笑ってはいけない青春24時③
果たして、本能寺の変の黒幕は誰なのか?
豊臣秀吉か?
徳川家康か?
足利義昭か?
あるいは、その他の誰か?
そもそも、黒幕など存在するのだろうか?
信長による粛清を恐れた明智光秀が先に行動を起こしただけなのでは?
あるいは、衝動的に謀反を起こしただけなのでは?
その理由を知るための史料が限られていては、そういった歴史上の大事件の詳細を知ることは非常に難しく、真実は拍子抜けしてしまう程とてもしょうもないことかもしれないのに、それに納得がいかない人々が理想的な理由を探し求めるが故に、陰謀説が生まれてしまうのである。
事件が大きければ大きいほど、そしてその要因がつまらなければつまらないほど、そうであってほしくないという人々の願望が強くなるが、現実は驚くほどつまらないものかもしれない。
あるいは、本能寺の変で討死した信長は影武者で本人はどこかで生き延びていたかもしれないし、もしかしたら現代や異世界に転生して、美少女になっている可能性も────。
……と、日本史の先生の授業は続くのだが。
ぶっちゃけ、先生の話は全く頭に入ってきていない。そもそも俺は教室の前の方を見ることすら出来ていない。
あの先生のことを直視してしまうと、どうしても頭をよぎってしまうのだ。
お年を召した老紳士らしい、整った白髪と真っ白な髭、そして大きな黒縁メガネ。
きっとこの時期から松楠の海でサーフィンを楽しんでいるであろう、こんがりと焼かれた肌。
そして、何故か白で統一されたシャツとズボン。
まさしく、『色黒のカー◯ル・サンダース』とかいうトンチキなあだ名が!
ダメだ、せっかくの授業なのに全く内容が頭に入ってこない。一日の最後の授業で、まさかこんなラスボスが待ち受けているとはなんて日だ!
もうすぐ中間考査もあるというのに、あの牧ゴンという恐ろしい怪獣が言い出した『色黒のカー◯ル・サンダース』という日本史の先生のあだ名がツボにハマってしまったのだ。
単に『色黒』だったり『カー◯ル・サンダース』というあだ名だったら俺もここまでツボにハマらなかったかもしれないが、その二つの単語が組み合わさり、俺の頭の中に浮かんだイメージがそのまま先生過ぎて、もう先生のことを直視できない。いや、直視していなくても思い出し笑いしてしまいそうだ。
もうこうなったら文化祭の時に赤い揚げ鶏屋でも出店して、先生に杖でも持ってもらってそのまま立ってもらいたいぐらいだが……と、そんなことを考えるだけでも笑いそうになってしまいそうだ。
と、授業に全く集中できずにいる俺の耳に、さらに悪魔が囁いた。
「カー◯ル」
「ブフッ」
どこからか聞こえてきた『カー◯ル』という単語で笑いそうになった俺は慌てて自分の口を手で塞いだ。
誰だ、授業に全く関係のない言葉を言いやがった奴はと、俺はキョロキョロと周囲を確認する。
あの、まるで天使のような可憐な声の持ち主は──。
「……ふふっ」
隣の席に座る小日向の方を見ると、彼女は俺のことを見ながらとても愉快そうに笑っていた。
ここに悪魔降臨なう。
小日向まで『色黒のカー◯ル・サンダース』のことを知っているのは意外だったが、彼女は俺がそのあだ名のことで頭が一杯なのを察したというのか。俺ってそんなにわかりやすい奴なのか?
だが、幸いにもカー◯ル……じゃないじゃない、先生は俺が笑ったことに気づいていない。上手く隠し通せているはずだ。
しかし──。
「ケンタッキー」
「んぐぅっ」
隣の席から聞こえてくる悪魔が容赦なく俺を攻撃してくる。
いや、小日向はただ単にアメリカ合衆国を構成する州の一つを言っただけかも……なわけがないか。明らかに意図的だ。悪意のある行為だ。悪魔的行為だ。
この見た目は天使のように可愛らしい悪魔は、授業中に俺を笑わそうとしているのだ!
「I'm loven'it」
「ぶほっ」
悪魔の攻撃は続くが、俺はまだ耐えられている。もう顔がすぐにニヤけてしまいそうだから不自然にノートを立てて先生にバレないようにしているが、まだいけるいける。
……いや待て。
『I'm loven'it』はケ◯タじゃなくてマ◯クだろ。
「幕張の安打製造機」
それはロッ◯リア……じゃねぇ、ただの千葉ロ◯テだ。いや、もうファストフードですら関係なくなってんじゃねぇか!
と、俺は心の中で小日向にツッコミを入れていたが、小日向にツッコミを入れたい自分を必死に押さえる俺を見て、彼女はなおも愉快そうに笑っていたのだった。
「楽しそうだったね、才木君」
放課後、少しばかり他クラスの同級生の手伝いを終えて教室に戻ると、一人残って本を読んでいたらしい小日向は俺を見るや否や、満足そうに笑みを浮かべていた。
きっと多くの人々は彼女の笑みを天使の微笑みと形容するのだろうが、今の俺には悪魔にしか見えない。もう小悪魔を通り越してやがる。
「……さっきはよくもやってくれたな。さぞ面白かっただろ」
「うん。才木君が笑ってるのって珍しいから」
そう言って小日向はクスクスと笑っていたが、俺は彼女の発言が気になった。
「俺が笑うのって、そんなに珍しいか?」
「うん」
「そ、そうなのか?」
俺は人並みに笑っているつもりだったのだが、そんなに表情が堅かったのだろうか? 教室中が笑いに包まれた時には俺も一緒に笑っていたつもりだったのに……。
「そういえばさ。才木君って、親友とかいるの?」
「親友? 親友かぁ……」
友達と呼べる存在は何人か思い浮かぶが、親友……となると少し悩んでしまう。
そして、答えを言い淀んでいる俺を見た小日向はクスッと笑ってから言う。
「あんなに仲良さそうなのに、才木君にとって海苔巻君はその程度の存在なんだね……」
「いや、違う。違わないが違う」
親友ってどんな存在なのだろうと考え始めたら定義が難しくなってくるが、俺の頭にパッとアイツの顔が思い浮かばなかったということは、小日向の言う通りなのかもしれない。
ごめん牧、俺はお前に隠している秘密が多すぎるんだ。
「私、才木君のこと見てて思ったんだけど」
「な、なんだ?」
「才木君って、友達少なさそうだね」
あぁ、なんて笑顔だろう。
そんな眩しい笑顔で言っていいセリフではないはずだ。
……俺、物凄く失礼なこと言われてない? 普通に傷つくんだが?
だが、反論しようにも反論できない現実がある。指を折って数えようとしたが、何か片手で足りるような気がしたからやめた。
「才木君ってお人好しだから色んな人のことを助けてあげてるけど、そういう人と知り合ってもあまり親しくなろうって感じじゃないから……何だか壁を作ってる風に見える」
小日向の言っていることが図星過ぎて、俺は小日向から顔を背けてしまう。急に心の中を覗かれたみたいで、心臓を直接掴まれたように動悸が激しくなってきたが、俺はそれを必死に抑えようとしていた。
「……別に、壁を作ってるわけじゃないさ。あまり恩を売りたくないだけだ」
「でも、本当にそれで良いの? 例えばさ、漫画とかゲームとかでラスボス戦の時ってさ、これまで主人公が助けてきた色んな人達が応援に駆けつけてくれるのに、才木君の場合は誰も来てくれないかもしれないよ?」
「悲しすぎるな、それは……」
俺は毎日学年を問わず色んな生徒から助けを求められることもあって色んな人と接するが、友達と呼べるほど彼らと深い関係というわけではない。
顔は広いのだが、じゃあ彼らと昼食を一緒に食べたり、休日に一緒にどこかに出かけたりはしない。
ぶっちゃけ、そんな時間を作れるほどの暇がないというのも理由の一つではあるが……まさか小日向がそこまで俺のことを観察しているとは思わなかった。少し嬉しくもあるし、恥ずかしくもあるし、友達少なそうだよねなんて言われるのは結構キツイ。
「才木君にとってはさ、牧君……じゃなかった、かっぱ巻君は友達なの?」
「わざわざ言い直さなくていいだろ。まぁ、この学校じゃ俺の数少ない友達だろうな」
牧の前でそんなことを言うのは照れくさいが、幸いにも牧は今教室にいない。親友じゃないかもしれないというのも聞かれてなくてよかった。
「あと、メグは才木君の親友じゃないの?」
「アイツはただの腐れ縁だ」
「照れ隠しじゃなくて?」
「違う」
本当かな、と言いたげに雪歩は笑っている。
メグは親友という枠とは違うものだ。多分。アイツだって俺と同じ答え方をするだろう。
というわけで、メグを友達だと換算しても、この学校に俺の友達は二人しかいないらしい。顔見知りだけなら何百人といるはずなのにおかしいなぁ。
今まであまり意識したことはなかったが、なんて悲しいことだろう。
と、俺が現実に嘆いている中──小日向は、また悪魔のような笑みを浮かべて言ったのだった。
「じゃあ、私はどう?」
……小日向は一体、俺に何と言わせたいのだろう。
話の流れからして、それはわかる。わかるのだが、恥ずかしくて面と向かってそれを言うことを躊躇ってしまう。
ていうか、そういうのって面と向かって申告したり宣言したりするものでもないはずだ。
「……何だったら良いんだよ」
と、俺は少しばかり反撃したつもりだったのだが。
「私は、才木君のことを友達だと思ってるけど?」
小日向は余裕そうに笑いながらそんなことを言うのである。
少しぐらい照れたり恥ずかしがってくれたら可愛げがあるのに、この悪魔のような天使はちっともそういう素振りを見せてこない。
だが、こんなことでいちいち動揺しているわけにもいかない。
これはきっと、神が俺に与え給うた試練に違いない。
「じゃあ、俺も小日向のことを友達だと思って良いのか?」
「才木君が良いなら」
「俺がそれを嫌がることはないさ」
……友達って、こんな風に作るものだったか?
俺も牧もお互いに『友達になろう!』と誓い合ったつもりも、盃を交わしたつもりもないのだが、この天使のお友達になれるなんて光栄なことだ。
しかし、悪魔の側面を持つ小日向と友達になれたことを素直に喜べない自分もいる。
小日向は、俺の心を囲う壁を平気で越えてきそうだからだ……。
「じゃあさ、せっかく友達になったんだから名字呼びやめようよ」
「え?」
そして、悪魔の猛攻は止まらない。
「私のこと、名前で呼んで」
ここに悪魔降臨なう(二回目)。
今日は朝からやけにあだ名の話ばかりだったが、もしかして小日向はこれを狙っていたのか? いや、あだ名の話を始めたのは小日向じゃないから、ただの偶然か。
「お、俺が、小日向のことを名前で?」
「うん。もう小日向って呼ばれても返事してあげないもん」
そう言って、小日向はプイッと俺から顔を背けてしまう。
嘘だろ……? 友達になったらお互いのことを名前で呼ばないといけないというルールがあったのか? 俺は未だに牧のことを呼びやすいから牧って呼んでるのに?
……いや、そんな簡単に名前で呼べるかよ。
こんな年頃になって、女子のことを名前でなんて。しかも相手はあの天使だぞ。
しかし、俺とて負けてばかりではいられない。
きっと、今の小日向にとって俺はただ単にからかい甲斐のある都合の良い人間でしかないのかもしれないが、俺だって少しくらいはやり返せるはずだ。
「……ゆ、雪歩」
俺は勇気を出して彼女の名前を呼んだが、やはり言った瞬間にどういうわけか顔が熱くなってきてしまう。
すると小日向、いや雪歩は俺の方を向いて、天使のように笑い──。
「どうしたの? ゴンザレス君」
──やはり、コイツは悪魔だ。
「お前はいつまで俺のことを才木ゴンザレスだと思ってるんだ!」
「才木ルイ14世?」
「王様でもないわ!」
悪魔のように笑う雪歩を見て、彼女の罠にまんまとハマってしまったなと俺は若干後悔もしていた。
そんな俺がツッコミ疲れて溜息をついていると、カーテンの隙間から風が吹き込んできた。
カーテンと一緒に雪歩の銀色の髪もフワリと浮き上がると同時に、彼女は悪魔、いや天使のような可愛らしい笑顔で口を開き────。
「じゃあね、和海君っ」
そんな別れの言葉を残して、雪歩は銀色の髪を風になびかせながら、タタタッと駆けて教室から出ていってしまったのだった。
風が止み、浮いていたカーテンが俺の頬をかすめて収まっていく。
そして、教室に一人取り残された俺は、机に突っ伏して大きな溜息をついた。
「何なんだよ、一体……」
俺は、小日向にからかわれるのが嫌なはずなのに、どうしてこんなにもドキドキが止まらないのだろう。
小日向雪歩が天使なのか悪魔なのか、わからなくなってくる……。
◇◇◇
──呼んじゃった。
呼んじゃった呼んじゃった。
『じゃあね、和海君』
この体の熱さが、こうして逃げるように走っているからなのか、それとも──名前で呼んでしまったのが恥ずかしいからなのか、なんて。
「……ふふっ」
小踊りするように、私は弾むようなステップで私は学校を飛び出たのだった。




