私はここにいますよ【Side:雪歩】
「──そして、大魔王太鼓饅頭を倒した大判焼達は日本各地で英雄と呼ばれ、彼らにちなんだお饅頭が作られるようになりましたとさ。めでたしめでたし」
物語が幕を閉じた頃には、和海君はすぅすぅと寝息を立てて眠っていた。
いつも険しい表情をしがちな彼も、今は穏やかな表情をしている。何故だか、教室でうたた寝している時よりも寝心地が良さそう。ベッドで寝てるからなのかな。
「厳島神社に置いてけぼりにされちゃった二重焼はどうなったんだろうね……」
美味しそうなお饅頭の話をしていたからか、例のお饅頭を食べたい気分になってきちゃった。ここら辺のスーパーで『今川焼』という名前で御座候っぽいお饅頭が売られている光景は、未だに見慣れない。
和海君が目を覚ます前に私が姿を消して、代わりに椅子の上にお饅頭を置いていたら驚くかな。寝ぼけた和海君なら、『雪歩が大判焼になっただと!?』って驚きそう。
せっかくだから和海君と一緒にお饅頭を食べたい気持ちもあるけれど……それをきっかけに、和海君が昔のことを思い出してしまわないか、心配でもある。
和海君は、本当に覚えていないだけ?
それとも、過去の記憶と今の状況がリンクしないだけ?
覚えていないなら残念だけど、私のことがわからないのなら、それは好都合である。
私の存在感なんて、それぐらいでしかなかったし……。
「……和海君は昔から変わってないんだよね、多分」
眠っている和海君に、私は囁く。
今は、彼の耳に私の声が届かないと祈って……。
「私、和海君のことが嫌い」
頑張りすぎちゃうから。
「和海君のことが怖い……」
私はまだ、和海君のことを殆ど知らない。
最近は少しずつ和海君のことがわかるようになってきたつもりだけど、知れば知るほど、やっぱり怖くなってくる。
ただ……私には、この人を幸せにしなければならないという、使命がある。
「母さん……」
突然、眠っていた和海君が言葉を発した。私は思わずビクッと体を震わせてしまったけれど、どうやら寝言みたい。
和海君の表情を見るにうなされているわけではなさそうだけど、どんな夢を見ていたのだろう?
……母さん、か。
『────どうして、貴方が生きているの!?』
嫌な言葉だね。
「そいつのこと、好きなの?」
「ひゃっ!?」
後ろから突然声をかけられて、私は驚いて振り向いた。
すると、和海君のお姉さんである才木先生がニコニコと微笑みながら佇んでいたのだった。
「さ、才木先生。いつの間に」
「いや、私もちゃんと保健室のドアをノックしたよ? でも全然返事がないから入ってみたら、小日向ちゃんが寝てる和海をじ~って見つめてたからさ。邪魔したくないから一時眺めてたんだけど、いつまでも待っとくわけにはいかなかったしね」
……全然気づかなかった。私が寝ている和海君に向かってひたすらお饅頭の話をしていたのは、見られていないみたい。
「でさ、小日向ちゃんって和海のこと好きなの?」
私は大げさにブンブンと首を横に振った。
「ま、そういうことにしといてあげる」
私の気持ちがわかっているのかわかっていないのか、才木先生はそう言って人懐っこい笑顔で近寄ってくると、隣のベッドに腰掛けた。
「和海君のこと、迎えに来たんですか?」
「まぁ、ちょっと様子を見に来ただけよ。送って帰ろうと思ったんだけどね」
「和海君が起きたら先生に伝えましょうか?」
「え、良いの? 小日向ちゃんは帰り遅くなっても平気?」
「はい。家は近いので」
「助かるよ~結構仕事残ってたからさ」
才木先生も、和海君と同じように頼りがいのある人だ。先生もまだ若いはずだけど、やっぱり大人の余裕のようなものが感じられる。
和海君も頼りがいある人だけど、私はあまり和海君を頼ろうとは思わない。私から見れば、無理をしているようにしか見えないから。
「あの、一つ良いですか?」
「お、どうしたの?」
「和海君って、昔からこうだったんですか?」
「こうって、何が?」
「なんというか……和海君って皆のことをとても助けてくれるのは凄いと思うんですけど、どうしてこんなに頑張れるのかなと思って……」
和海君と才木先生は結構仲が良いみたいだし、先生なら和海君が頑張りすぎる理由を知っていると思っていたのだけど──。
「わかんない」
……あれれ?
「わ、わかんないんですか?」
「うん。だって、私が和海と会ったのって、コイツが中学に入る前ぐらいのことだし」
……どういうこと?
「は、離れて暮らしてたんですか?」
「まぁ、そんな感じかな……あ、やば。電話かかってきちゃった。私も仕事あるし、ごめんだけど和海のことお願いね!」
と、才木先生はけたたましい着信音を響かせる携帯を取り出して、慌てた様子で保健室を去っていったのだった。
……才木先生は何も気にする様子もなく、平気そうに言っていたけれど。
『だって、私が和海と会ったのって、コイツが中学に入る前ぐらいのことだし』
それはどういう意味なのだろうと考えようとした時、再び保健室の扉が開いた。
「あら、寝ちゃってるのね」
現れたのは、さっきまで図書室で私達と一緒にいたメグ。多分、文芸部の活動が終わってからすぐに来たんだと思う。
メグは私の隣に椅子を持ってきて腰掛けると、眠っている和海君を心配そうに見つめていた。
「バカね、本当に」
自分の体を壊すほどに人助けをしてしまう幼馴染に吐き捨てるように、メグはそう呟いた。
メグは和海君のことを何とも思っていない風に振る舞うけれど、それでも今のメグの表情を見るに、本気で心配するぐらいの関係性はあるのだと思う。
そんな二人の関係を少し羨ましく思いながら、私はメグに聞いた。
「和海君って、昔からこうだったの?」
すると、メグはうんざりした様子で首を横に振った。
「初めて出会った頃は、メチャクチャ嫌な奴だったわよ」
「え?」
「顔を見るだけでも嫌だったわ」
今の和海君はとてもそんな風に見えないというか、そういう人とは対極の存在のように思えるのに……もしかして、メグなりの照れ隠し?
いや、もしそれが本当のことなら。
「和海君って、何かあったの?」
さっき、才木先生に聞きそびれたことをメグに聞いてみる。
すると、メグはメガネのレンズ越しにチラッと私の方を見た後、再び視線を和海君の方に戻して、口を開いた。
「色々複雑なのよ、カズ君の家って。雪歩は知らない?」
……この学校に入った時、海夏から噂話を聞いたことがある。和海君のではなくて、才木先生の話だけど。
才木先生の実家は、ここら辺じゃかなり有名なお金持ちである、と。
じゃあ才木先生はお嬢様ってことになるし、和海君だって御曹司ってことになるはずだけど、そんな名家の生まれである才木先生がこんな大して有名でもない普通の学校でどうして先生をしているのだろうってちょっと不思議に思うし、和海君だって御曹司ならもっと有名な私立の名門校に通っていそうなものだ。
和海君がいっぱい人助けをしている、という噂は何度も聞くけれど、和海君の家の話は全然聞いたことがない。
だから、あくまで噂は噂だと思っていたけれど……。
「……私はこっちに来てそんなに長くないから、あまり詳しくない」
「あぁ、そういえばそうだったわね。まぁ、カズ君もそういうのあまり話したがらないし、私が喋っちゃうと二度と口利いてもらえなさそうだからやめとくわ」
私は眠っている和海君の方へ視線を戻す。
まだ点と点が線で繋げないけれど、和海君が複雑な事情を抱えていることはわかった。
『確かに、俺の父親は警察官だったが……』
あの時の、和海君の発言が私の頭に引っかかっていた。
和海君がわざわざ『だった』と表現したのが気になって、もしかして親御さんを亡くしているのかと勘ぐってしまったけれど、それは単なる言葉の綾?
なんて、私が考えていると。
いつの間にか、メグが私の方を向いて微笑んでいて──。
「気になってるのね、カズ君のこと」
まるで、全部を見透かしているような瞳。
そのメガネのレンズは、人の心を見透かすために入っているのだろうか。
「そ、そういうのじゃなくてっ」
「じゃあ、どういう?」
「ど、どういうことでもないの!」
と、少し声を荒げてしまって、私は慌てて自分の口を手で塞いだ。
和海君の方を見ると、彼は穏やかな表情ですぅすぅと寝息を立てていた。
一方で、メグは私を見てクスクスと笑っていた。
こんなの……いつもと逆だ。
「め、メグはそういうのないの? 和海君と」
「少しでもそんな気があったら、とっくのとうにカズ君とイチャイチャしてるわよ」
仮に和海君が誰かと付き合っていたとしても、人前で誰かとイチャイチャしている姿は全然想像つかないけどね。
「私、前にも言ったでしょ? カズ君の取り扱いには注意しなさいって。爆弾みたいに爆発はしないだろうけど、トゲで胸を貫かれるかもしれないわよ」
「……うん、そうだね」
「まぁ、カズ君にそんな自覚はないだろうけどね。それじゃ、ごゆっくり」
「帰っちゃうの?」
「私がいたって、何も物語は始まらないのよ」
それは文学少女なりの気の利いた言い回しのつもりだったのだろうか、私達に気を遣ったのだろうか。
メグが保健室を去って、私は眠っている和海君とまた二人きりになった。
和海君が、生まれ育った環境……。
いくつか推測できるような気もするけれど、推測は推測でしかない。和海君の幼馴染であるメグなら何か知ってそうだけど、それをメグから聞くのは、ちょっとずるい気がする。
「母さん……」
すると、また和海君が寝言を呟いた。
今度は、うなされるように。
今、和海君はどういう夢を見ているのだろう?
和海君のお母さんってどんな人なのだろう?
……今も、和海君のお母さんは生きているのだろうか?
「……才木さん」
私は、うなされている和海君の手を両手で包み込むように握った。
「私は、ここにいますよ」
それは、私の言葉ではない。
とても優しくて穏やかな、天使──いや、聖女とでも呼ぶべきか。そんな言葉では形容できない、和海君にとって特別な存在。
すると、和海君の表情がいくらか落ち着きを取り戻したように見えた。
「安心して、お眠りください……」
きっと、和海君にとってあの人の存在はかなり大きいのだろう。
私は、和海君を救いたい。
かつて、私が和海君にそうしてもらったように……。




