天使の囁き、悪魔の微笑み③
櫻ノ島の恋咲の丘で鐘を鳴らした後、二人の一酸化炭素が一人の酸素を巡って頭脳戦を繰り広げる架空のラブコメを電車の中で雪歩から聞かされ、到着したのは藤咲駅前の大きな本屋だった。
「和海君は、本って知ってる?」
「現代を生きる文明人のはずなんだがなぁ、俺も」
そこは普通、好きな漫画は?とか聞くところだろうに。
雪歩はおかしそうにクスクスと笑いながら、文庫本の新刊コーナー前で足を止め、興味深そうに本の表紙やポップを観察していた、
「いや、和海君って電子書籍派なのかなと思って」
「そうでもないぞ。やっぱり本棚に並んでないと実感がないからな。まぁ家にあるのは大体姉貴が買い揃えたものだが」
「才木先生ってやっぱり読書家なの?」
「一応それが趣味って言ってるしな。小説とか漫画とか色々ある」
姉貴は幼い頃から本の虫だったらしく、国内外問わず色んな本を読破してきたらしいが、小説だけでなく漫画も結構買い揃えている。
色んな分野の本が揃っているありがたい環境を、俺も享受させてもらっているのである。
「雪歩はどういう本が好きなんだ?」
「文庫本」
「いや、そういう分類を知りたいわけじゃなくてだな」
「文庫本の小説とかラノベを買うことが多いかな」
「へぇ、雪歩がラノベを読むって結構意外だな」
「私だって異世界モノぐらいは知ってるよ。和海君って異世界転生しても大したスキル貰えなさそうだね」
「酷い話だな。お前は色んなスキルが貰えそうで羨ましい」
「職業は天使だね」
「ホント気に入ってるな、それ」
雪歩は俺をからかうように笑っていたが、確かにそうかもなぁと俺も思う。俺が異世界で無双するビジョンなんて全く見えやしない。一方で雪歩は異世界でも自由気ままにやっていそうで羨ましい。
「それより、何か買ってくのか?」
「うん。この前、メグにおすすめされた本があって……あ、これこれ」
ラノベの新刊コーナーに移動すると、雪歩は平台から一冊のラノベを手に取った。
タイトルは……『いのって守護天使!』か。昔、何だか似たようなタイトルのアニメを姉貴に見せられた記憶があるなぁ。
「どんな話なんだ?」
「主人公の冴えない男子高校生の前に、ある日突然可愛い守護天使の女の子が現れて、凶悪な心霊スポットに現れる怪物達と戦う話だよ」
ラブコメかと思ってたら、ホラー風味のあるバトルモノかよ。そりゃ天使という聖属性が必要なわけである。
「メグから、ヒロインの守護天使が私によく似てるって言われておすすめされたの。似てるでしょ?」
「あぁ、確かに銀髪だしな……」
「それに、グラマラスだからね」
ツッコミ待ちか?
「これをメグ……いや、北岡からおすすめされたのか?」
「うん。いつもメグから本を借りてばかりで悪いから、自分で買いに来たの。あ、そうだ。せっかくだしさ、この本にあやかって私達も心霊スポットに行ってみない? 原作再現になりそうだし」
「そんな聖地巡礼みたいなノリで行きたくないんだが」
「怖いの、苦手なの?」
「いや、そういうわけじゃない。大体、そういう心霊スポットに勝手に入ったら色々問題になったりするだろ」
「じゃあ学校なら大丈夫かな。七不思議とかもあるし。確か、真夜中の校庭をカー◯ル・サンダースが走ってるって話もあったよね」
「そんなの初耳なんだが……?」
色黒のカー◯ル・サンダースという異名を持つ先生のことを思い出して、思わず笑いそうになってしまう。俺にとっては呪いの言葉のようなものだ。
そして本屋で本を買った後、夏物の服を探したいからと今度はブティックへ。
……陳列されているレディースのトップスを見ながら、何だか本当にデートみたいだなぁ、なんて考えてしまう。
しかし、そんなことを意識してしまうと熱に浮かされておかしくなってしまいそうなので、頑張ってそんな気持ちを心の奥に封じ込んだ。
そして、俺がそんな苦悩と戦っている中、雪歩が俺に問いかける。
「ねぇ、私ってどういうのが似合うかな?」
何という難問だろうか。俺にそういうセンスを求めないで欲しい。
「まぁ……エレガントというか、シックな雰囲気のが似合うと思うぞ」
「じゃあ、こういうのかな」
そう言って雪歩が手に取ったのは、袖の部分がシースルーになっているブラウスのような白のトップスだ。
……そういうのって、何故シースルーにする必要があるのかと疑問に思ってしまうが、多分何かが違うのだろう。
「良いんじゃないか、色合いも合ってると思う」
「和海君にも似合いそうだね」
「お前の目は節穴か?」
「せっかくだから、ズボンの裾もシースルーにしてみない?」
「そんな奴、見たことあるか?」
「シースルーパンツってのもあるらしいよ。パンツの上に履くスケスケのやつ」
「……何のために履くんだ?」
「さぁ」
これだからファッションの世界はわからな。
一概にシースルーと言っても色んなデザインのものが陳列されていたが、雪歩は俺が選んだものが気に入ったらしく、そのまま試着室へと向かう。
「じゃあ、試着してくるね」
「あぁ、そこら辺で待ってる」
「絶対に中を覗いちゃダメだからね?」
「いや、覗かないからな」
「絶対にダメだからね?」
「念を押さなくていいから」
「もしかしたら、私が鶴になってるかもしれないよ?」
「やめろ、俺を誘惑するんじゃない」
雪歩はクスクスと笑いながら試着室の中へと入った。
彼女が本当に鶴に変身していたら逆に見てみたいぐらいだが、試着する時に鶴の姿に戻る必要はないだろ、羽根が邪魔になりそうだし。
だが、確かに雪歩が纏う幻想的な雰囲気は、そういう童話とかの世界に出てくるヒロインに似ているような気もするが……なんて考えていると、着替えを終えたらしい雪歩が試着室から現れ────。
「どうかな?」
先ほど選んだ、袖がシースルーになっているブラウスに着替えた雪歩が姿を現す。
ついさっきまで袖に隠れていた雪歩の素肌が、その細くて真っ白な腕が、シースルー越しとはいえ露わになり──その破壊力の強すぎる天使の姿にこんなにもドキドキしてしまうことに自分でも驚き、俺は首をグイッと曲げて雪歩から顔を背けた。
「まぁ、似合ってるんじゃないか」
「どうして顔を背けたの?」
「寝違えただけだ、たった今」
俺の苦し紛れの言い訳を聞いた雪歩は、ソソソと歩いて俺の視界に入ってこようとするが、俺はまた別の方向を向く。
「また寝違えたの?」
「あぁ。俺の脳は半分寝ることが出来るんだ」
「イルカみたいだね。でも、その睡眠のメカニズムで寝違えること出来るの?」
「日常を普通に生きているだけでぎっくり腰になることもあるんだから、そういうことがあってもおかしくないだろ」
人間の体って不思議なことがたくさんあるんだなぁ。そういうことにしておいてくれ。
そんな感じで、俺は雪歩の買い物に付き合っていたが。
傍から見れば、俺達はどんな風に映るのだろう?
友達?
兄弟姉妹?
あるいは……カップル?
「どうかしたの?」
ブティックを出ると、紙袋を持った雪歩は俺の方を見て不思議そうな面持ちで言う。
「いや、何でもない」
「何だか上の空だったよ。まるで女狐につままれてるみたいだったな」
「ただの狐で良いだろ、それは」
雪歩がどう思っているのかは知らないが、俺はただ彼女のお供、天使の護衛としてついてきているだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
こんな悪魔と……いや天使とデートだなんて、思い上がりが過ぎるだろう。
その後も雑貨店やファンシーショップなどに立ち寄り、買い物に付き合ってくれたお礼と小休憩も兼ねてということで、俺は雪歩とファミレスに行くこととなった。
「ありがとね、和海君。私のお出かけに付き合ってくれて」
「いや良いさ。俺も暇してたし」
「五郎左衛門もありがとう、私達のお出かけに憑いてきてくれて」
「え、何、誰? お前には何が視えてるんだ?」
「和海君の隣に座ってるよ、十刀流の武士が」
「何それ逆に見てみたいんだが。どうやって刀を十本も持ってるんだよ」
「両手に一本ずつ、口にも一本咥えてて、残りは体に刺さってる」
「それは十刀流ってカウントしないだろ」
どうやら雪歩視点では、俺の隣に落ち武者が座っているようだ。
一体どこではぐれ落ち武者を拾ってきてしまったのだろうか。早くどこかに行ってほしい。
「和海君って、ゴールデンウィークは何してたの?」
「桂岡とか藤咲とか、櫻ノ島の方を散歩してたな。後は勉強したり本読んだり、ゲームしたりして時間潰してた」
「私は、ここら辺の有名な心霊スポットを巡ってたよ」
「だから五郎左衛門が憑いてきてるんじゃないのか?」
確かに、雪歩が何かに対して怯えていたり怖がっている姿なんて全然想像つかないが……そういえば、と俺はゴールデンウィーク初日のことを思い出す。
『──私は椎田美紅です!』
俺のことをさも白馬の王子様のように崇めてくる変な後輩と出会ってしまったが、どうせまたからかわれるだけだろうし黙っておこうと、俺は考えていた──。
「そういえばさ」
「ん?」
雪歩はジュースを一口飲んだ後、両手でコップを掴んだまま天使のように笑って言う。
「私、この間ここら辺で和海君を見かけたんだ」
「……へ?」
俺はこのゴールデンウィーク期間中、毎日散歩に出かけていたが、俺が雪歩を見かけたのは初日の時ぐらいだ。
結局、あの時の俺は彼女に声をかけることは出来なかったが、もしかして向こうも俺のことに気づいていたのだろうか。
……あの日は確か、椎田と出会ったはず。
つまり……?
そして、恐るべき事態が──。
「和海君、可愛い女の子と一緒にいたよね?」
俺が椎田と一緒にいたところを、雪歩に見られていたのだ。
「あの子って、もしかして和海君の彼女?」
そしてやはり、雪歩はからかうように俺に笑ってみせるのだった。




