いーけないんだー、いけないんだー③
「いつもありがとな、才木」
「いえ、良いんですよこれぐらい」
放課後、俺は先生の手伝いに勤しんでいた。今まで職員室だとか生徒会で預かってきた落とし物が結構な量になってきたから整理してほしいと頼まれたのだ。
「才木には本当にいつも助けられてるよ。今度のテストの点数、十倍にしてやろうか?」
「いや上げすぎですって。不正バレバレじゃないですか!」
テストの点や内心を上げて欲しいとは思っていないが、先生が俺のことを労ってくれたり、ジュースを奢ってくれるだけで俺は十分嬉しいのである。
そして、俺は職員室や生徒会室に保管されている様々な落とし物をかき集めて、校舎の端っこにある物置へと運んでいたのだが……これが中々の量で何往復もしなければならなかった。
本当は台車を使いたかったのだが、現在どこかの部活が使っているらしく、余計に往復しなければならない。
何度も同じ事を繰り返していると、やはり人間楽をしてしまいたくなるもので、それに俺は教会での用事もあるし、どうしても焦りが生じていた。
放課後、しかも校舎の端っこともなれば先生に見つかりづらい。俺はそれを利用して、大量の落とし物が入った段ボール箱を抱えて走っていたのだが、丁度廊下の曲がり角に差し掛かった時──突然出てきた女子生徒とぶつかりそうになったのだった。
「きゃっ」
「どぉわぁー!?」
俺はギリギリで女子生徒を回避することが出来たもののバランスを崩してしまい、抱えていた段ボールごと転んでしまったのだった。
「いってぇー……」
段ボールを抱えていたから上手く受け身をとれず、俺は結構な強さで顔面を廊下に打ち付けてしまった。メチャクチャ鼻と口と顎が痛い。
「大丈夫?」
「あ、あぁ……」
可憐な声が聞こえて顔を上げると、目の前に小さくて可愛らしい手が差し伸べられていた。
盛大にずっこけたところを見られたし、女子の手を掴むのは少し恥ずかしかったため俺は顔を擦りながら自力で起き上がったが──目の前に立っていた長い銀髪の女子生徒を見て、俺は驚愕したのだった。
「って、こ、小日向!?」
「イエイ」
小日向は何故か俺にピースサインを向ける。
ここは二年の教室から離れているし、何かの部活の部室があるわけでもない学校の僻地みたいな場所なのに、どうしてこんな所に小日向がいるのか。
「ど、どうして小日向がここに……って、それよりも怪我はないか?」
「ううん、私はこけてないから大丈夫だよ。才木君の方こそ大丈夫?」
「あ、あぁ。顔面が少し痛いが、一時すれば引くと思う」
「メガネ割れてるよ?」
「え、マジ!? ……って、俺はメガネかけてねぇよ!」
思わず俺は自分のメガネを探してしまったが、そもそも自分がメガネをかけていなかったことに気づいて、小日向の話術にまんまと引っかかってしまったことが恥ずかしくなってしまった。
そして、まんまと俺を術中にはめた小日向はクスクスと笑いながら、廊下に散らばった文房具や傘、キーホルダーを見て言う。
「ねぇ、何を運んでたの?」
「職員室とかで預かってた落とし物だ。保管してたのが多くなってきたから整理を頼まれたんだ」
「私も手伝ってあげよっか?」
「いや、でも小日向に時間を取らせるわけにもいかないし」
と、俺は一旦断ったが、小日向はズイッと俺に顔を近づけてきて言う。
反射的に俺は身を引いたが、それでも小日向との距離は近い。
「私も手伝ってあげよっか?」
「な、なんで二回言ったんだ?」
すると、小日向はさらに俺に顔を近づけてきた。
小日向は結構小柄だから、そこまで威圧感はないが……こんな至近距離で迫られると、動揺せずにはいられない。
「私も手伝ってあげよっか?」
「わ、わかったから。ありがとな、小日向」
小日向の不思議な圧に押されて、ていうか小日向の顔が近づいてくるドキドキに負けて、俺は小日向に作業を手伝ってもらうことにした。まずは、この廊下に散らばった落とし物達を段ボールの中に集める作業からだ。
すると、小日向は傘や文房具を拾いながら口を開いた。
「それよりもさ。才木君、また廊下走ってたの?」
「え? まぁ、少し急いでてな……」
何度も段ボールを運んで往復するのが面倒になっていたし、何よりも俺には他に用事もあったので急いでいたのだ。
と、俺は自分が規則を破って廊下を走っていたことを小日向に打ち明けてしまったが、彼女は俺の方を向くと俺をからかうようにニヤニヤと笑いながら、指を差してきて──。
「いーけないんだー、いけないんだー」
……少し懐かしさも感じる決まり文句。
「せーんせーにいってやろー」
と、小日向はおちゃらけた様子で言ったのだった。
この天使にも子どもっぽいところがあるのだな、と少し面白く思う。
「……先生に言うのか?」
「うん。廊下を走っていた才木君と曲がり角でぶつかって、胸を揉まれましたって」
「そんなラッキースケベなかっただろ!」
「そうなんだ。触った感触すら感じないぐらい、私の胸はぺったんこだって言いたいんだね……」
「えぇっ!? ほ、本当に触ってしまってたのか!?」
「ふふ、冗談冗談」
本当にラッキースケベがあったのかと思って俺が慌てふためくと、小日向は愉快そうにクスクスと笑っていた。
それもそうだ、俺が転んだ時の感じた感触なんて、この廊下の冷たい硬さしかなかったのだから。天使がこんな廊下みたいに硬いわけがない。
それに、小日向のアレは際立って大きいわけではないが、かといって気にするような小ささでもないはずだ。そこら辺の事情は男子の俺にはわからないが。
普段そんなじっくり見ることはないが、確かに膨らみは……。
「……どこ見てるの?」
小日向が自分の胸元を両腕で隠す。
やばい、つい小日向の胸に目がいってしまっていた!
「いや、ち、違うんだ小日向。その……少し気になっただけで」
「じゃあ、見てたんだ」
「はい。すみませんでした」
俺は思いっきり土下座をして、廊下に額をこすりつけた。これはもう弁明のしようもない、変に言い訳するよりも潔く謝るべきだろう。
すると、小日向はクスクスと笑いながら……。
「エッチ」
「ぐっ……」
と、中々に破壊力のある一言を俺に言い放ったのだった。
なんだろう、これは……小日向にからかわれている悔しさとか恥ずかしさだけじゃなくて、小日向の口から「エッチ」という単語が出てきて、その破壊力に少し興奮している自分もいる……って、小日向の前で何を考えているんだ俺は!
「まぁ頭を上げなよ才木君。元々話を振ったのは私の方だし」
「じゃ、じゃあ許してくれるのか?」
「代わりに私が才木君の胸を凝視するね」
「それでイーブンになるのか?」
小日向は俺の胸元をジーッと見る。俺の大胸筋はそんな発達しているわけでもないし、学ランも着ているから見ていても何も面白くないと思う。
「才木君って良い学ラン着てるね。国産?」
「いや知らんし、他の男子が着てるのと一緒だぞ多分」
「それよりもさ、才木君ってこの後教会に行かないといけないんでしょ? なら、早くこの仕事終わらせちゃおうよ」
「あ、あぁ。そうだな」
なにはともあれ、小日向に軽蔑されなくて良かったと心の底から思う。隣の席の女子に軽蔑されてしまったら、俺はもう気が気でない毎日を送る羽目になっていたかもしれない……。
そして小日向にも手伝ってもらいながら大量の落とし物を物置まで運んだ後、今度はそれらの整理が始まる。
「これをどう整理すればいいの?」
「使えそうな文房具とか傘は残して、壊れてたりボロくなってるのとかキーホルダーとかはもうどんどん処分していいってさ。大分長い時間保管されているし、持ち主も卒業してしまっているだろうしな」
使えそうな傘や文房具は生徒への貸し出し用に生徒会室で保管されているが、それらの保管用のものも増えてきたため、ある程度選別して処分する必要が出てきたという。
他にも殆ど壊れている傘とか汚れたキーホルダーや小物も多く、俺と小日向は処分するものをどんどん選別していくのだった。
「この傘も壊れてるな……修理すれば使えそうだが」
「そういうのまで残していったらキリがないよ。こういう時は思いっきりが大事。このお醤油もまだ五分の一ぐらい残ってるけど捨てよ」
「そうだな……って、醤油!?」
小日向は断捨離が上手なのか、彼女の助けもあって作業は順調に進んでいく。
「あ、才木君見てみて。赤五筒」
「あぁ本当だ……って、なぜ麻雀牌が!?」
「こっちには誰かのブルマが」
「もうブルマじゃないのに!?」
「あ、スク水とかナース服もある。結構お楽しみだったみたいだね」
「誰だ、学校でお楽しみだった奴は!?」
これを落とし物として届けた側も、落とし物として預かった側もどんな気持ちだったのだろうか。この学校の風紀とか治安が少し不安になってきた。
きっと演劇部の衣装に違いない……演劇でも滅多に使わなさそうだが。
そんなトンチキな落とし物に驚きつつも、小日向が手伝ってくれたおかげで作業は早めに終わり、俺は小日向と一緒に鞄を取りに教室へと戻った。
そして、そのまま一緒に帰ることに──。
「才木君、急いでるんでしょ? 私、ゆっくり帰るから」
と、教室で何かやんわりと小日向に断られてしまった。
いや、俺も元々誘うつもりではなかったが、一緒に帰る方が自然かと思っただけだ。そうなんだ。別に悲しくないし。
「手伝ってくれてありがとな、小日向」
「ううん、別に。才木君っていつも忙しそうだからね、何か力になれたらと思って。そういえば、才木君ってどうしてそんなにお手伝いが好きなの?」
「手伝いが好きっていうか、困っている人を見ると助けずにはいられなくてな」
「どうして?」
小日向にどうして、と聞かれて俺は少し困ってしまう。普段、そこまで追及されることはないからだ。
『────こんにちは、迷える仔羊さん』
……俺の過去を小日向に説明したってしょうがない。
「昔、俺が困っている時に、色んな人に助けてもらえたからだな」
これは恩返しだ。俺がお世話になった人々に対するものだけではなく、俺がここまで生きてこられた、この世界に対する恩返しなのだ。
そして……この恩返しには、贖罪という側面もある。
「何か、才木君らしいね」
「そうか?」
「うん」
窓から吹き込む春風に吹かれて、煌めく銀色の髪をなびかせながら小日向は笑う。
……こんな天使の笑顔を拝めるなら、俺は何だって出来るような気がした。




