目を覚ますと天使が降臨していた件②
「おっす、おはよう才木。今日も早いな」
朝、登校すると校門で友人の牧と出会った。きっと水泳部の朝練だろう。
そして俺と会うや否や、牧はいきなり大きな欠伸をかましてくる。牧は朝でも元気な奴だが、今日は眠いのかいつもよりテンションが低い。
「おう、おはよう牧。今日は眠そうだな」
「あぁ、昨日友達と夜中まで長電話しちゃってたんだよなぁ」
「野郎とそんな話し込むことなんてあるのか?」
「いや、女子だけど」
「え? お前彼女いたのか?」
「まさか。中学が一緒だっただけの女友達だよ。おもろい漫画の話をしてたら、盛り上がりすぎちゃったんだよな~。おかげでめっちゃ眠てぇ」
……そんな理由で寝不足になれるなんて良いなぁ、とちょっと羨ましがってしまう俺がいる。
「で、才木はまた誰かの手伝いか? 今日は誰の手伝いをするんだ?」
「図書室で本の整理だ。人手が欲しいらしくてな」
「図書委員でも文芸部でもないのに、お前はほんとお人好しだよなー」
俺が何かと誰かの手伝いをしているものだから、その噂を聞きつけてまた何かを頼まれてしまうため、俺は限られた時間で多くのタスクを処理すべく、日によっては朝から放課後まで大忙しなこともある。
「せっかくだし、小日向さんにもお手伝い頼んでみたらどうだ? あの天使様なら頼めば引き受けてくれそうだけど」
「どうだろうな。小日向は放課後すぐに帰ってるし、何か用事があるんじゃないか?」
「まぁまぁ、ものは試しで。二人きりで作業ってのも悪くないだろ?」
「お前は俺と小日向を何だと思ってるんだ。ただ席が隣なだけだ。それより、早く行かないと顧問にどやされるぞ」
「おっといけねぇいけねぇ。じゃあまた後でなー」
牧と別れて教室で支度をしてから、俺は大きな欠伸をしながら人気のない廊下を歩き、図書室へと向かった。
そして中に入ると、長い黒髪でメガネをかけた、いかにも文学少女然とした少女がカウンターに座っていた。
「あら、おはようカズ君」
俺に気づくと、彼女は小さく微笑んだ。この学校で俺のことをカズ君と気安く呼んでくる奴は、コイツしかいない。
「いい加減その呼び方やめろって言ってるだろ、北岡」
彼女の名は、北岡芽実。
彼女とは小学校からの縁で、いわゆる幼馴染というやつだ。小学校から高校まで続くとなると中々の腐れ縁である。しかも、一年の時は別クラスだったが今はクラスメイトになってしまった。
「別に良いでしょ、今更才木君だなんて呼びにくいし。カズ君も昔みたいに私のことをメグって呼んでくれても良いのよ?」
「でだ、北岡。仕事はなんだ?」
俺が無理矢理話をぶった切ると、メグは不満そうに眉間にシワを寄せながらも作業の内容を説明してくれた。
メグは文芸部所属ということもあり、文芸部で困ったことがあると彼女をパイプにして俺にヘルプが来ることが多い。どうも文芸部の活動に使いたい蔵書が数冊あって、その中で見つからない本があるから一緒に探してほしい、とのことだった。
「ていうか、お前一人だけなのか? 部長とか他の部員は?」
「皆、朝に弱いのよ。急なお願いだったからしょうがないけどね」
「図書委員とかにも声はかけなかったのか?」
「朝っぱらから早起きしてこんな面倒なことをやろうって物好きは中々いないわよ。大体、文芸部の活動で使うものだし」
「それ、自分で自分のことを物好きって言ってるようなものだが良いのか?」
「えぇ、勿論。これは私の小説のネタ集めの一環でもあるのよ。朝、まだ人気のない学校の図書室で年頃の男女が二人きり。ふと手と手が触れ合い、お互いの距離が縮まって……なんて、カズ君が相手だと考えると血反吐が出そうだわ」
「悪かったな、俺が相手で」
文芸部員であるメグも自らの世界を小説という媒体で表現しているが、常日頃からネタ集めのためにセンサーを張っているのは結構なことである。
俺とてメグをモデルにラブコメのような妄想を広げるのは苦行だが、だからってそんなに心底嫌そうな顔をされるとちょっと傷ついてしまう。
そして、一人で妄想を膨らませて盛り上がっているメグは置いといて、俺は本のリストを貰って早速作業に取り掛かろうとしたのだが──その時、図書室の扉がガララッと開く音が聞こえてきた。
朝っぱらから誰だろうと思って入口の方に目をやると、まだ半ば眠かった頭が一気に覚めてしまうほど驚かされたのだった。
「おはよ、才木君、メグ」
なぜなら、そこに立っていたのは小日向雪歩だったからだ。
「こ、小日向……!?」
「あら、雪歩じゃない。来てくれたのね」
「私も手伝いに来たよ」
小日向は俺とメグに向かって小さく笑うと、俺達の方へテクテクとやって来た。
思わぬ人物の登場に俺が戸惑う中、メグは小日向にニコッと微笑んで言う。
「ありがとう、雪歩。早起きが苦手なのにごめんなさいね」
「ううん、たまには早起きも大事だから」
「北岡、お前小日向にも手伝いを頼んでたのか?」
「えぇ、そうよ。人手は多いに越したことはないし」
メグは一年の時に小日向と同じクラスだったらしく、クラスメイトになった今は昼食を一緒に食べている姿もよく見かけるが、まさか小日向がやってくるとは思わなんだ。
小日向は文芸部でも図書委員でもないが、友人であるメグのためにやって来たのだろう。やはり天使と呼ばれている分、俺に負けず劣らず人助けが好きなのだろうか……なら何かの間違いで俺も天使と呼ばれる日も来るのではなかろうか。
すると、小日向の瞳が、まるで俺とメグを値踏みするかのように鋭く動いた──ような気がした。
だがそれは一瞬のことで、小日向はいつもの調子で俺をからかうように笑いながら言った。
「それに、二人きりだと色々危ないと思ったから」
と、この間の子猫の件の時と同じように、小日向はまた無邪気な悪魔のような笑みを浮かべながら、俺のことをからかってきたのだ。
流石に二回目だから動揺こそしなかったものの、一方的にからかわれるのも癪なので、俺は何か言い返そうとしたのだが──。
「……ハッ!? もしかしてカズ君、二人きりなのを良いことにあんなことやこんなことを!?」
俺の横で、メグがその豊かな想像力を働かせていたのだった。
「いや待て。お前は一体何を考えているんだ?」
「そ、それを私の口から言わせる気……?」
「何で俺が悪いことやってるみたいになってんだよ。本当に何を考えてやがるんだ……?」
「才木君はそういう性癖だから」
「やめろ、俺が何をしたって言うんだ。ほら、早く終わらせないと時間なくなるぞ」
結局、小日向が手伝ってくれたのもあって作業は朝のSHRまでには終わり、意外と早く切り上げることが出来たのだった。
「ふぁ~あ~」
図書室の鍵を職員室に返しに行くメグと別れ、俺は小日向と一緒に教室へと戻っている途中で大きな欠伸をしてしまう。このまま戻れば十分ぐらいは仮眠が取れるだろうか。
「ふぁ……」
俺がそんなことを考えていると、隣を歩いていた小日向も小さく欠伸をしていた。
俺のだらしない欠伸と比べると、その可愛さは天と地ほどの差だろう。そして俺はふと、メグが言っていたことを思い出す。
「そういえば、小日向ってあまり早起きが得意じゃないんだろ?」
「うん、朝は苦手だからね。小さい頃からずっと朝に嫌がらせされてるの」
「朝側はそんなつもりないと思うから許してやれよ」
確かに朝に弱い人にとって朝はかなりの悪者かもしれないが、別に朝も朝を迎えたくて迎えているわけではないと思う。勝手に明けていく夜が悪いんだ。
「才木君も眠そうだけど、それなのにどうして朝からメグの手伝いしてたの?」
「誰かに手伝いを頼まれたら、やっぱり助けたくなるからな。北岡は一応友達だし。小日向だってそうだろ?」
小日向も友人想いなのだろう。早起きが苦手なのにわざわざ早起きしてくるぐらいなのだから。
と、俺はそんなことぐらいしか考えていなかったのだが──小日向はいたずらっぽく笑いながら口を開いた。
「私は、才木君目当てだよ」
「……え?」
俺の心臓がバクッと跳ねる。
友達のメグではなく、俺がいたからわざわざ早起きして来たのか?
俺がいたから、つまり俺のために小日向は──。
「メグに振り回される才木君を見たくて」
と、小日向は見事にオチをつけやがったのだった。
まぁ、そんなところだろうと思っていた。この小日向という天使の皮を被った悪魔は俺の反応を見て面白がっているだけなのだ、そこに好意の一欠片もないのだろう。
「まぁ、ものの見事に俺は北岡に振り回されてたってわけだ。アイツは朝から元気だしな……」
「才木君はメグのこと、好きじゃないの?」
「バカ言わないでくれ。アイツ本人は恋したがってるのに全然恋人出来ないから、かなりこじらせてるんだぞ」
「じゃあ、才木君が恋人になってあげたら?」
「無理だな。あの残念シンデレラが追い求めてる王子様のイメージは、俺とはかけ離れてる」
本当かな、と小日向はクスクスと笑っていた。
俺とメグの付き合いはかれこれ十年ぐらいになるが、今更アイツに恋愛感情など湧きやしない。昔はまだ可愛げがあったはずなのに。
「でも、メグがあんな楽しそうに接する相手って、男子じゃ才木君ぐらいだと思うけど?」
「いや、付き合いが長いってだけだ。他の奴がいたらもっと大人しいし」
「それはどうかなー。あれはもしかしたら──」
と、俺へのからかい攻撃を止めようとしない小日向の体が、いきなりふらついて──。
「こ、小日向!」
俺は廊下に倒れそうになった小日向の腕を慌てて掴んだ。小日向の体はよろめきこそしたものの、なんとか倒れずに済んだようだ。
「あ、ありがと……」
さっきまで意気揚々と俺のことをからかっていた小日向だったが、急に倒れそうになったことに自分でも驚いているのか、俺から目線を逸らして気落ちしたようにうつむいてしまっていた。
もしかしたら、慣れない早起きで具合が優れないのかもしれない。
「大丈夫か? まだふらつくようなら保健室まで連れて行くが」
「ううん、ちょっと眠いだけだから大丈夫。それより、さ」
「何だ?」
「……手」
「手?」
小日向に言われて、俺は自分の手元を見る。
俺の手はしっかりと、小日向の細い腕を掴んでいたのだった。
「あっ、す、すまんっ」
不可抗力とはいえ女子の腕をいきなり掴むと驚かせてしまうだろう。
俺は慌てて手を離したが、そんな俺を見て調子を取り戻したらしい小日向は面白おかしそうにクスクスと笑っていた。
「そんな照れなくてもいいのに」
「いや、別に照れてるわけじゃないぞ。大丈夫か? ちょっと強めに掴んじゃったかもしれないが」
「ううん、大丈夫。ありがと、助けてくれて」
そうやって小日向に天使のような笑顔を向けられると、からかわれることなんてどうでも良くなってきてしまう。
この間の件といい、俺は小日向の手の平の上で踊らされてばっかりだな……。
「でも、ちょっと寝た方が良いと思うぞ。俺が起こしてやるから、SHRまで寝ときな」
「それを口実に、私の寝顔を見たいだけなんじゃ?」
「あぁそうか、わかった。じゃあ俺も寝る。起こしてやらないからな」
「ふふ。SHRまでには起こしてあげるから」
「助かる」
「明日の朝のSHRまでね」
「せめて放課後までには起こしてくれ」
そして教室に戻った俺はSHRまで仮眠をとろうとしたのだが、隣の席の小日向に見られていると思うと中々落ち着かず、結局一睡も出来なかったのであった。
そして、俺と睡魔との戦いは──いや、小日向雪歩という悪魔のような天使との戦いは、まだ始まったばかりだった。




