天使の寝顔、悪魔の所業①
『──今日は、どんなお話を聞かせてくれるんですか?』
今日も、彼女は教会の外のベンチに座って、銀色の髪を潮風になびかせながら、笑顔で俺のことを待っていた。
『……お前って、何だかシスターっぽいよな』
『そうですか? よく言われます』
『ちょっとうさんくさいけど。この教会のシスターなのか?』
『いえ、ちょっと遊びに来てるだけですよ。でもシスターというのも悪くないかもしれませんね。私、色んな方のお話を聞いてみたいので』
『それって楽しいのか?』
『えぇ、勿論。まるで自分の世界が広がるようではないですか──』
……あの子は誰だろう。
俺の遠い記憶の奥底で、俺の思い出の中で彼女は聖女のように微笑んでくれている。
今の彼女も、笑ってくれているのだろうか────。
◇◇◇
「──はっ!?」
目を覚ますと、俺は教会の懺悔室にいた。
どうやら、この狭っ苦しい懺悔室の椅子に座って俺はうたた寝していたらしい。
「おはようございます、才木さん」
「あ、あぁいたのか、シスター」
「はい。私とお話している途中にお眠りになったのですよ」
「そ、それはすまない……」
いつものように教会の懺悔室を訪れたは良いものの、俺はシスターと話している途中で眠ってしまったらしい。それはとんだ失礼を働いてしまった
「な、何の話してたっけ?」
「大陸法と英米法の違いについて、小一時間ほど」
そんな話をしてたから俺は眠くなったのかもしれない。一体何のきっかけで法律の話なんて聞かなきゃならんのだ。
「それより才木さん、寝言をおっしゃってましたよ」
「え、マジ?」
「はい。シスターがどうとかとおっしゃっていましたが、もしかして夢の中でも私と何か話していましたか?」
シスターにそう問われて、俺は夢の中のことを思い出そうとする。
『──今日は、どんなお話を聞かせてくれるんですか?』
……そういえば、あの子はシスターっぽい子だったな。
「なぁ、シスターって昔からここにいたのか?」
「いえ、つい最近ですが……それがどうかしましたか?」
「いや……この教会は俺にとって思い出の場所だからな。色んな人と出会ったし、色々とあったんだ」
もう十年も前のことだ。あの夏、この教会で毎日のように会っていたあの子が、まさかこのシスターなわけがないだろう……。
「それよりも、俺は今日も懺悔があるんだ。聞いてくれないか?」
「おっ、待ってましたよ」
「何だよ、そのテンションは。まぁ、その……わざわざ人に聞かせるような話でもないんだが、俺って教室の一番隅っこの席で、隣に女の子が座ってるんだ。結構有名な奴なんだがな」
「クラスのマドンナというわけですね?」
「今どきマドンナって呼ぶ奴はそういないだろ。大体アイドルとか高嶺の花とか……そいつの場合、天使って呼ばれてるけどな。そいつは最近、休み時間とかにたまに寝てるんだよ。多分仮眠とか取ってるんだろうけど……んで、机の上に突っ伏して寝てるんだけどな、何故か俺の方を向いて寝てるんだ。だから、その、そいつの方を見ると寝顔が見えるんだけどな……あまり見ちゃいけないのはわかってるんだが、ついつい見てしまうんだ」
俺も時たまうたた寝してしまうことはあるが、雪歩も最近は休み時間にたまに寝ていることがある。持参したタオルを枕代わりにして彼女は寝ているのだが、何故か俺の方に顔を向けて寝ているのだ。
いつもは悪魔のように俺をたぶらかしてくる雪歩だが、彼女の寝顔はさながら天使と言っても過言ではない、最早この世のものとは思えない程の幻想的な雰囲気を醸し出している。
おかげで俺は、クラスメイトからは天使の寝顔を独り占めしているといういわれのない中傷を受けているのである。
「なるほど……判定の基準とするため一応聞いておきますが、その隣の席の女の子は可愛いですか?」
「まぁ、皆そう言ってるし……」
「いえ、才木さんの主観で教えてください」
「いや、主観って言われてもなぁ」
「可愛いんですか? 可愛くないんですか?」
「ま、まぁ可愛いとは思ってるさ。思ってるから寝顔を直視できないんだよ」
別に可愛かろうが可愛くなかろうが、そもそも人の寝顔をジーッと見るような趣味はない。
それはそれとして、もしも俺がそんな愚行を働いたなら、俺はクラスメイト達から無実の罪で魔女裁判にかけられて火刑に処されるに決まっている。
「なるほど……よくわかりました。続きは署の方で詳しく聞かせていただきます」
「お前のどこにそんな権利があるんだよ」
「私、青春ラブコメ警察ですので。ラブコメの波動を感じたら風紀を正すために駆けつけて恋バナを聞かせていただきます」
「ただのガヤだろそれは」
「美味しいささみカツ丼をご馳走しますので」
「なんでちょっとだけヘルシーにしてるんだよ」
多分、隣の席に美少女がいるというだけで青春ラブコメ警察は黙っていないだろうが、取り調べの結果は──。
「神は貴方を赦さないでしょう」
青春ラブコメ警察は俺を赦してくれなかったようだ。
「今度はどんな罰なんだ?」
「次に寝たら、二度と夢の世界から抜け出せなくなってしまいます」
「怖すぎだろ。それはそれで、もう夢の世界を現実として受け止めてしまうんじゃないか?」
「それを明晰夢に出来たら無敵かもしれませんね。才木さんの思い通りの世界になるんですよ、あの子のあんなところやこんなところも見放題です」
「やめろ、変な想像させるんじゃない」
もしも雪歩が出てくる夢を見てしまったら、その内容にもよるが……学校で彼女と会った時に気まずくなってしまうかもしれない。どうか出てきてほしくないが、どうせなら夢の中でぐらいは現実と違うことをしてみたいという気持ちも無くはない。
いや、ダメだダメだ。そんなことでは本当に天罰を受けてしまう。
「では、せっかくですしその子の寝顔を写真に収めましょう」
「なんでそうなるんだよ!」
「名案だと思いますよ? その子の寝顔を写真に収めてしまえば、いつでも好きな時に寝顔を見ることが出来るのですから」
「確かに……って、なるかぁ!」
危ない危ない。シスターの説明にちょっと納得しかけていた自分がいた。
雪歩の写真を寝顔に収める、というのはとても魅力的な提案に思えたが、クラスメイト達に隠れて撮らないと殺されるだろうし、そもそも雪歩に断りを入れず寝顔を撮影するのは良くないだろう。それは盗撮である。
「ひとまず、才木さんはその美少女の寝顔を独り占めしたいのですよね?」
「違ぁう! 俺はその、気になってついつい見てしまう自分を戒めたいだけであってな」
「どうして美少女の寝顔を見てはいけないのですか? その方が無防備に寝顔を曝け出しているのなら、どれだけ見ても文句は言われないでしょう」
「し、しかしなぁ……」
確かに無防備と言ったら無防備なのかもしれない。たまに三門やメグが雪歩の顔をつつきに来ることもあるが、それでも起きないぐらい寝ていることだってある。
寝ている雪歩の頬をつつくなんて、俺には到底出来ない真似だが。
「それに、才木さんはその子の寝顔を見ていると恥ずかしくなってしまうぐらい、その子のことが気になっているということですよね?」
「そういうわけじゃない」
「素直にならないと神様がお怒りになりますよ?」
「ばっちこいだよ」
「素直じゃないお方ですね。いっそのこと本人に聞いてみてはいかがですか? そんなに寝顔を無防備に晒しても良いのかと」
「いや、普通聞くかよそんなこと」
「さりげなくで良いんです。君の寝顔、まるで天使みたいにキュートだねと言って口説いてみてください」
「そんなくっさいセリフ言えるか!」
俺がそんなこと言ったところで、雪歩にからかわれるに決まっている。ましてや、俺が雪歩の寝顔をチラチラ見ていることがバレてしまったら、あぁ考えるだけでも恐ろしい。
俺だけ一方的に弱みを握られるという状況は絶対に避けたい。かといって、雪歩の弱みを握りたいというわけでもないが……。
「寝ている女の子にイタズラなんてのはいかがでしょうか?」
「俺は絶対しないけどな」
「耳元で語りかけてみてください。『俺は君だけの王子様だよ』なんて……プククッ」
「そんな自分でも笑うようなセリフを俺に言わせるつもりかよ! こ、こうなったらそんな誘惑に負けないように精神を磨き上げるまでだ!」
「フラグにしか聞こえませんね」
「うるせー! 俺は絶対に負けないからな!」
「わかりました。では次に才木さんが来た時のために、ボンキュッボンなグラビアアイドルの写真を懺悔室に貼っておきますね」
「上等だ! じゃあな!」
と、何故か俺は喧嘩腰のまま帰ることとなってしまった。
結局大したアドバイスも貰えないまま、俺は自らの精神を鍛え上げるしかなくなったわけだが……身近に潜む悪魔の誘惑に、俺は耐えきることが出来るだろうか?




