大型連休? 何それ美味しいの?③
「おんせーんおんせーんおーんせーんせ~ん」
ゴールデンウィーク初日。
我が愉快な姉貴である才木琴子は、朝っぱらから上機嫌にオリジナルの歌を歌いながら朝食を作っていた。
「さぁ、和海も一緒に!」
「俺にコールを求めるな」
「あ、和海は目玉焼きに火山灰だったっけ?」
「食い物をかけろ食い物を」
休日に姉貴が朝食を用意してくれるのは決して珍しいことではないが、姉貴がこんなに機嫌が良いのは、これから友達と一泊二日の温泉旅行に行く予定があるからだろう。仕事がある日の朝はあんなにだるそうにしているのに、休日になると元気になる人である。
そして朝食が完成し、姉貴はダイニングテーブルにベーコンエッグやトーストを並べていく。
「はい、これ和海の分ね」
「あぁ、ありがと。姉貴って結構料理上手いよな」
「何よ、そんな意外そうにして。私は高校卒業したらすぐに家を飛び出して一人暮らししてたんだから、これぐらい朝飯前よ。いや朝飯よ」
「わざわざ言い換えなくても良い」
「それに、私だって和海にご飯用意してもらってることも多いんだからお互い様よ。誰かがご飯を作ってくれる環境がどれほどありがたいものか、つくづく考えさせられるわ……」
俺も姉貴の分のご飯を用意することもあるが、大したものは作れない。ちゃんと料理するとしても休日ぐらいで、大体はお惣菜とかコンビニ弁当とか、テイクアウトした牛丼で賄われているのである。
誰かが身の回りの世話をしてくれる、という環境に対する憧れもなくはないが──。
「和海はどう? そういう環境に戻りたいと思ったことはない?」
トーストをかじりながら、姉貴は含みのある笑みを浮かべながらそう言った。
「ない」
俺は淡白にそう答えて、トーストをかじる。
それはきっとさぞかしありがたい環境なのだろうとは俺も思うが、それはあくまでそれ単体を評価した時の話である。
そんな俺の反応を見た姉貴はというと、かっかっかと高らかに笑っていた。
「私達って似たもの同士ね!」
「俺と姉貴を一緒にしないでくれ」
「お、どうしたどうした? あんなに可愛かった和海にもとうとう反抗期到来? よっしゃかかってこいや反抗期小僧!」
「何でそんな嬉しそうなんだよ」
姉貴は一応俺の姉ということになっているとはいえ歳は十も離れているし、一緒に住み始めたのも五年前ぐらいの話だ。
姉貴のこういう反応を見るに、姉貴は弟や妹を欲しがっていたのだろう。
「私、明日の夜まで帰ってこないけど、和海は寂しくない?」
「本当に反抗期になってやるぞ」
「おぉ怖いねぇ。今日もどっか行くの?」
「あぁ、ちょっとばかり散歩をな」
「散歩? 誰かの飼い犬の散歩の手伝い? それともおじいちゃんとかの連れ添い?」
「いや、そういう手伝いじゃなくて、ただの散歩だ」
「…………えぇ?」
俺が誰かの手伝いのためではなく、ただの散歩に出かけるというのが余程意外だったのか、姉貴は残り一口分ぐらいしかないトーストを持ったまま驚いているようだった。
「和海にしては珍しいわね。でも、たまにはそういうのも良いかもよ。和海は何にだって意味を求めすぎだから、そういう気楽な休日を過ごしてみなさい。貴重な時間をだらだらしながら過ごせるのって、凄く贅沢で、凄く幸せなことなんだから」
「そんなものか?」
「そんなものよ。タイパとか気にしはじめたら息苦しくなっちゃうし。たまには青空を分け隔てる一本の飛行機雲を眺めながら、『空から可愛いショタでも降ってこねぇかな……』って考えてみるのもチルいわよ」
「考えてることは全然チルくないだろ」
朝食を終えた後、俺は温泉旅行に出かける姉貴を見送り、散歩へと出かけるのであった。
せっかくだから地元の桂岡ではなく、サク電に乗って俺は隣町の藤咲へと向かった。
ゴールデンウィーク初日ということもあってか駅はかなり混み合っていたが、何よりも暑い、暑いのだ。五月からこんな暑さでは先が思いやられる。
せっかくの散歩だというのに俺は駅前の商業施設の中に避難し、大きな書店を散策しながら時間を潰していたのだが──。
「あ、あのっ」
文庫本コーナーをうろうろしていると、後ろから突然声をかけられた。
振り返ると、そこには亜麻色のボブヘアーの、小柄な少女が佇んでいた。
ゆったりとしたオレンジのカーディガンにブラウンのロングスカートというファッションの大人しそうな子だが、年下だろうか。
「さ、才木先輩ですよねっ」
「あ、あぁ、そうだが」
俺の名前を知っているということは、同じ桂岡高校の生徒か? あるいは中学の時の後輩?
自分の記憶を辿りながら、目の前にいる女の子が何者なのか思い出そうとしていると、女の子は俺に向かって急に頭を下げ──。
「こ、この間は助けていただいて、ありがとうございましたっ」
……。
…………ど、どれのことだ?
「あ、あぁ……」
俺は一応頷きこそしたものの、内心かなり焦っていた。
ヤバい。この子のことを全然思い出せそうにない。誰だこの子。
「え、えっと、君の名前は?」
「へ? あぁっ、私は椎田美紅です!」
……ヤバい。
名前を聞いても、全然誰か思い出せない。
「私、あの時才木先輩に助けていただいたことが本当に嬉しくて、だから先輩と同じ高校を目指そうと思って……!」
「あぁいや、そんなに気にしなくて良いから。ま、まずは頭を上げてくれ」
書店という静かな環境であるが故に、椎田という女の子もそんなに声が大きいわけではないがどうしても目立ってしまうのだ。
「あっ、た、確かにそうですね。な、ならせっかくですし、ゆっくりお話しませんかっ。ファミレスでもカフェでもどこでも、落ち着ける場所でっ」
「いや、だからそんなに気にしなくても……」
誰かから以前助けられたことを感謝されることは珍しいことではない。こういう時は、大抵気にしないでくれと断ってしまうのだが……。
『そりゃ、カズが薄情だからだろ』
昨日、牧に言われたことを思い出す。あの言葉が今も俺の心に深く突き刺さっている。
確かに、そういう感謝を伝える場を設けることで向こうの気持ちを晴れるかもしれない。
「……わかった。上の階にあるファミレスで良いか?」
「は、はいっ」
椎田という女の子は嬉しそうに返事をしてくれたが……俺がこの子を助けた時のことを全く思い出せていないから、もしかしたらこの子の恩人は俺ではない別人なのではないかという節さえ頭に浮かんでいたのだった。
◇◇◇
「あれは、去年の春……そう、丁度一年ほど前のことでした……」
ファミレスにて、俺の正面の席に座った椎田はオレンジジュースを一口飲んだ後、俺とのエピソードを語り始めた。
「私、桂岡駅のコンコースを歩いていた時に男性とぶつかってしまったんですけど、その男性にとても怒鳴られてしまって、怖くて泣いていた私を助けてくれた方が才木先輩だったんです。覚えてらっしゃいませんか?」
「あー……そんなこともあったな、確かに」
椎田の話を聞いて、俺はようやく思い出した。
いつものように放課後に教会に寄ってから帰宅する途中で、駅のコンコースで大人しそうな女の子が若い男とぶつかって、その男が女の子に向かってあーだこーだと怒鳴り散らしているのを俺は目撃したのだ。
女の子、椎田の方にも多少の不注意はあったかもしれないが、若い男の方が柱の陰からいきなり飛び出てきたようにも見えたし、まぁ……あまり人を見た目で決めつけたくないが、色々と面倒くさそうな雰囲気の相手だったし、見て見ぬふりは出来なかった。
ただ、俺はあくまで一時的に仲裁に入っただけで、あの男がデカい声で散々喚き散らしてくれたおかげですぐに駅員や駅前の交番から警察官もやって来たから、男の方もバツが悪そうにそそくさと退散したのである。俺もしれっと退散してたが。
そして、あの時の椎田は今と違って髪も長くてメガネもかけていたから、俺もすぐに思い出せなかったのだろう。
「私、あの時本当に怖かったんです……」
「まぁ、心中お察しする」
「でもあの時、見知らぬ方が……いえ、違いますね。絶体絶命のピンチに、白馬の王子様が颯爽と駆けつけてくれたのです……」
……ん?
「は、白馬の王子様?」
「はい。王子様の獅子をも殺す鋭い眼光に相手も敵わず……」
「獅子をも殺す眼光に耐えてる相手凄くね?」
な、何だか雲行きが怪しくなってきたぞ。
「王子様は名前も名乗らずに、『さようなら、小さなお姫様』とニコッと微笑んで帰られてしまったのです……」
「言ってない言ってない。絶対そんなこと言ってない。あと俺は王子様じゃない」
……これはあれか。
この子、メグと同じ類かもしれない。いや、自分が作り上げた妄想の世界を創作の世界に吐き出しているメグよりも、面倒なタイプかもしれない。
さっきまで大人しそうな子だなぁと思ってたのに、何か途中から目の色が変わってしまった。
それはまるで、恋に恋する純情な乙女……をも超えてしまった、白馬の王子様を追い求める狂ってしまった少女の目だった。
何故だかわらないが、さっきから冷や汗が止まらない気がする。こんな真っ直ぐに気持ちをぶつけられるのって、こんなにも恐ろしいことなのか。
「私は王子様を探し続けました。制服で桂岡高校の先輩だとはわかったので、私は進学校への推薦も蹴って桂岡高校に進学したんです」
「もっと自分の人生大事にしてくれ」
「そして、私はとうとう見つけました……白馬の王子様を! いえ、才木和海先輩を! 王子様と再会するだなんて夢のまた夢かと思っていましたが、こうして再会出来るだなんて、きっと運命に違いありません……!」
この子怖い。なんでこんなに目をキラキラと輝かせているんだ。その瞳に映ってる奴の顔をよく見てみろ、皆から怖いだの堅いだのと評判な無愛想な男だぞ。
俺はもっと薄情になるべきだった。ゴールデンウィーク明けに牧に会ったら絶交宣言してやろう。
「そ、そうか……あの時の君はメガネをかけていたから、俺は気づけなかったよ」
「あ、高校に入学する時にイメチェンしましたので。髪型も変えたのですが、に、似合ってますか……?」
「あぁ、そうだな。きっと王子様も振り向いてくれるだろうさ」
「そ、そうですか……!?」
あ、やべ。この子からしたら俺が王子様なんだった。あまりにも自分に王子様というフレーズがマッチしなさ過ぎて、半ば他人事みたいに聞いてしまっていた。
「でも、入学してすぐに気づいたんだったら、学校で声をかけてくれば良かったんじゃないか?」
「いえ、才木先輩はいつも忙しそうでしたので……」
確かに、休み時間や放課後は何かしら人助けしていることが多いし、用事が終わったらすぐに教会に行ってしまうから、話しかけるチャンスもなかったかもしれない。
「あの、才木先輩って何か部活には入られてないんですか?」
「いや帰宅部だが、文芸部に知り合いがいるからそっちに顔を出すことは多いな……」
「じゃ、じゃあ、私が文芸部に入れば、才木先輩と会える機会が増えるってことですか!?」
「ま、まぁ確率は上がるかもしれないが……」
「わかりました。休みが明けたらすぐに文芸部に入部します!」
おいメグ、お前の部活の部員を一人増やしてやったぞ。感謝しろよ、そして俺を助けてくれ。
その後、少し世間話を交わしてから椎田と別れて、俺は散歩を続けていた。
駅前の繁華街を避け、人気の少ない裏路地を散策してみる。何か個人経営の小さなカフェとか食堂とか面白そうなお店が並んでいるが、そういう所に一人で入る勇気が俺にはない。
刺激を求めて繁華街を歩こうにも、さっきみたいに俺のことを運命の相手だと勘違いしている子に出会ってしまいそうなので、人気の少ない通りを選んでいるのだが……こういうところも薄情なのだと言われてしまったら、たまったものではない。
前に牧に言われたことを反省して行動に移してみたのに、どうしてこうなったのだろう。恩義に感じてくれているのは嬉しいことではあるが、そんなに気にしてほしいことでもない。
しかし、王子様王子様と何度も呼ばれるとこんなにも恥ずかしいのか……なんて考えながら、散歩を終えて桂岡の方へ戻ろうとサク電の駅で電車を待っている時のこと。
多くの人が電車を待つホームにて一際目立つ容姿の、一人の少女の姿が目に入った。
銀色の髪に黒いリボン。エレガントな雰囲気を身に纏う少女──小日向雪歩。
彼女の姿が目に入った時、俺は反射的にホームの柱の陰に身を隠してしまった。
……自分でも驚くほど、私服姿の雪歩を直視できない。いつも学校で天使天使とちやほやされている悪魔が、本当に天使のようだと錯覚してしまう。
学校でなら話しかけられるのに、どうしてこういう時に話しかける勇気が出てこないのだろう。
これではまるで……と、俺がドギマギしている間にホームに電車がやって来て、雪歩はそのまま電車に乗り込んだ。
本当は同じ電車に乗らないといけないのだが、俺はその電車を見送り、一本先の電車へと乗ったのだった……。




