やっちまった……
やっちまった……。
やっちまったなぁ……。
どうしたものかなぁ……。
『──なぁ……俺と、付き合ってくれないか?』
どうして、俺はあんなことを言ってしまったのだろう。
自分の行いをどれだけ後悔したところで、もうその過去をなかったことには出来ない。
『──そ、それはっ、流石に、無理っ』
まさか、雪歩があんな反応をするだなんて、思いもしなかった。
いつものように、悪魔のように笑ってあしらわれると思っていたのに。
まさか、拒絶されてしまうだなんて……。
別に、雪歩に振られたことがショックだったわけではない。仮に俺が誠意を持って告白したところで、あの悪魔のような天使のお眼鏡に叶わないことはわかりきっている。
ただ、ここまで築いていた彼女との関係が壊れてしまうことが、とても恐ろしかったのだ……。
サク電の櫻ノ島駅を降りてからも、俺の足取りは今の心情を表しているかのように重たいものだった。
明日、雪歩にどんな風に詫びれば良いのだろう? 俺が詫びたところで許されるのだろうか?
どんな顔で、雪歩に会えば良いのか……全然わからない。
明日のことを考えるだけで心臓がはち切れてしまいそうだったが、俺がトボトボと歩いている中──。
「おぉ、和海じゃないか」
シラス丼ののぼり旗が掲げられている食堂の前で椅子に座っている、麦わら帽子にサングラス、そしてアロハシャツに白い半ズボンといういかにも松楠らしいファッションで、真っ黒に日焼けした肌に白い髭がよく目立つ爺さんに声をかけられた。
「げっ」
俺はその爺さんの姿を確認した途端、思わずそんな反応をしてしまう。
だが、彼は俺のそんな反応を気にすることなくガハハと笑っていた。
「奇遇じゃな。どうしたんじゃ、そんなに落ち込んで」
「いや……何でもないさ。爺さんこそ、どうしてここにいるんだよ」
「散歩のついでに、美味いシラス丼を食べていこうかと思っての。和海も一緒にどうじゃ?」
「いや……今はとても、そんな気分じゃないんだ」
この爺さんが散歩好きなのは知っているが、櫻ノ島辺りに出てくるのは珍しい。
それだけに驚きもあったが、こういう時にこの人と出会いたくはなかった。
「また、あの教会へ行くのかい?」
小高い丘の木々の上から少しだけ見える、教会の鐘楼を見ながら爺さんは言う。
その時、俺は底しれぬ恐怖を感じた。
観光地として全国的に有名な櫻ノ島にありながら、あまりにもボロすぎて名所にすらなりえない寂れた教会の存在を、よりにもよってどうしてこの人が知っているのか。
「……あの教会のことを知ってるのか?」
「儂がここらのことで知らぬことなどあると思っておるのか?」
「何か企んでいるのか?」
「ふぉっふぉっふぉ、何も企んででなどおらんよ」
何でもなさそうに爺さんは笑う。
本当に、この人が考えていることはわからない。
「それとも、和海にとっては価値があるものなのか?」
「別に、どうだって良いだろ」
「残念じゃのう、和海が楽しいと思えることを儂も楽しみたいものじゃが」
本当にそうなのだろうかと勘ぐってしまう俺は、中々に酷い奴かもしれない。
しかし、俺は未だにこの人を受け入れられずにいる。
「同様に、和海が何か悩んでいるのなら、儂は助けになりたいものじゃがの」
こうして手を差し伸べてくれても、助け舟を出してくれても、素直にその手を借りることが出来ない。
「して、和海よ」
「な、なんだよ」
「あまりレディを泣かせてはならぬぞ」
爺さんのその言葉に、思わず背筋がゾッとする。
どうして、この人が雪歩のことを知っているんだ。
「アンタ、アイツのことを知ってるのか!?」
「言ったじゃろう、和海。私がこのあたりのことで知らぬことなどあるものか。何があったかまでは知らぬが、物事には慎重さが大事じゃぞ」
そう言って爺さんはガハハと笑っていたが、やはりこの人は恐ろしい。
「若さというものは良いものじゃぞ。自分に行動力というものを与えてくれる。じゃがな、何を始めるにしても、一度冷静になって物事を見ることも肝心じゃ。あの奔放な琴子もな、何も考えなしというわけではないのじゃぞ」
「……あぁ、わかってるさ」
そして、食堂の中から若い女性の店員が姿を現して、爺さんのことを呼んだ。どうやら順番が回ってきたらしい。
「さて、儂は美味いシラス丼でもいただくとするかの。じゃあの、和海。儂はいつでも和海を歓迎しておるからな」
ガハハと笑いながら、爺さん……いや。
俺の今の父親、才木治雄は、食堂の中へと入っていったのだった。
爺さんと話して、少しだけ冷静になった自分がいた。
あの人は一体どこまでを知っていて、俺にあんなことを言ったのだろう?
悲しいことに、いや恐ろしいことに、あの人の忠告は俺の心に突き刺さった。
確かに俺は、慎重さを欠いていた。
『──なぁ……俺と、付き合ってくれないか?』
ただ雪歩に勝ちたい、一泡吹かせてみたい、そんな好奇心であんなことを言ってしまった。
若気の至り、なんて一言で済むことではない。
一体、どうすれば……。
「……あの、才木さん?」
小窓の向こうから、戸惑ったようなシスターの声が聞こえてきた。
「あの、そこにいらっしゃいますよね?」
「……あぁ」
いつもなら、懺悔室に入ったらまずシスターと雑談をしていたのだが、今日はそういう気分にもなれず、いきなり本題を切り出せもしなかった俺は、ただただ懺悔室の中で項垂れていたのだった。
「ど、どうされたのですか?」
「……やっちまったんだ」
「男は黙って?」
「そういうことじゃない……」
「こ、これは重症ですね……」
これまで何度もシスターに懺悔やお悩み相談をしてきたが、今日ばかりは本当の懺悔をしたい。
「俺、この前誕生日だったんだが……ある女の子から、誕プレに『何でもしてあげる券』を貰ったんだ。そんな物プレゼントされて正直困っていたんだが、俺はその子にいつもからかわれてたから、一泡吹かせてみたいと思って……調子に乗って、『俺と付き合えよ』なんて言ってしまって……その子に逃げられてしまったんだ……」
酷い黒歴史だ。いつかそれが過去のものになってその思い出を振り返り、笑い話に昇華出来たなら、どれだけ素晴らしいことか。
この出来事だけはきっと、俺の黒歴史として墓場まで持っていくことになるだろう……。
「なるほど……才木さんは、その方を驚かせたいがために、そんなことを言ってしまったのですね?」
「あぁ。いつものように冗談で軽くあしらわれるだけだと思ってたんだ。でも冷静になってみて考えれば、度が過ぎたからかいだったと思う……」
「そうですか……」
「煮るなり焼くなり、好きにしてくれ……」
今回ばかりは神様に赦されなくても仕方がない。どんな罰を受けても、この出来事をなかったことには出来ないだろうが、今はとにかく罰を受けたい気分だった。
しかし──。
「神は、貴方をお赦しになるでしょう」
……へ?
今まで全然赦されてこなかったのに、よりにもよって今回のことが赦されてしまうとは思わず、それにいつも愉快な雰囲気のシスターの声が、まるで本当に聖女かのように優しく聞こえて、俺は驚かされた。
「ゆ、赦すの?」
「はい。赦します。ノットギルティ」
「え、いや、あのさ。俺、女の子に逃げられちゃってるんだけど」
「落ち着いて考えてみてください、才木さん。ただ単にその子が急いでお花を摘みたかっただけと考えられませんか?」
「いや、流石にそれは無理って言われてんだけど!?」
いや、あの悪魔のことならそういうことを言いそうだなと少し思ったが、俺は明確に言葉で拒絶されてしまったのだ。
「確かに、才木さんのそれは度が過ぎたからかいだったかもしれません。しかし才木さん。よく考えてみてください。その方が逃げてしまったのは、才木さんのことを拒絶してしまったのではなく、ただ単に恥ずかしかったから、という可能性も考えられませんか?」
……あの雪歩が、恥ずかしくなって逃げた?
シスターにそう言われて、もしかしてそうだったのかも?と少しは納得できた。
確かに雪歩は顔を赤くしていたように見えたし、俺に寝顔を写真に撮られた時の雪歩の慌てぶりを見れば、恥ずかしさがオーバーヒートして逃げた、という可能性も考えられなくはない。
だが、それはあまりにも希望的観測が過ぎる。
「そうだと良いが……どちらにしろ、俺は謝りたいんだ。ただ、どう謝れば良いかわからなくてな」
今すぐ雪歩に謝りたいぐらいだが、俺は雪歩の連絡先を全く知らないのである。
メグに聞けば教えてくれそうではあるが、こういう時にLIMEの文面だけで謝罪を済ませるのも気が引ける。
明日まで待たないといけないのはもどかしい気分だが、やはり雪歩に直接会って謝りたかった。
「案ずることはありません。私は……才木さんの全てを知っているわけではなく、ここでの才木さんのことしか知りえませんが、私は貴方をとても誠実で善良な方だと信じておりますよ。そんな才木さんが誠意を持って謝罪すれば、その方も赦してくださるはずです」
「そうかなぁ……」
「ま、まだ元気が出ませんか? もう一押し必要ですか?」
「いや、良いさ。ありがとう、相談に乗ってくれて。明日、ちゃんと謝ってみるよ……」
「もし上手くいかなかったら、骨は拾ってあげますよ」
「俺の墓には、シロツメクサとクローバーを添えてくれ……」
今更ながら、懺悔室があってくれて、いやあのシスターがいてくれて、本当に良かったと思う。
明日、雪歩に謝ろう。
俺はそう心に誓いながら、『何でもしてあげる券』を強く握りしめたのであった。
あ、やべっ。くしゃくしゃになった。




