俺は子猫を可愛がっているだけなのに③
「可愛いね、この子達」
小日向は子猫達が住まう掘っ立て小屋の前までやって来ると、しゃがみ込んで子猫達を微笑ましそうに眺めながらそう呟いた。
これまでにないくらい小日向との距離が縮まり、風に乗ってふわりと香水の香りが漂ってきて、自分が子猫を可愛がっていたところを見られた恥ずかしさなんて吹き飛んでしまっていた。
彼女の笑顔はもとより、何よりも子猫達を眺めるその横顔があまりにも可愛らしくて、子猫達ではなく小日向の方に目が行ってしまう。
その雰囲気は確かに『天使』のようだが、先程見せた『悪魔』のような笑顔は、俺の気のせいだったのだろうか?
「ね、それ貸して」
「え? あ、あぁ」
小日向が急に俺の方を向いたのでびっくりしてしまったが、俺は戸惑いつつも猫じゃらしを彼女に手渡した。
そして小日向が猫じゃらしをゆらゆらと揺らすと、二匹の子猫は猫じゃらしに飛びつきそうな勢いで食いついていた。そんな子猫と戯れながら、小日向は楽しそうに笑う。
ただ子猫と戯れる少女の姿に俺が驚かされたのは、小日向が浮かべる笑顔が、まるで小さな子どものような無邪気な笑顔に見えたからだ。
普段の小日向も微笑んでいることこそ多いものの、物静かで落ち着いているイメージが強く、体格は小柄とはいえどこか大人びた印象さえ感じさせる。
しかし今の小日向を見ていると、『天使』という若干の畏怖も込められた異名が、実はただの等身大の彼女の可愛らしさを表しているだけなのかもしれないと感じさせられた。
「ね、触っても良いかな?」
「あぁ、構わないが」
小日向は俺に断りを入れた後、段ボール箱の中にいる子猫の片方を捕まえようとしたが、引き離そうとするともう一方が引っ付いてくるので、小日向はお互い大事そうに抱き合う二匹の子猫を抱きかかえていた。
「親はいないの?」
「あぁ、見かけてない。多分はぐれたんだろうな」
「そうなんだ……」
幼くして親とはぐれてしまった子猫達を見て小日向も思う所があったのか、ミャーミャーと鳴きながら甘えてくる子猫達を大事そうに抱きかかえていた。
そんな小日向の様子を見ていると、天使というよりか聖母だとか女神のようにも見えてくる……聖女を自称しているようなどこかの変人とは大違いだ。
「この子達に名前はあるの?」
「いや、まだつけてない。ちなみに性別はどっちもメスだ」
「姉妹なんだね。じゃあ……大石内蔵助と石川啄木ってのはどうかな?」
「俺はどっちもメスだと言ったはずだが?」
「じゃあ、与謝野晶子と日野富子は?」
「とりあえず歴史上の人物を連れてくるのはやめてくれ。もっと可愛らしい名前が良いだろ」
どうして子猫の名前を呼ぶ度に脳裏にチラチラと歴史上の人物の肖像画が思い浮かばないといけないんだ。
それにしても、これまで多少の交流はあったものの、普段は物静かな雰囲気の小日向がこんなに楽しそうに話している姿を俺は初めて見た。今までどこか人間離れした雰囲気を醸し出していた天使が、ただの年頃の、等身大の少女になったようだった。
俺がそんなことを考えていると、小日向はからかうような笑みを浮かべながら口を開く。
「じゃあ、才木君が考える『可愛らしい名前』ってどんなの?」
小日向にそんなことを聞かれて、恥ずかしさがこみ上げてきたと同時に、自ら墓穴を掘ってしまったことを後悔していた。
なんか……自分の趣味を晒してしまう感じがして恥ずかしい。しかし、この子猫達に名前が無いのも可哀想だと思い、俺も俺なりに考えてみた。
「まぁ、例えば……ユキとか、ハルとか、そんな感じか。そういう季節っぽさを感じる名前って、なんか可愛いなと俺は思う」
春夏秋冬もそうだし、雪とか雨とかの気象や自然を表す言葉が名前に入っていると個人的に風流を感じるのだ。自分の名前に海が入っているから、そういう思い入れがあるのかもしれない。
しかし、こういうことを説明するのは少し恥ずかしい気分だった。
「そうなんだ」
と、俺が恥ずかしさを堪えて絞り出した答えを小日向は興味なさそうに聞いていた──と思いきや。
二匹の子猫を腕の中に抱いたまま、小日向は俺にいたずらっぽく微笑みかけて言う。
「じゃあ、私の名前も可愛いって思ってるの?」
彼女の名は、小日向雪歩。
雪歩。
見事に『雪』という、冬っぽさを感じる漢字が入っている。
……俺はまたしても墓穴を掘ってしまったようだ。
「ど、どうだと思う?」
小日向に一方的にからかわれるのも癪だったので、俺も小日向をからかってやろうと思って答えをはぐらかしたのだが。
「私は良いと思うよ、才木君の名前」
と、小日向は動揺する素振りを一切見せずに、平然とそんなことを言ってのける。
……普段は何を考えているのかわからないが、まさか小日向がこうも人をからかってくるタイプだとは思いもしなかった。小日向みたいな可愛い女の子からからかわれると、何とも面映ゆい感じだ。
それは、俺がついさっき感じ取った『悪魔』たる小日向の一面なのかもしれない。
「お、俺の名前がそんなに良いか?」
「うん。才木ゴンザレス君」
「お前はずっと才木ゴンザレスと話しているつもりだったのか?」
「ジャクソン才木君だった?」
「和海な、和海。平和の和に海で和海」
俺がそう訂正してやると、小日向は愉快そうに笑っていた。
「わかった、和海君」
……改めてそう名前を呼ばれるとむず痒いのだが。
俺のそんな純粋で複雑な感情を読み取ったのか、小日向は続けて言う。
「ゴンザレス和海君」
「だからそのゴンザレスって奴から離れろ。俺の名字は才木だ、才木」
俺が呆れた様子でツッコんでいるのを見て楽しげに笑っているのを見るに、小日向はわかってて冗談を言っているのだろう。
それはそれとして、確かに雪歩って名前は俺も良いと思う。本人にはとても言えないが。
「で、だ。どうするんだ、この二匹の名前」
「私が決めていいの?」
「俺じゃあまり良い名前をつけられそうにないからな」
可愛い名前をつけたいという気持ちはあるが、やっぱり俺のセンスが出てしまうからちょっと恥ずかしいし、さっきの小日向の会話に引っ張られてマルティネスとかヘルナンデスとか、おおよそ可愛くはないと思われる名前をつけてしまいそうだ。
「じゃあ、せっかく春生まれっぽいし……つくしとたんぽぽ、ってのはどう?」
「お、良いなそれ。どっちがどっちだ?」
「お姉さんっぽい方がつくし」
つくしとたんぽぽ、か。
良い名前だと思う反面、名前をつけてしまうとますます愛着が湧いてしまいそうで悩んでしまう。
そして、一番の問題は。
この二匹の子猫……つくしとたんぽぽの今後についてだ。
「なぁ、小日向の家じゃ猫は飼えないんだろ?」
「うん。引き取ってあげたいけど」
「いや、無理を言ってすまない。ウチも飼えないし、俺の知り合いにも何人か声をかけたけど、やっぱり急にペットを買うのは難しいだろうからな」
俺の交友関係がもっと広ければ、と後悔してもしょうがない。
親を失い、姉妹で必死に生きてきた小さな命と、ちゃんと向き合わなければならない。
何か良い案はないかと考えていると、ふりふりと猫じゃらしを振りながら小日向が口を開いた。
「私の知り合いに猫を飼いたがってる子がいるから、頼んでみようか?」
「え、本当か?」
「うん」
これは何と幸運なことだろうと俺は喜んだが、一つ懸念点があった。
俺は小日向が振る猫じゃらしを追いかけるつくしとたんぽぽをチラッと見て言う。
「引き取ってくれる当てがあるならありがたいんだが……出来るなら、つくしとたんぽぽ、二匹一緒に引き取ってほしいんだ。離れ離れになると寂しいだろうからな……」
姉妹として互いに支え合いながら生きてきたつくしとたんぽぽを引き裂くのは、この二匹のためにならないと俺は思う。二匹一緒に、というのはわがままな頼みかもしれないが、俺は二匹一緒に幸せに生きてほしかったのだ。
「うん、わかった。頼んでみる」
「ありがとな、小日向」
──もしかしたら、意外な方が貴方に救いの手を差し伸べてくれるかもしれませんよ。
まさか、あんな変なシスターのアドバイスが現実になるとは思いもしなかった。
一応、あの自称聖女シスターにも感謝しないとな……。
「でも、何だか意外」
子猫を引き取ってくれそうな知り合いにLIMEで連絡を取っている途中で、小日向はクスクスと笑いながら言った。
「何がだ?」
「才木君が、猫を相手にあんなデレデレするなんて」
「え?」
「おらおらー、捕まえてみろ~って」
……。
……アアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!
そうか、見られていたのだ。他人に見られたくない、恥ずかしい場面を、ノーカットで。
何も言われなかったし忘れてくれてるのかなと思っていたのだが、まさかここで掘り返してくるとは。
小日向が俺をからかうように笑うので、俺は恥ずかしくなって顔が熱くなってきていた。
きっと皆は小日向を天使だと敬うのかもしれないが、今だけは悪魔のように思えた。
「べ、別に良いだろ。可愛い動物を愛でて何が悪い」
俺がそう開き直って、小日向からプイッと顔を背けてやった。
まさか小日向がこんなにも人のことをからかってくるタイプだとは思いもしなかった。普段物静かだからこそギャップも凄いが、普段からこうだと男子達の理性が持つか怪しいところである。
「才木君も猫派なんだね。意外」
「確かに猫派だが、単純に放っておけなかったんだよ。見て見ぬふりをしたら、そのことを一生後悔しそうだったからな……」
「優しいんだね」
「別に、言われるまでもない」
「ううん、凄いことだと思う」
こういう風に人から褒められると何だかむず痒い。しかも相手が天使こと小日向雪歩だから尚更だ。
それに、子猫の存在が小日向と喋るきっかけになったのだと思うと嬉しくもあったが──。
「──私、好きだよ」
それは、聞き間違いかと思った。
驚いて、俺は雪歩の方を見る。
「え? な、なんて?」
いきなり告白されたのかと思って俺が驚くと、小日向はクスッと微笑んで、つくしとたんぽぽの方に目をやった。
「猫のこと」
……いや、まぁそうだよな。
ここでいきなり告白イベントが起こるほど俺と小日向は親密な関係ではないし、小日向が俺に一目惚れしたわけでもないだろう。
しかし、そんな俺の心の声は小日向に見透かされているのか、彼女はとても愉快そうに笑っていた。
「何のことだと思った?」
「別に。何でもないだろ」
……皆から『天使』と呼ばれている少女、小日向雪歩。
しかし、俺は断言できる。彼女は天使の皮を被った悪魔だ。小悪魔雪歩だ。そうに違いない。
しかし、その小悪魔のような、それでいて天使のようにも思える彼女の無邪気な笑顔は、俺の頭から離れそうになかった。




