしまう、中々裏表の激しい人だ。
朝は特に、自慢の黒髪もボサボサの寝癖で台無しである。
「姉貴は仕事だろ。昨日いつまで飲んでたんだよ、今日も仕事だってのに」
「いや、ちゃんと目覚まし通りに起きたんだけどね。ソファに吸い寄せられていつの間にか眠ってしまっていたの。このソファには悪魔が棲み着いているに違いないわ。今度祓魔師に祓ってもらいましょ」
「んな変なこと言ってる暇あったらさっさと支度しろよ。今日も早いんだろ」
「そうだった! 今日こそ和海にお弁当作ってあげようと思ってたのに!」
「あまり期待してないし良いよ。姉貴も忙しいだろ」
「いつもごめんね~」
俺はある程度時間に余裕を持たせているから朝からドタバタすることはないが、姉貴は仕事の支度をしながら物凄い勢いでサンドイッチを食し、一息つく暇もないまま家を出ていったのであった。
「ひとまず、俺も何か腹に入れていくか……」
ご飯こそ炊いてあるものの、朝から味噌汁やおかずを作る気力はないし、多分材料もない。
それに洗い物のことを考えるだけで気分が沈みそうだったので、俺はヨーグルトだけ食べてから俺は学校へ向かったのだった。
「おはよ、才木君」
「あぁ、おはよう」
やはりヨーグルトだけでは足りないのか、何となく空腹感を感じながら自分の席で考え事をしていると、小日向がやって来た。
いつもは天使ならではの不思議な世界観の話をしてくるのだが、今日は何故か何も言わず俺の方をチラチラと見てくるだけだった。
俺の様子でも伺っているのだろうか、何だか挙動不審に見える。
と、俺が不思議に思っていると彼女は口を開いた。
「ねぇ、才木君。ちょっと用事があるから来てくれない?」
「どうかしたのか?」
「宿題をやり過ぎちゃったから処分を手伝ってほしいの」
「やり過ぎたからといって処分することはないと思うが……」
それはあまりマイナスなことではないのではと不思議に思いつつ、人の頼みなら喜んで引き受けてしまう俺は、屋上に続く階段の踊り場へと連れて行かれた。
屋上への立ち入りは禁止だし、用がなければ誰も近づかないような場所なのだが、小日向は持ってきた鞄の中から黒猫が描かれた可愛らしい小包を取り出して、それを俺に差し出してきた。
「これ、いる?」
「え? 何だよそれ」
「開けてみて」
戸惑いつつも小包を開けると、包みと似たデザインの、黒猫が描かれた小さな弁当箱が姿を現した。
「お、おぉ……!」
そして蓋を開けると、中にはサンドイッチが詰め込まれていたのだった。
スクランブルエッグやハム、レタスやトマトなどカラフルな食材が挟まれたサンドイッチは、丁度小腹が空いていた俺には輝いて見えた。
「こ、これ、小日向が作ったのか?」
まさか小日向が俺のために用意してくれたのかと驚いて彼女の方を向いたが、小日向は小さく微笑みながら口を開いた。
「サンドイッチ売りの女の子から買ったの」
朝から何の話をしているんだ、この天使は。
「さ、サンドイッチ売りの女の子?」
「うん。街に雪が降り積もる凍えるような寒さの中、体を震わせながらサンドイッチを売っている女の子が可哀想だったから、全部買ってきたの」
「もう夏かってぐらいの暑さに近づいてるが……」
「梅雨前なのにジメジメした暑さの中、汗を流しながらサンドイッチを売っている女の子が可哀想だったから、全部買ってきたの」
「いや、訂正しなくてもいいから」
そんなマッチ売りの少女感覚でサンドイッチが売られていることあるのかよ。キッチンカーとかならともかく。
「じゃ、じゃあこのサンドイッチは、小日向が作ったってわけじゃないのか?」
「うん。誰が作ったのかはわからない。産地不明」
「で、でも小日向がせっかく買ったのに、それをいただいても良いのか?」
「学校に来る途中でお腹が空いたら食べようと思ってたんだけど、お昼まで持ちそうだからいいよ。だから食べて、才木君」
小日向の訳のわからない説明に困惑しつつも、俺はもう一度弁当箱の中に詰められたサンドイッチに目をやった。
小日向の話がどこまで本当かはわからないが、このサンドイッチは本当に小日向が作ったものではないのだろうか? 弁当箱や包みの黒猫柄を見るに、猫好きな小日向の私物っぽいのだが、それはただの偶然なのか?
なんか頑なにはぐらかされているような気もするが、本人がそういうことにしておきたいのならそうしておこう。
「じゃ、じゃあ、いただきます」
俺は小日向と一緒に踊り場に座って、パクッとサンドイッチを一口。
レタスはシャキシャキでトマトの水々しさも程よく、丁度良い辛さの辛子マヨネーズとハムが見事にマッチしている。
たまごサンドの方もふわふわで、作ってくれた人がとても丁寧に、丹精込めて作ってくれたのだろうという気持ちが伝わってくる逸品だ。
このサンドイッチを食べるだけで体中に活力がみなぎってくるようだったが、それはそれとして……。
「……な、なぁ、小日向?」
「ん、どうしたの?」
「そんなにジーッと見られると、食べづらいんだが」
俺がそう言っても小日向は俺から視線を外してくれない。小日向みたいな可愛い女の子から見つめられると恥ずかしいし、何だか小日向が作ってくれたものを食べているように錯覚してしまう。
「……これ、本当に小日向が作ってくれたやつじゃないんだよな?」
「うん。森の中にあるお菓子の家で貰ってきたの」
サンドイッチ売りの少女はどこに行った?
「お菓子の家だったならお菓子貰ってこいよ」
「あるいは王子様が変身した姿かも」
「カエルになるよりむごくないか……?」
そう言って小日向ははぐらかしてばかりだが、傍から見れば、小日向が作ってくれたサンドイッチを俺が食しているように見えるはずだ。
もしもこの光景が教室で繰り広げられていたなら、俺はクラスメイトから呪詛をかけられていたに違いない。
「ねぇ、美味しい?」
「あぁ、今まで食べてきたサンドイッチの中で一番美味い」
「ふふ、なら良かった」
すると、小日向は俺の隣で口元を手で覆いながら欠伸をしていた。
「眠いのか?」
「ううん、全然」
今、メチャクチャ欠伸してた気がするのだが、小日向は天使スマイルで誤魔化してくる。
……サンドイッチ売りの少女、自作自演説。
そうして俺は小日向に見つめられながら、きっとサンドイッチ売りの少女か、あるいは森の魔女が丹精込めて作ってくれたのであろうサンドイッチを完食したのだった。
なお、お弁当箱は小日向に回収された……。
◇◇◇
いつもならお腹が満たされると眠気が増大するような気がしていたのだが、今日は朝に美味しいサンドイッチを食べたから活力がみなぎっているようで、久々にウトウトすることなく午前中の授業を乗り切れた。
しかしお昼、そんな俺に再び試練が襲いかかるのであった……。




