それでも俺は窓を割っていない②
「お前ら、準備は良いかー!」
プールの飛び込み台の上に立つジャージ姿の牧がブラシを片手に号令をかけると、プールに集まった水泳部の面々が「うおおおおおおおおっ!」と威勢良く叫ぶ。
皆思い思いにブラシを刀や旗みたいに掲げ、まるで三国志とかで見る出陣の直前のような盛り上がりだが、なんて暑苦しい連中なのだろう。
「ゴールデンウィークが明けたら、我ら水泳部の出陣の時である!」
「待ってました!」
「やっと泳げるぜぇ!」
「敵は本能寺にあり!」
何か一人だけ本当に出陣しようとしてる奴がいる気がする。
「そして、今日は頼もしい助っ人が来ているぞ!」
「す、助っ人だってぇ!?」
「まさかランディ・メッセ◯ジャーか!?」
「マット・マ◯トンかもしれないぞ!」
「あるいはクレイグ・ブ◯ゼル……?」
やばい、まさかここはゴンザレス才木とでも名乗らないといけない流れか? なんで水泳部の連中のくせして助っ人から連想するのが野球の助っ人外国人なんだよ。
そして牧に促されて俺が隣のコースのジャンプ台の上へと上がると、牧はさらにテンションを上げて言う。
「本日の助っ人は……部室棟の窓を粉々に破壊した破壊神、才木和海だぁっ!」
「何だ、その紹介は」
「いよっ、破壊神!」
「誰が破壊神だ!」
「バ◯スの再来だー!」
「俺に呪いをかけるな!」
牧も大概そうだが、なんで水泳部の連中は男女問わずこんなに暑苦しい奴らばかりなんだ。
大体、どうして部長でもない牧が水泳部を仕切ってるんだか。いや、どんな運動部にはこういうムードメーカーが結構いるものか。
とまぁ、部室棟の窓ガラスを割ってしまった(ことになっている)俺は、罰として放課後に水泳部の手伝いとしてプール掃除に参加することになったのだ。
先生曰く、本当は学校の敷地内の草むしりをさせようとしていたらしいが、普段から俺が草をむしり過ぎてむしるものがなくなってしまったため、こんな仕事が俺に回ってきたらしい。
ぶっちゃけ掃除は好きだから罰という程でもないが、期待されているみたいだし頑張ろう、この桂岡高校が誇る破壊神として。
そしていよいよ掃除が始まるかと思いきや、牧はマイクスタンドに見立てたブラシを離さずに喋り続ける。
「そして……今日はもう一人助っ人が来てくれているぞ!」
「な、なんだってー!?」
「まさか、ピアース・ジョ◯ソン!?」
「マルコス・マ◯オか!?」
「いや、ロベルト・ス◯レスかもしれないぞ!」
いやお前ら野球部入れよ。
俺はどうせまた牧のおふざけだろうと思って半ば聞き流していたが、背後から出てきた一人の少女の存在に気がついて、俺は言葉を失った。
「もう一人の助っ人は、なんとこの学校の天使である小日向雪歩だぁっ! って、なんで!?」
「お前も知らないのかよ!」
俺の背後からひょこっと現れたのは、ジャージ姿で手にブラシを掴んだ雪歩だった。
雪歩までプール掃除の手伝いに来るなんて話は聞いていなかったため俺も驚いていたが、一体どうして雪歩がここに? 雪歩は水泳部員でもないし、水泳部に仲の良い友人でもいるのだろうか……?
そんな疑問を抱きつつ雪歩に目をやっても、彼女は小首を傾げているだけだった。
一方で、学校のプールに天使が降臨するという奇跡を目の当たりにした水泳部員達は、男女問わず熱狂していたのだった。
「女神の降臨だー!」
「これを桂岡の奇跡と呼ぼう!」
「きっとバチカンも奇跡認定するに違いない!」
この熱狂ぶりを見ていると、改めて雪歩の人気の高さに驚かされる。もう怖いぐらいだ。
そして、牧のマイクパフォーマンスもどきも終わったところで、俺は雪歩に話しかけた。
「な、なぁ雪歩。どうしてここにいるんだ?」
「今日ね、神託を受けたの」
「これはあまり関わらない方が良い感じか?」
「アメリカの景気は低迷するから、GAFAの株は全部売れって……」
「それは神託じゃなくて投資信託の話だろ」
雪歩はニコニコと微笑んでいるだけで、ここに来た理由はやはりはぐらかされてしまう。
彼女と結構関わるようになった今でも、やはり彼女が何を考えているのかわからない。まさか、わざわざ俺をからかいに来たというわけでもあるまい。
「それより聞いたよ、和海君。尾◯紀世彦に憧れたんだって?」
「俺は尾◯豊に憧れているわけでもないし、それは尾崎違いだ」
「ジャンボ尾◯?」
「そっちの尾崎でもない」
「憲政の神様?」
「それは尾◯行雄だろ」
「金色夜叉を書いた人ね」
「それは尾◯紅葉な」
「クリー◯ハイプのボーカルの人?」
「それは尾◯世界観……って、どんだけ尾崎の引き出しがあるんだよ!」
大体、あの伝説の歌手に憧れて窓ガラスを割ったりバイクを盗んだりする奴なんてそういないだろう。それにあやかってそんな悪事を働くのはファンの風上にも置けない。
「それにしても意外だね、和海君が窓ガラス割っちゃうなんて。何か嫌なことでもあったの?」
「いや、ただの俺の不注意だ」
「誰かのことを庇ってるわけでもなくて?」
「わ、わざわざそんなことするわけないだろ」
急に雪歩に図星を突かれて俺は動揺しかけたが、何でも無いように振る舞ってみせる。
俺が友人のことを庇ったなんて誰にも知られていないはずなのに、まさか雪歩が現場を見ていたわけじゃあるまい。
「おーい、カズ! ユキポンとイチャイチャしてないでお前もさっさと磨けー!」
「別にイチャイチャしとらんわ!」
一応俺は罰を受けている身であるため、誠心誠意プール掃除に励むのであった。
ウチの高校は何かのスポーツが特段優れているわけでもない、何の変哲もない普通の公立高校だから水泳部の部員もそんなに多いわけではないが、お調子者の牧が皆に発破をかけるからか、掃除は順調に進んでいった。
そしてプール掃除といえば、ただ磨くだけではなく、汚れを洗い流す必要もあるため──。
「汚物は消毒だー!」
「女子供だろうが容赦しねぇぜー!」
「おらぁ汚れた体でプールに入るんじゃねぇー!」
「こっちにホースを向けるな!」
「ヒャッハー! ここは戦場だぜぇー!」
「誰だ水鉄砲を持ち込んだ奴は!}
高校生にホースと水鉄砲を持たせてはいけない。
さっきまでゴシゴシとプールを磨いて割と真面目に作業していたのに、急にホースと水鉄砲で武装した連中が暴れ出してしまうからだ。
まぁ、これもプール掃除の醍醐味なのかもしれないが……ただ一人、こんな低俗な遊びを高みから見物している人間がいた。
「よっしゃぁ全て洗い流せ──ぶふぉぉばっ!?」
「ど、どうしたんだマッキー!?」
「どこからか奇襲が──って、あれは我らが桂岡の天使、小日向雪歩!?」
さっきまで俺達と一緒にプールの底をブラシで磨いていた雪歩はいつの間にかプールサイドに上がって、そしてホースを持って牧達を狙い撃ちしていたのであった。
すんげぇ悪魔、いや魔王みたいな笑みを浮かべながら……。
「くそっ、女神の前では俺達でさえも汚物同然ということか!」
「何を言ってるんだお前は」
「しかし、着替えを持ってきた俺達は無敵だ! 者共、あの天使を恐れることはない! 進め進めー!」
「ぶふぉわぁー!?」
まだ四月だというのに、なんて暑苦しい連中だろう。一時の間はプールに近づきたくない。
そして、あの騒がしい連中とは違って着替えを持ってきていない俺は、大人しくプールサイドに上がって雪歩の元へと向かった。
「楽しそうだな」
「うん、この世にこれ以上の娯楽はないだろうね。和海君も混ざってきたら?」
「俺に水をかけたいだけだろ。俺はこの間風邪引いたばかりだし、ぶり返すのは御免だ」
「病み上がりなのに、こんな重労働しても平気なの?」
「まぁ、体力はそれなりにあるからな。これぐらいなら平気だ」
と、雪歩は俺と話している最中も、牧達に向かって容赦なく水をかけ続ける。連中は水鉄砲も使って撃ち合いをしているが、流石に天使を撃つ気にはなれないようだ。
「せっかくだし、雪歩もあいつらに混ざってきたらどうだ? こういうのも中々楽しいと思うぞ」
「私、水着も着替えも持ってきてないから」
「まぁ、だろうな……」
「それとも、和海君は私に水をかけてみたい?」
「俺にそういう趣味はない」
「色々透けて見えるかもしれないよ?」
そう言って、雪歩は笑いながら俺の方へ一歩近づいた。
「な、何がだよ」
「何がだろうね」
「や、やめろ、変な想像させるな!」
「ふふっ、どんな想像しちゃったのかな」
雪歩は愉快そうにクスクスと笑う。天使だの女神だの、やたら可愛らしいファンシーな異名を持つ彼女だが、俺にとってはやはり悪魔や邪神のような存在である。
またいつものように雪歩にからかわれた俺はしてやられたと恥ずかしくなっていたが、ふと雪歩の足元に目をやると──彼女の足がプルプルと震えていることに気がついた。
「なぁ、雪歩。寒いのか?」
「へ? ううん、全然」
「でも、足が震えてるぞ」
「気のせいだよ。気のせい気のせい。木の精って言えば何が思い浮かぶ? 私はキジムナー」
……いつも余裕そうな雰囲気の雪歩が、何だか慌てて話を逸らしたように思えた。
寒くないのなら、どうして雪歩は足を震わせているのだろう? 寒くないなら、もしかして何か怖がってるとか……プールを?
もしかして、雪歩は──。
「……なぁ、雪歩。もしかして、プールが怖いのか?」
「なになになになになになになになになになになになにが?」
「どんなどもり方してるんだよ。もしかして泳げないのか?」
「ぜんんんんんんんんんんんんんぜんそんなことないよ?」
「どうやって発音してんだ、それ」
……何だろう、物凄く面白い。とても愉快な気分だ。
雪歩が動揺している姿を、俺は初めて目にしたかもしれない。彼女はニコニコと微笑んでポーカーフェイスを貫いているつもりのようだが、かなり動揺しているぞこれは。
「いや、別に泳げないことを恥ずかしがる必要はないと思うが……」
「じゃ、じゃあかzzzzzzzzzzzzzz…………zzzzzzずみ君は泳げるの?」
「途中で寝てただろお前。まぁ、それなりに泳げるが」
「じゃあ、プールサイドに立つのも平気?」
「そりゃ滑ることもあるから気をつけることはあるが、そんな怖がるようなところじゃないだろ……」
今も水泳部の連中がプールで騒いでいる中で、着替えがないから水に濡れないように上がったのかと思ったが、雪歩は単純に泳げないから水辺が怖いのかもしれない。
思えば、雪歩は走るスピードもかなり遅いし、運動神経はあまり……って感じなのだろう。
意外な弱点を見つけたが、だからといってからかえるような弱点ではないしな……。
「泳げないのに、どうして水泳部の手伝いをしようとしたんだ?」
俺がそう問うと、雪歩はホースと繋がる蛇口を止めてから、俺に小さく微笑みながら言う。
「和海君がいるから」
「……は?」
なんて、天使の笑顔とセリフに惑わされ──。
「冗談だよ。えいっ」
「ぶふぁっ!?」
水を止めたはずなのに、雪歩が持っているホースの先から俺の顔面に向かってブシャッと冷水がかかった。どうやら、ホースの中にまだ水が残っていたらしい。
それほどビショビショにはならなかったものの、イタズラが成功した子どものようにケラケラと笑う雪歩の姿を見ていると、今は恥ずかしさよりも悔しさの方が勝ってしまう。
「……やりやがったな」
「悔しかったら、私をプールに落としてみてよ。大量のお札で埋め尽くされたプールに」
と、こんな風に俺は雪歩にしてやられてばかりである。
だが、雪歩の存在が俺の何気ない日常に彩りを与えてくれているのは事実。
悔しいことに、この小悪魔といる日常が、俺にとっては楽しくてしょうがないのだ……。




