それでも俺は窓を割っていない③
俺には、同じ高校に通うメグこと北岡芽実の他にも、幼馴染と呼べる存在がいる。
「カズ、もっと笑いなよ。 君はいつも表情が堅いんだから、自分が思ってるよりも数十倍ぐらい笑わないと」
そう言って爽やかに微笑む男子の名は、霧ノ宮遼。
学業の成績は全国模試トップクラス、中学の時には陸上部に在籍し短距離走で全国大会で優勝、そして人間だけでなく野生動物から求愛を受けるレベルの甘いルックスを持つ、才色兼備なハイスペック化物である。
「こ、こうか?」
「ううん、全然ダメ。カズにとって笑顔ってそれぐらいのもの? 小さな子ども相手にそんな笑顔見せてごらんよ、生涯癒えることのないトラウマを植え付けることになるよ」
「その前にお前の発言が俺にトラウマを植え付けることになるぞ!」
さて。わざわざ休日に会ったというのに、どうしてこんなに爽やかスマイルを浮かべている毒舌な親友から酷いことを言われているのかというと──。
「そうだよ遼兄さん! せっかく来てくれてるのに、カズ兄さんにそんなこと言っちゃダメだよっ」
キャンバスに向かって絵筆を握るショートカットの少女は、霧ノ宮遼の妹、霧ノ宮桃だ。俺や遼の二つ年下の、中学二年生である。
桃は生まれながら病弱で今も入退院を繰り返す生活を送っており、彼女の誕生日プレゼントとして兄である遼が画材セットをプレゼントし、せっかくだからということで何故か俺が人物画のモデルを任されてしまったのである。
「桃……確かにそうだね。僕が悪かった」
「そうだよ遼兄さん。だって、般若の面を被って生まれてきてしまった人にそんなこと言ったって無茶だもん」
「なぁ桃、兄より酷いこと言ってないか?」
兄も兄なら妹も妹である。
「こうなったら仕方ないよ。遼兄さん、カズ兄さんの顔にテープを貼って無理矢理笑わせよう」
「いや、そこまでして俺が笑ってる所を描きたいか?」
「いっそのこと、後でAI使って無理矢理笑わせたら良いんじゃない?」
「あ、それ良いね」
「俺の尊厳はどこに行ってしまったんだ……?」
俺と遼は中学まで一緒で、高校からは別々になってしまったものの、こうしてたまに会ってはしょうもない言い合いをしている気の置けない間柄である。
そして、少し年が離れている桃とは学校で関わることは殆ど無かったものの、遼の付き合いで入院している桃の元に俺も頻繁にお見舞いに行っていたからか、何故か兄扱いされており……。
「ありがとね、カズ兄さん。モデルになってくれて」
「礼には及ばんさ」
「その姿勢、後一時間キープしてね」
「やっぱ礼に及びまくりだな、これ」
ゴールデンウィーク前の最後の休み。大きな病院の緑が生い茂る中庭で、こうして可愛い妹(のような存在)の願いを叶えるのも、もう一人の兄としての役目かもしれない。
「出来た!」
俺が遼に笑え笑えとガヤを入れられている中、真剣な表情で絵を描いていた桃がキャンバスを俺の方に向ける。
そこには、とても穏やかな表情で椅子に腰掛けている俺が映っていたのだが──。
「やっぱり表情が堅いね、カズは」
「原作を忠実に再現したよ」
どうやら俺と彼らでは見えている世界が違うようだ。
「別にそんな堅くないだろ。普通だ普通」
「カズ兄さん、早く眼科行った方が良いよ」
「いや、もしかしたら脳に異常があるのかもしれないね。カズって何かと体張ることが多いから、結構ダメージが入ってるんだと思うよ」
「お前ら、流石に泣くぞ。お前らに俺を泣き止ませることが出来るのか? おおん?」
「ふふっ、怖い脅しだね」
俺は俺なりに穏やかな雰囲気を纏っているつもりなのだが、知り合い全員に表情が堅いだの怖いだの言われるから、客観的に見れば間違いなくそうなのだろう。
きっと、俺が率先して誰かの手伝いだったり人助けをしていなかったら勝手に不良認定されていたに違いない。
「後でAIに笑顔にしてもらうから、カズ兄さんにはそっちを送るね」
「笑わせなくていいから、原本がほしい。遼のも描くのか?」
「うん、もう描いたよ」
「へ? 桃、いつの間に僕を描いてたんだい?」
「遼兄さんなんてマル書いてチョンぐらいで良いよ」
「せめてへのへのもへじぐらいは描いてくれないかなぁ」
この後はささやかながらも桃の誕生日パーティーが開催されるらしいが、生憎他にも用事があったため、俺は桃と別れたのであった。
そのまま病院内の売店で飲み物を買って近くのベンチで休んでいると、遼が一人で俺の元へとやって来て、そのまま隣に腰掛けてきた。
そして、この無駄に爽やかなイケメンは俺に悩殺スマイルを向けながら口を開いた。
「カズ、ありがとう。桃のために来てくれて」
「礼には及ばんさ」
「出た、カズの口癖。僕も言ってみたいよ」
「ありがとな、遼……いや待て。俺、お前に何か感謝するようなことあったっけ?」
「悲しいことに、確かに何もないかもね……」
こうして学校が別々になっても定期的に会える仲なのは嬉しいのだが、だからこそ起きてしまった問題もある。
「それに、改めて謝らせてほしいんだ。ごめん、カズ……僕の罪を君になすりつけてしまって」
そう、遼がウチの学校の窓ガラスを割ってしまい、その罪を俺が被ったことにより、俺が損をすることになってしまったのだ。
まぁ言うほど損ではなかったからあまり気にしていないが。
「そんなに気にするなよ。別にお前に悪意があったわけじゃないし、他校の生徒が絡んでるってなったら問題が厄介になるだろ?」
「じゃあ、今度はカズがウチの学校の窓ガラスを割ればチャラになるってことかな?」
「絶対チャラにならないと思うけどな」
あの日の流れはこうだ。
まず、俺は放課後に遼と会う約束をしていた。遼には日雇いのバイトが入っていたのだが、遼が俺から借りていた漫画を返してくれるとのことだったので、バイトが近場だったこともあり、遼にウチの学校近くまで来てもらったのだ。
そして、俺は近場まで遼と一緒に帰ろうとしていたのだが、学校沿いの小道を歩いていると道端に野球ボールが落ちていて、敷地と道路を隔てる網の向こうにいる野球部員に俺達は声をかけた。
そして、その野球部員にこっちに投げてくれと言われたので、ボールを拾った遼が思いっきり投げると、ボールはそのまま倉庫の方へ飛んでいき……という具合に、あれは事故だったのである。
「さぞかし、カズはこっぴどく叱られたんじゃない?」
「いや、驚かれただけだったぞ。日頃の行いのおかげかもな。一応罰としてプール掃除してたけどな」
「今度、またバイト代入ったら飯でも奢ってあげるから、楽しみにしてて」
「あぁ、良いもの食わせてくれ」
そして、桃の誕生日パーティーに参加するため入院病棟へ戻る遼と別れた俺は、桃が入院している病棟とは別の病棟へと向かった。
受付で看護師に要件を伝えると、そのまま彼がいる病室へと案内された。
「鶴崎さん、寝ちゃってますね」
物々しい器具やチューブを繋げられているわけでもなく、体中包帯が巻かれているわけというわけでもなく、病室のベッドでただただ呑気にいびきをかきながら寝ている白髪の老人を見て、若い看護師さんがクスッと笑う。
彼は、俺がいつも通っている教会の神父だ。もう八十代と高齢で体調を崩しており、現在はこの病院で療養している。
「やっぱり、あまり病状は芳しくないんですか?」
「いえ、お昼に参加したカラオケ大会で張り切りすぎて疲れちゃったんだと思います」
「あぁ、結構元気なんですね……」
神父は一年ぐらい前に教会で倒れてからずっと入院生活を送っているが、最近は元気にしているようだ。
「鶴崎さんったら、いつも才木君の話ばかりされるんですよ」
「え、俺の話を?」
「はい。まるで孫のことを話すような感じで、とても楽しそうにお話されるんです。もしかしたら、本当のお孫さんより話題に出てるかもしれませんよ」
俺がこの神父の爺さんと知り合って十年ぐらいは経つだろうか、それなりに長い付き合いになる。
そういえば神父の孫が大阪に住んでるって話を昔聞いたような気もするが、もしかしたら本当の孫より会っている回数は多いかもしれない。
まぁ、お孫さんと離れて暮らしていたらお盆や年末年始ぐらいしか会えないだろうし、仕方のないことだろう。
そういえば、神父のお孫さんとは会った記憶があるような、ないような……。
神父の元に顔を出してはみたものの、眠っている神父を起こすのも悪いため、手土産のお菓子だけ置いて俺は帰ることにした。
帰ると言っても、俺はいつものように教会の手入れに向かうわけだが──エレベーターで一階のフロアに降りた時、俺は意外な人物と出会うこととなった。
「あ、和海君」
腰ほどまで伸びた長い銀色の髪。その銀髪に映える黒いリボン。
エレガントな雰囲気を醸し出す白いブラウスに黒のプリーツスカートという装いの少女が目の前に現れ、俺はエレベーターを降りることを忘れるくらい彼女に見惚れてしまっていた。
そんな俺を見て彼女が小首を傾げた時、俺はようやくハッとした。
「ゆ、雪歩……!?」
そこに佇んでいたのは、紛れもなく小日向雪歩だった。
いつも制服姿の彼女しか見たことがなかったから驚きを隠せなかったが、エレベーターのドアが閉まりかけたため慌ててボタンを押してドアを開いて降りたのだった。
「ど、どうしてここにいるんだ? どこか具合が悪いのか?」
「うん。五月病」
「まだギリ四月だぞ」
この悪魔は休日でもこの調子らしいが、私服姿の雪歩の姿が目に入った時は、本当に天使でも現れたのかと思ったぜ……。
「和海君の方こそ、どうしてここに?」
「知り合いがここに入院してて、見舞いに来てたんだ。もしかして雪歩もか?」
「うん。私も知り合いが入院してるからお見舞いに来たの。下見も兼ねて」
「自分がいずれ入院すると想定して、病院を下見することなんてあるか……?」
雪歩が手に提げている紙袋の中には菓子折りでも入っているのだろう。彼女のご家族が入院しているのかと思ったが、それは早とちりだったようだ。小日向という人を見かけたこともないし。
「せっかくだし、和海君も一緒にお見舞いする?」
「いや、俺が同行したってしょうがないだろ」
「私、和海君の渾身の一発を見てみたい」
「そういう意味のお見舞いかよ! 生憎だが、ちょっと予定があったな。またの機会にしてくれ」
「うん。じゃあね、和海君」
「あぁ、じゃあな。雪歩」
そして、俺はエレベーターに乗り込んだ雪歩を見送ろうとした。
だが、閉まるドアの隙間から見えた雪歩の横顔は、あの天使のような雰囲気を纏っているわけでもなく、悪魔のような邪悪な笑みを浮かべているわけでもなく──今までに見たことのないくらい寂しげで、切なく感じられた。
教会へ向かう途中、電車に揺られながら俺は考える。
俺は幼馴染の妹とお世話になった神父のお見舞いに病院を訪れたわけだが、雪歩がお見舞いに訪れた人物は、彼女とどういう間柄なのだろう?
雪歩にとってどういう人物なのだろう?
一体何が、雪歩にあんな表情をさせたのだろう?
雪歩が何か困っているなら助けになりたいが、それはお節介を焼きすぎか……。




